少年よ、男として旅立て
その数日、敦はずっと上の空だった。雪子を救ってやれなかった後悔とそれを責めるようなあの表情が頭から離れられないのだ。
パソコンには依頼のメールがたんまり溜まっているのに手が付けられずキーボードに頭を乗せたままじっとしていた。
その様子に渚は部屋の襖を開けた。
「いつまで腑抜けるつもり?情けないわね」
「うるさいな、誰が腑抜けだよ」
彼は机にうつ伏したまま力なくぼそぼそと呟いた。
「本気で愛した女を守れなかったってずっとぐずぐずしてるから腑抜けだって言ってるのよ」
渚は荷物を詰めたリュックを敦の方に放り投げた。
「男ならいつまでもぐずってないで雪子ちゃんを取り返して来い」
「でも、」
釈然としない彼の態度に痺れを切らした渚は不良あがりの剣幕で怒鳴った。
「でもじゃない!雪子ちゃんを自由にしてあげたいのだろ」
「雪子・・・・」
彼の脳裏に雪子のことが走馬灯のように巡った。再び目に輝きが戻った。
「警察とかいろいろめんどくさいのがやってきそうだけどあたしに任せときな。あんたは雪子ちゃんを守ることだけ考えろ」
いつもの調子を取り戻した彼を見て安堵のため息をついた。
ガレージで充電を終えたプロトがぴょんと跳ねるようにやってきた。
「敦君、あの人たちの居場所が分かった。覚悟はいいかい?」
「勿論だ、相棒」
いつもの元気を取り戻した敦は荷物を軽々と背負い、エライザから貰ったバイクのエンジンを威勢よくかけた。
渚が一から修理したので潔いエンジン音が天高く鳴り響いた。
玄関でその様子を見ていた渚は隣にいる心配そうな顔をしたプロトに話しかけた。
「いいんだ。秘密はいつかバレるし・・その代り敦を頼むよ」
「うん!約束するよ」
プロトは元気よくバイクの助手席に乗った。
渚は敦の前髪をがっと掴み、額をくっつけた。
「思いっきり暴れて影島の野郎を一発ぶん殴ってこい」
「わかってる。ありがとう、叔母さん」
助手席にプロトを乗せてエライザのバイクを走らせた。
渚は風に煽られながら満足げに彼らが颯爽と旅立つ姿を見届けた。
「あの眼・・やっぱり男の子だね」
近所の神社の前でリュックを背負った昇が待っていた。
「敦君、僕も手伝うよ」
「・・帰れ」
冷たく言い放った彼の額には冷や汗が大量に流れていた。
「今回はいつもと比にならないくらい危険だ。あの男は本気で俺を殺そうとしている・・それにお前を巻き込みたくない」
「命がけってそんなのいつものことじゃないか。何もできないかもしれないけど何もしないで雪子ちゃんを失いたくないんだ」
プロトは助手席を降りて敦の後ろに乗った。
「ボクからも頼むよ。こんなとき仲間がいると心強いよ、敦君」
敦は黙って助手席のドアを開けた。
「・・今回の旅は命がけだぞ」
「ありがとう、敦君」
プロトは天に向けて指差した。
「よおし、出発だ!」
助手席に乗った昇はくすくす笑った。
「もう、プロト君ってば調子がいいんだから」
バベル社の施設周辺にバイクを止めたが、門前で例の男たちがうろうろしていた。
「あいつらが雪子を攫った影島の仲間だ。とりあえず中に入る作戦を立てよう」
二人の話し合いに参加せずに、プロトは彼らを見て首を傾げた。
「それにしてもよく耳を澄ませるとあの人たち、日本語を喋っていないようだ。外国人かな?」
すると急にバイクのクラクションが鳴った。
焦った敦は電源部を叩いたが止まってくれない。
「なんでこんなときに・・まさか!」
彼らはすぐに拳銃を片手に追いかけてきた。
「逃げるぞ」
三人はとりあえずバベル社の近くの山に逃げ込み、バイクを置いて獣道を走った。
しつこい追手は銃を構えて彼等を探している。
すると少し開けた草叢に蔦が蔓延った長方形の建造物が建っていた。
「こんなの、この前来た時にはなかったぞ」
二人は中に入り、綺麗に並ぶ苔生した長椅子に座った。
固い絨毯地の椅子を撫でながら昇は天上に吊り下がる物体を眺めた。
「あれ、なんだろな」
前方に目を遣ると小さな椅子を前に錆びついた大袈裟な機械があった。
昇は機械の苔を手で掃い、ぎょっとして叫んだ。
「まさかこれ、電車なの!?」
彼は恐る恐る警笛を鳴らした。
彼の期待に応えるかのように高らかに鳴り響く警笛の音に興奮した。
追手はすぐさま音に気づき駆けて来た。
そうとも知らず、昇は外に出て苔生した壁を手でこするとスス一〇八という文字が薄らと出てきた。
「やっぱりスス一〇八だ」
「よかったな、昇」
この電車は誰にも気づかれずに山奥に捨てられ何十年もの時を止めて眠っていたのだ。
「これが人類最後の電車か、夢みたいだ」
再び車内に戻った昇は鼻息を荒げてハンドルを眺めた。
「まずい、気づかれた」
屋根で監視していたプロトはすぐに二人に呼びかけた。
二人は車掌室に入り、外で追手が余裕の表情で物音をたてずにやって来ているのが見えた。
「どうしようこの電車、まだ動くかな?」
敦は運転席を見て頭を抱えた。
「こんなアナログ機、触ったとない。第一、安全に動くか保証できないし・・」
「プログラムじゃないよ、電車は」
昇は操縦席に腰かけ深く深呼吸した。歴史を物語るように黴臭さの中にかつて車掌が吸った煙草の香りがした。
「確か、この車両はディーゼルモードだったはず」
彼はややこしい操縦席から発車レバーを探した。
「あったぞ」
錆だらけのレバーをゆっくり押した。彼の手には大量の汗がしたり落ちていた。
「もう一度目を覚ましてくれ」
敦も後ろで祈った。
「君の力が必要なんだ」
彼等の願いに応えるように、数十年も放置され眠っていた人類最後の電車は発車ベルを高らかに鳴らした。
数十年も蓄えられていた電力が出力されたのだ。
ガタガタ軋みながら再び車輪を動かしたスス一〇八は蔦を引き千切り、草叢を掻き分け、かつての線路の上を風を切り走った。
追手は予想外のことに驚き、散り散りに逃げた。
昇は興奮して声にならない叫びをあげた。
「夢じゃないよね。僕たちはスス一〇八に乗っているんだ!」
三人は窓を開け、爽快な風を全身に浴びた。
スス一〇八は止まることなく走り続けた。
田舎の街灯も頼りなく、どっぷり夜になり仮想カップ麺を食べた後、三人は寝ることにした。
プロトは眠れない敦に気づき、こっそり話しかけた。
「眠れないのかい?キミの小さい頃の映像でも見る?」
「よせよ、恥ずかしい」
目を覚ました昇は恥ずかしがる敦に言った。
「そう言うなよ、キミはずっとお母さんの記録を探していたんだろ?願いが叶ったじゃないか」
「・・じゃあ、見るか」
プロトは六個の眼から天井に向けてライトを照射し古びた映像が映った。
真っ白なカーテンがそよ風で靡く洋風のリビングで赤ん坊はきゃっきゃ喜んでいた。
「これが、俺なのか」
赤ん坊はプロトと一緒に積み木で遊んでいた。
ひとつ積めばプロトがひとつ積んでいき、家ができ、車ができ、小さな街が出来て行った。
「次はたかいたかいしようか」
プロトは彼を抱き上げ、高く上げた。
「・・優しくするのよ」
彼の母親が映った。お日様の香りが漂ってきそうな洗濯物を畳みながら、敦そっくりのキラキラとした大きな瞳で彼等を見守っていた。
それを見た敦は涙を溜めてプロトの方を向いた。
「プロト、疑ってごめんな。ずっとお前と一緒だったことをすっかり忘れてた」
「謝らなくていいよ。ボクは敦君たちと旅ができて今すごくうれしいんだ」
その頃、テクノ小僧もとい昌彦は黒いスーツを着たやけに色っぽい女と一緒に海外物の香水が漂う高級マンションの屋上階にいた。
この家の主の本多 由美子は渡良瀬の秘書で、影島が渡良瀬のお墨付きの弁護士になったときからずっと思いを寄せているのだ。
彼の頼みでテクノ小僧を引き取り、今彼に自宅の一室を貸しているのだ。
お風呂に入ったまま髪も乾かさずTシャツ姿の昌彦は脂ののったレアステーキ肉をがっついた。野良犬のような食い振りに本多は感心した。
「コートを着ていてわからなかったけど、あなたこんなに大食いなのにガリガリね」
頬いっぱいに肉を頬張りながら応えた。
「だって、おいら放置子だもん。何回も逮捕されてるからとうとう面会にも来なくなった。それにしても仮想じゃないご飯なんて久しぶりだ」
「ふぅん・・不憫な子」
本多は急に昌彦の背後にまわり抱き着いた。彼の幼い首筋に豊満な胸が当たり、長いブロンズの巻き髪が香水の匂いと一緒に流れ落ちてきた。異様な息遣いに彼は目を大きくした。
「寂しかったのね、大丈夫。私が守ってあげる」
嗅いだことのない下品な香りに我慢ができず、とうとう彼女を突き飛ばした。
「よせやい、気持ち悪い。今度またおいらに触れたらただじゃおかないからな」
床に倒れた本多は昌彦を睨み付け「かわいくない」と小さく呟き立ち去り、隣の部屋で電話をかけた。
「ねぇ、あの子やっぱり嫌だわ。早く殺してちょうだい」
電話の相手はあの影島だった。
「落ち着け。テクノ小僧がカーナビをハッキングしたおかげでフレイヤを取り戻せたじゃないか。実に引き取った甲斐があった」
「でも、性格が悪すぎるわ」
「今に見てなさい。この子はね、我々の役に立つよ」
影島は電話を切り、セラミックの椅子に深く腰掛け、カプセルで眠るフレイヤを満足げに眺めながら紅茶を啜った。
実は彼は美雪と同じ大学の研究室にいた。
そのため同じ研究室のよしみで自分を推してくれるだろうとバベル社に面接に行ったが受からなかった。
そして就職に失敗した彼は研究者になる夢を捨て、独学で司法試験に受かり顧問弁護士としてバベル社に雇われたのだ。
そして今回、自ら進んでテクノ小僧の弁護人になり、彼の自由の身にする代わりに自分の仲間に入れた。
影島は最初の就職に失敗した日のことを思い出していた。
自分の代わりに同じ大学の劣等生だった盛山が入社したことを耳にし、美雪の居る寮まで抗議しに行ったのだ。
「先輩、なぜあの出来損ないを採ったのですか。僕の何が不満なのですか」
美雪は彼を宥めた。
「机上より心を観よ情けを観よ、北浜教授の言葉よ。忘れたの?」
影島は彼女の言葉を鼻で嗤った。
「あのいかれた神学の教授か。僕はあんなつまらない授業、最初っから専攻してませんよ」
「いかれたって、あなたには心というものはないの?」
「僕たちは少なくとも工学研究者ですよ。神学なぞ受けてどうする。ましてサンダーバードを見たって言いまわっている人だろ?あれは想像上の生き物だぞ。馬鹿らしい」
「ここまで言うなら貴方がどんな捉え方しようと私は否定はしないよ。でもどちらが正しいかこれからが見物ね」
影島は怒りに任せ、紅茶が入っていたカップを床に投げつけた。
「先輩、貴女は小生の憧れだった。だが、あの日貴女は小生のプライドを潰した。思い出すだけでこの胸の憎しみが紅蓮の炎のように湧き上がる。それがどれだけ恐ろしいか、見ていればいい」
そうとも知らず目の前のフレイヤは悲壮な顔で眠り続けている。
次の日、昇の腕時計端末から激しいビープ音が鳴って飛び起きた。
電源をつけると影島の映像が浮かび上がった。
「君達はまだ未練たらたらで追い回しているようだな。命知らずめ」
敦は身を乗り出し彼に問い詰めた。
「雪子は生きているのか」
「勿論だ。今はカプセルで大人しく眠っている。もし会いたくば明日の夜十二時、国立競技場に来い。君たちの勇気を汲んで一目だけ会わせてやろう」
すると急に通信が途切れた。
昇は心配そうな顔をした。
「これは罠かもしれないよ」
「いや、寧ろチャンスだ。罠であっても会いに行かなきゃ雪子は奪え返せない。この電車ってその時間に間に合うのか?」
「このまま順調に進めば明日の夕方には着くよ」
すると急に聴き慣れない疳高い叫び声がした。
すぐさま駆け寄ると電車の接続部分にテクノ小僧が必死にしがみついていた。