それぞれの苦悩
汚らしい巣の奥へと歩みを進めるティノの“鎧”の中から、心配そうな声がする。
「タイガさん、大丈夫でしょうか.......」
ティノは苛つく。思惑通り、この一団は完全に彼が仕切っている。統率こそが生き残る最善の術であり、敵に打ち勝つ最強の剣。子供の頃から教えられてきたその信条は、いつしか彼を戦いへと向かわせる勇気の源になっていた。
もともと、ウイルイ教はとある地方でティノが立ち上げた民間宗教だった。力無きものが共に戦い、逢魔を退けるためのコミュニティ。特別な思想も野望もない、互助会のようなもののはずだった。
ティノ自身も異能者ではあったが決して戦闘向きではなく、命を賭ける覚悟もない、大勢の凡人の中の一人に過ぎなかった。
それが、ある日突然、一人の男が現れた。
彼は強いカリスマ性を持っていて、ティノを含む多くの人々を虜にした。彼の加入とともにウイルイ教はみるみるうちに勢力を拡大し、いつしか世界中にその影響を与えるほどになった。
その一方で、彼は厄介者たちもまた呼び寄せてしまった。現状に不満を抱き、過激な思想を口にする者たちだ。
彼らはティノに協会への反抗を要求した。もともと凡人だったティノに彼らを抑える力などあるはずもなく、ティノは男にトップの座を譲るしかなかった。
だが、やがて教祖となった彼自身も、多すぎる信者を完全にコントロールすることは難しくなっていった。
そして、彼はティノに命じたのだ。過激派をまとめて協会を批判しろ。その一方で、騎士となり協会のウイルイ教への弾圧を抑止しろ、と。
「.......ティノさん?」
返事がないことを訝しみ、クラリスがもう一度声をかけてくる。
ティノは我に返り、いつものようにニコッと笑った。
「大丈夫ですよ。あれこれ言っても、彼は勇者ですから。それに、彼は自分の意思で行動したのです。その結果がどうであれ、それは彼自身の責任です」
クラリスは黙る。それは納得や理解から来るものではなく、これ以上の会話は無駄だと思ったからなのだろう。
我ながら嘘臭い台詞だと思う。いつもの笑顔も、あの頃からは随分変わってしまった。
教祖の命は、つまりいずれは破滅する泥舟の船頭になれ、ということだ。しかも、そのために戦地に向かい、異形の化け物と命懸けで戦え、ということでもある。
神は彼を見捨てた。だが、それでも彼は神のために戦わなければならない。何故なら、それ......すなわち統率がウイルイ教を存続させる唯一の手段だからだ。
それなのに、タイガはなんの躊躇いもなく、私を無視して穴へと飛び込んでいった。ティノが何年も出来ずにいることを、平気でやってのけた。彼の言動はいつも軽率で、仲間を危険に晒し、和を乱す存在なのに、クラリスは彼を心配する。
それらひとつひとつが、自分が間違っていると言われているようで、否定されているようで、虫唾が走る。
「.......何だ、あれは」
聞き覚えのない声に思わず反応するが、ヴァレが発したのだと気づいて息を吐く。
それから彼の視線の先に目をやって、ティノも口を大きく開けた。
まるでサーカスの会場のような、派手でカラフルなテントが立っていた。テントといってもかなり大きく、中は結構な広さがありそうだ。
ティノは辺りを警戒しながら入口に向かう。長年の経験から、このような周りの雰囲気と異なる場所には「名前のある逢魔」が棲んでいるケースが多い。
「.......そこから先は通すなと、団長のご命令でね」
氷のように冷たい声に、ティノはキョロキョロとその主を探す。だが、その姿はどこにもない。
「......ここですよ」
首筋にナイフが押し当てられる。恐る恐る振り返ると、何もない空間からすうーっと、道化の仮面を被った逢魔が現れた。
「透明化、ですか。厄介ですねぇ」
ティノは身体中から冷や汗をかきながら、そう呟く。
知能がある逢魔相手に、視覚を封じられたアドバンテージは大きい。だが、まだ負けと決まった訳ではない。
「......クラリスさん!」
叫ぶと同時に、ティノの周りに防壁ができる。異物とみなされ、外に弾き出される道化の逢魔。
だが、それと同時にクラリスも同じく“鎧”から弾き出され、ティノの前へと倒れる。
「やはり使用者本人も絶対防御の中にはいられませんか......想定内ではあります」
すぐさまクラリスの元にヴァレが走り寄り、鋭い眼で道化の逢魔を睨みつける。
「.......なるほど、この壁を破るのは無理そうだ。ならば、本体を叩けばいい話」
逢魔は冷たい吐息とともに、その場から消える。ヴァレは懐から拳銃を取り出して構えるが、姿が見えなければ撃つこともできない。
「これで、終わりです」
クラリスの背後で冷たい声がした、その瞬間。
ティノは自らの身体を、クラリスと逢魔の間に滑り込ませた。
ギィィィィン!
鈍い音とともに、ナイフが弾かれる音がする。
「この能力は使用者を守ることはできない。しかしこういう風に使えば、全くリカバリー出来ないわけでもないんですよ」
ティノの呟きとともに、ヴァレの拳銃が火を噴いた。ナイフの音で、一瞬敵の位置は丸裸になる。
だが、再び鈍い音がして、弾は後方の壁に突き刺さった。
「外した......?いや」
「ナイフに当てましたか......」
逢魔の手を離れたナイフが、いつの間にか地面に転がっていた。
「.......なかなかいい腕をしているようですね」
道化の逢魔は、今度は顔だけ姿を現す。すかさずヴァレが撃つが、仮面にはコロニウムが使われているらしく、あっさりと弾かれる。
「だが、今度こそここまでだ」
虚空から、ナイフが浮かび上がる。
ティノがそれに気づいた時には、もうナイフはクラリスの首筋に向かって一直線に向かって行くところだった。
(ナイフを......投げた!?)
間に合わない。
ようやく走り出しながら、ティノがそう思った次の瞬間、鮮血が周りに飛び散った。
「.......がはっ」
首元を押さえながらその場にうずくまったのは、ヴァレだった。
「ヴァレさん!?」
クラリスがすかさず駆け寄る。
それを横目に、ティノは呆然とする道化の逢魔の身体があるはずの場所に、“鎧”から取り出した槍を突き刺す。
「.......なっ!?」
動揺する敵を冷徹な目で睨みつけ、彼は槍を力強く引き抜く。
仮面の下から赤い血がつうーっと垂れ、それと同時に風景に溶け込んでいた逢魔の体が、再び黒く浮き出る。
「あいにく、私は人の心がないことで有名でね」
そう告げるティノの肩が少しだけ震えているのに、気づいた者はいない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
僕の人生は、これで良かったのかな。
ヴァレ=エトナ=クラヴジックは、ぼんやりとする意識の中でそんなことを考えていた。
ヴァレの生まれた村は、大海の真ん中にぽつんと浮かぶ島国だった。独特の文化と風土を持つ、いわゆる秘境と呼ばれるような場所だ。
そんな彼の幼少期は、決して幸せだったとはいえない。その原因は、彼の顔立ちだった。
自分では笑顔のつもりでも、他の人から見ると怒っているように見える。目つきはいつも鋭く、睨みつけられているように感じる。閉鎖された空間で、そんな差異は「外される」絶好の理由だった。
子供たちだけでなく、大人たちからも可愛げのない、見るだけで苛々すると言われ、両親も弟の方に夢中になった。
ヴァレはいつも一人だった。
彼は異能を持っていたので、やがて島から出て、大陸で騎士をすることになる。
だが大陸は全くの異文化の地。向こうでは常識だった前進の刺青も、こちらでは危険人物の証になる。島独自の言語は通じず、片言でしか話せない。
彼はいつの間にか、ミステリアスで危険な、触れられない存在になっていった。協会もそんな彼を《フリー》にし、腕は良いが組織の一員として難があるというレッテルを貼った。
生まれてから死ぬまで、ずっと誤解されたままの人生だった。彼の誰よりも優しくあろうとする努力が、報われることはなかった。
けれど、最後の最後で、命を賭けて他の命を守ることができた。それは大きな成果として、皆の記憶に刻まれるだろう。
彼が死んだ後に、僕の本当の姿が世界に伝わる。
それは嬉しいことでもあり、寂しいことでもある。
でも、今は、笑おう。
今までしたことのないような、やり過ぎなくらい、満面の笑みで人生を終えよう。
それが、自分の人生の証明になるから。




