“魔力切れ”
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猫人族の少女はフラつきながら、ゆっくりと路地裏を進んで行く。
時折コケそうになるも必死に進むその姿は、まるで何かから逃げている様にも見える。
そしてそんな彼女の様子を見ながら、私は一つの事に頭を悩ませていた。
──話し掛けるタイミングがバチくそ分からないのだ。
……我ながら情け無い。これがアッシュなら叱り付けている所だ。
しかし考えても見て欲しい。
夜の繁華街。
一人路地裏を歩く少女。
そんな彼女に話し掛けるトカゲ男。
「やぁお嬢さん!こんな所を一人で歩くなんて危ないよ?僕がお家まで送ってあげるよ!」
……完全に性犯罪者である。百歩譲っても不審者に相違ない。
私が彼女だったら全力で憲兵に突き出すだろう。
そんな訳で中々声を掛ける事が出来ずにいたのだが、どうやら彼女は尾行を警戒しているらしく、時折後ろに視線を送って来た。
残念ながら私の尾行には気付けなかった様だが、しかしその警戒ぶりは中々堂に入ったもので、彼女がそれに慣れているのが良く分かるものだった。
私はここで気付く。
──正直言ってかなり怪しい。いや、私では無く彼女が。
態々人通りの少ない路地裏を選ぶのもそうだが、何故彼女が一人で居るのかも分からない。
そして追跡慣れしている事にも相当違和感を覚えたのだ。
まぁ、フィウーメはかなりの規模の都市だし、“訳あり”なんてのはそれこそ山程居る。一人なのも追跡に怯えるのも、まぁ、珍しくはあるが無い訳では無い。しかしそれらを踏まえた上で私が彼女が気にかかってしまう理由は、やはりその“匂い”なのだ。
確かに昔嗅いだ事のある“匂い”。
しかし、私がフィウーメに来てから……いや、転生してからこの匂いを嗅いだのは彼女が初めてとなる。
無論、フィウーメの全ての魔物を一々嗅いで回った訳では無いが、それでもこの街に来てからかなりの種類の魔物達と出会って来た。しかしその中で彼女と同じ匂いがした魔物は一匹も居ない。
それはつまり──
「……!」
私がそんな事を考えていると、彼女が苦しそうに膝をついた。
病気か?……いや……あの反応はもしかしたら“魔力切れ”かも知れない。
私も以前実験の為に全魔力を使い切った事があるのだが、その時もあんな感じでよろめいたのだ。
魔力切れは頭痛と目眩。そして吐き気と倦怠感を伴い、まともに立っていられなくなる。
根拠は無いが、私には何となく彼女の様子も魔力切れの様に思えた。
彼女はどうにか立ち上がると、そのまま更に人通りが少ない小道へと進んで行く。
……流石にもう声を掛けた方が良いかも知れない。あの先は私が来てから数えても、片手に届くくらいは魔物の死体が出た場所だ。
しかし私がそう思い、動こうとしたその直後──
「なっ……!?」
彼女の体が淡く光り、その姿が変わり始めたのだ。
尖った耳は無くなり、替わりに黒く艶のある髪が肩口まで伸びる。
全身を包む体毛は消え、残ったのは白磁の様な綺麗な肌。
そして、淡い光がゆっくり消えていき、最後に残っていたのは先程までの彼女とはまるで別の生き物──
……いや、“まるで”は必要無いか……。
そう、そこに現れたのはこの世界で初めて見る人間のメスだった。
……驚いたな。まさか本当に人間だとは思わなかった。可能性としては有ると思っていたが、それでも考えられる可能性としては“人間の服を奪った魔物”が一番高かったのだ。
……しかしこれは困った事になった。どうしよう?助けるべきか?
ここまでは興味本位とお節介半分で彼女を追って来たが、これ以上は流石に厄介な事になりそうだ。
魔大陸では人間が嫌いな魔物はかなり多いと聞くし、そもそも人間がまともに暮らせている国は無いと聞いた。
そんな中で幼い少女が一人で魔物の国に入り込むなんて、どう考えてもかなりの厄介事だ。
下手に首を突っ込めば、ドン・アバゴーラを支配すると言う私達の当初の計画に支障をきたすかも知れない。
助けるべきか、放っておくべきか……。
「……ほっとくか」
そう結論を出した私は、踵を返してその場を離れようとした。
しかし──
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『見つけたぞ小娘』
「!?」
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突如路地裏に響く低い声。
声がした方を見ると、そこには暗殺者の姿をしたコボルドが立っていたのだ。
……驚いた。本当につけられていた訳か。
恐らくは隠密を使用して彼女の後をつけていたのだろう。
視線察知は優秀な探知スキルではあるが、視線を送られなければ察知する事は出来ない。
あのコボルドも私に気付いていないのだろう。まぁ、中々ここに居るのは気付けないと思うが。
話し掛けられた少女がコボルドと向き合った。
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『ふふふ、随分と疲れているらしいな?まぁ、それを見込んでこうして姿を現した訳だが』
「……女一人に随分と臆病なのね?プライドとか無い訳?」
『ああ、そうだぞ?少なくとも、神託者相手に一人で勝つ等不可能だ。……こうして弱った所を狙わないとな?』
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“神託者”……?
なんだそれは?聞いた事無いが。あれか、“覚醒解放”の時のパターンか?
私がそんな事を考えていると、コボルドがナイフを手にして少女へと近付いて行く。
「……!」
彼女は凄い形相でコボルドを睨みつけているが、コボルドはそれに怯まずに距離を詰めて行く。
……魔力切れを起こしているであろう彼女には、対抗する手段が無いのかも知れない。
「……」
……いや、放っておくべきだ。落ち着け私。ただの人間だぞ?自分が人間だった頃だって、平気で見捨てて来たじゃないか。
「……」
それに今の私はもう魔物なのだ。魔物が人間を助ける必要がどこにある?黒竜の森だって安定しているとは言えない。そんな状況で更に厄介事を増やすのか?
「……」
私が見ている前で少女は徐々に追い詰められて行く。後数歩も下がれば壁にぶつかってしまうだろう。
コボルドはゆっくりとナイフを構え、そして──
「……人間のメス……か?」
私に振り返る。
……はぁ。私は何をやってんだか……。
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