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G・ガール!  作者: りき
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G・ガール! 25

十一

爽汰は神社からずっと走っていた。

 立ち止まったら、胸が苦しくて泣いてしまいそうだったから、とにかく走った。

 どこに行けばいいのかなんて、考えもしないまま気がつくと、昨日徳二郎と来た河川敷に来ていた。

「はあ、はあ、はあ……」

 喉が熱い。乾き切った息が器官を痛めつけめるようだ。

 人気のない、暗やみばかりが広がる砂利の上に、爽汰はへたり込んだ。

「……うう」

 爽汰は、呼吸を整える前に嗚咽がこみ上げて来た。

 体はこんなにも水分を欲しているのに、これだけの涙はどこにストックされていたのかと思う程、ぽろぽろと大粒の雫が、どこにもぶつからずに地面に吸い込まれていく。

 爽汰には、わかっていたのかも知れない。

 あんな事を言ったくらいで、徳二郎が爽汰を見放す事などあり得ないと。

 ずっと側にいる両親とは違う形の愛情で、いつも恋しがっていてくれた祖父が、爽汰の側を離れたがる理由などないのだと。

「う……う、うああわああ」

 この涙には、それともう一つの気持ちが混じっていた。

 ずっと負い目を感じていたのだ。

 この数年、爽汰の帰省を待ちわびているのを知っていながら、たわいもない自分の気まぐれでその気持ちを裏切ってきた。ほんの数日、ゲームを我慢するだけで、喜ばせて上げられると知っていて、それすら面倒がっていた。

 あんなに可愛がってくれていた、大好きな祖父なのに。

 自分は祖父の期待をずっと裏切っている、と心の奥底で申し訳なさを感じていたのだ。どれだけ残念がっているかを知りながら、それを見て見ない振りをしていた事に、ずっと心苦しさを感じていた。

 わかっていながら、挙げ句の果てには、理沙子を元通りにしたいから、結局は自分の責務を果たしたいから、また、自分のわがままの為に、祖父を傷つけてしまった。

「……俺……いやだ」

 人を好きになってみて、初めてわかった。

 何かしてあげたいと思う気持ちともう一つ。

 ただ、側にいる事がとても嬉しいと言うこと。

「ごめん……じいちゃん」

 弱々しい声は、川の流れのさわさわとした音に、消されて流れ行く。


 いつまで泣いていたのだろう。

 膝を抱え、顔を埋めていた爽汰の耳に、なにか遠くの空から伝わってくる音が聞こえた。

 初めは気にならない間隔で聞こえていたその音が、どんどん大きく、そして早くなる。

 あるものを思い浮かべた爽汰は、顔を空に向けてみる。ほどなく次ぎの音がしたとき、その音源が夜空に現れる。

「……花火」

 とても遠くて、見物するような距離ではないが、どこかこの川の上流で花火大会が行われているらしかった。ぼんやりと、そちらの空を見上げていた。

 やっと涙が引いていき、少しずつ落ち着きを取り戻していく。色々と考えるべき事がある。

 結局、徳二郎を相手に、芝居を打ってやろうとしたのは大間違いで大失敗だった。最後に徳二郎の言った言葉は、明らかな東北弁だったからだ。

 その時の様子をもう一度思い返していた爽汰は、また一つ映像を浮かべてみる。

 瞬間に、とても小さい頃に味わった楽しい思い出が、色を持たずに頭をよぎった。

 あのとき足に当たった物を見て、自分は何か懐かしい様な気持ちになった。あの気持ちは一体なんだったのか、と。

 りんご飴。お祭り。じいちゃん。神社。

 爽汰は連想ゲームのように、その気落ちの元をたぐり寄せようとした。

 二、三の間違った思い出を切り捨てた後、爽汰は思い出す。

「……父さんと行った……お祭り」

 言い終わる前に、また涙が頬をつたうのを嫌々感じていた。

 写真のスライドショーのように、一ページずつの景色が後から後から頭の中に映写されていく。

 それはとても昔のようにも感じるし、そうでもないようにも感じる。夢のような記憶の断片。

 父と祖父に両手を握られ、くぐった鳥居。

 りんご飴が好きだと、大声で言う祖父の背中。困り果てる若い父の顔。

 また来ような、と境内を後にする時に笑いかけてくれた祖父の笑顔。

「わああああ……」

 もう堪えきれなかった。

 大好きなはずのりんご飴を、たった一つ買って来た。

 誰の為のものかなんて、考える必要は無い。爽汰の為に買って来た。

 それを見せたときの孫の喜ぶ顔を見たくて。

 子どもの様な素直な気持ちだけで。

「……じいちゃん」

 溢れ出る気持ちを、うまく体外に放出できない。溜まっていくばかりで大声で叫びたくなった。

 頭を抱えてその欲望を堪えていた時だった。

「呼んだか?」

 爽汰の脚と脚の間から、白いスニーカーがこちらを向いて立っているのが見えた。ゆっくり顔を上げていく。

「男は一人でも、泣いたらだめだ」

 理沙子の姿、徳二郎がそこに立っていた。

「……どうして……ここが」

 徳二郎はすぐに返事をせずに、爽汰から少し離れた所に座った。

「さあなあ。何となく、ワシもここに来たくなってな。そしたら、お前が居た」

 徳二郎は軽口でも叩く様な口調でそう言った。まるで何事もなかったように気を使っているように見える。

 まだ引きつる呼吸を整えられない爽汰は、ばつの悪い気分が邪魔して、素直になれないでいる。

 二人は黙ったまま、花火の乾いた音を聞いて、そこで座っていた。

 話す事ならいくらでもあるはずの二人なのに、どうやって伝えたらいいのかがわからない。

 思えば、丸二日間一緒にいたのに、話した事と言えば、その場の出来事やたわいない事ばかりだったような気がする。

 久しぶりに会った事を喜びあう事すら、することもせずに。

 川上の花火大会が、山場を迎えたのか、その音が絶え間なく鳴り響き出した頃、徳二郎はすっと立ち上がる。

 その姿を目で追っていた爽汰のすぐ前まで近寄り、屈んで腕を掴み爽汰を立たせた。

「爽汰」

 何をするつもりなのかと呆然としている爽汰にくるりと背を向け、徳二郎は川岸へと進んで行く。

「勝負をしねか? 爽汰」

 一瞬、誰に言っているのかと思わせるタイミングだった。

「……勝負?」

 徳二郎は膝を折り、そこに転がっている石を手に持った。

「勝負って、また水切り?」

 この場所で、石を使った勝負、昨日のあれしかないと思った。

 徳二郎には伝わる。

「んだ。ほれ、用意しろ」

 どうしたものかと戸惑いはしたが、ゆらりと体を前に進め、爽汰も石を手に川辺に立った。

 バババババ、と弾ける様な耳に残る音のする方を見てやり、徳二郎はその花火に向かって言った。

「あっちでやってる花火の、最後の一発が落ちて消えるまでに、何段飛びまで出せるか、だ。いいか?」

「……ああ、うん」

 すぐさま投げた徳二郎の一頭目は四回跳ねた。暗くて小さな石の行きつく先までは見届けられないので、音で判断するしかない。

 爽汰の一投目を待たずに、徳二郎は二投目を投げ入れる。

「ちょっと、俺まだ……」

 自分で言い出して、その気になっている自分に恥ずかしさを感じる。さっきまでわんわん泣いていたのに、もう忘れて遊んでいるなんて、滑稽だからだ。

「ぼやっとしてっからだっぺ。ほれ、投げてみろ」

 このまま黙っていても、どうなる訳でもない。

 そんな気持ちで、爽汰も石を投げ入れる。

 ピシャン、ポチャ。二回。

 徳二郎が投げる。今度は五回。

 隣に立つ理沙子の横顔をちらっと見て、爽汰はまた石を投げる。

 今度は三回。

 次の徳二郎はまた五回。

 二人は黙々と投げ続けた。その川の中に住む生物がいたとしたら、大迷惑だったろう。それくらい、次から次へと石の跳ねる数を競った。

 徳二郎は、何度投げても四回は下らず、最高は六回。対する爽汰は、最高が三回と、振るわない。

「……またかよ」

 三回目で水に飲まれた石を見て爽汰は毒づく。

 仕方なく始めたその対決に、爽汰はどんどん熱中しはじめ、血の気のなかったさっきまでの顔から、次第に普段通りの顔に戻っていった。

 徳二郎は、それまでと変わらぬ様子のまま、川に向かって語り出す。

「久しぶりに、たくさん遊んだなあ、爽汰」

「え?」

 理沙子の手から投げ出された石は、蛙のように水面を跳ね飛んで行く。

 その軽快さに暫し見とれてしまってから、思い出したように爽汰が一投し、すぐ手前で跳ねずに落ちた。爽汰は、その場で徳二郎に向き直る。

 それに気づいていないように、徳二郎はまたシュッっという音をさせて、石を投げる。

「ほれ、爽汰の番だで」

 いいから聞いていろ、と言われているように感じたので、爽汰は渋々とつま先を川へとむける。

「爽汰とまたこうやって、川で遊んだり、祭りに行ったり出来るなんて、思ってなかったからよ。本当に楽しかったなや」

 爽汰は何もせず、祖父の話を立ったまま聞いていた。徳二郎は、うっすら笑みを浮かべながら続ける。

「毎年、夏なると、爽汰の事を思い出すんだあ。まだ小さかった頃の、あんのかわいい顔。真っ黒に日焼けして、じいちゃん、じいちゃんって転がるみてえに走って来てなあ。どこさ連れて行っても、大喜びでな……」

 爽汰は、うなだれてそれを聞いていた。

 楽しかった頃の、一番鮮やかな祖父との思い出。少しずつ、忘れかけていた思い出。

「……じいちゃん、俺……」

「ほんっとうに、楽しかった」

 徳二郎は、爽汰の言葉をあえて遮った。まるで今言っておかないといけない事でもあるかのように、強く、意思を持った言葉で。

「死ぬかもしんねえと思ったら、どうしても爽汰の顔さ見たくて、こっだらとこまで来てしまったけんども、その甲斐があったなや」

「ねえ……」

「しかし、このお嬢ちゃんには、とんだ迷惑さかけてしまったなあ。ほんっとに申し訳ねーと思ってる、本当だ。もっと簡単に出て行けるもんだと思ってたんだ。許してくんれ」

 徳二郎は、やっと投げ続ける手を止める。だが、隣にいる爽汰へは顔を向けなかった。

 佳境に入ってきた花火大会の、弾けるような音たちが、爽汰と徳二郎にも届いていた。

 爽汰はつい何か言いそうになるが、止める。今はしてはいけない、と意識下で感じていたのかもしれない。

「爽汰」

「……ん」

「爽汰は、ワシが覚えていたままの爽汰だった。もしかしたら、変わってしまっているんでねえがと、ちょっと心配した事もあったけども、そんなことなかった。ワシと一緒に田舎で遊んでいた頃の爽汰のまんまだった」

 そんな事ない。爽汰は咄嗟に思った。

 自分は、小さい頃の素直な自分ではない。

 ポチャ、ポチャ、ポチャ、ポチャン。

 徳二郎の投げる石の音がする。

「ねえ、じいちゃん……」

「早く、次投げろ」

 なぜ、これでお別れのような、もう会えないような、最後のメッセージのような、そんな事を、言う。

 爽汰は息を詰まらせる。

 もしかして、自分の体に戻れる方法がわかった……? だからこんな事を言い出しているんじゃ。

 まさか。どうやって。

 でも、だとしたら、爽汰にだって、言いたい事はある。爽汰は混乱していく思いを巡らせる。

 徳二郎は、爽汰が次の石を投げる素振りがないのを見てとり、それから、と言って続けた。

「もしも、ワシが爽汰だったら、やっぱり爺の見舞いより、お嬢ちゃんとの約束を守らねばと、思ったで」

「……じいちゃん?」

「だから、気にするんでねえど?」

 そのとき、一際大きな花火が打ち上げられた事をその音の大きさで知る。あまりの破裂音に、ついその空へ目を奪われる。

 それは、花火大会の最後を飾る、大花火の音だった。

 今まではうっすらとしか見えていなかった夏の風物詩も、その大きさと迫力で、遠く離れる川辺で見上げる瞳にも美しさを見せつけた。

 僅かな時間、爽汰もその彩りに見とれていたが、すぐさまその目を徳二郎へと移した。

 そこには、さきほどまでと変わらず、石を投げようとする理沙子の横顔があった。

 だが、爽汰はその横顔を見て、たまらず声を出す。

「……泣いて……る?」

 静かに、鼻をすする音がする。どうしていいかわからず爽汰はそのまま、その姿を見続ける。

 そんな爽汰の耳に、徳二郎の投げる石の音が、また一つ聞こえて来た。

 ぽちゃ、と一度きり。

「……え!?」

 その異変に爽汰は気がついた。

「……ねえ」

 確かに理沙子の声で、むせび泣く声が聞こえた。爽汰の足は自然に動き出す。

「ねえ、もしかして……」

 爽汰は、竦める肩を小さく揺さぶる。

「石崎さんなんでしょ?」

 顔をまっすぐに向けたまま、流れる涙は流れ落ちているだけで、それを気にするでもない。

「だって、じいちゃんが投げた石は、一度だって一回で沈んだりしない……」

「……ああ、わああああ」

 大きな口で、子どものように泣きすさぶ様を、爽汰はじっと見守っていた。

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