G・ガール! 28
十四
「はああ、はあ、はあああ」
爽汰は、玄関のドアノブに手をかけ、息も絶え絶えに鍵を開けた。
その瞬間に家の電話が鳴り出したので、留守番電話に繋がる前に、と倒れこむようにして受話器を取り上げた。
「もしもし!」
思わず大声で答えてしまった。
『もしもし? 爽汰? どこ行ってたの! 携帯に何回電話しても留守電だし、家に電話しても出ないし!』
母だった。まさに、家に帰ったらすぐにでも電話をかけたい相手だった。
「そんな事いいから、じいちゃんは? じいちゃん、どうなった?」
『それがね……』
爽汰は、家に一人きりでいることが出来ず、また外に出てきてしまった。
もう人出のある時間でもないので、どんなにぶらぶらと進んだり、止まったり、座り込んだりしたところで、誰にも不審がられない。それがとても快適だった。
今日は蒸し暑いいつもの夜よりも、風が涼しく感じる。湿度が低いのか、べたつくような気持ち悪さもない。
急に空気が変わったような気がして、前を見る。
気が付けば、またあの川辺に来てしまっていた。
「また来ちゃったな……」
自嘲するようにこぼす。
川は、徳二郎がここにまだいたときと全く同じ流れを繰り返している。
まるで爽汰も、徳二郎も、理沙子も、この世界のどの人間でさえもが、いようが、いまいが、そんなことはなんの関係もないと言いながら流れているように見えた。
「どっかで……」
同じことを感じたことがあった気がする。
これと同じような気持ちに。
ザザザ、と少し大きな音がしたときに、思い出した。
徳二郎に連れて行ってもらった、あのヒミツの遊び場だ。
草や山に守られて、あそこも人との関係をもたないで、存在しているようだった。
ただ水が流れるから川があり、川が流れているから魚が棲む。水があるから、草木が育ち、水が削って崖が出来る。
人間にすればすごいことのように見えるが、
「たったそれだけのこと」
そう言いたそうにしている。
川に、徳二郎は似ている。爽汰はそう思った。
自然であることは、かっこ悪いことではない。色々着飾ることが多すぎて、丸裸でいることに不慣れになっているだけだ。
でも、徳二郎は堂々と自然体だ。隠すことがないから、飾ることもない。
「すごいのかもな。じいちゃんって、実は」
爽汰には、まだ真似できなさそうだ。
なんとなく、爽汰は適当にその辺の石を手に持った。丸くて、軽石のような感触。
『そんなんじゃ跳ばねえぞ』
徳二郎のそんな声が聞こえてきそうだ。
「そう、こんなんじゃダメなんだよな」
一人で話すことが、なぜか心地よい。
「平たくって、つるっとしてて……」
『重すぎても、軽すぎてもダメなんだで』
「ちょうどいい重さの……あ、これいいかも」
『んだな、それがいい』
拾い上げた石を、両手の手のひらでゴシゴシ擦る。川のすぐ傍まで歩み寄り、爽汰は口から、すーっと息を吐く。
「とりゃ」
右手から投げ出された石は、水面にほぼ平行に飛んでいく。
ピチャン、ピチャン、ピチャン、ピシャ、ポチャン
「おお、すごい」
小さくガッツポーズを作る。
徳二郎にはまだ及ばないが、少しだけ近づけた。
「来年までに練習して、見せに行かないとな、じいちゃんに」
キャンキャン。
「ん?」
爽汰の言葉に返事でもするようなタイミングで、犬の泣き声がすぐ近くで聞こえた。
左右に目を凝らしてみる。すると、橋の下のとても暗い場所に、小さな茶色いものが動いたような気がした。
爽汰は気になって、その近くまで行ってみる。
「子犬……?」
そこには、柴犬のような小さな犬が、腰を下ろしてしっぽを振っていた。よく見ると、とても痩せていて、動くことも難しいのか、その場で鳴くことが精一杯のようだった。
「お前、一人なのか?」
キャン。
「痩せてんな……。腹減ってんのか?」
キャン。
爽汰は、弱弱しいその子犬を見て、なぜかとてもいとおしく感じた。
爽汰は、ふわりと笑って言う。
「お前、言葉わかるみたいだな」
キャンキャン。
「ははは、すげーな」
嬉しそうに爽汰を見上げる子犬をそっと抱き上げて腕の中にはぐくむ。
「家、来るか?」
キャン。
「俺と一緒に暮らしたいか?」
キャンキャン。
「わかった、決定」
子犬との出会いは、その夜だった。
数週間後
「爽汰! 今日はどこか行くんじゃなかったの?」
幸恵の声が、台所から二階にいる爽汰にまで聞こえる程に響いた。
自室に居た爽汰は、また何を着ていくかで頭を抱えていた。
今日は、日曜日。
理沙子が、またデイゲームを見に行こうと誘ってくれたのだ。
「どーしよー」
悩む爽汰に追い討ちをかけるように、母の声が続く。
「爽汰、聞いてんの? 出かけるんだったら、小二郎の散歩行ってからにしてよ?」
そうだった、と思い出し、尚更あわてる。
「わかった、今行く!」
あの日拾った子犬は、めでたく爽汰の家の家族になった。
動物病院に連れて行ったところ、だいぶ弱っていて、まだ命があったのが不思議なくらいだと言われたが、その後めきめきと回復し、今では立派な健康優良児だ。
名前は小二郎。祖父の亡くなった日に拾ったので、徳二郎から二文字もらった。小さな徳二郎という意味だ。
とりあえず、今着ている服のまま、先に散歩に行くことにした爽汰は、バタバタと音をさせ、階段を降りてゆく。
「ほら、もうリードつけてあるから。はい! 行ってらっしゃい!」
散歩に連れて行ってもらえると分かっている小二郎は、大はしゃぎだ。
キャンキャン、キャン!
「わかったよ、行くからそんなにジャンプすんなって。んじゃ、ちょっと行ってくる」
「行ってらっしゃい、気をつけてね!」
どっちが散歩させられているのか、わからない主従関係を思わせるスピードで、慌しく出ていく。
少し呆れ顔でその姿を見送った幸恵に、奥から拓治の声がした。
「なんだ、爽汰、散歩か?」
玄関からリビングに戻りながら、幸恵は笑う。
「ええ。大騒ぎで」
拓治は、ソファーの上に座りながら、コーヒーを口に運び、ゴクンと喉を鳴らした。
「しかし、爽汰が犬を拾ってくるなんて、びっくりだったな」
拓治の横に腰掛け、幸恵が自分のコーヒーを持って座る。
「本当に。昔、うちの実家でザリガニを拾ってきたことがあったけど、東京に持って帰るんだって大騒ぎしたくせに、すぐに死なせてしまって。それ以来ペットなんて要らないって言っていたのにねえ。なんて言ったかしら、あのザリガニの名前……」
幸恵は、うーんと天井を見上げて思い出そうとする。
「大将」
拓治がぼそっと言う。
「そう、大将、そうだわ、大将って名前だった。父さんと一緒に捕りに行ったんだっけ」
祖父の話がでて、夫婦は、しばらくそれぞれに思いをはせた。
「ねえ、あなた」
「ん?」
「父さんが最後に言った言葉、あれ、なんだったのかしら」
拓治も同じことを思っていた。
「さあ、何か伝えたかったのか、それとも夢でも見ていたのか……」
あの日、爽汰の前から徳二郎が消えた夜、祖父は永い眠りについた。
家で待機していた夫婦のもとに電話が掛かってきたときには、もういつ息を引き取ってもおかしくない状況だったが、二人はなんとか息のあるうちに会うことができた。
そして、祖父の、最後の力で口にした言葉を聞いた。
「爽汰になら、わかるかしらね」
「どうだろう?」
「帰ったら聞いてみようかしら」
徳二郎が最後に言った言葉。
それは他の誰にもわからないものだったのかもしれない。
『この子犬にすっぺ……』
終わり
いかがでしたでしょうか。
とあるラノベ小説賞で二次まで進んだ作品です。
なんとか小説と呼べるものとして、プロの方に認めていただいた初めての作品になります。
ご感想など、お気軽にお待ちしております。