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狂気の侵入



「“豹式蹴脚(パンサー・パター)”!」


 ダニエラが入り口の逢魔を軽々と蹴り倒し、辺りに断末魔が響く。

 通常見張りの逢魔をこのように倒すと、巣の中の逢魔に危険を察知されてしまい、圧倒的不利に立たされてしまう。だが、今回の場合は敢えてそのタブーを犯す。


 叫びが途切れて数秒後、砂埃が少しずつ、山中に造られた巨大プレハブのような巣の中から漏れ始めた。次いで、爆音がそれを追いかけてくる。


「ギャアアアアアアアッッッ!!!」


 先の大きな音でパニックになった逢魔たちが、一斉に逃げ出そうと巣から出て来ているのだ。「名前のある逢魔」が倒された時と同じく、統率の取れていない逢魔は少しの刺激にも弱い。


「まとめて潰すぞ、レイモンド!」


 物凄い勢いの群れに巻き込まれないため飛びのきながら、私は呼びかける。彼は舌打ちで答え、言われなくても、と右手を構えた。

 入口から少し離れたところに立つ彼の右腕は、一目散に逃げ出そうとする逢魔たちを一直線に捉える。


「......吼えるぜ!古代竜の爪(ダイナソー・クロウ)ッ!!」


 次の瞬間、彼は数百匹の逢魔を、一瞬のうちに薙ぎ倒した。

 やるねぇ、と言いたげにパトリスが口笛を吹く。


 これで、大抵の雑魚は始末できたはずだ。

 後はプレハブ小屋の中から、鬼が出るか蛇が出るか。



 お化け屋敷に入っているような気分だな、と、自分にこんな時でも懐かしむ余裕があることに驚いた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 巣の中に入ってすぐ、道は三つに分かれていた。攻めてくる奴らが少人数だということを熟知していて、分断しようという算段だろう。俺たちは予定通り、レイモンドが護衛するグループと残りの二人に分かれた。


「『渡り』か.......ますます厄介だな」


 マースが呟いた。耳慣れない単語に俺は眉をひそめる。


「『渡り』って?」


「今まで君たちは、巣の逢魔を全滅させた訳じゃないだろ?それは、てっぺんの逢魔さえ倒してしまえば、逢魔たちは次のトップ争いに躍起になり、半パニック状態に陥る。勝手に潰し合ってくれるし、弱ったところなら地元の騎士や兵器、火責めなんかで簡単に全滅させられるからわざわざ手を出す必要はない。そう教わったと思う」


「そうじゃないんですか?」


 怯えながらクラリスが話に入って来る。“救世主の献身(メシアプロテクト)”はひとまず、ダニエラと比べると戦闘面に不安のあるパトリスに授けたものの、レイモンドに俺、マースと過剰気味に守られていることで多少は安心しているらしい。


「基本はそうだよ。......でもごく稀に、部下だった逢魔の一人が飛び抜けて強く、一瞬でリーダー争いを決着させる場合がある。彼らはその場から離れ、別の場所で新たな巣を作って繁殖する。それが『渡り』だ。一度人間からの攻撃を受け死の淵に瀕しただけに、知識も能力も人間への憎悪も強い。気をつけなきゃならない相手だ」


「はっ、ビビってんのか?それならお留守番してゃいいだろうが」


 レイモンドが鼻を鳴らす。俺は一瞬、《フリー》の騎士は強ければ強いほど性格が悪くなるのかと思ったが、すぐに“人類最強の男”のことを思い出す。

 勇者の装備なしで、それと同程度の戦果を叩き出す人類の希望。彼はまた、とても優しく仲間想いだと聞いたことがある。

 つまり、レイモンドがこんな性格なのは強さのせいではなく、彼自身の生まれ持ったものだということだ。


「気をつけろ、って話だよ。というわけでよろしく」


 マースが顎をしゃくった先には、逃げ遅れたとみられる数体の小型の逢魔。


「.......“古代竜の牙(ダイナソー・ファング)”!」


 レイモンドがそれらを一瞬で屠り、すぐさまマースに命令するな、と文句をつけた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 面倒臭い。

 パトリスにとって、騎士としての仕事にはその程度の印象しかない。恩人の頼みだから渋々、といったところか。

 彼が興味を持つのは異能の成り立ちで、その為に必要なのは数多の実験だけだ。マースがいなければスタートラインにも立てなかったとはいえ、余計なことをしているこの時間が惜しい。


 それでも「死」というものを考えなくて済むだけましなのだろう、と思うようにしている。他の騎士たちは毎日のように今日死ぬか、明日死ぬかと考えながら生きているらしい。そんな世界では、研究も何もできないだろうな、と想像する。

 反面ここにはマースがいる。マースは自分たちを決して殺さない。それは彼が何年も彼の下で働く中で、科学の他に唯一信頼できるようになったことだ。


「......やぁ」


 彼は不意に手を挙げた。その先には、巣から出てきた雑魚たちとは明らかに体躯の違う逢魔。

 彼にとっては、格好の被験体Aだ。


「エルサ、ちょっと身体が大きい逢魔を見つけた。こっちでいい感じにいなしとくから“献身”外してよ」


 一応通信を入れながら、パトリスは鞄からいくつかのアンプルを取り出す。

 一つは採集用の空のアンプル。残りは戦闘用と実験用だ。


「元気?」


 軽く挑発するが、逢魔はただ唸っているだけ。身体の割には頭も小さく、知能はなさそうだ。

 敵の強さが分かれば、ある程度は余裕もできる。


「......クスリ、試すか」


 彼はアンプルの一つを開け、中の液体を飲み干した。

 途端に吹き出した額の汗をふぅ、と拭い、右手を高々と挙げる。


「行くよ、“|鋼鉄の儚い生命《アイアンゴーレム》”」


 彼の呼び声に呼応する地響きとともに、逢魔と同じように黒光りする、二メートルを超える巨人が現れた。



  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「パトリスから通信、現在大型の逢魔と交戦中。知能はない模様」


 エルサが突然声をあげる。

 私は少し考え、レイモンドを向かわせることにした。思ったより雑魚の逢魔が残っていて、タイガを向かわせるのは危険だ。


「“献身”を外せ、って言ってますが」


「......外してくれる?」


 クラリスに指示しながら、思わずため息が出る。知能がないのなら、無理して異能を使わずとも“献身”だけで時間はいくらでも稼げる。


 彼がそうしたいのは、研究の試作品を試したいからだ。異能の力を増幅するクスリ。副作用もよくわかっていないというのに、彼は最近度々それを使いたがる。


 だが私は、彼の研究に口出しはできない。それは彼にとって一番のストレスとなり、たとえ私であっても排除しようとするだろう。




 狂っている。横で顔をしかめているタイガなら、そう思うかもしれない。

 だが、私たちは逢魔と何年も、何年も戦い続けてきた。


 そんな日々の中で、狂わずにいられるか?

 それが誰に向かっての言葉か、私はもうわからなくなった。




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