何が何やら
「何だ…?」
ズルズルと這うように移動するのは、
あの植物の蔓のような部分だろう。
だったら、この地響きは…?
そう思っているとき、入り口の方から
俺のよく知っている声が聞こえてきた。
「リョージさんっ、どこですかっ?!」
「ファ、ファイさんっ」
俺がそう答えたのと、
クロル君が叫んだのがほぼ同時だった。
「先輩危ないっ!」
******
「うわっ」
「ぐっ」
俺は横から衝撃を受けて倒れる。
そして、クロル君の短い声が聞こえた。
「クロル君っ」
「だ、大丈夫ですっ…」
どうやら、クロル君は俺をかばってくれたらしい。
あの蔓のようなものが襲ってきたのだろう。
クロル君は、少し離れた場所に倒れていたが、
俺の声を受けてゆっくりと起き上がった。
「クロル君、今行くからっ」
俺は立ち上がろうとしたが、
「っ…」
うまく行かずに地面に手をつく。
「リョージさんっ」
「あ…ファイさんっ」
いつの間にかファイさんが近くに来ていた。
「ファイさんどうして…」
「そんなことより、早くここを出ましょう」
「あ…、はいっ」
そうだ、話は後でもできる。
今は何とかここから脱出しないと。
「クロル君、行こう」
俺はクロル君へと声をかける。
そして、見た。
クロル君の方に、新たな蔓が向かっているのを。
「クロル君っ」
俺は、クロル君の方へ行こうと脚に力を込める。
だが、俺が一歩踏み出すよりも、
蔓の動きの方が早い。
「っ、クロル君っ!!!」
その時だった。
何かの影が俺の前を横切って行ったのだ。
「え…?」
******
クロルは、自分に向かってくる蔓を
どこか他人事のように見ていた。
自分の動体視力ではとても捉えることができないだろうそれ。
でも、今は不思議とはっきり見ることができていた。
こんなときでも、こちらに来ようとしているリョージの姿が見える。
でも、間に合わない。
そのことが分かっても、クロルはそれを静かに受け入れていた。
(…よかった。リョージ先輩にお返しできたかな…)
最後に自分がお世話になったあの人の役に立てたならよかった。
リョ―ジは無事のようで、あのギルドの職員の人がそばについている。
あの人なら、きっとリョージを守ってここから脱出することができる。
(これで、いいんだ)
クロルは、自分の危機にも不思議とすがすがしい気分でいた。
こんな穏やかな気持ちになれたのも、
リョージが来てくれたからである。
あのまま、一人でやられていたら、きっと暗い気持ちのまま終わっていただろう。
それを考えると、またお礼を言いたりないなと思ったりもする。
(…ありがとうござました。そして、どうかお幸せに…)
鬱屈した毎日の中で、先の見えない不安の中、
確かに光だった青年。
そして、彼を大切にしている様子のファイという職員。
二人の関係はよく分からないけど、二人はとてもお似合いだと思うのだ。
二人の様子を見て、クロルはある人の顔が浮かぶ。
(……あなたも、どうかお幸せに…)
家族よりも鮮明に浮かぶあの人。
もう会うことはないだろう。
一緒にパーティを組んで、お世話になったあの人。
ただ普通に別れて、縁が切れたあの人。
どうしてか分からないけど、最後に浮かぶのは彼の顔なのであった。
******
クロルは、静かに目を閉じる。
来るべき衝撃に備えて。
……しかし、いつまで経ってもそれは訪れない。
クロルは、不思議に思ってその目をそっと開けたのだった。
「…え?」
クロルは、目の前に見えている光景が信じられなかった。
自分の前で、モンスターの攻撃を受け止めているその背中は、
自分がよく知っているもので…。
「……ガッシュ…?」
それは、クロルが最後に思い描いていた人物。
だから、最初幻覚かと思ったのだ。
ここにいるはずのない人物。
都合の良すぎる映像。
しかし、震える声で呼びかけたクロルに、
振り返ったのは、
紛れもなくその人だったのだ。
******
ガッシュは、再び前を向き、
迫りくる蔓を次々と切り捨てていく。
そのたびに、モンスターの叫びが洞窟に響く。
その姿を、クロルは呆然と見ていることしかできない。
(何で…何で…?)
やがて、モンスターの攻撃が止むと、
ようやくガッシュはクロルへと向き直った。
「なんで…、王都に行ったはずじゃ…」
クロルの問いかけに、ガッシュは頷く。
「…向こうで噂を聞いた。
ばか高い報酬の特殊クエストが発行されたと」
「…それで…?」
「ああ、お前なら参加しているかもしれないと思った」
「…だから、だから助けに来てくれたの…?」
ガッシュは、無言で肯定する。
それを見たクロルは、声を荒げる。
「何でっ、今更来てっ」
クロルは、自分の感情を抑えられない。
ここは、感謝すべきだと思う。
けれど、それよりもどうして、という思いが先行してしまう。
それを見ても、ガッシュは表情を変えない。
そのことが、またクロルをイラつかせる。
「何で…、…置いて行ったくせに」
その言葉で、やっと表情を変えたガッシュ。
それは、悔恨。
初めて感情が読みとれる表情をした。
「……俺は、お前を連れて行くのは、
お前のためにならないと思った」
「…え?」
「……冒険者は、当たれば社会的に成功することもできる。
だが、そうなれるのは一握りだし、
お前ならもっと別のことで生きていけると思った。
…いや、そうして欲しかった。
安全に暮らして欲しかった…」
「そ、そんなの、ガッシュのエゴじゃんかっ」
「……でも、ずっと考えていた。
他の誰かがお前を助けるならその方がいいと。
その誰かが、なんてことはただの都合の良い言い訳だったのではないかと」
「え…?」
「…俺は、自信がなかった。
それで、お前を試すようなことも言った。
すまない…」
「…あれは、だって…。
僕は、やっぱりガッシュの足手まといにしかならないし…」
「そう。お前がそう言うのは分かっていて、
俺は逃げたんだよ…」
「…ガッシュ…?」
「…クロル。俺と一緒に来てくれないか」
「そ、それは…。
でも、僕じゃやっぱりレベルが…」
「俺はこまごました魔法が苦手だし、
はっきり言って生活力がない。
けれど、お前のおふくろさんを養うくらいの甲斐性はある」
「ガッシュ…」
「今回のこともあって、よく分かった。
…俺は、俺の知らないところでお前が危険な目に合うのは耐えられないんだ」
「……」
「……もし、お前がいいなら家で俺の帰りを待っていてくれないか」
「そ、れは…」
「どちらでもいい。
冒険者としてそばにいてくれても、
そうでなくても、
俺はお前が…」
******
二人のやりとりを、俺は呆然と眺めていた。
展開が急すぎて理解が追いついていない。
「…あの、ファイさん。彼は…?」
「ああ、確かガッシュという冒険者ですよ」
「そうなんですか…」
二人は親密な様子である。
クロル君が誰とも組んだことが無い、という話は事実じゃなかったみたいだし、
きっと昔のパーティメンバーなのだろう。
「ガッシュさんは今までどこに…?」
「さあ、確か王都の方に行っていたはずですが…」
何らかの理由で、クロル君だけ残ったのだろう。
何となくクロル君が一人でいた理由が分かった気がした。
「そっか、クロル君を助けに来たんですね…」
俺は良かったと思った。
クロル君を大切に思ってくれる人がちゃんといたのである。
俺がしみじみとそんなことを考えていると、
声を低くしたファイさんが言った。
「リョージさん。あの二人はいい関係ですね」
「え? は、はい。そうですね」
「…どう思われます?」
「はい?」
「……あの方にはちゃんといらっしゃいます。守る方が」
「…はい、良かったです」
そうだ。クロル君には大切に思ってくれる人がいる。
今回はパーティメンバーに裏切られてしまう形になったけど、
ちゃんと見ててくれる人はいたんだ。
だから、そう答えたのだけど、
ファイさんの表情は硬いままだ。
「ファイさん…?…っ?!」
「……」
ファイさんは、何も言わずに、
いきなり俺のことをぎゅっと抱きしめたのだ。
******
「…あ、あの…」
「…心配、しました…」
ファイさんが俺を抱きしめる力は強い。
俺は、少し傷に響いたが、
そんなことよりも、ファイさんにそこまで心配をかけてしまったことで
胸が痛くなった。
「……すみません。結局一人では助けられなくて」
「そういうことではありません。
……どうして、私に言ってくださらなかったのです?」
「あ、そ、それは…」
「それは?」
「心配、かけたくなくて…」
ファイさんに言ったら絶対止められてたと思うんだよな。
頭に血が昇っちゃってたってのもあるけどさ、
自分でもどこか無謀なことは分かってたから一人で来ちゃったんだよね。
「…結果として、どうですか?」
「……ファイさんにご迷惑をかけて…」
「それで?」
「…心配、かけちゃってますね」
ファイさんは、怒っている。
それは分かっているので、俺は粛々と答える。
「そう、そうです。心配しましたよ、もう…」
俺に項垂れかかるファイさんの様子に、
心労の大きさを感じる。
俺は、自分のことをこれだけ心配してくれるファイさんがいることを、
こんなときだけど、少し嬉しく思ったんだ。
「ファイさん」
「はい?」
「助けに来てくれて、ありがとうございました」
「…、次からは、ちゃんと言ってください」
「え?」
「もしもあなたが行くというなら、私も行きます」
「え、ファイさん…」
「あなたが躊躇うということは、それだけ危険な場所だということ。
そういうときには一人よりも二人の方が安全性は増します」
「でも…」
「それで思うところがあるということは、
それだけ危険度が高いということです。
…もっと、自分を守ってください、リョージさん」
ファイさんの言葉に、俺は思う。
冒険者というのは、自分の身が守れて一人前という話を聞いたことがある。
きっと、ファイさんは、
そういう基本を思い出させようとしているのだろう。
「分かりました。気をつけます」
「リョージさん…」
******
「さて、戻りましょうか」
そう言って、ファイさんは俺の肩に手を置いた。
「ファイさん…?」
ファイさんは、もう片方の腕を俺の膝の下に入れる。
そして、俺のことを抱き上げた。
「うわぁっ、ファイさんっ」
「…リョージさん、あなた足を痛めてますよね」
「え」
「このまま運びます」
「運ぶ…って、別に歩けないほどでは…」
「いえ、こちらの方が早いですから」
「うっ…」
せめて背負うとか、肩を貸して欲しいと思う。
「あの、この体勢は…」
「何ですか?」
「…いえ」
ファイさんの笑顔が恐ろしくて、俺はそれ以上何も言えなかったのだった。




