信頼
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「……んクッ!!」
少女が生唾を飲むのが聞こえた。
目の前にあるのは色とりどりの野菜を使ったサラダと、焼き立てのパン。そしてメインのアプロスシチューだ。
流石は“金の稲穂亭”。
無理を言って作らせたのに、一切の手抜きが見られない。
「……さぁ、冷めない内に食べた方が良い。ああ、食べ辛いだろうから私の拘束を解いたらどうかな?」
「ふざけないで。そんな馬鹿な事する訳無いでしょ」
そう言うと少女は捻り上げた右腕を脇と足で固定し、私に毒味をさせた後、器用に食べ始めた。余程お気に召したのか、凄い勢いで料理が減って行く。
少ししてから私は試しに力を入れてみたが、やはり動かない。ただ、先程よりは手応えがあった。
「モグ……馬鹿な真似……モグモグ……しないで。モグモグ……んぐ。逃がす訳無いでしょ?」
「ああ。まぁ、多分まだ無理だとは思ったんだが、検証は必要だと思ってな」
「“まだ”?何を言ってるの?貴方達が要求を飲まない限り離す訳が──」
──カランッ──
会話の途中で彼女の左手からスプーンが落ちた。
彼女はそれを不思議そうに見ているが、私も多少は予想外だった。
私は呆然とした彼女に話し掛ける。
「……ふむ、思ったより早いな。それに“神託者”とやらでも毒は効くのか。ありがとう。勉強になったよ」
「……ッ!!」
その直後、彼女は私の首に押し付けていた短刀を躊躇無く引き抜く。
私は緩んだ拘束から逃れつつ首を捻ったが、それでもかなり大きく切り裂かれ、血が吹き出した。
流石にこのダメージは不味い。私も躊躇なくスーヤに作らせたダメージポーションを使用する。
「グブッ……。喉まで届いていたな。口の中で血の味がする」
「あ、焦らすなよ師匠。マジでビビったぜ……」
アッシュはそう言って私に話し掛ける。
確かに心臓に悪かったかも知れないが、このくらいのリスクは取らないと拘束から逃れるのは難しかった。
無論、毒が廻りきるまで待つのも手だったが、途中で気付かれて確実に殺しにかかられるよりは奇襲の方がリスクは少ないと判断したのだ。
「……なん……で……毒味……させたのに……」
身体の自由を奪われた少女がそう言って私を睨む。
「……ああ。私達の棲む黒竜の森は毒性の動植物が山ほど居て、毒耐性スキルがほぼ必須に近いんだ。そして、その中でも私はかなり特化した毒耐性を持っている。だから私には毒は効かず、君にだけ効いた訳だ。毒味役なんてのは、そもそも私には勤まらないんだよ。……良くやったアッシュ。良く気付いたな」
「事前に決めてた事だし、あれだけ強調されたら流石に聞き逃さないぜ。“私が毒味と言ったら、麻痺性の毒を”だろ?」
「そうだ」
「……ッッ!!」
因みにこの毒だが、ゴリの“観察”で選別した毒草を、スーヤに頼んで精製してもらったものだ。
群れの中に居るユニークネームドが増えた事で、こういった用途に応じた毒も作ることができる様になっていた。
「……君はどうも格上との戦闘経験が無いみたいだな。自分に経験が無いから、格下がどんな事を考えて流れを組み立ててるか考慮しない。単純な火力でねじ伏せるだけならそれでも良いだろうが、この手の交渉や搦め手では遅れを取る事になる。良い経験になったな?」
「……黙れ……ッ!!」
少女が凄まじい表情で睨んで来るが、こうなると可愛いものである。
このまま話を進めても良いが……もう一押し欲しいな……。
私がそんな事を考えていると、アッシュが倒れて身動きの取れない少女の前に立った。
「……で、どうすんだよ、この人間。状況的に流石に殺したりはしないんだろうけど……。そうだ、レイゼンに頼んで死なない程度にバラバラにして貰っとくか?“人間の活け造り”だっけ?確か得意料理だとか言ってただろ。そしたら毒の効果が消えても身動き出来ないだろうし」
「……ッ!?」
少女の顔が恐怖に染まる。
アッシュの口調は彼女を脅す様なものでは無く、ただ事実を淡々と伝える様なものだったが、それが逆に恐ろしかったのだろう。
“脅す”という行為は一定の目的があるから行うもので、ある程度の想定と覚悟が出来る。
しかしアッシュのその口調は少女の存在に価値を見出せないから出たものだ。
──彼女が思う通り、アッシュは私が肯定すれば自分の発言を悩みもせずに実行に移すだろう。
……だが、これで“一押し”は足りたな……。
「……まぁ、それも一つの手ではあるな。……さて、言うまでも無いが、今、君の命運は私が握っている。……その上で聞きたいのだが、私と交渉をするつもりはあるか?」
「……ッ」
少女は怯えた表情で頷く。まぁ、彼女に選択肢は無いし、当たり前と言えば当たり前だろう。
「そうか。では、これから君は“私の支配下”に入る。先ずはそれに同意してもらえるか?」
「……ヒュ〜♪」
少女は黙って頷く。私の質問の意図を理解しているアッシュは軽く口笛を吹くが──
『“支配”の発動に失敗しました。スキルレベルが足りません』
「……」
……発動失敗か。条件を満たした上での失敗は初めてだな。
ただ、この説明だと“神託者”は支配出来ないという事では無く、単純に私の習熟度が低いために発動出来なかったようだ。スキルレベルを上げて行けばいずれは支配可能になるだろう。
とは言え、現状こんな“爆弾”を首輪も無しに抱え込む事は出来ない。
ならば──
「……やはり経験が足りないな。アッシュ。今すぐ自分の左手をその短刀で貫け。それと痛くても声を出すな」
「は?嫌だよ。なんでそんな──」
「“支配”」
「「!?」」
私の右手が淡く光ると同時に、アッシュは自分の左手を短刀で貫く。
「……ッ!!」
苦悶の表情を浮かべるアッシュと、状況を掴めずに呆然とする少女。
本来ならわざわざ“支配”を宣言せずとも強制する事は出来るが、ハッタリは分かりやすい方が良い。
「……見ての通りだ。私のユニークスキル“支配”は対象に対して拒絶出来ない命令を下すスキル。極めて強力なスキルだが、相応に条件が厳しくてな。私が支配を宣言し、対象がそれに承諾せねば発動出来ないんだ。……ここまで言えば分かるな?君は今、私の支配下にある」
「……ッ!!」
ようやく自分の状況を理解出来たのか、驚愕の表情を浮かべる少女。
まぁ、正確には誤解しているだけで把握など出来てはいないのだが。
私はアッシュの短刀を引き抜くと、ポーションを使用して奴の怪我を治す。かなり睨まれているが、芝居にリアリティを出す為には仕方が無い。
「……さて、取り敢えず君にも幾つか命令させて貰おう。“私とアッシュへの敵対を禁じる”。“逃亡を禁じる”。“この二つの命令を破ろうとした場合、自死を命じる”」
私は指示を出す度に分かりやすく右手を光らせる。
少女はかなり絶望的な表情でその様子を見ていた。
──そう、私は“支配”では無く、ハッタリで彼女を縛るつもりなのだ。
「……さて、最低限の命令はこれで済んだな。ああ、アッシュ。もう喋っても構わない。だが騒ぐなよ。それと解毒のポーションを彼女に使ってやれ」
「……師匠、流石にかなり頭に来てんだけど、納得の行く説明はしてくれるんだろうな?」
アッシュは少女にポーションを使用しながら私にそう言った。中々の迫力だ。トカゲ怖い。
「勿論だ。取り敢えずアッシュも君も座れ。これは命令では無いから、座りたくないなら好きにすれば良いが」
私がそう言うと、アッシュも少女も立ったまま私を睨む。
「……まぁ、良いか。先ずアッシュの手を短刀で貫かさせたのは、彼女に自分の状況を理解させる為だ。それぐらいの事をさせないと自分がどんなスキルの影響下にあるか理解出来ないだろうからな」
「だったらその人間になんか適当な命令をすりゃ良かっただろうが。“支配”の強制力はそれだけで理解出来ただろ」
最もな意見だ。しかし実際には彼女には支配は掛かっていないのだからそんな事出来る訳が無い。
……まぁ、ここは舌先三寸と言うヤツで。
「それは無理だ」
「あ?何でだよ」
「“支配”の命令回数には制限があるからだ。少なくともこの状況で彼女の命令回数を消費するのは避けたい。いざという時に回数切れしていては話にならんからな」
「んなっ!?馬鹿か師匠!!コイツも聞いてんだぞ!?」
アッシュはかなり慌てた様子でそう言った。無理も無い。何も知らないアッシュから見れば、私が自分から不利になる情報を流した様に見えるのだから。
少女もそのアッシュの様子から何かを感じとったのか、訝しげな表情で私を見ている。
「……最初にも言ったが、私は君と交渉がしたい。だが、君の立場を考えれば私が何を言ったところで信用は出来ないだろうし、下手をすれば殺されていたかも知れない。多少手荒だったが、“支配”はそれを防ぐ為に必要な措置だった」
「……“交渉”と言うには随分と自分勝手な真似をするわね。それで交渉のつもりなの?」
「勿論だとも。私はこう思うんだ。“交渉とは、相手の喉元に短刀を突き付けた時に始まる”と。相手よりも優位に立てないならそれは交渉では無く賭けに近い。私はギャンブルはかなり得意だが別に好きでは無いし、可能な限り“交渉”をしたいと思っている。それは君も分かるだろう?」
「……ッ!!」
私の嫌味に、眉尻を上げる少女。
ハッハッハ!良いぞ!!私の喉をぶった切ってくれたお礼だ!!ハッハッハ!!
「……師匠。顔に出てるぞ」
おっと、いかんな。
「……まぁ、兎に角私は君と交渉がしたい。私達は互いに望むものを提供出来る関係の筈だ」
「……私よりも弱い貴方達に、私が望む物を出せるとでも?」
「勿論。私達が提供出来るのは、“安定”と“情報”だ。私よりも強い君があそこまで追い詰められていたのは、この二つが決定的に足りていないからだろう?黒豹の手口は簡単に想像出来る。間断無く捨て駒を送り込み続け、君を疲弊させる。そして地理にも詳しく無いだろうから、それとなく危険区域に誘導して更に削る。それを延々と繰り返すんだ。君が死ぬまで、な。どれだけ強かろうとも、魔物の大陸に人間が一人で居るのなら恐るには値しない。“魔界”と言う環境そのものが、君の敵なんだからな」
魔大陸メガラニカ・インゴグニカは正に人外魔鏡だ。常に毒素を撒き散らす菌類。動くものなら何でも飛び掛かる鼠の魔物。獲物を迷わせる為にその位置を変える樹人達。
この環境では、強いだけでは生存競争を勝ち抜く事は出来ない。
だが──
「……だが、魔物である私達と組めば状況は一変する。環境に適応した我々ならばそういった状況にも対応出来るし、都市に入って宿を使う事も出来る。君が望む情報も集めやすいだろう。それに我々がカバーすれば君が使っていたあの“変身”とでも言うべきスキルの使用も最低限に抑える事が出来る筈だ。見た所、あれは魔力も消費するスキルの様だし、こんな街中で使用し続ければどうなるかは経験しただろう?」
「……」
私の言葉に、彼女は何も言わずに見つめ返す。
……正直言って、かなりドキドキする。いや、恋愛的な意味では無く、恐怖で。
彼女にはああ言ったが、私の現状は正にギャンブル。しかもかなり不利なギャンブルだ。
弱ってはいても相手は支配が及ばない程の格上だし、単純なステータスだけでも今の私を上回る。
最悪の場合、彼女は支配が掛かっていない事に気付いていて、私から情報を引き出す為にわざと話に乗っかっている可能性だってあるのだ。
もし仮に気付いているのだとしたら、彼女は私が不必要だと判断すれば躊躇無く私を殺すだろう。それだけの事が出来るのは身を以て理解している。
だからこそ私は彼女に提示せねばならない。
──例え“支配”が無くとも、彼女にとって私が利用価値がある存在なのだと。
「……私は最初に尋ねたな?“君の目的はなんだ”と。それに対して君は金銭と食料を要求したが、私が聞きたかったのは“要求”では無く“目的”だ。君の様な幼い少女が、この魔界で何を成そうというのかが聞きたかったんだ」
「……そんな事聞いてどうするのよ」
「無論、利用する」
「……ッ!!」
少女が私を睨むが、私は華麗にそれをスルーする。
「当たり前だろう。これで私が“君の事を助けたい”とか言ったとして、それを信用するのか?する訳が無い。そんな事を信じるのは、英雄譚の間抜けなヒロインだけだ。……まぁ、私の事を信用しろとは言わないし、無理にそれを話せとも言わない。……だが、思い出して欲しい。君の目的が何であれ、君は絶対にそれを成し遂げる覚悟でこの場に立っている筈だ」
でなければこんな年端も行かない少女が、魔物の大陸にたった一人で居る訳が無い。
そして、それだけの覚悟があるのなら──
「……それだけの覚悟があるのなら、例え信用出来ない相手でも利用すべきだ。……君にとって私は、それだけの価値がある相手だとは思わないか?」
「──ッ」
部屋の中を沈黙が包む。
アッシュは何やら不服そうな顔をしているが、それを口にする事は無い。
やがて意を決したのか彼女は私に向き直った。
「……良いわ、手を組む。どの道“支配”とやらがある以上、選択の余地は無いだろうし。……ただ、先に言って置くわ。私の目的の邪魔になるなら、例え死ぬ事になっても貴方達を殺す。約束を違えても殺す。それだけの力が私にはあるわ」
「勿論分かっている。私としても死にたくは無いし、私の目的に反さない限り協力を約束する」
「……普通そこは“大船に乗ったつもりで居ろ”とか言ってゴマ擦る所じゃない?」
「約束を違えたら殺すんだろう?なら出来もしない約束はしたくない。私は正直者なんだ」
「どうだか……」
そう言って彼女は笑う。ただ、その笑みは信頼や油断では無く、私を徹底的に利用しようと決めた覚悟の笑いに見えた。
「……そう言えば自己紹介もまだだったな。私の名はトカゲ。黒竜の森に住む魔物の一匹だ」
「……レナよ。レナ・ツー・ベルナール」
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