涙
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「……ッ!」
ステラは胸騒ぎに目を覚ました。
彼女が起きたのは、突き詰めれば何の根拠も無い直感でしかない。
しかし彼女には分かったのだ。“爺が動く”と。
ステラはそのままベットから飛び起きると、すぐ様鎧に着替えて屋敷から飛び出した。
時間は既に日付を跨いでおり、皆寝静まっている。
爺の行き先は分かる。
ココの村では無く、ノートの村だ。
ココの村には多くの子供達が暮らしており、爺が攻める訳が無い。陛下が爺に最後に出した命令が、“子供達を守る事”なのだから。
ステラはそう考え、結界から飛び出した。
しかし──
「……姫さま?どうされたのですか?」
「!?」
結界の出口でステラをそう呼び止めたのは、スカーと呼ばれているノーブル級のオークだった。
かつては兄であるフランシスの秘書官を務め、そして今ではトカゲに対して好意的なオーク達の中心的な人物だ。
彼は二人の部下を連れ、結界のすぐ側で立っていた。
「……こんな夜遅くに武装して出歩くなど……何か余程のことが?」
「……!」
ステラは考える。
このスカーはトカゲから食料の差配を任されている程のオークだ。
適当な事を言った所で疑われるか、それで無くともステラが飛び出して行った事をトカゲ達の陣営に伝えられるだろう。
そうなれば爺が率いる戦士達とトカゲ達の敵対は避けられない。
つまりここは絶対に乗り切らなければならない場面だった。
「……スカー殿こそ何故ここに?」
ステラは可能な限り何の気なしを装い、そう尋ねた。
時間帯的に多少なりとも後ろ暗い理由で此処に居るなら、そこから切り崩していこうとしたのだ。
「いえ、何故も何も今日の警戒の責任者は私ですから。無論、警護責任者は閣下ですが……」
しかし返って来たのは至極真っ当な理由だった。
ステラは返事をしつつ、方針を変えて別の手を打つ。
「そうか。ちょうど良かった。……実は内々に貴殿に話があったのだ。少し時間を貰えるか?」
「……私にですか?構いませんよ。どうぞ」
「……すまないが此処では話せない。少し付いて来て欲しい」
「……そう仰られても困ります。私にも任務がありますから」
スカーはそう言ってステラの提案を固辞する。しかし此処までは想定内だ。
ステラはスカーの手を握ると、そっと耳元で囁いた。
「……お願い。付いて来て?」
「……ッ!!」
スカーは顔を真っ赤にして頷くと、供をしていた配下に指示を出してステラに付いて来た。
まるで美女に誘われた男の様な反応だが、生憎とステラは今まで一度もオスのオークに言い寄られた事が無く、自分が美人だとは思っていない。
なので何故オスのオーク達がこれで釣れるのかは分からないが、今のところこの手は百発百中なのだ。
兄であるフランシスにこの手を教わった時は“何を言っているんだ”と思ったが、こうして実際に効果がある以上感謝するべきなのだろう。
このまま人目の無い所まで連れ出し、口を塞いで縛り上げよう。そう思ったステラだったが──
「……姫さま。申し訳ありませんが、流石にこれ以上離れる訳には行きません。この距離なら部下達にも聞こえない筈です」
スカーはそう言って立ち止まった。
どうやら完全に乗せられた訳でも無く、職務を放棄するつもりまでは無い様だ。その様子にステラは内心舌打ちをする。
この手も通じなかった以上、残された手は少ない。
「……爺に謀反の動きがあるかも知れない」
「んなっ!?」
驚きの声を上げるスカー。
その声に彼の部下達も此方に視線を向けるが、スカーは手振りで問題ない事を伝え、ステラに向き直った。
「……ならばこうしてはいられません。いそいでジャスティス殿にお伝えせねば」
「待ってくれ」
「……何故ですか?……まさか姫様にも謀反の意思が?」
「……違う。そもそもこの話は何か根拠があってしている訳では無い。ただ、胸騒ぎがして漠然とそう思っただけだ。私が結界外に出たのはそれを確認する為で、まだジャスティス殿にお話する段階には無い。報告は私がするから、貴殿は職務に戻ってくれ」
これは嘘では無い。
現状、確信はあるが確証は無い。杞憂だと判断するのが妥当だと言える。
ステラは正直に話すことでスカーにそう判断させようとしたのだ。
しかし──
「確かにそれだけで考えるとこの話をジャスティス殿にお伝えするかは悩むところですね。……ですが、ならば何故私を呼んだのですか?あの場で済ませられる話を、わざわざこうして離れた場所まで連れ出してしている。私が立ち止まったから内容を変えたのでしょう。察するに姫様には確証は無くとも確信がある。違いますか?」
「……ッ!」
図星だった。
口籠るステラを見たスカーは、静かに頷いた。
「……図星の様ですね。すいませんが、報告させて頂きます」
「ま、待てッ!待ってくれ!」
そう言って去ろうとするスカーの手を掴むステラ。しかしスカーはそれを見て冷徹に言い放つ。
「……放して下さい」
「それは出来ない。まだ話は終わってない」
「そうは行きません。我々の群れにとって大事な事ですから報告はさせて頂きます。姫様が閣下達に思う事が在るのは分かりますが、それとこれとは切り離して考えるべきです」
「ならば悲鳴を上げるぞ」
「んなッ!?」
ステラの言葉に再度驚愕するスカー。ステラは更に続ける。
「手を掴ませたのは悪手だったな……。私のステータスならここから貴殿を拘束しつつ私に強引に迫っている様に見せかける事は出来る。女として魅力に欠ける私だが、強引に迫る貴殿の様子を見せれば話は変わるだろう。貴殿とて強姦魔として手打ちにはされたくないだろう?」
「……姫様は十分に魅力的ですよ。皆もそう思っています」
「世辞は止せ。今まで一度も男に言い寄られた事が無いんだぞ?魅力が無いのは私が一番分かっている。まぁ私よりも弱い相手なんぞ絶対に認めないから、都合が良くもあるが……」
「……理由は後者の方ですよ。その条件で貴方に言い寄れる魔物は森にもそうは居ません……」
そう言ってスカーは項垂れた。
「……私は爺を止めたい。確かに謀反は許される事ではないかも知れないが、それでも私は爺を助けたいんだ。爺が死ぬなんて絶対に認めない」
「……それは個人的感情ですか?それともオーク全体を慮っての事ですか?私には姫様がご自分の感情を優先して──」
「自分の感情を優先している」
「いっ!?」
予想外の返答に変な声を上げるスカー。
ステラはスカーの目を見て続けた。
「父が死に、兄が死に、陛下が死に、多くの民が死んだ。この平和は……一時的なものかも知れないが、この平和はそういった犠牲の下で成り立っている。これ以上、誰かに死ねと言うのか?私にはもう沢山だ。それが甘い理想論だとしても、自分にだけ都合が良い解釈だとしても、私はもう誰にも死んで欲しくない。……死んで欲しくないんだ……」
「……」
そう言ったステラの頬に、一雫の涙が流れる。
それは意図して流したものでは無く、心から出た涙だった。
「……はぁ。正直、それが一番嫌な手でしたよ。……あの誘い出しはフランシス様の仕込みでしょう?直ぐに気付きましたよ。まぁ、気付いても凄い破壊力でしたが。……分かりました。ジャスティス殿には報告しません」
「本当かっ!?」
「はい。但し私も同行させて頂きます。そこで閣下達の説得に失敗したら直ぐにでも対処させて頂きます」
「それは……」
「これが最大の譲歩ですよ。これ以上は譲れません」
「……分かった」
ステラは静かに頷いた。
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