美雪の過ち
一方その頃、影島はバベル社で必死に逃げ惑う雪子を笑い声をあげて追いかけていた。
「やめて、あっちいって!あんたの顔なんか二度と見たくない」
「忠実だった君が感情をむき出して怒るとは夢にも思わなかった。あの女と瓜二つだな」
「今まで私はあなたのいいなりになってきた・・だけどようやくわかったわ。脳は支配できても心を支配することなんてできない。私はやっと敦君たちに助けてもらって自由になったの。これ以上いいなりになるのはうんざりよ!」
影島は急に無表情になりこう言った。
「また君は同じ過ちを犯すつもりかい?」
「・・何のことよ」
退社した三年後、美雪は渚の家の近くに引っ越し、幼い敦を育てる傍ら人工知能に追い出された労働者たちに向けてプログラミングを教える仕事をしていた。
ある日、教室で生徒が噂話をしていた。
「人間の脳を支配する機械が開発されたんだって。恐ろしいわね」
「知ってる。そういえばあれって小柳さんが前いた会社でしょ」
たまたま何の気なしに聴いていた美雪は驚いた。
「そんな・・」
彼女の異変に気付いた生徒は宥めた。
「これは噂話ですよ。ほんの都市伝説ぐらいのものですよ」
このままでは生徒の不安を煽ると思い、美雪は冷静を保とうとした。
「そう、ね。そんなのできる技術はまだないわよ」
(噂どころじゃないわ・・思い当たる節はあるもの。そうよ影島が推してたあの計画のことだわ!)
彼女はその夜、影島のいるバベル社の事務室に殴りこんだ。
部屋に入り彼の姿を見るなり激昂した。
「プロジェクトA+は危険だってまだわからないの?そうじゃなくてもあれは人道に外れているわ。今すぐこの計画をやめなさい!」
必死になって問いただす彼女に冷笑するような顔で応えた。
「この計画は政府直々の命令でもあるのですよ。この計画が成功すれば巨万の富が貰えるし有り余るほどの名誉もついてくる。今の時代、ネジ一つ買うのに躊躇うような会社なんか惨めったらないですよ」
「ふざけないで、ここは先代の社長がロボットに愛を与えるために建てた会社なの。私達の夢を汚さないでよ!」
「汚す?貴方は私の研究員になる夢を汚したじゃありませんか。また私の夢を汚すつもりですか?」
話にならないと悟った美雪は鞄に忍ばせていたテープレコーダーの停止ボタンを押し、この部屋を出ようとした。
「もういい。このことは新聞記者にすべて話すわ。どうせ警察もあなたのお仲間でしょうから」
影島は冷酷な表情で背広に隠していた小型のレーザーガンを美雪の背中に向けた。
銃を突き付けられた美雪は不気味な程冷静に応えた。
「こんなことをしたらあなたの子に永遠に会えなくなるわよ。今頃、私の電子幻影があの子たちを貴方の手の届かないところに連れて行っているわ」
「そんなの、後でゆっくり探す。本当は貴女のような賢い人を失いたくなかった。自分のものにしようとさえ思ったこともある。だがその強すぎる正義感が小生の最大の敵になりそうだ」
思慮のある者同士の戦いはなぜこんなに異様で冷静だろうか。
数時間にわたる沈黙の後、痺れを切らせ引き金を引いた影島は血塗れで事尽きた美雪の脳を盗み人目のつかないところに暫くの間、隠した。
その数分後、美雪の生徒の一人が彼女を止めに来た。
バベル社に着いた彼はすぐさま電気が点いている部屋に入り腰を抜かした。
書類が散らばった部屋で女の脳無し遺体が横たわっていたのだ。
一目でそれが美雪のものだと気づき、携帯電話を取り出したが頭の中が混乱して手元が狂って動かせなかった。
通報を諦めた彼は近くにあった警報装置を押し、急いで去った。
次の日、美雪の死を知らされた新沼は頽れ慟哭した。
「小柳君・・!何故ここに来たんだ。なぜ・・」
ふらふらと美雪が殺された研究室まで重い足を運んだ。
立ち入り禁止のテープが張られ、まだ鑑識が壁に張り付いている部屋の前で呆然と立ち尽くした。
「父上・・小柳君・・私はこの手で夢を切ってしまった。結局、私はこの会社を続けていくためしか考えていなかったのか・・」
実は美雪が会社を去ってすぐに前社長がこの世を去り新沼は新たに社長になったが、瞬く間に経営が傾き倒産の危機に瀕していた。
そんなとき後の総理大臣である渡良瀬 恒弘が現れ、依頼する研究をする代わりに大金の支援が入ったのだ。
渡良瀬の弁護士の仕事も始め、この依頼を大手を振って会社に持ち込んだ影島は彼の背中でほくほく顔で話しかけた。
「新沼社長、計画は順調に進んでいるのになぜ嘆くのですか。あの渡良瀬先生も味方してくれるから敵なしですよ」
無神経にべらべらと喋る彼に新沼は癪に障った。
「私は反対だぞ!君達は人をなんだと思っているんだ。あまりに危険すぎる」
「サルでの実験は成功しました。あとは新沼社長、貴方が人体でこの実験を完成させる番です。これ以上の歴史をひっくり返すような発明はないですよ」
新沼はとうとう怒髪天を突き、握り拳を必死に抑えた。
「歴史?ふざけるな!私はそんなこと望んではいない!君たちの本当の目的は何だ」
相変わらず余裕の表情の影島は応えた。
「小生がコネがあってこの案件を持ち込まなきゃ今頃、この会社はどうなってたでしょうね。目的?まぁ、後々わかることになりますよ」
そう言って影島はその場を去り新沼は項垂れ黙った。