神聖皇帝と四大公国
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「レナ……何か悩みがあるんだろう?俺に話してくれ」
「いえ、大丈夫です」
「……レナみたいな天才からしたら俺じゃあ頼り無いかも知れない。だけど、力になりたいんだ」
「いえ、トーマ様の方が凄いですよ。実技も筆記も私より断然上じゃないですか。それじゃあ失礼しま──」
「待ってくれ!今日こそは話してくれるまで行かせはしない!」
「……」
レナは黙って自分の手を掴むトーマに視線を向ける。トーマは真剣な目でレナを見つめ返していた。
レナはそんなトーマの目を見ながら、一つの想いに支配されていた。
──ハッキリ言って、糞ウザい。
神託者の選定の為、国内外から神託者候補を集めて行われる“神託の儀”。
その事前講習に参加する事になったレナだったが、そこで比較的軽めの嫌がらせを周囲から受けていた。
神託者候補はその性質上、王侯貴族の出自が多い。
そもそも魔術への高い適性が必要、かつ相応の高等教育を受けている事が大前提と成る為、余程の例外でも無い限り一般市民から神託者候補が出る事は有り得ないからだ。
その為、こうして集められた神託者候補達の間では国と家々の力関係から来る派閥が出来上がるのだが、集められた候補者の中で唯一の新興貴族出身であったレナにはそういった派閥に属するだけの家格が無く、そして最年少である事からも疎まれ、結果として嫌がらせの対象になってしまっていたのだ。
とは言え同じ出身国同士ばかりでは無く、表面的な繋がりだけで作られた一時的な派閥が殆どであり、それ程酷い扱いは受けなかった。
せいぜい食事にゴミを入れられるか、嫌味を聞こえる様に言われる程度で済んでいた。
勿論、それはそれで嫌な事に変わりは無いのだが、ここで癇癪を起こして弱小貴族である実家に迷惑をかけるくらいなら、媚び諂ってでもその場をやり過ごす方が軋轢は少なくて済む。
そもそもこの講習自体一ヵ月後の神託の儀までと期間が区切られたものだし、派閥もそれ以降に続く様な強固なものでは無い。
大人しくしていれば、どれだけ長くても一ヵ月間多少の嫌がらせに我慢するだけで済む筈だった。
──そう、大人しくしていれば。
「……レナさん。トーマさまを信じてお話しになって」
二人のやり取りを見ていたトーマの取り巻きの一人が、レナにそう言って声を掛けて来た。
ブロンドの髪を腰まで伸ばし、柔和な笑みを浮かべた美少女。
まだ成長過程にもかかわらず、既に非凡なプロポーションを持っている。
初代神聖皇帝より“風”のシンボルを授かった、ジェルメーヌ家の正当な血筋。
ラ・フィティスメイデ公国第三公女、“アンヌマリー・ジェルメーヌ”だ。
レナは内心舌打ちする。トーマ一人でも鬱陶しいのに、更に面倒な奴まで口を出して来たからだ。
そして、アンヌマリーが口を挟んだ以上、流れで他の3人が出て来る事も容易に想像出来た。
「そうそう!トーマは優しいから相談しなよ!」
そう言ったのは、燃える様な赤い髪を肩口で切り揃えた褐色の肌を持つ美少女。
アンヌマリーの様なプロポーションは無いが、その整った顔立ちは負けておらず、そして健康的な命の輝きを放っている。
ジェルメーヌ家と同じく、初代神聖皇帝より“炎”のシンボルを授かったヴィリアーズ家の正当な血筋。
アルベニア公国第八公女、“クロエ・ヴィリアーズ”。
「……僕も……トーマの事……信じた方が良いと思う」
クロエの直ぐ後にそう言ったのは、青いショートヘアに何故かクマのぬいぐるみを抱えた美少女。
先の二人よりも幼く見えるが、しかし顔立ちは整っており、そして庇護欲を駆り立てられる。
先の二人と同じく、初代神聖皇帝より“水”のシンボルを授かったフィッツロイ家の正当な血筋。
グラフトン公国第三公女、“シャーロット・フィッツロイ”。
「そうさ。君の家の家格が低いとは言え、此処では皆同じ神託者候補でしかない。気遅れする事はないよ。トーマだって僕たちだって気にしない。遠慮せずに話すと良い」
最後にそう言ったのは、取り巻きの中で唯一の男性。
緩く癖のある金髪を靡かせた、貴公子然とした美少年。
いや、寧ろ彼以上の“貴公子”はこの世界には居ないだろう。
初代神聖皇帝に連なる正当なる家系。
“神聖ミッドランド大帝国”皇太子、“エクス・プリマス・ニルフェニス”。
レナは一番避けたかった展開を前に、思わず頭を抱えそうになった。
この四人は学校こそ違うが全員がトーマの幼馴染であり、同時にトーマが発起人となり作られた魔術師集団“アルカナマジシャンズ”の主要メンバーでもある。
その実力は凄まじく、講習の直前にこの中央エルバレスタ大陸に悪名を轟かす吸血鬼、“混沌王ゼーランディア”の直下である真祖血族“鮮血のベラドンナ”を討伐した事で広く名を知らしめていた。
そしてこの四人にトーマを加えた五人は“起源の五人”と呼ばれ、アルカナマジシャンズの中でも特別に名声が高い。レナも、彼等の事は畏敬の念を込めてゴミカスと呼んでいた。
他のゴミカスのセリフが一通り終わった後、おもむろにトーマが口を開く。
「……みんなの言う通りだ。レナ、俺の事を信じて話してくれ」
“何が“みんな”だ。お前がお人形達に言わせてるだけだろう”
レナはそう心の中で悪態を吐く。
ゴミカスの実績は確かに凄いが、ベラドンナ討伐の際の犠牲者数は目を覆いたくなる程。
そしてその中にどれだけの数の仲間殺しが含まれているのかは、これまでの経緯を知るレナならば、想像に難くない。
まだ講習が始まって一週間しか経たないが、実技講習でトーマは必要以上の出力で魔術を乱発し、“手加減を間違えちまったぁ!?”を繰り返す。
それを見たエクスは“馬鹿者ッ!!何度言ったら分かるんだ!!”、“強すぎるだろうッ!”と連呼し、三人の公女達は“トーマ凄い”、“流石はトーマ様”と壊れた様に言い続ける。
客観的に見れば気色悪い事この上無いが、トーマの持つ“ご都合主義”とでも言うべき認識改変の力で、周囲の“嫌悪”は“羨望”へと変換されていた。
一度、比較的話しが出来る伯爵家の神託者候補に“看破”の魔術を使用してみたのだが、例え認識改変が無くとも初代神聖皇帝の系譜と分家筋に当たる四大公国の威光は凄まじく、結局のところ無意味でしか無かった。
……そして、そんなトーマ達に、自分の頭越しに気に掛けて貰える片田舎の新興貴族の娘が居たとしたら、周囲の由緒正しい王侯貴族達がどう思うのか。
レナはこの先の事を考えると頭が痛くなりそうだった。
「……トーマ様。皆様。私は本当に大丈夫です。どうか私程度にはお気遣いなさらないでください」
レナはそう言ってトーマ達から距離を取ろうとする。そうした後で、実家と所縁のある候補者を周り、謝罪をする事を決めたのだ。
しかしトーマは掴んだ手を離そうとはしない。
「……言い辛いのなら俺がハッキリ言ってやる。イジメられてるんだろう?レナ」
「……」
“そうだよバッキャロー。テメェのせいで悪化するだろうがな”
そう言えたらどれだけ楽だろうか。
しかしそんな事を言える筈も無く、レナは押し黙るしか無かった。
「……アンヌ達から聞いたんだ。レナが他の候補達から酷い目に遭わされてるって。……レナ。正直に話してくれ。誰にそんな酷いことをされてるんだ?」
“じゃあそのアンヌ達から聞けやカスが。そこまで分かってんなら誰が犯人かも知ってるだろうが。そうだよ。私の実家のお得意様の御令嬢が主犯だよ。この場で名前出したら取り引き無くなって実家が潰されるだろうが。助けたいと思ってんなら私に何も言わず、それとなく本人を持ち上げつつ窘めてくれや。そうすりゃ一番助かったよ。それをせずにこの場で言ったのは自己顕示欲を満たしつつ良い格好してーからだろ。死ねゴミカスが”
レナは長文の悪態を心の中で吐きつつ気持ちを整理する。
確かにトーマ達に言えばレナへの嫌がらせは収まるだろう。
衰えたとは言え、かつて大陸の全てを統一した神聖帝国と、その血縁の四大公国の威光は未だに凄まじいものがあるからだ。
しかし、その威光も辺境に行けば行く程に弱まっていく。
トーマ達を頼り、そして取り引きを継続したまま嫌がらせを辞めさせる事が出来たとしても、軋轢は消える事無く残り続ける事になる。
そしてそんな歪な関係はレナとトーマ達の繋がりが無くなれば簡単に反故されるだろう。
つまりこの場でレナがトーマに助けを求めれば、この先永遠にトーマの御機嫌を伺い続ける羽目になるのだ。
流石のレナも、そんな事には耐えられない。
「……誰からもそんな扱いは受けておりません。皆様の誤解なんです。どうか御理解下さい」
「嘘だ!レナはイジメられてるんだ!」
「嘘では有りません。本当に大丈夫です。確かに咎められる事はございますが、それも身の丈を誤った私を窘めて下さっているだけの事です。感謝こそすれ、その様に悪し様に言う事は出来ません」
「違うッ!」
「いえ、本当にそうなのです。ですからどうかお気遣いなく──」
「違げぇんだよッ!!お前のセリフはそうじゃねぇだろッッ!!」
「ッッ!?」
レナは痛みの余りに思わず顔を顰める。
トーマが掴んだその手に凄まじい力を込めたのだ。
レナは左手に防御魔術を使いつつ、トーマに懇願する。
「と、トーマ様。どうか、どうか御容赦を……」
しかしそれを聞いたトーマは更に激昂してしまう。
「違う違う違う!!違うッつってんだろ!!テメェのここのセリフは“私、言えなかったんです……”だろうが!!何勝手な事言ってやがる!!それで俺がイジメてる奴を徹底的にボコって晴れてテメェもハーレム入りするんだろうが!それをなんだ!?まるで俺が悪人みてぇな言い方しやがって!!テメェらは俺が気持ち良くなる為の舞台装置なんだよ!!人間みたいなセリフ吐くなッッッ!!」
「ッ!?」
──意味が分からない。
レナはトーマの言葉に完全に置き去りにされていた。
セリフ?
舞台装置?
人間みたいな?
何一つトーマの言っている言葉の意味が理解出来ない。
しかし、そんなレナの混乱を他所に、トーマは更にヒートアップして行く。
「さぁ、さっさと言い直せゴミがッ!!そうしたらテメェのファーストキスを貰ってやる!!ついでに処女もな!!アンヌ達は身分が高くて流石に手が出せねぇからこっちに来てから溜まってんだよ!さっさと“私に出来る御礼はこのくらいしか……”まで行くぞッッッ!」
「と、トーマ様!!どうか!どうかお許しください!」
「違うッつってんだろうがァッッッッ!!」
──ミシリッ……──
「ウグッ!?」
レナの左手が悲鳴を上げる。レナの防御魔術を超える力で、トーマが握りしめたのだ。
「……だ、誰かッッッ!!誰か助けてッッ!!」
流石のレナも耐え切れなくなり、そう言って助けを求めた。
しかし“間引き”の際に見た時と同じく、周囲の人々は固まって動かなくなっていた。
「だ・か・らッッッ!!俺が助けてやるって言ってんだろッ!!さぁ、さっさと言い直せッッッ!!」
「い、イヤァァァッッッ!?」
レナは痛みの余り悲鳴を上げてへたり込む。
──もう駄目かも知れない。
レナがそう思った時、不意に自分の横に誰かが立つ気配を感じた。
──パァンッッッ!!──
「!?」
乾いた音と共に、レナの左手が解き放たれる。
レナはその音が出た方向へと視線を向けた。
そこに居たのは頬を抑えて尻餅をつく劣悪。
そして、初代神聖皇帝より“地”のシンボルを授かったドルレアン家の正当なる血筋。
パンティエーブル大公国第二公女。
“アテライード・ドルレアン”だった──
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