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夕方、営業部に立ち寄った際、見知らぬ男性から声を掛けられた。
「宮下くん、ちょっと、ちょっと」
「あっ、はい、何でしょうか?」
ネックストラップには〔企画/開発部・商品開発課長・森本〕の文字が。
「あの~ 私に何か?」
「もうすぐだね」
「えっ? もうすぐって……あの~ 何の事でしょうか?」
「あれれ、柴田部長から聞いてないの?」
「柴田部長から……ですか?」
「そう、移動の件」
「移動? 移動って誰がですか?」
「誰ってキミが企画/開発部に」「柴田くんの方からキミに
伝えといてって言ったんだけどね」
「それっていつの話ですか?」
「確か半月ほど前だったかな」
「え~っ! 聞いてないです。今初めて聞きました」
「まっいいや、とにかくそういう事だからさ、期待してるよ!」
「あ、ありがとうございます!」
「月末には正式な辞令が出るからそれまで他言しゃだめだよ」
「ハ、ハイッ!」
「それと宮下くん今晩空いてる?」
「はい、特に何も」
「じゃ~ 食事でもいっしょにどう? ちょっと話したい事もあるし」
「ぜひお願いします!」
「じゃ~ 5時半に下のロビーという事で」
「分かりました、よろしくお願いします」
大変な事になった!
なんと企画/開発部へ移動なんて信じられない事態が起きた。
僕は喜びに震える気持ちを抑える為とりあえずトイレに向かい
洗面台で鏡に移る自身の顔をしばらく見つめた後、まるで顔面
にぶつけるかのように1回、2回、3回と真水を浴びせた。
少し落ち着きを取り戻した僕は地下の資料部に向かう途中
なぜ柴田部長が僕に伝えてくれなかったのか気になりだした。
「ただいま戻りました」
「おっ! おかえり、すいぶん遅かったな」
「すいません、ちょっと色々ありまして……」
机に戻った僕は企画書を揃えるフリをしチラッと部長に目を
やると以前のようにまた目が合ってしまった。
「どうかした?」
「あっ! あの~ 部長何か忘れてる事ありません?」
「忘れてる事? 特にないけど……今朝燃えないゴミ出したし」
「いやそういう事じゃなくって、何か僕に隠してるっていうか……」
「隠してる事?」
「あっ! 冷蔵庫の奥にビール隠してるのバレちゃった?」
「いやいやそういう事でもなくて」
「もしかして本棚の奥にある焼酎見つかっちゃった?」
「はぁ~」(どんだけ酒好きやねん)
「じゃ― 何のこと言ってんの?」
「来月から私が企画/開発部に移動するって件ですよ」
「あっ! その話ね、そうそう近々言おうと思ってたのよ」
「どうしてそんな大切な事黙ってたんですか?」
「いや黙ってたって、そんなんじゃないよ。ほら普通は業務の
引継ぎなど諸々あるんで早めに本人に伝える必要があるけど
資料部の場合そんなのないじゃない、だから急がなくても
いいかな~って思って、ハハッ!」
「……悪かったよ、そんな顔すんなよ」
「だってず~っと2人っきりで過ごして来たのに水臭いじゃない
ですか」
「そうだよな、ホント申し訳ない。宮下くんにとってチャンスだし
とても喜ばしく思える反面ちょっと寂しくなるっていうかまた1人に
戻っちゃうな~なんてねっ!」
「部長……」
「でも良かったな、この資料部から別の部署への配属はキミが
初めてじゃないかな」
「そうなんですか」
「あぁ、私の知るかぎりね。だから頑張らなきゃなっ!」
「ハイ! ありがとうございます」
「もうすぐキミがいなくなるのか……、寂しくなるな」
(ちょっ、部長、また顔が、顔が近い)
「来月向こうに行ってもさぁ~ たまに地下2階に顔出してよね!
キミの大好きなコーヒー入れて待ってるから」
(もう部長~ 顔近いって!)
「あ――っ、もうこんな時間! 部長すみません、これから
約束あるんでお先に失礼します!」
僕は部長から逃れるかのように大急ぎで資料部を出た。
(参ったな~ 森本課長待っててくれてるかな~)
僕は必死で階段を駆け上がり森本課長が待つ1階
ロビーへと向かった。
「あっ! 森本課長―、すみませ~ん」
「お~ 宮下くん」
「はぁ、はぁ、はぁ、遅くなっちゃって申し訳ないです」
「いや私も今来たところだよ。じゃ行こうか」
「はい! よろしくお願いします」
森本課長とタクシーで向かった先は隠れ家的雰囲気のある
ちょっと高級そうな小料理屋さんだった。
中に入ると1本の木材で作られたであろう立派な白木のカウンター
が目をひく本格的な佇まいの内装に緊張しつつも僕は課長に
促されカウンターの1番奥に2人並んで座る事となった。
私達はまずビールで乾杯した後、課長はメニューを見ず直接
カウンター内の板長さんに「お任せで頼むよ」とだけ伝えコップ内の
ビールを一気に飲み干した。
僕が課長にビールを注ぐと「キミこういうの苦手だろ、大丈夫
それぞれ手酌にしょう! お互いこれが最後な」と笑顔で僕に
注いでくれた。
「すいません、気を使って頂いて。それとちょっと言いにくいん
ですが今日そんなに持ち合わせがないんで足らない場合少し
貸して頂けませんか?」と板長さんに聞こえないよう小声で
伝えると部長は自身の胸をポン叩き僕に耳打ちしてきた。
「大丈夫! 私に任せなさい。今日車売ってきたから」
「えっ……ホントですか?」
「冗談だよ冗談。キミ面白いね! 今日はご馳走するから
何でも好きなの頼みなさい」
「は、はい、ありがとうございます」
ふと周りを見ると2人の会話が聞こえてたようで板長さんや
お運びさんに笑みがこぼれた。
それは馬鹿にされたようなものではなくなんとも優しく温かい
笑みで、僕の緊張をゆっくりと和らげてくれるものだった。




