“偽善”と“独善”
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私は声を発した少女へと視線を移す。
歳の頃は10歳前後に見え、そして言っては何だが野暮ったい服装だ。
剣角鹿を討伐した時に居たコボルド達も似たような格好をしていたが、もしかしたら彼女もフィウーメではなく近隣の村落の住民なのかも知れない。
冒険者達も呆然と少女を眺めている。
まぁ兄弟に何かあったくらいは分かるが、状況は掴めないし彼女の意図も掴めない。私達も同じで、どうするのか判断に困る。
「何してるの!?早く来て!!ここは冒険者ギルドでしょ!?」
獣人の少女はそう言うと、近くに居たエルフの冒険者の腕を掴んだ。
「貴方で良いわ!!早く来て!!」
「い、いや、そんな事言われても……」
そう言って少女に抵抗するエルフの冒険者。
そりゃそうだ。
どうやら少女は冒険者ギルドを慈善団体か何かと勘違いしているのか、助けを求めれば誰かが着いて来てくれると思っている様だ。しかし生憎とここには金で仕事を引き受けるプロしか居ない。
しかも知らずにとは言え、少女はギルドを通さずに依頼しようとしている。まさに“公”であろうこの場で、それを受ける様な馬鹿は居ないだろう。
“闇営業”は軽微だが、一応犯罪だ。
「何よ意地悪ッ!!この豆苗野郎ッ!!」
「豆苗ッ!?」
少女はそう言ってエルフの冒険者の腕をはらうと、次々と周囲の冒険者達に声を掛けていく。
しかし当然ながら冒険者達はそれを拒み、その度に少女は悪態を吐いては次の標的へと移っていた。
「この豆柴系糞駄犬野郎!!」
「豆柴系糞駄犬!?」
「この大盛りゲロブタ野郎!!」
「大盛りゲロブヒィ!?」
「この野糞非常識野郎ッッ!!」
「俺、なんかやっちゃいました?」
中々に愉快な光景だが、流石に一言必要だろう……。
「……おい」
「ッ!良かった!貴方は来てくれるのね!?」
少女は声を掛けた私の手を掴むと、すぐ様引っ張って連れて行こうとする。
私はその手をはらうと、ラズベリルの居るカウンターを指差して続けた。
「違う。私は行かない。良いか?お前がやってるのは“闇営業”と言って、軽微だが犯罪行為になる。ここは正規の手続きを経た依頼を受ける冒険者が来る場所だ。闇営業を持ち掛けたいならせめて隠れてやれ。そして正規の依頼を出したいなら、そこの受け付けで手続きをしろ」
「それならそうとさっさと言いなさいよ生黒光りハゲトカゲッッッ!!だけど教えてくれてありがとう!本当に助かったわ!!」
「生黒光りハゲトカゲッ!?」
「ブフッ!?」
私がショックで硬直していると、少女は深くお辞儀をして駆け足でラズベリルの下に向かって行った。
……なんなのこの気持ち。
凄い殴りたくはあるけど、お礼を言われたし、お辞儀もされた手前手を出す気にもなれず、しかし心には確かにトゲが残ってる……。
レナは相当面白かったのか、未だに腹を抱えている。
「ハハハハッ……生黒光り……ハゲェ……ブフッ!!」
私はハゲではない。黒くてツヤツヤでツルツルしてるが、ちゃんと鱗がビッシリ生えている。確かに人間だった頃は頭皮の未来に若干の不安を抱いていたが、今の私には無関係だ。私はハゲではない。
「ハゲ……ハゲェェ……!!」
ブチ殺すぞ糞アマが……!!
私が怒りに震えていると、受け付け順が回って来た少女がラズベリルの前に立った。
「御依頼の申請ですね?では此方の書類を確認の上、必要事項の記入をお願いします」
「読めないし書けないわよ!!この美人ッ!!」
「フフフ。ありがとうございます。でしたら代読と代筆をさせて頂きます」
「ありがとう!!」
少女はそう言うと、ラズベリルの説明を真剣に聞き始めた。
「……行くぞ。後はラズベリルが何とかするだろう」
「そ、そうね……。生黒光りハゲ……トカゲ……ブフッ!!」
……凄い殴りたい。
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「いやぁ、笑わせて貰ったわ。……でも蜥蜴人なのにハゲを気にしてるのね」
レナはそう言って笑う。
若干でも砕けた態度になった事は良い事だが、しかし断じて訂正をせねばならない。私はハゲではないのだ。
「私はハゲではない。良いか?貴様等哺乳類にとっての体毛は、我々爬虫類で言えば鱗になる。共にケラチンで出来ていて、皮膚を守る役目も同じだ。そして私の頭部を見ても分かる様にビッシリと鱗で埋め尽くされている。地肌は微塵も見えない。これはハゲには該当しない筈だ。そもそも蜥蜴人にハゲなんて概念は存在しない。爬虫類にもだ。私は決してハゲではない。良いか。分かったな?」
「ブフッ!!何それ!めっちゃ早口だし、メチャクチャ気にしてんじゃん!!ハハハ!」
ぶち殺すぞ糞アマが。
一頻り笑い終えると、レナが怒りに震える私に再び話し掛けて来た。
「……それで、この後あの子はどうなるの?」
先程までのふざけた態度と違い、相応に真剣な表情をしている。どうやら真面目にあの少女の行く末が気になる様だ。
……しかし、残念ながらあの少女の行く末は明るいとは言えない。
「……幾らかの依頼料を支払って、引き受けてくれる冒険者を待つ事になるだろうが……恐らくは手遅れだろうな」
「……え?」
レナはそう呟くと、驚いた顔で私を見る。
「……当たり前だろう。あの子は読み書きが出来ていなかったし、格好からも推測出来るが恐らくはフィウーメではなく周辺の村落の住民だ。仮にその村落が近場にあって、かつ彼女がかなり早く走れたとしてもフィウーメのギルドに来るまでにはかなり時間がかかった筈。その間、彼女の兄が無事である保証はどこにも無い。……それにもし仮に彼女の兄がまだ無事でも、依頼を受ける者が居ないだろうな」
「どうして?」
「“報酬”と“難易度”だ。生命の危機に関した依頼ならギルドからの助成の対象になるから一割程の負担で済むが、それでも彼女が出せる金額等たかが知れてる。負担金に応じて依頼報酬も決定されるから、日銭程度の報酬にしかならないだろう。それと彼女の依頼内容は恐らく“兄を無事に助ける事”になると思うが、先程も言った様にそもそも無事である保証は無い。“安く、そして徒労に終わる可能性が高い依頼”。冒険者が最も嫌う仕事だろうな」
「……」
レナは私の言葉に顔を顰めて黙り込む。
どうやら彼女の胸にも来るものがある様だが、それは所詮偽善に過ぎない。
「……まさかとは思うが、あの少女を助けたいとでも思っているのか?随分と馬鹿げた事を考えるな。そもそもお前は自分の目的の為にこの場に居る筈だ。そんな余裕があるのか?」
「……分かってる」
そう。そんな余裕は無い筈だ。他人に構ってる余裕などある筈が無い。
「それにお前はこれまでにどれだけの魔物の命を手にかけた?その中には彼女の兄の様な立ち位置に居た者も居る筈だ。今更一匹の魔物を救った所でなんの意味がある」
「分かってる……!」
そう。これまでどれだけの数の命を奪って来た事か。
生き残る為とは言え、他者を殺し尽くして来た。今更一匹助けた所で、その事実は変わらない。
「……お前がしたい事は“善行”ではない。ただの独り善がりだ」
「分かってるって言ってるでしょッッ!!」
「──ッ!」
レナの言葉に、私は我に返る。
そして直ぐさま自分の言葉を思い出し、レナに謝罪した。
「……すまない。下らない事を言った」
「……ええそうね!暫く黙ってて貰える!?」
レナはそう言うと、私を置いて先に進む。
先程までは横についていたのに、再び距離が開いた様だ。……まぁ、自業自得だが。
……。
……クソッ……馬鹿は嫌いなのに……!!
「ケイト!」
「?」
私はレナの背中に向かってそう呼び掛ける。
“暫く黙ってろ”と言われた直後だが、しかし要件だけは伝えておきたい。
「……私は少し飲みに行く。お前は先に宿に戻っててくれ。部屋は別にとってあるから、その旨を店主に伝えたら案内してくれる筈だ」
「……」
レナは何も言わずに冷めた視線を私に向けると、再び前を向いて歩きだした。
不機嫌さは隠しもしないが、取り敢えず要件は伝わっただろう。
私は踵を返すと、そのままレナと別れた。
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「どうしてよっ!?どうして誰も来てくれないの!?」
獣人の少女がそう叫ぶ。
しかし冒険者達はちらりと一瞥するだけで、決して近寄ろうとはしない。
「……ベルちゃん、落ち着いて。騒いだりしても解決したりしないわ」
「騒がなくたって誰も来てくれないじゃない!!なんで!?なんでよ!!金貨3枚って大金でしょ!?“冒険者は勇敢な者達だ”って死んだお父さんも言ってたのに、臆病者ばかりなの!?」
そう言って喚く少女だが、流石に発言の度が過ぎている。……“臆病者”は不味い。案の定それを聞いたミノタウルスの冒険者が、眉を顰めて少女に詰め寄った。
「……いい加減にしろよガキが。俺らはこの道で食ってるプロだ。勇敢だの臆病だのじゃなく、割に合うかどうかで仕事を選ぶ。確かに金貨3枚はそれなりの額だがな、グリフォンを相手に出来る額じゃねぇ。分かったら大人しく座ってるか、どっかに引っ込んでろ」
……“グリフォン”か。確かにそれは割に合わないな。
グリフォンは討伐適正ランク“B”に相当するかなり強力な魔物だ。
高い知性に、個体毎に様々なブレスを使い、そして飛翔能力まで有している。
ひとかどの冒険者チームなら相手出来るだろうが、そんなチームは金貨3枚でグリフォンの相手などしないだろう。
しかしそんな事を知らない少女は、ミノタウルスの冒険者を睨み付けて叫んだ。
「そんなの言い訳でしょ!?本当は怖いからそんな事言って逃げてるだけなんでしょ!?貴方が依頼を受けてくれないのは分かったから引っ込んでて!!この臆病馬面野郎ッ!!」
「テ、テメェ!言うにこと書いて馬面野郎だと!?どう見ても牛だろうがッ!!流石にそこまで言われて黙ってる気はねぇ!少し躾けてやらぁッ!!」
「!」
ミノタウルスの冒険者はそう言うと、少女へと近付き拳を振り上げた。
少女は軈て迫るであろうその拳に体を竦めるが──
「……トカゲさん」
「……トカゲッ……!?」
ラズベリルとミノタウルスの冒険者がそう言って私に視線を送って来る。
振り上げられた腕を掴んでいる私に向かって。
「テメェッッ!!文句でもあんのか!?多少腕が立つからって頭に乗ってんじゃねぇぞッッ!!」
そう言って私を威圧するミノタウルスの冒険者だが、私は彼に対して文句など欠片ほども無い。
「……いや、私が貴方に言うべき言葉は“文句”ではなく“感謝”だろうな。貴方の先程の言葉は恐らくこの場に居た冒険者全員の言葉だった筈だ。“冒険者”をあれだけ大声で馬鹿にしたんだ。義憤に駆られるのは当然だろう」
「……お、おう……」
まさか肯定されるとは思わなかったのか、急にしおらしくなるミノタウルスの冒険者。
私は掴んでいた腕を離して続けた。
「……その上で。冒険者の矜持を知る先達と見込んで頼みたい。どうかこの一件は私に預けて貰えないだろうか?無論、この娘には謝罪もさせる。この通りだ」
私は頭を下げて彼にそう頼む。
多少のヨイショは含んでいるが、私の言葉に嘘は無い。
もし仮に彼がこの場に居なくても、他の誰かが同じ様に少女へと怒りをぶつけていた筈だ。
だからこそ、こうして目立つ形で分かりやすく懇願する必要がある。
この願いは、この場に居る冒険者全員に向けた、単なる私の我儘なのだから。
「……いいぜ。好きにしろ」
そう言うと彼は興味を無くしたのか踵を返す。
周囲の冒険者も興味を無くしたのか、各々の動きに戻った。
「あ、ありがとう。生黒光りハゲトカ──ゲェェッッ!?」
少女が頭押さえて蹲る。私の拳骨がめり込んだからだ。
「謝れ」
「……えっ……」
「この場に居る全員に謝れ。お前は知らないかもしれないが、“臆病者”は“冒険”を旨とする冒険者には最大級の侮辱の一つだ。詳しい事情は知らないが、そんな事を言ったら誰もお前の言葉に耳を貸さなくなるぞ。兄を救いたいなら謝れ」
「……ッ!」
私の言葉に少女は顔を歪める。
軈てその両目から大粒の涙を流しながら、ゆっくりと口を開いた。
「……ごべんなざい……ッ!ック!!私……っ!お兄ちゃんが心配で……っ!!ごめんなさいッ!!うわぁぁん!!」
緊張の糸が切れたのか、泣き噦る少女。
私は彼女の頭に軽く手を置くと、ラズベリルの居るカウンターへと向かう。
「此方が依頼書になります」
「ああ」
私はそれだけ言うと、書類に必要事項を記入していく。
ラズベリルはその様子を見ながら私に話し掛けた。
「……トカゲさんならご存知だと思いますが、この依頼は“緊急依頼”になります。達成条件は“無事に対象を連れ帰る事”。失敗すれば否応無しにトカゲさんの評価が下がる事になりますよ?」
「知ってる。緊急依頼にしなければ依頼書が出せなかったんだろ?あの様子じゃあ金なんか有る訳ないし、どうにかして依頼を出すには助成制度をフルに使う必要があった筈だ。緊急を要する場合での生命の危機に関する依頼なら、助成は最大になるからな。……随分と甘い事だ」
私はそう言って記入した書類をラズベリルに渡す。
ラズベリルは何とも言えない表情でそれを受け取るが、私はその事には一切触れずに少女へと近付く。
「さっさと立て。大凡の事情は分かったが、お前の案内は必要だし、着いてきて貰うぞ」
「……え?」
「私がお前の依頼を受けた。分かったらさっさと立て」
「……ッ!!」
私の言葉が飲み込めたのか、少女が再び大粒の涙を流した。
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「……どうしてここに居る」
私が獣人の少女……ベルを連れてギルドを出ると、其処には何故かレナが立っていた。
あの時私の背後からの視線は無かったし、追跡はしていなかった筈。
レナは軽く肩を竦めると口を開いた。
「“どうして”の幅が広いわよ?“方法”と“理由”で答えが変わるけど──」
「“両方”だ」
「……」
私はそう言ってレナを睨む。ベルは状況が掴めないのかオドオドしてるが、今の私はそれに気を使う余裕は無い。
自分でもハッキリ分かるくらいに、今の私は苛立っていた。
レナは私の様子を見ると、軽く溜め息を吐いて続けた。
「“方法”に関しては秘密ね。隠し球の一つって事でよろしく。“理由”に関しては……そうね。こっちのセリフだと思うんだけど?」
「……ッ!」
そう言って挑発的な笑みを浮かべるレナを無視し、私はベルを引き連れて足早にその場から離れる。
理由だと?散々自分の為に他者を殺して来た私が、他にどんな理由を上げれると思っているのだ。
私が上げ得る理由なんてのはたった一つしかない。
これは単なる私の我儘──
「……今日飲む酒が不味くなりそうだからだ……!」
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