不穏
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私が扉を開けると、見慣れた光景が広がって来た。
バーを見れば、汚れた床に転がる酒瓶と、呑んだくれ達。
ギルドの方を見れば依頼書を片手に唸る冒険者達。
しかしそんないつも通りの筈の光景に、何故か微妙な違和感を覚える。言語化するのが難しいが、妙な空気が漂っているのだ。
「……ふむ」
少しだけ理由を考えてみるが思い当たらず、取り敢えず気にする事でも無いと判断して受付に向かって歩き出す。
すると──
「トカゲさん!大丈夫なんですか!?昨日の事があったから、今日は来られないかと思ってたんですが」
私達を見て、カウンターからそう声を掛けて来たのは勿論、蜥蜴人の美人受付嬢であるライラ……かと思いきや、エルフの受付嬢であるラズベリルだった。
「……ラズベリル……?」
私は軽く周囲を見渡すがライラの姿は見えない。
するとその様子を見ていたラズベリルが、私の意図を察したのか申し訳無さそうに俯いた。
「すいません……。その、ライラは今日は非番でして……」
──しまった。
初めての展開に頭がボケていた。流石にこれは失礼過ぎる。
私はすぐ様ラズベリルに謝罪した。
「ああ、いや、謝るのは此方だ。声を掛けて貰ったのに失礼な態度をとった。すまないラズベリル。許してくれ」
「いえ!そんな、気になさらないで下さい!」
ラズベリルはそう言って慌ててに首を振る。
愛くるしいその様子を見て何人かのオスのエルフが悶えているが、トカゲな私にはピクリとも来ない。やはり妹達が至高なのだ。
「……それでその、今日はどう言った御用件で来られたのですか?」
私がそんな事を考えていると、ラズベリルがそう言って話しかけて来た。
まぁ謝罪合戦になっても仕方ないし、素直にこの話に乗るか。
「ああ。実は私達のチームに新しいメンバーを加えたくてな。それで彼女の登録に来たんだ」
「登録……新人の方ですか……?」
ラズベリルはそう呟くと、私の背後で仏頂面で立っているレナに目をやる。
因みにこの話は予めレナに通してあるので騒がれたりはしない。
「ああ。“ケイト”だ。ケイト、此方はラズベリル」
「……どうも」
“レナ”はそう言って軽く会釈をする。
“ケイト”は彼女が決めた偽名で、冒険者としてはその名で通すつもりらしい。
私に名乗った“レナ”と言う名前も偽名なのかと思ってそう尋ねたが、小さな声で“あっ……”とか言ってたから多分本名なのだろう。
「はじめましてケイトさん。ラズベリルと申します。以後宜しくお願いします。それで此方が登録用の書類になります。内容を確認されてからサインをお願いします」
ラズベリルはそう言って書類をレナに渡す。
レナはそれを受け取ると、記帳台にそれを持って行き、内容を読み始めた。
どうやら契約には慎重なタイプの様だ。
「……大丈夫なんですか?言っては何ですが、こんなタイミングで新人を入れるなんてリスクが高過ぎるのでは?」
私がそんなレナの様子を見ていると、ラズベリルが小声で話し掛けて来た。
まぁ、黒豹戦士団と事を構えようと言うタイミングで実力も素性も分からない新人を加えようと言うのだから心配にもなるだろう。
だが──
「……このタイミングだからこそ入れたんだ。ケイトとは元々知り合いでな。冒険者では無いが、素性と腕は私が保証する。……下手したら私よりも強いかも知れない」
「そうなんですか!?」
「ああ」
若干興奮気味になるラズベリル。
実の所はレナの方が圧倒的に強く、私が本来の姿に戻った所で勝ち目が無い程なのだが、しかしそれを話す事は出来ない。
そもそもレナは恐らくこの騒動の中心人物であり、そして“人間”で“神託者”なのだ。
万が一、レナの存在が公になれば、それを知っていた魔物達も間違いなく処分の対象になる筈。
生活の根幹がフィウーメには無く、最悪逃げれば済むだけの私達と違い、ライラ達はフィウーメに根ざした魔物なのだ。
不用意に知らせるのはリスクにしかならない。
──知らなければ、嘘をつく必要も無いのだから。
「……しかしラズベリル。気のせいかも知れないが、ギルド内に妙な空気が漂ってないか?説明し辛いが、不穏な空気と言うかなんと言うか……」
私はラズベリルの興味をレナから逸らす為に話を振る。
当たり障りの無い世間話程度で良いと思って振った話だったが、ラズベリルは少し困った表情を浮かべた。
「……はい。実は黒豹戦士団がフィウーメに戻って来ていると言う話が広まってるんです」
「それはそうだろうな。あれだけの騒ぎを起こしたんだし、広まらない方がおかしい。だが、この雰囲気はそれだけが理由じゃない気がするんだが」
正直黒豹の話が出回るのは想定通りだ。しかしこの雰囲気は何と言うか、それだけじゃない様に感じる。
「……はい。勿論それだけじゃなく、それに関してフィウーメの上層部が良くない形で関わっているという噂まで出回ってるんです」
「……まさか話したのか?」
「それこそまさかですよ。少なくともこのギルドの職員は話してません。腹を立ててもプロですから。……ですがこの件に携わった魔物は相応の数居ますし、話自体が広がるのは無理も無かったと思います。ただ──」
「ただ?」
「……トカゲさんも聞いた事があると思うんですが、少し前からスロヴェーン王国が連邦に対して侵攻を開始しようとしているという噂が出回ってて、その噂と噛み合ってしまったんですよ。“黒豹戦士団なんかを呼び戻したのは、有事の際の戦力が必要だからだ”って」
「……なるほど」
だからこの何とも言い難い空気が漂っている訳か。
ラズベリルの言う通り、その噂自体は私も耳にした事があった。
一度レイゼンやバドー達に真偽を確かめてみたのだが、元々良好とは言えない隣国同士の為その手の話には事欠かず、定期的にそんな噂が出回るのだとか。
その為私も意識に留める程度で特に気にしていなかったのだが、確かにそういう憶測が出回ってもおかしくない状況かも知れない。
「黒豹戦士団が居た頃は、大概繁華街で騒ぎを起こしてたんですが、昨晩以降全然動きが無くてそれも皆さんが不気味がっている一因になってます。……私達も上層部の思惑は掴んでませんし、それが理由なのだとしたら多少は説得力がある話かも知れません」
「……」
動きが無いのは恐らくは私への警戒だろうが、それを言えば済し崩しにレナの話になるし、レナの事を抜いて話すと違和感が拭えない。
……結局の所は黙っておくしか無さそうだ。
「……まぁ、連邦は“龍王国”に承認されて建国された国家ですし、少なくない献金を行う事でその庇護下にもあります。滅多な事ではスロヴェーン王国も手出しは出来ないでしょうから、所詮は噂程度の話なんだと思います」
「……だな」
私達がそんな話をしていると、誓約書にサインしたレナがそれを持って近付いて来た。
「書いたわよ。これで良い?」
「内容は理解出来たか?」
「ええ。“基本的に保証無しの自己責任だけど、よっぽど酷けりゃ介入する”でしょ?」
正解だ。遠回しな表現も有ったが、読解力も有るらしい。
「で、これからどうするの?依頼でも受ける訳?」
そう言って私を見るレナ。
……個人的に言えばそうしたくもある。
理由は幾つかあるのだが、メインとしてはレナともう少しコミュニケーションを取りたいと言う事と、彼女の手の内を少しでも見ておきたいからだ。
彼女とは協力関係にあるし、折角助けた相手なのだから良好な関係で居たいのだが、デメリットがそれを上回れば彼女を切る必要性だって出てくる。
なんせ彼女は人間で神託者なのだ。そうなる可能性は少なくはない。
その時に少しでも有利に立ち回る為には彼女の手の内を明かすのはかなり重要度の高い内容だ。
……とは言え、このタイミングではそれは難しい。
「……そんな訳無いだろう。ケイトは旅の疲れも有るだろうし、数日中には指名依頼が入る予定だ。さっさと帰って休むぞ」
「……そうね」
レナは私の言葉に頷く。
レナは私の主観では昨日からほぼ休み無く動いている。
一応、仮眠はとった様に見えたが、魔物である私達を前に本気で休む様な間抜けでも無い。
もしかしたら私達に気付かれない様に何らかの回復手段を講じていた可能性もあるが、そうだとしてもそれを私達に伝える訳も無い。
疲労に関しての真偽は兎も角、ここは協力者である以上、彼女を休ませる必要がある。
そう判断した私はラズベリルに声を掛けると、宿に戻る為にカウンターから離れた。
しかしその直後──
「誰か……!誰か私のお兄ちゃんを助けて!!」
ギルドの出入り口から悲痛な声が響く。
そこに居たのは、一匹の獣人の少女だった。
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