不死のオルドーフ
ーーーーーー
──やってしまった。やってしまったのだ。
なんたる間抜け。なんたる愚か者。なんたる馬鹿。
そう、私はなんのメリットも無いのに路地裏で絡まれる美少女を助けに入ってしまったのだ。
しかし……やる気が出ない。
そりゃあ携帯小説ならテンプレの展開ではあるが、あれは下心有り有りの主人公が「下心なんて無いよ?」とか訳の分からない事を言いながら美少女が絡まれるのを待って、そこから助けに入るというものだ。私みたいなトカゲがやる事では無い。
これがせめて美人なトカゲとかならまだやる気も出るのだが、相手は頭部にだけ毛がある奇妙な毛無し猿だ。人間の美醜の基準なら美少女と言えるだろうが、トカゲ基準で言えばただのバケモノにしか見えない。
いくら前世の自分と同種とは言え、正直こんな生き物と交尾するくらいならオークやゴブリンと交尾する方がまだマシに思える。
『……何者だ貴様』
現実逃避する私にそう声をかける暗殺者。
いかんな。いくらやる気が出ないとは言え、こうして彼等の前に出た時点で厄介事は確定しているのだ。この状況を打破する事に集中せねば。
気を取り直した私は目の前の暗殺者へと視線を向ける。
全身を黒い服で包んだテンプレ的な見た目の暗殺者だ。手にしたナイフからは水滴が滴っている。あの匂いは嗅ぎ覚えがある。あれは強力な毒だ。
そしてその立ち振る舞いから相応の実力者に見えるのだが、何故か視線察知から得られる情報が少ない。
視線は分かるのだが、本来ならある程度読み取れる筈の敵の強さが全く読めないのだ。
恐らくコイツにはそういった情報の流出を防ぐ為のスキルか魔術道具でもあるのだろう。
『……何者かと聞いている。死にたいのか?』
そう言って凄む暗殺者。
実力行使でどうにかするのも手だが、それだと確実に後の面倒が増える。
どうにかして穏便に事を終わらせたい。
……気が乗らないが、ここはアレで行くか……。
「い、いや待ってくれよ!そんな物騒なもんはしまってくれ!たまたまこの前を通ったら、人間の匂いがしたから覗いてみただけなんだ!」
──そう、偶然通りかかったトカゲ作戦である。
訝しげに私を睨む暗殺者。私は更に続ける。
「じ、実はよ。嫁が妊娠しててな。丁度何か滋養の良いものを食わせてやりたいと思ってたんだ。人間の生肝は滋養に良いと聞くし、金は出すからソイツを俺に譲ってくれないか?」
「……ッ!?」
少女が凄い形相で私を睨む。
いや、そんなに睨むな。分からないとは思うが、本当に食べる訳じゃないから。
因みにこの生肝の話はギルドの横の酒場で働くオーガに聞いた話だ。魔物の中でもオーガやトロールは人間の事が好きらしく、彼は色んな話を私に聞かせてくれた。
まぁ、好きの意味が違うので、元人間の私にはなかなか堪える内容だったが、生肝の話は魔物の中でもメジャーな民間伝承であり、聞いていた事でこうして役に立った。
とは言え、あんなあからさまな“組織の暗殺者”みたいな見た目の奴がこの話に乗るとは思えないが、それでも交渉の芽は潰したくない。
暗殺者は暫く考える素振りを見せてから口を開いた。
『……幾らある?』
おお、予想外に食いついた。
私は財布を取り出し、中身を確認する。
「……金貨で5枚ってところでどうだ?人間の相場よりは良い値段だと思うが?」
『それじゃあ駄目だな。このメスは若いし、もう少し色を付けてくれ。……そうだな、金貨6枚と銀貨8枚でどうだ?』
「……分かった」
……かなり高い。クソ、足下みやがって……!
しかし穏便に済むならそれに越したことは無い。気が変わられても困るし、さっさと金を渡してあの人間のメスを──
そう思った次の瞬間、奴の視線が動く。
直前までは手元を見ていたのだが、私が財布の中に手を入れた瞬間、私の首筋へと視線を動かしたのだ。
まるで両手が塞がるのを狙った様に。
「ッ!」
私は背筋に冷たいモノを感じ、咄嗟に奴の視線と首筋の間に尻尾を挟み込んだ。
──カギィンッ!!──
その直後、硬質な音と共に私の尻尾と奴のナイフがぶつかり合う。
奴が私目掛けて先程のナイフを投げ付けたのだ。
「……私を殺して金を奪うつもりか?暗殺者みたいな姿をしてるクセにコソ泥だった訳か」
『フン。貴様こそ白々しい事を言うな。偶然通りかかったと言っていたが、壁に張り付いてこの人間の後をつけるのが“偶然だ”とでも言うのか?俺の“強化探知”には貴様の無様な姿がよく感じ取れたぞ?』
……私の事に気付いていたのか。
トカゲだった頃と違ってかなり重くなってしまったのだが、それでも私のSTR値なら多少の取っ掛かりさえあれば容易く自重を支える事が出来る。
私は彼女に気付かれない様に壁を登り、そしてそのまま後を追っていたのだ。
まぁ、正直気付かれたらかなり薄気味悪い光景だったとは思うが、隠密を無くした私にはそうする他無かった。
“強化探知”はジャスティスも持っているスキルで、周囲の気配や足跡等を“なんとなく察する”というスキルだ。
私も一度ジャスティスから借りた事があるが、視線察知と同じく習熟度が必要なスキルらしく、スキルコストと効率を考えて習得を諦めた。
奴はこのスキルで私の存在に気付いてはいたが、それを私に悟らせない為に視線も向けなかったらしい。
『……さてと、上手くお前が釣れた事だし、もう一度聞こう。貴様は何者だ?誰の指示でこの人間をつけた』
成る程。不意打ちを仕掛けず態々あの少女に話し掛けたのは私を誘き出す為だったのか。
確かに私みたいなトカゲが壁に張り付いてターゲットを追っていたら、その背景を確認したくなるだろう。
とは言え──
「……言っただろう?偶然通りかかったとな。その言葉に嘘は無い」
そう。結局のところ偶然通りかかったのは事実だ。奴の目にどう写ろうとそれは変わらない。
「それと“何者か”と聞いたな。答えは貴様と同業だ」
『……暗殺者か。どこの誰に──』
「違う。同業だと言っただろう?私はコソ泥だよ」
『……ッ!!』
私の言葉の直後、奴の手から再び私目掛けてナイフが放たれた。
短気な奴だ。まぁ、元々私を生かして帰すつもりは無かったのだろう。
私は先程と同じく尻尾でナイフを弾くと、距離詰めて拳を振り抜く。
しかし奴は素早く身を屈めてそれを躱し、逆に私の喉を目掛けてナイフを振り上げた。が──
──ゴウッ!!──
その刃が私に届く事は無い。私は尻尾を地面に叩きつけ、その反動で奴を飛び越えたのだ。
そのまま私は奴の視線から少女を遮る様に降り立つ。
『……器用な奴だ。初めからそのメスを狙っていたのか……』
「それは違うな。私は一撃で貴様を仕留めるつもりだったが、それにしくじったから次善策をとっただけだ。しかし大した腕だな。コソ泥にして置くのは勿体ない」
『……』
私はそう言って奴を挑発したが、奴は動かない。
先程の攻防でこちらの力量が警戒に値すると理解したのだろう。
そしてそれは此方も同じ事だった。
身のこなしもそうだが、私に対する怯えが全く見えない。
無論、擬人化して弱体化してはいるのだが、それでも私のステータスは並大抵では無い。
奴はそれを理解した上で戦意を失っていない。勝つ気で……いや、勝てる気でいるのだ。この私に。
『……いくぞッッ!!』
奴はそう言うと、再びナイフを私に向かって投げた。
単調な動きに見えるが、裏はある。奴は私では無く後ろの少女目掛けてナイフを投げたのだ。
このまま躱せばこのナイフは少女を貫くだろうが、私はそもそも躱すつもりはない。
──キィンッ!!──
私は再度尻尾でナイフを弾く。しかしその直後、私は目を見張る事になった。
「なっ!?」
なんと全く同じ軌道でもう一つのナイフが私へと迫っていたのだ。
恐らくは私が尻尾で弾く事を前提として、一本目のナイフに隠す様に繰り出したのだ。
尻尾は先に投げられたナイフを弾く為に既に振り抜いており、タイミング的に使う事が出来ない。
私は左手の甲で2本目のナイフを弾くと、奴に向き直り──
「!?」
居ない。
先程まで確かに居た筈の暗殺者が、そこには居なかった。
私は慌てて周囲を見渡すが、奴の痕跡すら見当たらないのだ。
逃げたか?
……いや、それなら匂いくらい残っている筈。匂いすらも無いのは“隠密”系統スキルの特徴だ。
隠密の発動条件とインターバル時間を考えれば使用出来ない筈だが、奴がユニークネームドなら、ジャスティスや黒南風の様に命名神からなんらかの補正を受けている可能性もある。分からない事が多いが、隠密が使われたと想定しておくべきだろう。
では逃げる為に隠密を使ったのか?
いや、その可能性は低い。奴は私を殺す気でいた。根拠は無いが確信はある。
なら何故隠密を?
そこまで考えた私は、ある可能性に気付く。
先程のナイフは誰を狙っていたのか。
「まさかッ!?」
私は慌てて少女へと視線を移すが、そこには此方の様子を伺う少女が居るだけだった。
取り敢えずの無事を確認し、胸を撫で下ろした私だったが、その直後──
『暗殺者の一撃』
「!?」
突如現れた奴のナイフが、軽装鎧ごと私の肩を大きく斬り裂いた。
痛みに顔が歪むが、しかしギリギリのところで首を逸らし、致命傷を避ける。
私は尻尾を奴に向かって振り抜くが、奴は既に大きく距離を開けており、尻尾は空を切るだけだった。
「……ここまで狙っていたのか?」
そう言って睨む私に、暗殺者は笑みを向けて応える。
『そうだ。最初の2本のナイフは貴様の視線と意識を俺から逸らさせる為に投げた。それが上手くいった事でスキルの発動条件が整い、こうして貴様は血を流している訳だ』
「……“隠密”の発動条件は“周囲に自分を認識している者が居ない事”だ。それを満たせていなければ、発動させても瞬時に解除される筈。ここにはこの人間のメスも居る。何故隠密が使えた?」
『俺が使ったのは“単体隠密”。スキルの発動条件は“効果対象に認識されていない事”だ。そこの人間にはずっと俺の姿は見えていたんだよ』
……成る程。これでインターバル時間の問題も解決した。単純に別のスキルを使っていたのだ。
2本のナイフで私から意識と視線を逸らし、単体隠密を発動。そして一旦行動を控え、確実な隙を狙って暗殺者の一撃を発動させた。
この時、2本のナイフを人間のメス目掛けて放っていた事で私の思考を誘導しており、隙を作る事にも成功している。
中々見事なものだ。敵ながら感心してしまう。
「……恐れ入った。上手く乗せられた様だ。しかしこの程度の傷ならまだ動く事が出来る。勝負はまだ分からない」
『……いや、終わりだ』
「ッ!?」
奴の言葉の直後、私は苦しそうに膝をついた。
「……な、何を……!?」
『ヒヒヒ、漸く効いてきたか……。“毒”だ。貴様を切り付けたこのナイフには“メガデスアースロプロウラー”の毒を仕込んでいた。貴様も相当な実力者だ。恐らくは毒耐性も有しているだろう。……だが、メガデスアースロプロウラーの毒は極めて強力だ。並大抵の耐性スキルなら貫通する」
「ッッ!?」
驚愕の表情を浮かべて奴を見る私。奴は尚も続ける。
『……貴様はこのまま死ぬ。それは確定した事実だ。……しかし、交渉の余地もある。もし貴様の依頼主を素直に話すなら、解毒剤をくれてやる。……これが最後だ。もう一度聞こう。貴様は何者だ?誰に雇われた?』
……なんという事だ。なんと奴はナイフに毒を仕込んでいたのだ。確かに交渉の余地も無い。
私は苦しそうな素振りでどうにか口を開く。
「わ……わか……った……話す……私は……私は…………………………………──私はコソ泥だ」
『!?』
私の言葉の直後、奴の全身を私の尻尾が縛り上げる。
奴は私の言葉を聞こうと、態々私の尻尾の間合いまで来てくれていたのだ。
苦しみ悶える演技をした甲斐があった。
奴は尻尾から逃れようと必死に暴れるが、しかし私の尻尾を振り解く事は出来ない。単純に膂力に差がある為だ。
奴はそのまま疑問を私にぶつけて来た。
『な、何故平気でいられる!?メガデスアースロプロウラーの猛毒だぞ!?並大抵の耐性スキルでは──』
「“並大抵”、ならな。だが私の毒耐性は並のレベルでは無い。メガデスアースロプロウラーの毒なんて、私にとってはシャワーみたいなものだ」
『……ッッ!!』
驚愕に目を見開く暗殺者。
まぁ、それも無理は無いか。確かにあの毒は強力だ。強力過ぎて狩りに使うと肉が食べれなくなる程だ。まぁ、私なら問題なく食べれるが。
──そう、“メガデスアースロプロウラー”は進化したヤスデ姉さんの種族なのだ。恐らく奴の毒は私が闇市で売り捌いた物だろう。
結構な値で売れたのだが、まさか自分に使われるとは思わなかった。
「……さて、今度は此方から聞かせて貰おう。貴様は何者だ?誰に雇われた?」
私は奴の締め付けを強めてそう尋ねる。正直そこまで首を突っ込みたくは無かったが、ここに至っては“毒食わば皿まで”の精神である。面倒は根元から断ちたい。
先程とは打って変わって生殺与奪の権利は私が握っているのだ。交渉の余地は無いだろう。
しかし奴から返って来た言葉は、侮蔑的なものだった。
『……俺はコソ泥だよ。貴様と同じでな』
「……!」
私は更に力を込める。尻尾越しに骨が砕けた感触が伝わって来たが、それでも力を緩めるつもりはない。
奴は思わず呻き声を上げた。
『うぐぅっ!?グッ……!!』
「……状況が分かっていない様だな。貴様に打つ手は無い。死にたいのか?」
そう言って脅す私だが、奴は口角を上げて続けた。
『ヒ、ヒヒヒッ。貴様の手の内はいくつか見えた。極めて高いステータスと毒耐性、そして“視線察知”だ。妙だと思ったんだ。確実に視線がサイフに向いた瞬間を狙ったのに、此方を見ずにナイフを弾いていたからな。だから俺は単体隠密を発動した時、貴様に視線を向けなかった。だから暗殺者の一撃を当てる事が出来たんだ。図星だろう?』
……正解だ。
あの一撃を受けるまで、私は奴の視線を感じなかった。攻撃が直撃して初めてその視線を察知する事が出来たのだ。
奴がそれでも私に攻撃出来たのは、強化探知で位置を把握していたからだろう。
しかし──
「……それが分かったところで何になる。どの道お前はこの場で服従か死を選ぶ事になる。何か問題があるのか?」
そう、既に勝負は決している。ここでそれがバレた所で、さしたる意味は無い。
しかし、それでも奴は笑った。
『ヒャハハハッ!良いな、貴様。リーダーに頼んで貴様は俺に譲って貰う。祭りの時は近い。……次は確実に殺してやるよ』
「……何を言っている。次があると思っているのか?」
『あるさ……。“最終伝達”』
「!?」
奴がそう唱えた直後、奴がその爪先から霧の様に消え始めた。
この反応は一度見た事がある。ステラの顕現六枝の分身が消える時と全く同じだったのだ。
つまり、目の前に居る奴は本体では無く分身体──
『ヒャハハハ!!どうやら知っている様だな?分身系の“覚醒解放”を!!そうだ!本当の俺はここには居ねえ!遠くで酒でも飲んでんだよ!!俺の名を覚えておけ!俺は“不死のオルドーフ”!!貴様を殺す者だ!!ヒャハハハッッ!!ヒャハハハ!!』
「くそっッ!!」
視線察知で得られる情報が少なかったのはこの為か!
私は即座に力を込めて奴を握り潰すが、しかし既に奴の胴体は霧となっており、空を切るだけだった。
奴は最後に笑いながら、消えていった。
「……ッ!!」
──ガッ!!──
私は思わず壁を殴り付ける。
逃げられた。此方の情報の多くを持ち出された上で逃走を許してしまった。いや、逃走ですらない。奴は最初から此処には居なかったのだから。
「……殺してやるぞ“不死のオルドーフ”……」
誰に言う訳でも無く、私はそう呟く。
ここまでの屈辱は久し振りだ。次に奴とやり合う時は、奴の二つ名から“不”の字を奪ってやる。
そう心に誓った私は、背後から向けられる視線を思い出した。
そこに居るのは人間の美少女。彼女はかなり怯えた様子で私を見ていた。
「……取り敢えず誤解を解かなきゃならないか……」
私は再び面倒事に頭を悩ませた。
ーーーーーー




