迫り来る影
新沼社長の妻は受話器を両手で持ち、お辞儀をした。
電話を切り、同じ部屋で宿題をしていた大智に話しかけた。
「会社で大事なお話があるから今夜は家に帰れないそうですよ」
大智は手を止め肩を落とした。
「そうですか」
「気を落とさずに」
「私は気にしておりません。父上は大事な仕事をなさっているのでそれは当たり前のことです」
すると窓の外で夕立が降り雷が鳴った。
「あら、傘を持っていないわ。そうだわ大智さん、届けに行ってくださいな」
「コンタに頼めば・・」
お手伝いロボットのコンタはそそくさと掃除をしていた。
「こんな大雨じゃ壊れちゃうでしょ。お父様には連絡しますから」
大智はおどおどしていた。そう、実は父とはここ数年顔を合わせていないのでどう接してよいのかわからないのだ。
一方、バベル社本社の会議室には本物の影島と新沼がいた。
新沼は頭を抱えていた。
「あなたが望んだ世界ですよ、新沼さん」
「違う・・」
困りきった彼の様子に高笑いした。
「小生はたった一人の女性を自分のものにしたかっただけですよ。一回は願いが叶ったのですけどね・・だがどうも彼女の正義感が残っていたようでそう上手くはいかなかった」
「フレイヤの脳は本当に小柳君のものなのか・・?盛山に造らせたって言ったじゃないか」
影島は冷めた目で応えた。
「あの落ちこぼれに小生が頭下げる訳ないでしょ。知恵も思慮も持て余すことなく詰まった女神の綺麗な形、していましたよ」
「貴様、人間をなんだと思っている!!」
怒りのあまり影島の胸ぐらを掴んだ。
傍にいた本多は彼の威嚇に驚き観葉植物の影に隠れた。
「どんなに足掻いても彼女はお前のようなつまらない人間のものにはならんぞ」
「そういえば、貴方が頑なに教えてくれなかったあの人の息子、とうとう見つけましたよ。あれだけ母親のデータからみんなネット上から消してたのに自らのこのこやって来たとは。無駄足でしたね」
「敦君に手を出すな!」
今まで穏やかだった影島の表情は仮面が剥がれたように般若に豹変した。
「うるさいな、今までこのときのためにお前の説教に耐えてきたけど現界なんだよ」
すると渡良瀬が現れた。
「既に貴方も検体になっていることを知らないのですか、新沼さん」
彼がそう言うと、新沼はふらふらと一面窓ガラスの前に立った。
「・・体が言うことをきかない、どういうことだ」
渡良瀬は聴き慣れない民族歌謡を口ずさみながら箱型の装置を動かした。
「貴方の、いや影島君の実験は成功したのですよ。この装置で脳を支配して貴方はもう私のものです」
「な・・なぜだ」
「私の前で死なれては具合が悪いのでちょっと散歩してもらいますよ」
操られた新沼は部屋を飛び出した。
急な階段を飛び上がり、長い廊下を一目散に駆け抜けた。
「父上!」
すれ違った大智は急いで彼の後を追った。
そして新沼は屋上の扉を開けると急に動きを止め、柵に向かって行進をするように歩いた。
「父上、そこは危険ですやめてください」
大智は必死に彼の体を抑えたが、ありえない力で押し倒し、進んでいった。
柵にぶつかった大智は足を痛めて動けなくなった。
「誰か、助けてください」
プロトがヘリに変形して屋上に降り立ったとき、ふらふらと歩く新沼の姿を見た。
「おい、あれ・・新沼の父さんじゃないか?」
それに気づいたプロトは叫んだ。
「社長!!」
一瞬、プロトと目が合った新沼は悲壮な顔で「たすけて」と口をつくり、そのまま柵を飛び越え26階から落ちた。
社長室で落ちてゆく新沼を見届け渡良瀬は目を輝かせ呟いた。
「こりゃ素晴らしい。これさえあれば日本は永劫安泰だ」
プロトは落ちてゆく新沼を全速力で追いかけた。
「間に合わないっ」
プロペラのエンジンを切って空気抵抗を減らしたプロトはやっとのことで新沼の脚を掴み、近くのケヤキの上に向けて投げ飛ばした。
新沼の体は間一髪で地面に叩きつけられることなく茂みに挟まったまま意識を失った。
「おい、救急車を呼べ!」
研究所に帰った影島はレーザー銃を片手に雪子を追いかけまわしていた。
「やめてっお願い!誰か助けて!」
悲痛な叫びに笑いながら所構わず撃った。
「諦めろ!誰も助けはしない」
レーザーが雪子の足首に直撃しその場で転んだ。
逃げ場を失い背後から抱きしめられた雪子は隠していた拳銃を影島の心臓に突きつけ発砲した。
「これで終わりね」
そのまま倒れた影島が動かなくなったことを確認して安堵のため息をついた。
影島に背を向けた途端、笑い声が聴こえた。
「・・これで死ぬとでも思ったか」
何事もなかったかのように立った彼に、雪子は恐怖に目を見開いた。
「まさか、人間じゃない」
煙が上がった心臓を見せ徐々に修復しているのが見えた。
「そうだ、心臓をちょっと細工してな。それもみんな君のため」
雪子が絶望のあまり倒れたところで影島は彼女の頬に平手打ちし、ワンピースを引き裂いた。
全裸になった彼女は涙を浮かべた。
「なんで私をこんなにするの?」
「君じゃなきゃダメなんだ。そうだ、君だけにあの計画の裏を教えてやろう」
影島が言いかけた途端、扉を強く閉める音がした。
真っ赤な口紅をした女がハイヒールを派手に鳴らして現れた。そう、本多だ。
「ちょっと祐司、私の約束はどうしたのよ」
影島は呆れた顔で応えた。
「なんだい、せっかくのムードが台無しじゃないか」
「この実験が成功したら結婚しようって、貴方が言ったじゃないの」
彼女はヒステリックに怒り始めた。
「なのに、またあの女を抱いてるの?いい加減にしてよ!」
そう、これは影島が渡良瀬の弁護士になったばかりのことだった。
そのときから秘書をやっていた本多は影島に一目惚れをし、交際を迫った。
だが、彼は美雪のことばかりで彼女のことは眼中にはなかったのだ。
美雪が殺してフレイヤをつくり自分の思い通りになった途端、毎晩のように貪る彼を見て嫉妬に狂った本多は影島がいないところで憎き美雪の脳を持つフレイヤに暴力を振っては記憶を消していったのだ。
「貴方に振り向いてもらうために汚いことも何でもしてきたわ。なのに・・なんでよ」
ヒステリを起こした本多はまた雪子の頬を叩こうと手をあげた。
すると影島が先に本多の頬に平手打ちをした。
「やめろ。汚い手で触るな」
睨み付けるは憎悪の目だった。
「俺はヒステリックな女は要らない。一つ君に言えることがある・・君の役目は終わった」
彼の言ったことがわかり始めたが最期、彼女は急に大声で笑い、大きな目を見開きどこかへくるくると回りながらどこかへ消えてしまった。