フランシスとスカー③
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自分の首元に当てられた剣を見て、目を見開くエステリア。
そして深く息を吐くと静かにこう言った。
「……殺せ」
「ハハハ。……良い覚悟だ……」
そう言ってフランシスは剣を大きく振り上げる。
「……ッ!」
──そして、そのまま鞘に収めるとエステリアを背にして歩き出した。
「〜〜〜ッなんのつもりだッッ!!」
エステリアは激昂して叫んだ。
エステリアは形はどうあれ自分の死を覚悟して決闘を挑んだ。にも関わらずフランシスは自分を見逃して帰ろうとしている。それはエステリアにとって侮辱に等しい行為に感じたのだ。
──そして、それはその通りだった。
「ハハハ!見りゃ分かるでしょ?君の事をおちょくってるんだよ!もうすぐパパにオネショがバレちゃう女の子をね?」
「き、貴様ッ!!」
「ハハハハハハ!……良いかい?エステリア。僕に殺されたいのなら、殺さなければならない程の使い手に成るしかない。勝者が敗者の命を握るって言うのは、何も生きる権利を奪えるだけじゃない。死をも奪えるって意味なんだ。負けた君が勝った僕に“殺せ”だなんて生意気なんだよ」
「……ッ!!」
「それに、僕は誰かに命令されるのは大嫌いなんだ。僕は“影剣のフランシス”。僕の王は僕しかいない。……っと、そろそろかな?」
「……!?」
フランシスがそう言った直後、周囲を警戒していた斥候のオークが叫んだ。
「フランシス様!!“賢猿”の旗を掲げた一団が近付いています!!如何しますか!?」
「ハハハ!流石スグリーヴァ!勿論撤退だよ!!多分、荷物持ってたら追い付かれるから、積荷は全部捨ててくよ!!」
「「「え〜〜ッッ!?」」」
「ハハハ!!ゴメンゴメン!エステリアで遊び過ぎたんだ!!あ、そうだエステリア。スグリーヴァに伝えといて?“この未熟者は貴殿に返そう。しかしタダでは無い。値段は貴殿が決めよ。それと、一対一の決闘を申し出るならいつでも受ける準備がある。無論、僕の様な高貴な魔物に物怖じするのは貴殿の様な山猿には無理からぬことだろう。しかし、貴殿の勇猛さは僕も知るところだ。未来の優秀なる部下の為に一肌脱ぐ事も吝かでは無い。君の未来の王、フランシスより”ってね」
「お、驕るのも大概にしろッッ!!貴様の様なブタが神にでもなったつもりかッッ!!」
「ハハハ!流石に神はまだ早いかな?取り敢えず当面の目標は皇帝だよ!王は民を統べるけど、皇帝は王を統べるからね!じゃあそろそろ行くね!!せめて伝言くらいは頼んだよ?ルーディース、アヴァンティータ!(※“さよなら、下世話な恋人”の意)」
「〜〜〜〜ッッッッ!!」
怒りの余り声も出ないエステリアを置き去りにし、フランシス達は走り出した。
「ハハハ!ハハハ!あー楽しいッ!!ハハハハハハ!!」
「笑ってる場合ですか!?食料まるごと奪われたんですよ!?」
「仕方ないじゃん!スグリーヴァは賢いからね!奴が動いた時点で八割は負けてるんだから、だったらダメージを少しでも減らす方が良いでしょ?」
「何処がですか!!魔法剣士のフランシス様が剣だけで相手するからこんなに時間がかかったんでしょ!!魔法やスキルを使ってたら直ぐに決着したでしょうに!!」
「ハハハ!それじゃつまらないじゃないか!!スカーは馬鹿だなぁ!」
「〜〜ッッ!!あーッッ!!もうッッ!!」
スカーは頭を掻き毟る。
フランシスはいつもこうだ。人を馬鹿にし、嘲り、侮辱し、翻弄する。
それだけなら只のクソ野郎の筈なのに、超が付くほどの天才で、そして何故か憎めない。
「……まったく。フランシス様と一緒に居ると、貴方の命を狙うのが馬鹿らしくなって来ますよ。そんな事を考えてる余裕も無いですし、諦めた方が良い気がして来ます」
スカーにはもう新たな友も居る。今の生活も嫌いでは無い。それにオークの王が統一を掲げた事も今なら理解できた。あのまま放置していれば、黒竜の森のオークは他の二つ名持ちユニーク達に呑まれていた。オークの王はそれを予見していたからこそ対抗出来るだけの勢力を求めたのだ。
憎しみを忘れ、前を見るべき時が来たのかも知れない。
スカーはそう思った。
──しかし、フランシスはそれを否定した。
「……それは駄目だよ、スカー。君は怒りを忘れてはいけない」
「……何故ですか?」
「……君の怒りは、君がどれだけ近しい人達を大切に思っていたかの表れだ。そしてそれは正しく、奪った者が背負うべき業でもある」
「……また妙に哲学的な言い回しですね。正直良く分かりません」
「単純な話さ。君の大切だった人達は死んでも良い様な人達だったの?嬲られ、殺され、隷属させられ、その自由を奪われて当然だったと思えるの?」
「それは──」
そこでスカーは言葉に詰まる。
死んで、死んで良い筈が無かった。
父は優しく、気高いオークだった。
自分に医術を教えてくれた老オークもそうだ。厳しく、よく殴られもしたが、彼は本気で自分に医術を叩き込んでくれた。
集落のみんなもそうだ。
嫌な奴も居たけど、それでもあんな酷い死に方をして良い筈が無かった。
自分は、あの集落での暮らしが。集落で暮らしていたみんなが。心の底から好きだった。
「わ、私は……」
スカーの目から涙が落ちた。
もうずっとみんなの事を思い出す事も無かったのに。乗り越えられたと思っていたのに。それでも涙は止まらなかった。
「……スカー。君はね、僕の事が好きなんだよ。一緒に馬鹿やって、ずっと付いて来て、それでも嫌いで居られる様な奴じゃない。そして、それと同じくらい……いや、それ以上に僕の事が許せないのさ。僕だけじゃない。君の集落を襲った全てのオーク達を。そして、その事を知らずに今を生きるオーク達を。君は心の底で憎んでる。だけどその矛盾した感情を抱えたまま生きるのは辛い。だから忘れたフリをして楽な方に逃げようとしているんだ」
「……それの何処が悪いのですか。私は疲れました。誰かを恨むのも憎むのも」
「疲れるのは自分の気持ちが矛盾してると思ってるからさ。“自分はこの人が好きなんだから憎い筈が無い”、“嫌いになれないなら好きにならなきゃいけない”。そんな風に考えて自分の気持ちを押し込めるから疲れてしまう」
「……もうこの話は止めましょう」
「ハハハ!駄目だよ。……その反応……君ももう知ってるんだろう?君の父さんを殺したのは僕だ。村の蹂躙を指揮したのは僕だし、状況的に君の父さんを直接殺したのも多分僕だろう。だけど、僕は君の父さんが誰だったのかも分からない。顔も分からないよ。顔を見たのかすら分からない」
「……止めてください……」
「あの時の指揮は自分でも天才的な指揮だったと思う。君の集落のオスの大半は殺したけど、僕達の軍に死者は一人も出なかった」
「……止めてください」
「僕は君の集落を襲ったあの日、帰ってお気に入りの女の子達に囲まれて武勇伝を話したよ。“大したことない連中だった”とね。それで僕は酒を飲み、そして女の子達を抱いた」
「止めろ……」
「そして次の日には別の集落に行ったよ。まぁ、見せしめの効果が高かったから直ぐに条件を飲んでくれた。お陰でオークの統一は容易かった──」
「……止めろって言ってるだろうがッッッ!!」
スカーはそう叫んでフランシスに迫る。
フランシスの言葉は全て事実だ。
スカーはフランシスの副官として働き、そしてずっと集落の襲撃について調べていた。
初めは誰が仇なのか分からなかった。
正確に言えば、違う相手が指揮官だったと信じていたのだ。
それは、スカーがフランシスの副官になった経緯を知る者が裏で手を回した為だったが、相応の期間フランシスに仕えて行く中で、スカーはフランシスが指揮していたと考える様になった。
証拠は無いが、そうとしか思えなかった。
だが、スカーはフランシスにその事を問いただす事はしなかった。
出来なかったのだ。その頃にはフランシスがどれ程のオークなのか理解していたから。
だからこそ、それを有耶無耶にしたまま乗り越えようとした。
それなのに。
それなのにこのクソ野郎は、それを台無しにしやがった。
「ウォォォッッ!!」
大きく右手を振り上げるスカー。
フランシスなら軽くいなせるだろうが、それでもこの怒りは抑えられない。
例え自分がどうなろうとこの拳をフランシスの顔にぶち込んでやる。
スカーはそう思い拳を振るった。
──そして、その通り軽くいなされた。
「グフッ!?」
地面に強く背中を打つスカー。
初めてフランシスと会った時と同じ状況。しかし今度は何をされたかは分かった。
フランシスがスカーの腕を掴み、そして引きながら足を掛けたのだ。
スカーは直ぐに起き上がってフランシスを殴ろうと思った。
だが、顔を上げた時に入ってきたフランシスの顔を見て、思わず動きを止めてしまう。
「……ッ!?」
「ハハハ!初めて会った時と同じだね!でもどうして止まったの?もう一回くらい殴りかかって来ると思ったのに」
軽口を叩くフランシス。スカーは上体だけ起こしてそれに応えた。
「……冷静になったんですよ。どうせ殴り掛かっても同じでしょうし。……親の仇なんですから、せめて殴られてやるくらいの慈悲は無いんですか?」
「無いね。痛いの嫌いだもん」
「……はぁ」
フランシスはスカーに手を差し伸べ、スカーはそれを取り立ち上がる。
「……スカー」
「……何ですか?」
「僕はフランシス。君の王だ。そして今言った通り君の仇でも有る」
「……はい」
「だから──」
フランシスはスカーの目を見て、こう続けた。
「……君は僕の事を好きで、そして殺したいくらい憎んでも良いんだよ」
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それからスカーは以前の様にフランシスを狙いはじめた。
それは直接だったり、間接的だったりしたが、概ね本当に命の危険が在る手段だった。
だが、その悉くをフランシスは躱し、スカーを嘲笑った。
“いつか殺す。絶対に殺す。今に殺す。……だけど、大切なこの人を殺す迄側で支えよう”
矛盾している様だが、それが偽ざるスカーの本心だった。
だがスカーには分かっていた。
フランシスは自分程度に殺せる相手では無い。いや、誰であろうと殺せる様な相手では無いのだと。
そして、フランシスが森を統べ、魔王へと至ったあかつきには、せめてこう言ってからかってやるつもりなのだ。
“フランシス様、どうしてあの時泣いていたのですか?”
と──
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「……貴様ァッッ!!」
「グブッ!?」
激昂した顎髭のオークはスカーを殴り飛ばす。
そしてそのまま馬乗りになって数発殴ると、ステラの下に駆け寄った。
「姫様ッッ!!姫様!!ステラ!!」
必死に呼び掛けるがステラは返事しない。しかし浅く呼吸をしているのが分かる。
顎髭のオークは振り返り、スカーの胸ぐらを掴み上げた。
「貴様姫様に何をしたッッ!!」
「グフッ!……閣下。安心して下さい。姫様は死んではいませんよ。オオネムリバチの毒から精製した睡眠薬で眠って頂いただけです。まぁ、状態が安定するまでついて診ている必要がありますが、ご存知の通り私には医術の心得があります。私が殺されなければ姫様の安全は保証出来ますよ」
「……ッ!!」
顎髭のオークは顔を歪める。そして絞り出す様に声を出した。
「……何が目的だ。……貴様の集落を滅ぼした儂への復讐か?」
顎髭のオークはかつてオーク統一の陣頭指揮を任されていた。
その中で見せしめの意味合いでかなり残酷な襲撃をした事があり、スカーはその集落の生き残りの一人。
それを理由として行動していたとしてもおかしくはないと思ったのだ。
しかしそれを聞いたスカーは乾いた笑いを浮かべた。
「ははは……まさかその様な。私が復讐すべき方は既に亡くなられている。……それは閣下もご存知の筈です」
「……知っていたのか……!?」
「当たり前でしょう?私があの方にどれだけ仕えたと思うのですか。私はそれを知った上であの方……フランシス様にお仕えした。フランシス様も私が知っている事知ってましたよ。ですからその事で閣下を責めるつもりは有りません。……ただ、先王陛下と黒南風の戦士達に対して一つだけどうしても納得出来ない事があるのです。覚えておいでですか?先王陛下と貴方達が賢猿の軍勢から敗走して来た時の事を。あの時、先王陛下に詰め寄った私を、閣下は額を割って止めて下さいましたよね?」
「……ッ!」
顎髭のオークは思わず顔を顰めた。スカーが口にしようとしている事を理解し、そしてそれが彼にとって忌まわしい記憶を想起させるものだったからだ。
「あの時私は先王陛下に……いや、“黒南風のマダム・アペティ”にこう言ってやるつもりだったッ!!“フランシス様の代わりに貴様が死ぬべきだった”とな!!何故あの方を犠牲にした!?アペティに先が無い事も教えてやっていた筈だ!!フランシス様はオークの光そのものだった!全てを照らす太陽だった!それを死なせて良く平然と帰ってこれたな!!」
「……陛下は殿を務められる様な状態では無かった。そして殿が居らねばその先に居た女子供があの禍蜘蛛に食われていただろう。……フランシス様は身をもってオークの未来を守られたのだ」
「黙れッッ!女子供やアペティの命にフランシス様程の価値があったとでも言うのかッ!?その全てを引き換えにしてもあの方の命には届かないッッ!未来と言うならばフランシス様こそがオークの未来だったのだ!!何が“黒南風の戦士”だッ!!貴様等が死ぬべき時はあの時を置いて他に無かった!!それを今更“戦士の誇り”だと!?笑わせるな!!役立たずの死に損ないどもがッッ!!」
スカーは吠える様にそう言った。
それは普段の彼からは想像出来ない程の激情と、深い悲しみのこもった咆哮だった。
スカーは涙を拭うと、拳を軽く地面に打ち付けてから再び顎髭のオークと向き合った。
「……失礼しました。“死に損ない”は私も一緒だと言うのに要らぬ事を言いましたね……。……どうぞお進み下さい。この先に行けば閣下達を死が迎えてくれる事でしょう。私もお伴しても構わないのですが、生憎と姫様を診なければならない。それが気に入らないならどうぞ殺して下さい。死に損ないが死体に戻るだけですから……」
「……」
顎髭のオークは何も言わずにスカーを横切る。
彼に従う戦士達もそれに倣い進み始めた。
誰一人として何も言わない。いや、言えなかった。彼等にとって、スカーの言葉はそれだけの重さを持っていたのだ。
──しかし、そうでない者もこの場に居た。
「……成る程な。トカゲに尻尾を振るだけの腰巾着かと思ってたが、少しは芯があるじゃねぇか」
「「!?」」
スカーと顎髭のオークは声のした方向を見る。
其処に居たのは純白の体毛を持つ一匹の獣。
戦士達がこの侵攻で最終目標としていた、トカゲの腹心。
“白銀のジャスティス”だった──
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