G・ガール! 3
三
小さい頃はよく家族で帰省し、祖父には、とてもかわいがってもらったのを思い出す。
なかなか子宝に恵まれなかった爽汰の両親は、三十代半ばでやっと爽汰を授かり、大変な喜び方だったと言う。
それは、両親だけではなく、祖父母達も同様だった。
特に母方の祖父母にとっては、親元を離れ、東京に嫁いだ一人娘の産んだ初孫。待ち望んだ末の事だっただけに、その喜びは大きかった。
母の生まれ故郷は、東北の山の中。昔ながらの茅葺き屋根で、大きな平屋建ての一軒家。 家の周りは原っぱだらけで、軒先に広がる砂利の庭から、目の前に聳える山までの間に境目はない。見渡せる範囲は全て、私有地だからだ。だからと言って、大地主なわけではない。このへんの家は山一個持っているくらいは、普通なのだ。
自然が豊富と言うよりは、自然以外の物はこの家だけのような場所。そしてここには、小さい子どもなら誰でも喜ぶものが揃っている。
ゲーム機もなく、インターネットはおろか携帯の電波すら入らないが、子どもの遊び道具は、自然がたくさん提供してくれる。元気と好奇心さえあれば、飽きる事はない。
そんなときに、自然との触れ合い方を教えてくれたのも、男の子は勉強なんかしないで、外で怪我して遊んでればいいと言ってくれたのも、祖父だった。
そんな祖父が大好きで、幼い頃の爽汰は、この田舎での生活をとても楽しんだし、また来られる事を心待ちにしていたものだった。
しかし、変わっていったのは爽汰の歳が十を超えた辺りからだった。
友達との時間を優先するようになり、親と出かける事も徐々に減ってきた。洒落っ気が出て来て、髪型やファッションにも気を使うようになった頃。
普段、あまり朝は話さない父が、朝食の席で爽汰に話しかけて来た。
「爽汰。母さん言ってたけど、今年の夏休み、田舎行かないって本当か?」
寝癖を直すのに洗面所に十五分も籠っていたせいで、急いでパンにかぶりついていた爽汰は、突然の父の質問にまず目だけ動かして反応した。
「なんでだ。友達とどこか行く約束でもしたのか? それなら、少し位は日程ずらしてもいいんだし」
母も心配そうな顔で台所から父子の様子を見ている。爽汰は牛乳で口の中の物を流し込んでから答えた。
「父さんと母さんで行って来ていいよ。俺、留守番してるから」
「一人で何日も置いていけるわけないだろう」
「じゃあ、東京のおばあちゃんのとこ行ってる」
東京で生まれ育った父の実家は、今住んでいる神奈川の自宅から、電車で二十分ほどの近さにある。
父は一度うーんと、唸ってから言った。
「毎年家族で行ってたろう。お爺ちゃんもお婆ちゃんも、楽しみに待ってるんだ。顔見せに、行ってあげたらどうだ」
父は持っていた新聞を、横の席の上に置き、爽汰に向き直って言っていた。しかし、当の爽汰は既に気持ちが決まっているらしく、あっさり言い返した。
「毎年行ってるからこそ、今年くらい行かなくてもいいでしょ? 夏休みは来年も再来年もあるんだから」
父は面食らっていた。
最近仕事で忙しくしていたせいで、息子とゆっくり話す時間がなかった。最近どうだ、と時間を作って話をしようと思っていたが、今度、また今度と先伸ばしていた。しかし、その時間は確実に息子を大人にしていた。子どもだ子どもだと思っていたわが子が、親を黙らせる程筋の通った言い訳が出来るまでに。
テレビを見ている息子の横顔に、複雑な気持ちで父は言った。
「じゃあ、来年は……一緒に田舎行くんだぞ」
爽汰は横を向いたまま、黙って頷いた。
しかしその年以降、爽汰は親と田舎へ帰る事は一度もなかった。その都度、両親はあの手この手で息子を連れて行こうとしたが、結局大した理由すら聞けずに諦めざるを得なかった。 実際、大した理由などなかった。爽汰にしてみれば、ただ両親の目のないところで、思い切りゲームをしたい、友達と遊びたいから、という思春期特有の親離れだったのだ。
普段はテレビゲームを一時間もやっていれば、母親の茶々が入る。夜が遅くなれば、連絡をしろだの、変な遊びをしているのではないかだのと、逐一電話が入る。
せっかくの夏休み、束縛から逃れてみたいという気持ちが強くなったのだ。
だが、さすがにそれを言えば無理にでも連れて行かれるだろうと思い、理由はあえて言わずに気が乗らない振りをしていた。
そのうちに、爽汰の夏の恒例だった、母の田舎への帰省は、どんどん遠のいてしまっていったのだ。
そんな爽汰に、祖父がたまの電話で言うのはいつも決まっていた。
「今度の夏休みはこっちさ来んだべ?」
爽汰はそれを聞かれる度に、胸がちくりと痛む。
会いたがってくれているのを、知っているから。
「うん。たぶんね」
その祖父が、倒れたというのに、デートの約束を優先している自分を爽汰はむず痒く思っていた。
しかし、祖父が昔言ってくれた言葉を思い出して、きっと祖父でもこうしろというだろう、と思うのだった。
まだ小学二年生の爽汰を相手に、河原で釣りをしながら祖父は真面目な顔で語った。
「いいが、爽汰。男はな、女にした約束だけは、絶対に守んねばなんねーんだ。わかるか?」
爽汰は、川面の浮きの動きを追いながら、適当に受け答えていた。
「わかんない。なんで?」
祖父は、いたって真剣に続けた。
「女にがっかりされるような男には、なってはならねーって事だ。わかったか?」
もちろんその時の爽汰に、その言葉の意味などわかるはずなかった。
それっきり、その時の事などすっかり忘れていたのだが、なぜか、祖父が倒れたと聞いた次の瞬間にその言葉を思い出したのだ。そして、それはきっと、祖父から爽汰へのメッセージなのだと思い、見舞いに行かないと決めたのだった。
ごめん、じいちゃん。
爽汰はもう一度、心の中で祖父にそう言った。
「よっしゃ」
爽汰はやっと、重い腰を上げた。
「お? 行く気になっったか?」
必死で気持ちを奮起させる姿を、悟はずっと見ていた。正直、あまりにも真剣に悩んでいるので、かわいいやらおかしいやらで笑いを堪えていたところだ。
しかし、そこから、何を着ていくかでまた頭を抱えて悩み始めたところで、悟はとうとう声を出して笑いだした。