G・ガール! 20
六
時間にすれば、三十分くらい経ったのだろうか。
突然のように雨が弱くなり、木の間から差し込む太陽が見えたときには、爽汰もほっとした。
暗い時にはわからなかったが、辺りが明るくなると、林の向こうに見える景色が抜けている方向がわかった。
一刻も早くという思いで、爽汰は理沙子を抱えて林を抜けた。
ゲレンデに出ると、びっくりするくらい近くに、スキー場の経営する休憩所が見えた。
これなら雨が止むのを待つこともなかった、と悔やむ気持ちと、これでもう安心だ、という気持ちで足を進めた。
休憩所までの距離、理沙子を抱えて歩くのは、爽汰にとって容易ではなかったはずだが、爽汰は自身も傷を負っているのに、辛いと思いもしなかった。
それほど、必死だったのだ。
息を上げてロッジ風の建物の目前まで来た所で、中から越智と丸刈りが飛び出して来た。
「おい、大丈夫か!?」
越智が入り口から叫ぶ。
爽汰はその声に返事をする事もできずに、一歩一歩足を進め続けた。
丸刈りは、タタタと走って来て爽汰の側で立ち止まる。
「代わるよ」
そう言って、理沙子の体を静かに爽汰の腕から取り上げた。
「すいません……」
丸刈りは何も言わないが、爽汰は心配してくれていたのだろうと、そう言ったのだった。
休憩所の人に、タオルを借り、爽汰は自分の体を拭いていた。
「いっつ……」
つい傷口を自分でこすりつけてしまった。
「痛そうだな……」
越智はその傷を見て、顔をしかめてた。
肌の出ている部分は、殆どがすり切れている。
「まあ、見た目は派手ですけど、そんなに痛くは……」
自分の事よりも、心配なのは理沙子の方だった。
爽汰は、従業員のおばさんが暇だから手伝うと申し出てくれたので、理沙子の体を出来る限り綺麗に拭いてもらえる様に頼んだ。
濡れているばかりではなく、たくさん泥や木の葉が付いていて、消毒も必要だったからだ。
おばさんが、屈みこんでタオルやガーゼをとっかえ引返していた手を止めて、片づけをはじめた。
「これで、だいぶ綺麗になったと思うけど。ごめんなさいね、洋服の代えを貸してあげたいけど、何もなくって……」
「いえ、とんでもないです。どうもありがとうございました。本当に助かりました」
どう致しまして、と言って汚れたタオルや薬箱を持って、おばさんは奥へと引っ込んでいった。
「いや、でもびっくりしちゃったよー、ほんと。俺なんてさ、カメラを通して見てたから、臨場感あって、こっちまで手に汗かいたよ。助けたくても、手も足もでないしさー」
爽汰は、なんとなく居心地の悪さを感じていた。
「すいません、ご心配かけて……」
「いやあ、いいんだけどね。いい画が撮れたしさ! 逆に感謝って感じ?」
爽汰はその言葉に反応した。
「ちょっと待ってください。まさか、さっきの映像、仕事に使うつもりですか?」
越智は、平然とした顔で答えた。
「え? なんで? だって、別に恥ずかしい映像じゃないっしょ?」
爽汰は、カチンときた。
しかし、心配させ、待っていてくれたのに、ここで怒るのは、悪いのではないかとぎりぎりで我慢し、黙って聞いていた。
「それにね、君は知らないかもしれないけど、こういう場合の映像も、著作権は俺に発生するんだよ。だから、俺が、あの映像をどう使おうと、君たちが文句言えないの。わかる? 例え、このままこの娘が死んじゃったとしても、ね」
「何だと?」
爽汰は我慢できなかった。
「ちょっと! 人が困ってる所を親切顔して近づいて来て、詐欺まがいの方法で無理矢理俺たちを働かせたあげく、死んでも映像は仕事で使うだと? お前は何様だ!」
爽汰の大声は、休憩所にいた数人のお客さんと、従業員の視線を一手に引き受けた。
突然の爽汰の怒声に、面食らった顔の越智は、周りに聞こえるようにと、わざと大きめの声で、なだめ始める。
「ちょっと、ちょっと。冗談じゃん。ただの例えだよ、例え。確かに、落っこちた時はびっくりしたけどさ、大した怪我もなかったんだから、良かったじゃーん。ね? そうでしょ? 怒るなよー」
しかし、爽汰の怒りは収まらなかった。朝からの無理強いにずっと耐えて来て、怪我までした上に、理沙子を軽んじるような言い草に、我慢の糸が切れ飛んだのだ。
「大した怪我もなくて良かった? 当たり前だ! 石崎さんに大した怪我なんてさせようものなら、こんな所に連れて来たお前に俺が大した怪我させてやってるところだ!」
「おいおい、それはちょっと言い過ぎじゃないのか?」
大人しく聞いていた越智もさすがに頭に来たのか、座っていた椅子を蹴り捨てて爽汰に向かって来た。
その時、理沙子の寝かされていた長椅子から、小さな声がした。
「……ん」
越智の蹴飛ばした椅子が床に倒れ、その大きな音と振動で、理沙子の目がゆっくりと開いていったが、今の爽汰にはその事に気づく余裕は無かった。
「黙って聞いてりゃ、調子にのっちゃってさー。金借りといて、態度でかいってのは、どういう事だ? ああ?」
越智が爽汰に責めよって来た。
爽汰も怒りを顔にあらわにして、にらみ合いに応じていたが、その時だった。
ずっと黙って聞いていた丸刈りが、出口に一番近い席からすっと立ち上がった。
スルスルと歩いて来て、手に取ったのは、ずっと越智が撮影をしてきたハンディカメラだった。
その動きに気づいた越智は、咄嗟に丸刈りを呼び止める。
「おい、何してんだ。それに触るなっていつも言ってるんだろう!」
爽汰との言い合いで熱くなっている口調のまま、丸刈りに怒鳴りつけている。
しかし、丸刈りはまるで何も聞こえていないような様子で、素早くカメラのカバーを開け、中に入っているDVDを取り出した。
「おい! それは……」
越智が言い終わる前に、丸刈りは越智の見る前で真っ二つに折り曲げて床に殴り捨てた。
越智は、急いで床に落ちたディスクを拾って元に戻そうとしているが、くっきりと折り目がついている。もう復元は無理だろう。
ゆっくりと立ち上がってどすをきかせた声をだす。
「お前、なにしてくれてんだよ、あ?」
越智は今度は丸刈りにも迫っていった。
しかし、すぐに越智はその場でにやりと笑ってみせる。
「でも、詰めが甘いんだよねー。こういうカメラにはね、ハードディスクっていうのがあるの。まだカメラの中にも、映像の記録は残ってるんだよ。バカだねー! 前から使えねー奴だと思ってたけどな、お前はよ」
丸刈りは顔色一つ変えずに、越智の罵倒を聞いている。
爽汰もさすがに丸刈りの行動に驚いて口を開けてみていたら、越智は怒りの矛先をまた爽汰に向けてきた。
「今、ざまみろとか思ってたでしょ。ねえ、思ってたんでしょ? ああ? ふざけんなって言うの! 大人をナメてんなよ?」
爽汰の肩を掴み、今にも拳をぶつけてきそうになったとき、後ろで響いた破壊音が越智の動きを止めた。
ガッシャーン!
爽汰も越智の肩越しに音のした方を覗く。
休憩所のドアが開けられていて、その外、地面の上に何か黒いものが落ちていた。
「ぎゃあああ! 俺のカメラ!」
越智は叫びながら飛び出していく。
「これいくらすると思ってるんだよおー!」
そこには、越智のハンディカメラが、大雨で出来た大きな水たまりの上で、半壊になっていた。
その姿を目で追いかけていた爽汰は、やっと状況を飲み込む。
ドアの前には丸刈りが立っていて、何もしらない顔をして爽汰に声をかける。
「帰りましょう。送ります」
相変わらず感情のない声だったが、ほんの少しだけ、爽汰に笑いかけてくれたような気がした。
「彼女も起きたみたいだし」
「え?」
爽汰が急いで振り返った先には、少し戸惑った様子ではあるが、はっきり目を開けた理沙子が上半身を起こしてこっちを見ていた。
「石崎さん!」
爽汰は理沙子の元に駆け寄った。
「よかった、目が覚めたんだね。歩ける?」
そう聞くと、コクンと頷いて、肩を差し出した爽汰に背負われるようにして立ち上がり、ロッジを出て行った。
無惨に破片と化したその黒いものを拾い集めている越智は、そこでうずくまっていた。
少し可愛そうな気もしたが、それ以上にいい気味だとも思えた。
爽汰は、黙ってその後ろを歩いて通り過ぎ、振り向きもしなかった。
車の置いてある所まで行くと、理沙子を乗せるのを丸刈りが手伝ってくれた。
理沙子は疲れている様子だったので、暫くはそっとしておこうと後ろの座席に寝かせた。
そして、越智を待つことなく、車は朝来た道を、家に向かって向かい出した。
空は、もたつく空気を洗い流したように、すっきりと晴れていた。