アリの行列
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レナは改めてアテライードを見る。
クロエよりも濃い褐色の肌。
銀糸の様に艶やかな銀髪。
その瞳は美しい新緑で、純度の高いエメラルドを彷彿とさせる。
間違いなく他の三人の公女と並ぶ美しさだが、少し吊り目気味の目が彼女の気の強さを表している様にも見えた。
状況的にアテライードがレナを助けてくれたのは分かる。
しかしアテライードはこの講習が始まった時から周囲に興味を示さず、どれだけ周りに誘われてもずっと一人で過ごしていた。
当然ながら底辺貴族のレナと関わりがある訳でも無い。
何故アテライードに“ご都合主義”が通用しないのかも分からないが、レナにはアテライードが自分を助けてくれた事の方が分からなかった。
そんなレナの疑問に気付く筈も無く、アテライードは何も言わずに尻餅をついたトーマへと近付いて行く。
そして、
──ドゴッ!!──
「グブッ!?」
トーマの顔に躊躇無く前蹴りを入れた。
「……いい加減手を放しなよ。痛いって言ってんじゃん」
──放している。既に。
しかしそんな事を言い出せる雰囲気では無く、レナは黙って見ている事しか出来ない。
トーマは鼻血を出しながらなんとか起き上がると、アテライードに向き直った。
「て、テメェッ!!誰に何したか分かってんのか!?俺はこの世界の主人公なんだぞ!?テメェら舞台装置が手を出して良い相手じゃねぇんだよッッ!!黙って俺をチヤホヤしてりゃあ良いんだよぉぉッッッ!バス停でつっ立ってるだけで褒められるお兄様を見習えよぉぉッッッ!」
相変わらず何を言っているのか分からない。
アテライードはそんなトーマの様子を暫く見た後、心底醜い物を見るような顔で一言だけ言った。
「……キモ」
「──ッ!?」
何の事もない一言。
このトーマの様子を見ていたまともな人間なら、誰であろうとそう思う筈だ。
しかし、アテライードの言葉を聞いたトーマは目に見えて動揺した。
「お……俺はキモくない……」
「は?キモいじゃん」
「俺はキモくないッッ!!イケメンになったし!!頭も良くなった!!優しいし、みんなから褒められる!!今だってレナを助けてやろうとした!!」
「私にはこの子を襲ってた様にしか見えなかったけどね。ってかこの子確かまだ10歳にもなってないっしょ?何をどうしたらそんな子とヤリたいと思えるわけ?キモ過ぎて吐きそうなんだけど。この子の手見なよ。あんたの汚い手の跡がしっかり付いてるよ。随分と酷いことすんのね」
「違うッ!!俺は悪くないッッッ!!」
「何寝言言ってんの?糞キモ強姦魔のあんたが悪くないなら誰が悪いっての?」
「お、俺は悪くないッッッ!!」
「キッッッッショッ!マジで寒気するんですけど!?」
「き、キモくない!俺は……俺は……悪くないッッッ!!」
アテライードの言葉に後退りするトーマ。
そして、駄々っ子のようにこう叫んだ。
「全部……全部お前が悪いんだァァッッッ!!」
「!?」
そのままアテライードに飛び掛かろうとするトーマ。
レナはすぐ様立ち上がろうとしたが、トーマの速さはレナからしても驚嘆に値するものだった。
“不味い!間に合わない!”
そう思ったレナだったが──
──ガシッ!!──
「落ち着けトーマ!!気持ちは分かるがそれは不味い!!」
「「「!?」」」
そう言ってトーマを抑える人影。
割って入って来たのは金髪の貴公子、ミッドランドの皇太子エクスだった。
エクスはトーマに言って聞かせる様に続ける。
「……確かにレナを傷付けたアテライードに怒る気持ちは分かる。しかし彼女に手を出してしまったら、お前も彼女と同じレベルに落ちてしまう……。トーマ、ここは抑えるんだ……」
“何言ってんのコイツ?”
純粋にそう思ったレナだったが、直ぐにその理由に思い当たった。
──そう、“ご都合主義”だ。
トーマは少しだけ呆然としていたが、エクスの言葉が理解出来たのか醜悪な笑みを浮かべて答えた。
「あ、ああ。そうだな。ソイツが全部悪いとは言え、同じ事をする訳には行かないな……。ありがとうエクス」
「気にするなトーマ。親友じゃないか」
エクスがそう言った直後、周囲の人々も再び動き出す。
「何が起きたの?」
「アテライード様が成り上がりの腕を捻り上げたんだ。それを見たトーマ様が咎められたのさ」
「流石トーマ様だわ……。あんな成り上がりの為にまで怒られるだなんて……!」
「流石はトーマ様!!勇者の孫!」
「トーマ様素敵!」
次々に上がるトーマへの賞賛。
目の前で起きた筈の事実が捻じ曲げられ、加害者の立場から救った側へと変わる。
事前に“ご都合主義”を知っていたレナでも、その異常な光景に思わず息を飲んだ。
「なんの騒ぎだッ!!」
騒ついた講堂に怒声が響く。
その声を出したのは今回の神託の儀を取り仕切る事になっている三天人教の大司祭だ。
彼は騒ぎの中心であるレナ達の下に駆け寄ると、エクスに事の次第を問い詰めた。
「……エクス様。この騒ぎは一体何ですか?」
「……すいません、大司祭様。それにはお答えかねます。それをここで口にするのは、彼女の名誉を傷付ける事になります」
「はぁ?何でそこで私の事を見てんの?そこの糞キモ強姦魔の方見なさいよ。ソイツがレナだっけ?その子を襲ってて私が助けたんじゃん」
「何言ってんのよ!!アンタがレナに“成り上がり者ッ!!”とか言って突っかかったんじゃん!!」
「……僕も……見てた……」
「ここに来てトーマさまに責任を押し付けるなんて……。少しは恥をお知りになったら?」
「黙れ三色ビッチ」
「「「んなっ!?」」」
アテライードの言葉に表情を歪めて喚き出す三人。アテライードは何も言わずに面倒くさそうにそれを見ている。
大司祭はその様子を見た後、少し考えてからレナに向き直った。
「……レナ様」
「は、はい」
「私はこの場に居合わせなかったので、仔細は分かり兼ねますが、貴女が当事者である事は分かりました。その上でお尋ねしたいのですが、一体何があったのですか?」
「……」
レナは答えに詰まる。
この場でアテライードの名誉を守れるのは、間違いなくレナだけだ。
レナがトーマから暴行を受けたと証言すれば、少なくとも公にアテライードが責められる事は無くなる。
しかしトーマには“ご都合主義”があり、どれだけその過失を訴えた所でトーマを罰する事は難しい。
レナは必死に考え、そして覚悟を決めた。
「……大司祭様。私は誰にも何もされていません。ただ少し騒ぎ過ぎただけです」
「……そうですか。神託の儀まで後少しです。皆様も余り騒がれぬように」
レナの言葉に明らかに安心した様子でそう答える大司祭。
三公女達は“アテライードが悪い!!”“アイツがレナの腕を捻り上げた!!”と散々大司祭に訴えるが、大司祭はレナが被害が無かったと言っている事を盾に何もしようとしない。
彼も何かあった事は理解しているだろうが、自分の取り仕切る儀式に於いて問題が起きたと報告するのは避けたかったのだろう。
レナはそのどさくさに紛れ、そっとアテライードに近付くと彼女にだけ聞こえる様に言った。
「……後で御説明させて頂きます。どうかこの後、何も言わずに様子を見ていて頂けますか?」
「……ちょっ、貴女何するつもりよ……!?」
レナはそう言って止めるアテライードを振り切り、トーマへと近付いた。
そして──
「トーマ様っ!」
「んぐっ!?」
「「「なッ!?」」」
その場に居た全員が凍り付く。
レナが、その唇をトーマへと押し付けたのだ。
「な、ななな何してんのよ!!私のトーマに!!」
「……許せない……僕のトーマに……!!」
「流石の私も看過出来ませんね……私だってまだなのに……!!」
怒りを露わにする三公女達。しかしレナはそれを意に返さず、トーマの首に両腕をまわした。
「……トーマ様。何もありませんでしたが、ありがとうございました。今はこのくらいしか出来ませんが、後でお部屋でゆっくりと御礼をさせて頂けますか?」
レナの急変に最初は付いてこれなかったトーマだが、漸く状況を理解出来たのか醜悪な笑みを浮かべた。
「驚いたよレナ。でも俺は当然の事をしただけなんだけどなぁ……。だけど分かったよ。御礼が何なのかサッパリ分からないけど、部屋で待ってる」
「「「ダメェェッッッ!!」」」
トーマの言葉に、全力でレナを引き剥がそうとする三公女達。
しかしレナはトーマに掴まり、離れようとしない。
「放して下さい!私はトーマ様とお話しているんです!!ここでは皆ただの神託者候補なんですよ!?幾ら姫君達の言う事でも聞けません!!」
「いいから離れなさい!!公衆の面前で何を考えているんですか!!」
「僕だって……したい!!」
「トーマぁぁぁぁッ!」
「あ、貴女達!?ズルいですわよ!?」
そう言って次々とトーマに飛び付く三公女達。
その様子を見ていたトーマは、この世の物とは思えない程醜悪な笑みを浮かべてこう言った。
「いや……困ったな。みんな騒がないでくれよ。俺は目立ちたくないんだけど……」
ーーーーーー
「……ふーん。“認識改変”ねぇ……」
「……はい。そうです」
レナはそう言って頷く。
あの後、再び大司祭の怒声が響き、候補者達は全員解散した。
そしてレナは宣言通りトーマの部屋へと向かったが、部屋の入り口を三公女達が塞いでおり、そこで再び騒動となった。
そこに来て漸く大司祭も重い腰を上げ、騒ぎの中心であったレナは自室への謹慎を言い渡されたのだ。
──レナの、思惑通りに。
そして頃合いを見て部屋を抜け出し、アテライードの部屋に忍び込んで彼女に事情を説明したのだ。
「……先程説明させて頂いた通り、トーマの認識改変は超広範囲かつ極めて強力な効果があります。あの場で私が奴を責めても徒労に終わる事は目に見えていました。それに私に認識改変が通じないと確信されたらどんな手段に出るのか想像も出来ず、ああいった手段に出た次第です」
「……そっか。それであの三人も頭がおかしくなったのね」
「あの三人?」
「私以外の公女達よ。言っても一応私も今はお姫様でさ。あの三人とも付き合いがあったんだけど、ある時からいきなりおかしくなったのよ。急に人形持ち歩くようになったり、一人称が“僕”になったり、TPO弁えずに喚くようになったりさ。アンヌだって、本当なら私よりも先にあの糞強姦魔にビンタかます様なタイプだった。あんな風に馬鹿な真似をする様な子じゃなかったのよ。……多分その前後に糞強姦魔と接触したんでしょうね……」
「……えっと、すいません。“TPO”って何ですか?」
「ああ、ゴメン。“時と場所と場合”って意味」
そう言って軽く手を振るうアテライード。彼女はレナに視線を戻して続ける。
「……でもさ、だったらなんで私にはその認識改変が効いてない訳?」
「アテライード様も“看破”を使用されてるんじゃないんですか?」
「あー、無い無い。ってか私魔術とか殆ど使えないし。“存在率改竄なんちゃら〜”とかマジで意味分かんないし、この神託の儀だってパパが箔付けの為に無理矢理私を参加させたんだもん」
「“存在率改竄干渉”ですよ。魔術の学名です。“階層世界帯”に自身のアストラル体を介して干渉する事で、世界を構成する最小の素粒子、“魔力”の構成を変換して超常の事象を──」
「あーッッ!!止めて!!マジで訳分かんないから!!取り敢えず最低限は使えるからおけまる!!」
「お、おけまる?」
「大丈夫って事!わかった!?」
「は、はい」
アテライードはレナの言葉をそう言って遮ると、息を少し整えた。
「ふぅ……まぁ、なんで私に認識改変が通じないのかは分かんないけど、通じないならそれで良いわ。それで、これからどうするつもり?」
「はい。取り敢えず発情したフリをしながらアレをヨイショするつもりです。何と言うか、アレはそうしてれば満足する様な気がするんです。確証は無いんですけど、アレは大した思想も目的も無く、ただ自分の欲求に従っているだけに見えるんです」
「あー、分かるかも。“悪党”ってよりか“ただのゴミ”の方がしっくり来るもんね」
「はい。ですから私は心の中ではアレ達の事を“ゴミカス”と呼んでます」
「ちょっww酷過ぎてマジでウケるんですけど!でも私も“アホとアホ毛と三色ビッチ”って呼んでる!」
「ブフッ!?アハハハハッ!!アテライード様も酷いですよ!でも分かります!綺麗に色分けされてますもんね!」
そう言って互いに笑う二人。
暫くして笑いが収まると、アテライードが真剣な表情でレナに向き直った。
「……それで、大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。上手くやってみせます」
「……違う」
「ッ!?」
アテライードはそう言ってレナを抱き締める。
「あ、アテライード様……?」
レナが意味も分からず困惑していると、アテライードがレナの頭を撫でながら続けた。
「……私が言ってんのは、さっき貴女がアイツにキスした事よ。貴女相当無理してたでしょ?アイツらは誰も気付いてなかったけど、貴女ずっと震えてた。……嫌じゃない訳無いよね。初めてだったんでしょう?」
「あ、あはは。大丈夫ですよ、アテライード様。私は貴族の娘とは言っても商人の娘ですから。キスぐらい減るもんじゃないし、使い所が有るなら有効に使わなきゃ──」
「大丈夫」
「!」
アテライードはそう言ってレナを更に強く抱き締める。
そしてそのまま告げた。
「……大丈夫」
「あ、……アテライード様……」
「大丈夫。私が守ってあげる」
「……うっ、うわぁァァァァァッッッ!!」
アテライードは、レナが泣き止むまでずっとその頭を撫で続けた。
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……まだ続いてるけど、随分と話が長いな。いや、まぁ、色々と興味深い所や気になる所もあるが、正直こんな話聴きたく無いし、人間のメスの口付けの話なんてトカゲの私にされても困る。
これならアリの行列を眺める方が多分楽しい。
「……グスッ!なぁ……師匠……グスッ!人間にも……色々有るんだなぁ」
「そうだな。一口にアリの行列と言っても、餌を運ぶものから幼虫やサナギを運ぶものもある。巣に共生してる虫なんかもいるし、興味深い……」
「お前マジで何言ってんの?」
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