仇なす者
「.......おかしいね」
ダニエラが違和感を感じたのは、三回目に袋小路に入った時だった。
この巣は確かに大きいが、統率の取れていない知能のない逢魔があれほど居て、こんなに入り組んだ構造はしていないはずだ。異能が介在している、彼女は直感でそう察知する。
「エルサ、敵の姿はないけど何かがおかしい。搦め手系は専門外だからね、援軍を頼むよ」
無理な戦いはしない。マースとともに「スタディーズ」を支え続けてきたことで、身の安全を最優先する考え方が身体に染み付いている。
それを臆病だとは思わない。今「スタディーズ」がこれほど少ない犠牲で成り立っているのには、少なからず自分の功績もあるだろう。彼女に限らず今の状態から一人でも欠けたら、一気に犠牲が増えるかもしれない。
それでも、かつての自分がこの姿を見たら鼻で笑うだろうな、とは思う。
人間は、いつまでも同じではいられない。この歳になって、ようやくそれに気づき始めた。何よりもそれが寂しい。
「.......出てきなよ。真っ向勝負と行こうぜ」
挑むように呟く。一対一の純粋な戦闘力なら、冗談抜きに「名前がある逢魔」とでも戦える自信がある。だからこそ、相手のフィールドでも強気に出られるのだ。
「懐かしいねぇ、その強気な目」
ざらざらした不快な声が、後方から聞こえてきた。
頭の中で、 忌まわしい記憶が瞬時にフラッシュバックする。その地獄絵図の中の鬼と、同じ声だった。
「覚えてる?カワイ子ちゃん。随分と立派になったもんだ」
ゆっくりと振り返る。自分の意思に反して、首が動いてしまう。
やめろ、と脳が悲鳴をあげる。これ以上は駄目だ。これ以上あの闇をつついても、ろくなことにならない。
「......あの時の」
「ん?」
「あの時の、鬼」
だが、もう遅かった。彼女の目には黒光りする肉体の他には人間とほとんど変わらない不気味な容姿が、心を掴んで離さない深淵の眼が、二度と忘れることのない二つの角が、しっかりと刻み込まれている。
「鬼とはひどいなぁ。僕と君の仲じゃないか」
ゆっくりと近づいてくる彼を、蹴り飛ばす。そのイメージは何度も、何度も繰り返した。
それなのに、いざその瞬間になると一歩も動けない。無様に顎を持ち上げられ、ニタニタ笑いの彼の顔が視界いっぱいに広がる。
口がカラカラに渇いて、もうアリサに通信もできない。
早く来て。さもないと.......。
脚がガタガタと震える。恐怖が腹の底から這い上がってきて、彼女の頭をとらえた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おらぁっ!」
出で立ちに似合わない乱暴な声をあげながら、パトリスは拳を振り下ろす。それに対応して前方にいる鋼鉄の巨人が逢魔に強烈な一撃を放った。
「......これでどうだ」
息を荒らげ、顔を真っ赤にして呟く。ノーリスクで異能を増強するクスリなどない。恩恵にはその分だけのリスクがちゃんと存在する。
「ウゥ......まだまダァ」
だが、巨体の逢魔は立ち上がる。言葉を呟きながら。
彼は知能を得かけた、未発達の逢魔だった。敵の強さを見誤ったのは彼にとって大きな痛手だ。
“献身”は解除はある程度離れていても出来るが、再びかけ直す際にはクラリスの視界に入っている必要がある。もはや“献身”で逃げることも難しい。
レイモンドが来るまでこの場をもたせることが、彼が生き残る最善の策だった。
「それで終わりカ?なら、こっちかラッ」
逢魔が力を込めると、周りに衝撃波が発生する。それに触れた鋼鉄の巨人は、すうっと消えてしまった。
そしてそのまま、巨体の割に速いスピードでパトリスに向かって駆け、殴りつける。ワンパターンだが、これを避けるために彼は自身の身体能力を向上させる二本目のクスリを飲まなければならなかった。
二本のクスリの副作用に加え、何度も鋼鉄の巨人を出し直すためのエネルギー消費。ジリジリとパトリスの身体に限界が迫っていた。
「デカブツの癖に、トリッキーな異能使いやがって......!」
パトリスはついに膝をつき、舌打ちする。身体はピクリとも動かない。出せる巨人はあと一体が限界。
「......これで、カタをつける」
パトリスは巨人に残った力をあるだけ込め、拳を握る。
「うらあああああっっっ!!」
彼の雄叫びに反応して、巨人が逢魔にその鉄拳を浴びせた。吹き飛ばされる巨体。喘ぐパトリス。
だが、逢魔は紅い血を吐きながら、ゆらりと立ち上がる。
「惜しかったナ」
「.......随分と饒舌になりやがって」
パトリスは立ち膝をつき、自力で立ち上がることができない。巨人とともに何とか持ち直すが、それ以上動くことはできない。
逢魔は満足したような不敵な笑みを浮かべ、大きく息を吸い込んだ。
頼みの綱の巨人をかき消す衝撃波が放たれる。
その瞬間、パトリスはもう一本、アンプルを引っ掴んだ。
身体能力を上げるクスリ。二本飲めば、効果も副作用も二倍だ。
「あああああああっっっ!」
意識をなくすような吐き気と、ぐわんぐわん揺れる視界の中で、普通のそれよりはるかに大きい逢魔の身体だけは捉えている。
彼の足元まで突っ走り、拳を握る。盾なしで逢魔に近づけるのは、この瞬間しかなかった。
最後の一体。辛うじて出現させたその巨人は、ひどく不恰好な形だ。
だが、登場時の勢いを保ったまま撃たれたそのアッパーカットは、巨体を確かに、沈めた。
ひとつ大きな息を吐いたパトリスは、次の瞬間猛烈な頭痛とともに倒れ込む。
これまでクスリを合計3本も飲んだことなど一度もない。そのため身体にどれほどの影響が出るのか、彼自身にも全くわからない。
だが、まだ彼にはやらなければならないことが残されている。
次に目が覚めた時にそれを覚えていられるように、意識が消えるまでの間、彼はそのことだけを考えていた。




