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謝りたい

「僕が物心ついたころには、父親はいませんでした」


 そう言うクロル君の顔に悲壮感はない。


 実感がないというのもあるのだろう。


 ただ、そういう事実として話しているだけに見える。


「僕たち三人は、裕福ではありませんでしたが、


 幸せに暮らしていました。


 ただ、母さんが少し体が弱くて寝込むことはありましたが」


 ここで、クロル君の表情に翳りが生まれる。


「…それでも、そういう時には弟と二人で家事をやったり。


 …僕、少し魔法が使えたので


 それで洗濯をしたり料理をしたり。


 一々水を汲みに行ったりしなくていい、なんて二人は喜んでくれました」


 にっこりと笑うクロル君だが、


 やはりどこか疲れた顔をしている。


 魔法が使えたから、きっとクロル君は冒険者になったのだろうと


 推測はできたけれど、


 ここで話の腰を折るのも何だから俺は黙って聞いていた。


「…我が家の収入は、母一人が働きに出て稼いだものです。


 それが、ある時から母が寝込む回数が増えていったのです…」



 クロル君のお母さんが体調を悪くすると、


 働きに行けないから収入が減る。


 そうすると、生活は困窮していく。



「…母の薬代を払うのがやっと、というとき。


 今度は、弟も風邪で倒れたのです」


 

******

******




 「しっかりして…」


  クロルは、熱で苦しむ弟の看病をしながら途方にくれていた。


  最近は、自分が働きに出ていた。


  やっと働くことができる年齢になった自分を、


  幼い弟は家のことをして支えてくれていた。

 

  母の看病も率先してやってくれていた。


  本当は遊びたい盛りだろうに、


  そんなこと顔には出さずに笑顔で自分を出迎えてくれる弟。


  大きくなったら自分が働きに出て、


  母と自分を養ってあげるんだ、といつも語っていた弟。


  どうやら、残念なことに


  弟は母の体の弱さを受け継いでしまっていたらしい。


 

  何度もぬるくなった布を取りかえる。


  本当は、冷却の魔法でも使えればよかったのだが、

 

  自分には涼しい風を出すくらいしかできない。


  自分の無力さにクロルは唇をかみしめていた。



******

******


「弟の体調が落ち着いたときを見計らって、街へ薬を買いに行きました。


 ですが、母と弟の分を合わせると、手持ちの分では足りませんでした…」


 クロル君は、遠くをみつめて言う。


「そこの店主はとてもいい人で、いつも母のことを心配して


 お金のないときには優遇したりしてくれていたんです。


 …でも、今度は弟が、というと、一瞬嫌な顔をしたんです。


 とても心配してくれているのは伝わりましたが、もうこれ以上


 ご迷惑をかけるのも限界かもしれない、と思いました」



 きっと、クロル君はいっぱいいっぱいだったのだと思う。


 精神的に疲れていた。

 

 でも、そんなときにも他人を気遣っているのは、


 やっぱりクロル君らいしとも思う。



「このことを、母に知られてしまったら、きっと母は薬を飲まなくなってしまう。


 …僕にとっては、弟も母もどちらも大切なんです…」



******

******


  クロルは、途方に暮れていた。


  弟は、あの風邪からときどき体調を崩すことがあった。


  それでも家のことをやってくれるし、


  調子の良いときには、少し近所の店の手伝いなんかをして


  お金を稼いでくれるようにもなった。


  まだ小さいのに本当はそんなことはさせたくはなかった。


  けれど、実情そうしてもらわなければやっていけないのが現状だった。


  

  今日も、クロルは短い就業時間を終えて家路を急いでいた。


  また、弟の体調が悪いからだ。


  午前中は弟と母の看病をして、午後の出勤を終えたのだ。


  辺りは薄暗くなってきており、早く帰らなければと


  クロルは、いつもと違う道を足早に歩いていた。


  ここは、人通りも少なく治安もよくないから、と


  母から使わないように言われていた道だった。


  それでも、弟のことが心配だったクロルは、


  その日に限ってその道を使ったのだった。




  そこで、クロルは見た。


  そういうことをしてお金を稼いでいる人たちの姿を、だ。


  クロルは、いけないものを見たと思った。


  すぐに、引き返して元の通りに戻ろう、と思った。


******

******


「…そこで、やり取りされているお金を見てしまって、


 僕はその光景が頭を離れませんでした。


 それから、そこの人たちに話して、


 母や弟の薬代が足りないときだけ手伝わせてもらったんです」



******

******


  

  そういった商売をしている人たちは、

 

  恐ろしかったけど優しくもあった。


  みんな、何かしら抱えているものがあって、


  仲間意識みたいなものがあったのかもしれない。


  クロルも、深入りしないようにと気をつけていたのもあるが、


  特に問題も起こすことなく毎日は過ぎて行った。



******

******


「母と弟にばれないことを一番に思っていました。


 …きっと、自分のせいだと自分を責めるから。


 僕は、家族にそんなみじめな思いだけは絶対にさせたくなかった…」


 

 そう言って思いつめた顔をするクロル君は、


 きっと強い人間なのだと思う。


 本当は、自分も辛いはずなのに、それを周囲に見せないで


 自分が傷ついていく。


 

「…弟は、幸い成長するにしたがって体力がついてきたのでしょう。


 寝込むことも少なくなっていきました」


******

******



  弟が働きに出られるようになって、クロルがそういう商売に手を出すこともなくなった。


  母も需要のある食べ物を食べられるようになったおかげか、


  前ほど体調を崩す心配もなくなってきていた。


******

******


「そんなときでした。…家に、父の兄を名乗る男がやってきたのは」



 クロル君は、唇をかみしめる。


「その人は、とても名のある家から来たと言いました。


 父は母と一緒になるために駆け落ちしてずっと行方を捜していたんだと。


 …そして、その人は弟を養子にしたいと言ってきたんです」


 


 貴族の家だと、跡取りを家長の実施ではなく、


 その兄弟の子供を据えることも珍しくない。


 その男も子供ができなかったか、事情があって実子を跡取りには出来ないとなったのだろう。



「僕は、辛いときには放っておいたくせにって悔しかったです、正直。


 でも、それよりも弟がちゃんとした教育を受けられるなら、


 それはいいと思ったんです」



******

******


  それから、クロルの弟は叔父の養子になり、


  家を出ることになった。


  弟は家を出ることを嫌がったが、二度と会えなくなるわけではないし、


  これは弟の将来のためだからと何とか説得した。


  

  そうして、1年あまりの月日が経過した。



*****

*****


「一年後、僕は弟と再会しました。


 身体も大きくなって、立派な服を着て。


 弟は本当にいい家の子供になっていました」



 クロル君は、眩しいものを見ているように目を細める。


 きっと、その時の光景が目に浮かんでいるのだろう。


 この子は、本当に弟が大事なんだな、と思う。



 でも、すぐにクロル君は目を伏せた。


「…弟は、僕と目を合わせてくれませんでした。


 最初は、ただ照れているだけだと思ったんです。


 でも、そうじゃないって分かりました」


 

 悲しそうな顔で語るクロル君。


 その理由は分からないが、聞いている俺も胸が痛くなる。


 やがて、クロル君は重い口を開いた。


「…僕が、昔そういうことをやっていたって、叔父は知っていたんです。


 それで、弟にもそれを言ったらしくて。


 ほら、思春期の子にそういうのって駄目じゃないですか。


 それに、どうやらそういう血筋だって馬鹿にされたりしたとかで。


 それで、そういうところで育ったことを恨んでしまっているみたいでした」



 口調は明るく装っているけれど、クロル君はとても悲しそうな顔をしている。



「…僕は、過去のことを後悔はしていません。


 弟も、きっと清廉潔白な世界で生きる叔父に


 感化されてしまったんだと思うんです。


 でも、僕が一番悔しかったのは、母を馬鹿にされたことでした…」


 クロル君のお母さんは、体が弱いのに


 幼い二人の子供を育てようと頑張っていた人だ。


「僕が、ああいうことをしたのは、


 母の影響だというんです。母は関係ないのに…。


 僕のせいで、母まで悪く言われるなんて耐えられなかった。


 それに、叔父は弟のことも軽んじているようでした。


 それが僕のせいだと思うと耐えられなかったっ…」



 泣きそうな顔でそう言うクロル君は、きっと一人で頑張って来たんだろう。


「それで、冒険者に?」


「はい。今のままなら無理ですけど、冒険者になったら、


 冒険者として名を上げたら、叔父に何を言われることもないと思ったんです。

 

 弟も胸を張って生きていけると思って。


 …それに、母の治療費は自分の力で稼ぎたいとも思ったんです」


「そっか…」


「…そ、それで…。僕、早く叔父を見返してやりたくて。


 母も、気にしないとは言ってくれましたがやっぱりちゃんとした自分を見て欲しくて。


 でも僕弱いからって理由つけて、早く成果出したくて…。


 それで…、僕、高ランカーのリョージさんに近づいたんです」


「え?」


「…ごめんなさいっ、だましてしまいましたっ」


 がばりと頭を下げるクロル君に、僕は驚く。


「だます…?」


「…はい。本当は、僕色々なパーティに入れてもらったんです。


 でも、僕文句ばっかり言って。


 それで、相手を選り好みしているうちに誰にも組んでもらえなくなって…」


「…それで、一人でいた俺に声かけたわけか…」


「はい…。僕、ずるいんです。


 だから、本当はリョージさんが助けに来る必要なんてなかったんです」


「クロル君…」


「…同情買うようなこと言ってごめんなさい。


 でも、僕はリョージ先輩の思っているような人間じゃないんです。


 …こうなったのも自業自得だと思ってます。


 いえ、もしかしたらもう疲れていたのかも…。


 母には叔父の援助がありますから、もう僕は…」



 そう言うクロル君に、僕は怒りが湧いてくる。


 それが顔に出ていたのだろう、クロル君は目を伏せる。


「リョージ先輩、こんなことになってしまって…。


 何て言われても仕方のないことだと思ってます」


「…クロル君」


 俺が低い声で言うと、クロル君はピクリと肩を震わせる。


 でも、ここは俺、怒るところだと思うんだ。

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