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G・ガール!  作者: りき
9/28

G・ガール! 9

二日目 一

 自分の部屋ではなく、リビングのソファーで、空が白むころにやっと眠りにつけた爽汰を起こしたのは、玄関のチャイムが鳴る音だった。

 昨日着ていたままの、Tシャツにジーパンのままで寝ていた爽汰は、夢と現実の境目で、耳に届いたその音に気づいた瞬間、飛び起きた。

 壁にかかった時計を見ると、七時を五分過ぎたところだった。

「……誰だ?」

 両親が帰るにしても、早すぎる。まさか? いや、さすがに。

 焦点の定まらない目を何度もこすりながら玄関に走り、ドアノブに手をかけゆっくり開けた。

「なんだってば、まーだ寝てたのか、爽汰」

 危なかった。

 頭に血が廻ってない時のどっきりは、体に良くない。

 あと少し足に力が入るのが遅かったら、後ろにひっくり返っていた。

 ドアの外には、理沙子が立っていた。開口一言目があれでは、中身が徳二郎である事は、確認するまでもないようだ。

「じいちゃん……」

 新築時以来、久しぶりにこの家に来たと喜んでいる祖父は、どしどしと音を立てて、中に入って行った。


 爽汰は、徳二郎がどうしても飲みたいというので、台所で緑茶を探しながら、昨夜の話を聞いていた。

 予想通り、その訛りの強い話し方を注意されたらしいが、今好きな野球選手が東北出身なの、と納得いくようでいかないような言い訳で乗り切ったと言う。

 しかも、問題はそれだけではなかった。

「そんで、どうしても風呂さ入れって言うもんでよ。どうしたもんかなーと思ったんだけど、変に思われんのもまずいんでねかと思って……」

「入ったの!?」

 爽汰は勢い良く、見つけ出した茶筒を床に落とした。

「それがな。何にも覚えてないんだわ」

「ええ!? 覚えてないって、どういう意味よ」

 散らかったお茶っ葉をかき集め、そのまま急須に入れようとしていた手を止めて爽汰は聞き返した。

 さっきまで爽汰が寝ていたソファーの上に正座し、勝手に郵便受けを開けて持って来ていた新聞を広げ徳二郎は言う。

「なーんで、新聞が二冊もあんだ?」

 爽汰は、一瞬どきりとしたが、構わず続けた。

「そんな事いいでしょ、どうでも。話の続き! 覚えてないってどういう事?」

「まあ、そんなに興奮すんでねえ。あのな、ワシもしょうがねーと思ったんだわ。普段通りにせねばなんねと思ってな。そんで、風呂場さ行って、さあーて裸になんべと思った所から、記憶がなくなって、その次に気づいたときは、体も髪もピッカピカで、パジャマ姿でまた風呂場の前さ立ってたんだべ」

 湯気の立つ熱いお茶を差し出して、徳二郎の横に腰を降ろしながら、爽汰は眉を潜めた。

「じゃあ、じいちゃんが知らない間に、勝手にお風呂で体も髪の毛も洗って、拭いて、服まで着てたって事? んな、まさか。じいちゃん、気をきかせて嘘ついてるなら、そんな必要ないよ。俺はそんな、その、体とかに興味ない、から。うん」

 わざと嫌な顔した爽汰は、ついでに自分の分も入れたお茶にぎこちなく口をつけた。

「ワシも、そうなら嬉しいんだがの。本当なんだわ、残念ながら」

「本当に……本当なの? その間の記憶だけが、全くない?」

 ずずずと、いい音をたててすすったお茶を、木のローテーブルにゆっくり置き、徳二郎はこっくり頷いた。

「うんだ。そこだけ、ぜーんぜん。ワシは、そん時だけ、お嬢ちゃんが戻ってきたんじゃねーがと思うんだけど、どう思うね、爽汰」

 ガタっとテーブルの上に置いた湯のみから、数滴のお茶がこぼれた。

「戻って来た? じゃあ、お風呂に入ったのは石崎さんって事? いや。でも、もしそうだったとしても、おかしいよ。石崎さんが自分の体に戻れたなら、わざわざまたじいちゃんに体を貸すとは思えない。そのままでいいじゃない」

 ふむ、と相づちを打ってから、徳二郎はこう返した。

「お嬢ちゃんもおなごだべ? もしも、どうしても見られたくねえっていう、強い想いでよ、その間だけワシの意識を抑えられたって事はねえか? どうだ?」

「強い想いが……抑えた……?」

 爽汰は、祖父の言った内容を自分の頭の中で噛み砕いてみる。

 祖父の意識は理沙子の体にあっても、理沙子の意識が祖父の体に移った訳ではなさそうだ。昨晩の母の電話で、まだ祖父の意識はないと言っていたから間違いないだろう。

 ならば、理沙子の意識は今どこか。

 祖父の言うように、抜け出た意識が自分の好きな所にいけるのなら、理沙子はきっと心配で自分の体を見ているのではないだろうか?

 もしそうなら、女の子の理沙子が、いくら年寄りだとしても、知らない相手に裸を見られそうになったら、思う以上の力が出てもおかしくはないのでは……。

「ああ……じいちゃん、そうかも知れないよ。きっと石崎さんは、どうしても耐えられないっていう強い気持ちで、自分を守ったんだ。じいちゃんの言うとおり、その間だけは、石崎さんの意識が戻ったのかもしれないし、もしかしたら、その間のじいちゃんの記憶を、石崎さんが消したってことも考えられるけど、どちらにしても、それは石崎さんの意思なんじゃないかな」

 そう思うと、見える訳もないのに、今目の前にいる理沙子の姿をする祖父の頭上に目が行ってしまう。

 もちろんそこには、何も浮いてなど居ないのだが、爽汰は語りかけずには居られなかった。

「ねえ、石崎さん。いるのかな? もし、そこで見ているなら、安心して。絶対に元に戻れるようにするから。俺、絶対石崎さん、戻してみせるから」

 それはまるで、すぐ側にいる人に話しかけるような、大人しい声だった。爽汰には、大声なら聞こえるという訳ではないと、なんとなく思えていたのだ。

 逆に捉えれば、そういった限られた状況でだけだが、体に戻った理沙子とコンタクトを取れる可能性があると言う事。きっと、元にもどる為のきっかけもそこで得られるだろう。

 爽汰は、自分を納得させるべく、小さく何度も頷いた。

 待ってて、石崎さん。

 そんな爽汰を、徳二郎は、十代の女の子では絶対見せないはずの、孫を思いやり、誇らしく思う顔で見つめていた。

 逆境こそ、男の真の力が発揮される時。

 徳二郎は孫の成長を何よりも嬉しく思っていたのだ。

 視線に気づいた爽汰が言った。

「ところで、じいちゃん。よく来れたよね、ここまで。石崎さん家からだと、二回も乗り換えあって結構複雑なのに」

「あ」

「あ?」

 徳二郎は一つ忘れていた事があった。

「いやっともはー。うーっかり忘れてたわ」

「忘れてたって、何を?」

「ワシ、あっちの家出てすぐんとこから、タクシーさ乗って来たんだった」

 爽汰は驚いた。

「タ、タクシー!?」

 電車で不便と言うだけでなく、直線距離でも相当な距離がある。それをタクシーで来たのなら、料金もそこそこかかるはずだが。

「結構かかったでしょう、ここまで」

「んだあ。手持ちがなくってよお、外で待たせてあんだ。爽汰、代金さ払ってくんねが」

「おおおい、嘘だろ!?」

 ソファーのすぐ横にある窓から、家の前の通りを覗いてみると、運転席で待ちくたびれて居眠りしてしまったらしい運転手が乗るタクシーが一台、停まっているのが見えた。

「じいちゃん!」

 爽汰は怒鳴って振り向くと、徳二郎はペロっと舌を出し、肩をすくめて謝った。

「すまねえ」

 怒鳴りたい爽汰だったが、見れば理沙子のその仕草は、中身が爺だとわかっていても、腰が砕ける可愛さであった。

「……はああ、もう!」

 爽汰の負けだった。

 母が、両親の居ない数日の間に万が一の事があった時の為に、と仕舞っておいてくれていたお金を、嫌々取り出し、外で寝ていた運転手に渡し、なんとか事なきを得た。

「すまないねえ、爽汰。今度返すっからよ」

 爽汰は、母になんと言い訳をしようかとため息を吐きながら、祖父を睨んだ。

「本当だよ? このままじゃ、また引っ越し屋のバイトしなくちゃならなくなるよ……って、その顔しないで、じいちゃん! 怒れなくなる」

 徳二郎は、また肩をすくめて、小首をかしげていた。

 爽汰は顔を背けて、少し悔しそうに言った。

「それ禁止だからね。じいちゃんなら、絶対そんな事しないじゃないか、まったくもう」

 がっはっはと笑い、徳二郎はソファーの上にあぐらをかいた。爽汰は横目でその姿を見ながら口を尖らせて言う。

「今日の、その、その服はどうしたの。朝着替える時は、じいちゃんのままでしょ」

 今日の理沙子は、白いキャミソールの上に薄いグリーンのサマーニットをざっくりとかぶり、昨日と同じデニムのミニスカートの下には、膝下丈のスパッツを履いていた。

 それを聞いた徳二郎は、にやっと笑い、吹き出しそうになりながら言ってのける。

「なんだべ、気になるのけ? どうやって着替えたかが、か? んん?」

「ち、ちが、ちがうよ! じ、じいちゃんにしては、センスが良いって、その、褒めてあげようと思ったんじゃないか! ……ったく。何言い出すんだよ」

 明らかに動揺した様子を隠せない爽汰は、真っ赤になっていた。

 わっはっはと理沙子の声でもう一度大きく笑い、祖父の口調が響き渡る。

「安心しろ。昨日、風呂から上がったときに、もうこのシミーズとズロースは下に着てたんだ」

「シミーズ……、ズロース……?」

「んだ。だから、なんも見てもいねから、心配すんな。そんで、その上に適当に箪笥にあったもん着て来たんだ」

「そ、そう。べ、別にいいけどさ……」

 無駄に、書棚の本を出したり入れたりしている自分の挙動に、はっとして、その様子を悟られないように、爽汰は声を上げた。

「さあってと。じいちゃん、朝飯食べたら、出かけよう」

「ほお。どこさ行くんだ?」

 爽汰は、徳二郎に向き直り、真面目な表情で答えた。

「俺、じいちゃんが石崎さんの体から抜け出すには、きっと何かきっかけが必要だと思うんだ。それが何かは……わからないけどさ。とにかく、この家に居てもしょうがないだろ。だから、適当にブラブラして……」

「デートけ?」

 爽汰はまたもや、顔が真っ赤になった。

「デ、デートじゃ、ないでしょう? 俺はただ、じいちゃんを……!」

「冗談じゃよお」

 徳二郎は可笑しそうに目を細めた。

「爽汰の言う通り、ここに居てもなんも変わんねと、ワシも思う。さ、まずは飯だ。若者は、消費が激しんだかな。腹が減ってしょうがね」

 からかう祖父を、キっと睨んでいた爽汰だったが、徳二郎のその言い草に、思わず吹き出してしまった。

「……わーかったよ。待ってて、今なんか探すから」

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