死に損ない
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「……爺、そこで止まれ」
「……」
そう言われた顎髭のオークは、行く手を遮る魔物達に視線を送る。
一人はスカーと呼ばれているオスのオークだ。
かなり早い段階でトカゲ達への恭順を示したオークで、現在のオーク達の中ではかなり厚遇を受けている。
その為一部のオークからは蛇蝎の如く嫌われているが、彼の素性を知る顎髭のオークは無理も無い事だと理解していた。
そしてもう一人は良く知ったメスのオークだ。
腰に届く程伸びた、緩やかなウェーブを描くブロンドの髪。
一流の芸術家が創った彫像の様に均整の取れた身体つき。
そして汚れを知らぬ女神の様なブタ面。
オークの姫にして騎士。先王の長女たるステラだ。
“美しくなられた”
顎髭のオークは素直にそう思う。
病弱ではあったが、美しく優しかった母君。武骨ではあったが、聡明でオーク然とした先王。
ステラはその双方の良い所を受け継いでいる。
これなら引く手数多だろう。
──無論、このじゃじゃ馬姫に相応しい男はそうは居ないだろうが。
顎髭のオークは、思わず緩みそうになる口角を押さえてステラと向き合うと、まるで日常の一コマの様に声をかけた。
「……姫様。年頃の娘がこんな時間に出歩く等褒められた事ではありません。早く御屋敷にお帰りください」
「別に構わないだろう。私に劣情する様な物好きはそうは居ないし、居たとしても遅れを取る私では無い。……爺達も御苦労な事だ。夜間の行軍訓練は確かにこの先に必要な事かも知れないが、これ以上進めば要らぬ誤解を招く事になる。そろそろ引き上げてくれるか?」
ステラはそう言って顎髭のオークの目を真っ直ぐに見つめた。
言わんとする事は分かる。
“今なら訓練だと言って誤魔化す”と、ステラはそう言っているのだ。
しかし顎髭のオークにそれを受けるつもりは無い。
「……これは訓練等ではありません。戦士の誇りを取り戻す為の聖戦です。……有り体に言えば、謀反と呼ばれるべき事でしょう」
彼はそう言ってステラの提案をハッキリと拒絶した。
顎髭のオークはステラをこの謀反に巻き込むつもりはない。元より勝ち目など無いに等しいと考えている彼は、ステラと袂を分かつつもりだったのだ。
そしてステラはその内心はどうあれ、トカゲの陣営を運営する副官の一人。
そんなステラに対して謀反を宣言するのは、言い訳の出来ない決別を意味していた。
しかし──
「違う。これは“夜間訓練”だ。事実私は報告を受けていたからこうしてこの場に居る。そしてそれももう終わりだ。早く引き上げよう」
ステラはそう言って顎髭のオークから視線と話を逸らした。
こうして視線を逸らすのは、バツが悪い話をされた時のステラの昔からの癖だった。
しかしまさかここに至ってもその癖が出るとも思わず、面を食らった顎髭のオーク。だが気を取り直して再びステラに宣言した。
「……姫様、これは謀反です。我々は逃げも隠れもしません。今すぐにでもあの白銀に報告下さい」
「良い夜だな。星に手が届きそうだ。しかしもう随分遅いし、明日は休みにしよう。私からジャスティス殿に話は付ける。そうだ、久しぶりに稽古をつけてくれないか?今は私の方が強いとは思うが、爺は戦上手だ。学ぶべき事はまだまだ有る」
「……姫様、謀反なんです。姫様にはすべき事があるでしょう?」
「なんだ?休みはゆっくりしたいのか?まぁそれも良いだろう。そう言えば爺には昔は良く川遊びに連れて行ってもらったな。流石にこの歳だと裸になって川遊びをする訳には行かないが、久しぶりにのんびりするのには良いかも知れない」
「姫様……」
ステラは顎髭のオークの話を一切聞こうとせず、ひたすら話続ける。
思わず脱力してしまいそうになるが、駄々っ子の様に振る舞うステラを見て、顎髭のオークは綻ぶ口角を抑えられなかった。
“ずっとこうしていたい”
顎髭のオークはそう思う。
若君が生まれた時に母を亡くし、女だというのに戦士の背中ばかり見せてしまった。
戦場に赴く息子を追い掛けようとしたステラを取り押さえた事もあるし、酷いイタズラをした時は木に括り付けた事もあった。
今でこそ分別がつく様になったが、子供の頃は三兄弟の中で一番ヤンチャだったのは間違いなくステラだった。
この先もずっと、少なくとも自分が死ぬまでは側に居たかった。
居たかったのだ。
「そうだ!歳で思い出したが、前に爺は私の子供の顔を見るまで死ねないと言っていたな?だとしたら爺は相当長生きをしなければならないな。何せ私みたいな女は結婚出来ないだろうからな。少なくとも私よりは長生きをせねば──」
「ステラ」
顎髭のオークはステラの言葉を遮り、そして真っ直ぐにその目を見つめるながら、万感の想いでこう言った。
「……大きくなったな……」
「……ッ!!」
顎髭のオークの言葉に、ステラの目から涙が溢れた。
その一言だけで伝わったのだろう。
──もう止められないのだと。
顎髭のオークはそんなステラの顔を、慈しむ様に見つめながら続けた。
「失礼な発言をお詫びします。……しかし、あんなに小さかった姫様がこんなにもご立派に成られるのです。私が老いたと感じるのも無理は無いのでしょうね……」
「なんで……なんでそんな話をするッッ!!早く訓練をやめて引き上げろッッ!!」
「幼い頃から男勝りで、大きくなったらどんな女になるのかと思っていましたが、杞憂でした。本当に……本当にお綺麗になられた。……もう少しお淑やかに育って欲しかったものですが……」
「聞きたくないッ!!さっさと訓練をやめて引き上げるんだ!!」
「姫様、姫様はお綺麗です。御自分の事を卑下なさらないで下さい。でないと貴女にソックリだった母君をも卑下する事になりますよ?」
「なんで……ッ!?どうして!?……ッ!爺ッ……ッ!!」
ステラは必死に言葉を出そうとするが、上手く出せずに嗚咽を漏らす。
顎髭のオークはそんなステラから視線を逸らす様に、空を見上げて続けた。
「……この数ヶ月で陛下が姫様に“器を見極めよ”と仰られた理由は良く分かりました。忌々しい事ですが、あのトカゲにはそれだけの“器”がある。強く賢く勤勉で、公明正大。種族に関わらず働けば働くだけそれに報い……そして必要ならばその手を民の血で染める事も厭わない。あれは十の為に一を殺し、百の為に十を殺し、千の為に百を殺す事が出来る魔物だ。……もしかしたら黒竜の森を統一し、魔王へと至れるだけの器やも知れません」
「だったらッ!!」
「……“理解する事”と“納得する事”は違うのです。幾ら奴がそれだけの器でも、幾ら陛下がお認めになった相手でも、……幾らそれが頭で理解出来ていても。我等はそれに納得出来ない。我等は奴を王とは認められない」
「認めなくたって良い!!私だってあんな奴大嫌いだッ!!生きて……生きてさえいてくれたらそれで良いんだッ!!爺まで……爺まで私の前から居なくなるのか!?どうして……どうしてそこまでッ……ッ!!」
「……ご存知でしょう?それが──」
そこで区切ると、顎髭のオークは再びステラへと視線を戻してこう言った。
「……それが“黒南風の戦士”なのです」
「……ッ!!」
──バッ!──
ステラはその場から飛び退いて大きく顎髭のオークから距離を取る。
そして彼に向かって槍を構え、唱えた。
「溢れ落ちし昔日のカケラッ!
選ばれなかった過去の未来よ!!
我が呼び掛けに応え顕現せよ!
現界せし可能性の力!!
“顕現六枝ッッ!!”」
唱え終わると同時にステラの影が六つに別れ、その各々が人型となり武器を構えて陣取った。
「……行かせないッ!!絶対にここから先へは行かせない!それ以上進むつもりなら全力で相手をするッ!そうすれば奴等にも気取られるぞ!?それでも良いのか!?」
「……構わないと言った筈です。我等は我等の矜持を見せるまで。奴等が如何に強くとも、正面から捩伏せ、我等が黒南風の戦士なのだと知らしめて──」
「そんな事は出来ないッッッ!!」
「!」
ステラは顎髭のオークの言葉を遮りそう叫ぶ。
そして、長い髪を振るい、泣きながら続けた。
「出来ないッ!出来ない出来ない出来ない!!出来ないんだッ!!爺!!仮に奴等に気付かれずにこの先に進んでも!!例えどれだけ爺達が強くても!!この先にあるのは戦士としての誇り高い死なんかじゃないッッ!!あの狡猾なトカゲが爺達の動向に気付いてないと本気で思っているのか!?こんな状況で何故奴が森を留守にしたのか──うぐぅッッッ!?」
ステラはそう言いかけて、頭を押さえて蹲った。
その表情は苦悶に満ち、明らかに苦痛を訴えていた。
「姫様ッ!!」
顎髭のオークは慌てて駆け寄ろうとするが、それは他ならぬステラに止められた。
「ち……近くなッ!!それ以上……進むなッッ!!」
「……ッ!」
向けられた槍を前に、顎髭のオークはステラの状態を理解した。
これは王の持つ“支配”の効果だ。
無論、絶対服従の“支配”を拒絶する事は出来ないのだが、支配権を委任された場合だとその効果は弱まり、こうして苦痛という形で強制力が発現する。
ステラは苦痛にフラつきながら立ち上がるが、それでも槍を放そうとはしない。
「……行かせ……ない……!!絶対に……!」
「……ッ!」
顎髭のオークは困惑した。
ステラも支配の効果と発動条件は知っている。
そしてトカゲが略奪系のスキルを所持している事はオルカルードから聞いており、当然ながら支配の発動条件を満たさない様に立ち振る舞っていた。トカゲから支配を受ける様な愚を犯す筈がない。
それなのに何故──
「……ここまでです。姫様」
「!?」
顎髭のオークの思考を遮ったのは、もう一人のトカゲ陣営の魔物。スカーだ。
スカーはフラつくステラを支える様に横に立った。
「約束は覚えておいでですか?閣下達は説得に応じるつもりは無い様ですよ?」
「まだ駄目だ……ッ!力づくでも……絶対に止めてみせる……!」
ステラはそう言って再び槍を構えるが、苦痛によろめいてスカーへともたれかかってしまう。
「……そんな状態で力づくもあったものではないでしょう。何が起きたかは分かりませんが、せめて少しだけでもお休み頂けませんか?」
「そんな事を……している暇は無い……ッ!!今此処で道を譲れば爺達は……ッ!!絶対にそんな事は認めないッ!!」
そう言ってステラは吠えた。
未だに苦痛に顔を歪めているが、その言葉には強い意志が込められている。
それを聞いたスカーは何かを諦めた様に深いため息を一つ吐くと、冷たい声でこう告げた。
「……私は閣下達に死んで欲しいんですよ。死に損ないの黒南風の戦士供にね」
「!?貴様何を言って──ッ!?」
ステラが言い切るよりも早く、何かを掴んだスカーの右手がステラの首元に当たる。
ステラは次の瞬間、そのまま力無く膝から崩れ落ちた。
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なんと14件目のレビューをいただいてしまいました!!
これだけ沢山のレビューをいただけるとは、本作掲載当初では思ってもみませんでした!!
ぺさん、感想欄でも書かせていただきましたが、本当にありがとうございます!
評価、ブクマしていただいてる皆様も本当にありがとうございます!




