狂人の結末
「.......皆、よくやってくれた。レイモンドのことは無念だったが、彼がいなければこの成功は無かっただろう」
マースが神妙な面持ちで短く述べ、杯を持ち上げた。
「献杯!」
その声に合わせて、それぞれ食事を摂り始める。今回の任務は《スタディーズ》の面々にとってもいつもとは違ったものになったらしく、それぞれが複雑な表情でナイフを握っている。
ダニエラが遭遇したのは、幼い頃彼女の村を襲撃し、彼女を毒牙にかけた逢魔だった。おそらく彼の巣もまた壊滅し、「渡り」となってあの巣に流れ着いたのだろう。
その時に負った心の傷に支配去るのを防ぐため、彼女の身体はヒトとしての思考や分別、感情を自在に捨てられる異能を獲得した。彼女の驚異的な身体能力はその発展系だ。
そして、戦いの中でストッパーが外れた彼女は、今も別室で身体を縛りつけられながら休んでいる。完全に元に戻るには一週間はかかるらしい。
パトリスもまた、身体に大きなダメージを負った。逢魔の力量を見誤った挙句、自分で作ったクスリの副作用が表れているのだから、ダニエラと比べるわけにはいかない。だが、倒れた彼を助けに来たレイモンドは、現れた逢魔から彼を守って死んだ。.......と、推測される。
逢魔の巣の中で起こったことは、だいたいが事後に状況から推測することしかできない。本当のことを知っているのは、その場にいた者たちだけだ。
そう、推測することしかできない。
俺にはどうも引っ掻かることがあった。
エルサが、表情を変えてマースを見つめたあの瞬間。彼女はダニエラと連絡が取れないことを心配しているように話していたが、俺にはあの時彼女が何かしらの通信を受け取ったように見えた。
あの時間、パトリスはすでに意識を失っていたし、ダニエラも逢魔が創り出した幻に苦しめられていた。他の騎士たちはエルサと一緒にいたから、あの時エルサに通信を送った可能性があるのはレイモンドただ一人だ。
彼の周りで何かあったとして、彼が律儀に連絡を起こすような性格には思えない。その時既に死の際にいたか、あるいは......何か、予想もつかない出来事が起きたか。
レイモンドの死体は遠目からしか見られなかったが、外傷によって死んだようには見えなかった。だが、レイモンド相手に搦め手が使えるほど知能がある逢魔が、俺たちと出会わずにあの巣に残っていたとは考えにくい。
では、彼は誰にどうやって殺されたのか。逢魔以上の知能を持ち、レイモンドも警戒しない生物。つまりそれは.......。
「あれ、ジニーの食事は?」
マースの言葉に、その場の空気が凍りつく。彼はもう一度怪訝そうに、ジニーのご飯、と呟いた。
「.......あ、あぁ。今用意するよ」
ダニエラが慌てたように立ち上がるが、マースはみるみる顔を真っ赤に染め、テーブルを叩いた。
「何だよそれ!ジニーは『スタディーズ』の一員だろ!?私の恋人に、何か文句があるのか!?」
鬼のような形相で怒鳴るマースに、クラリスが身を縮こませる。エルサもダニエラも目を伏せるだけで、何も言わない。
俺は、たまらず立ち上がった。
「あんた、狂ってんのか?」
敬語を使う余裕なんてない。空気がもう一度変わるのを感じながら、頬を紅潮させるマースに俺は続ける。
「今ので確信した。あんたがどんな人間で、何をしたのか。何をしてきたのか」
「.......私のどこが狂ってるって?言ってみろよ。.......言ってみろ!」
怒鳴るマース。間近で見たその顔には、怒りではなく怯えが浮かんでいた。
「教えてやるよ。ジニーは——」
「やめろ、タイガ!」
我に返ったようにダニエラが制止するが、もう俺の口は次の言葉を発していた。
「.......ジニー=トゥルニエなんて人間は、どこにもいないんだよ!」
マースが、膝から崩れ落ちる。
口の中で何かを呟く、そんな時間が十数秒に渡って続いた。
逢魔の巣でのあの瞬間まで、俺はジニーの姿を一度も見たことがなかった。彼の目線の先には、いつも虚空だけがあった。
ダニエラに聞いた話では、ジニーはずっと昔に、逢魔との戦いで命を落としたらしい。それからすぐに、ジニーは彼にだけ見えるようになった。
彼の異能は、自身を死者の姿にする能力。彼が知っている限り、異能も再現することができる。その能力を使っている間だけ、ジニーは再びこの世界に姿を現す。
でも、この能力で蘇られるのは、最後に死んだ親しい人物だけ。だから、今親しくなっている人間は、誰一人として殺すわけにはいかない。
そして、これから「スタディーズ」にやってくる人間は、親しくなる前に殺さなければならない。
「スタディーズ」は、人が死なない《グループ》だ。なのに、外部からやって来た人間だけは、必ず最初の任務で命を落とす。
実際に「スタディーズ」を知る者の中には、あるいはその裏にある真実に気づいた者もいるだろうが、貢献度の高い《グループ》故に誰も触れてこなかった。
そうして、どんどん引き返せなくなって。
「.......ってるよ」
マースが、聞き取れないほど小さな声で呟いた。
「そんなことは、初めからわかってるんだよ!」
嗚咽とともに発せられた叫びに、力はなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「.......お帰りなさい、お兄ちゃん」
帰るたびに容姿が変わっていく俺を、ユキはいつも優しく迎えてくれる。
その笑顔に笑い返すことが、今の俺にはできない。だがそれでも、彼女を守り続けたい。
ユキが俺のためにサンドイッチを作るのを眺めながら、俺は考える。
もしユキが死んだら、俺はどうなるだろう。
想像がつかない。が、正気でいられるとは思えない。廃人のようになるのか、それともマースのように、ありもしない幻影に囚われ、狂気に走るのか。
そんなの、ユキは望まないのに。
「.......なぁ、ユキ」
「なあに?」
「ユキが死んだら、俺はどうしたらいい?」
振り返ったユキは、一瞬怪訝そうな顔をする。でも、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「.......私のことなんて、気にしなくていいよ。お兄ちゃんは、お兄ちゃんのために生きればいい」
質問の答えにはなっていないのに、それは俺の心をひどくざわめかせた。
慌てて、ユキの小さな掌を両手で包み込む。触れられるのを、暖かいのを、確認する。
そして、誓う。
「いいや。俺は、ユキのためだけに生きるよ。自分でそう決めたんだ」
〜第一部 完〜
どうも、狂乱の傀儡師です。
この話をもって、「無能な俺はなぜか勇者の剣に選ばれてしまった」第一部を完結とし、一旦休眠します。
理由としては、自分の中でかなり思い入れのあるこの作品が、イメージから文章にしていくにつれどんどん駄作になっていくジレンマがあり、また週二とはいえ連載もままならない現状では、この物語を続けていくのが困難だと感じたからです。
これらはすべて自分の実力不足であり、文章力や構想力はもちろんのこと、スピード、執筆スタイルや事前準備のあり方など今一度磨き直した後で、また書いていきたいと思います。
継続して見てくださっている方には申し訳ありません。




