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G・ガール!  作者: りき
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G・ガール! 2

「とうとう今日だな。緊張してるか?」

 一人での留守番を始めて二日、爽汰のクラスメイトである悟が家に遊びに来ていた。

 悟とは、小中と同じ学校に通った地元の友達で、家も近い。高校に入って初めての夏休みも、暇だと言ってはよく爽汰の家にやって来ていた。

 冷房を強めに効かせた爽汰の部屋で、悟は背をベッドにもたれ、床に座りパソコンのゲーム画面を見ながら言った。

「何時からだっけ?」

 カチカチとマウスを動かす音が六畳の部屋に響く。

 気がつけば、さっきから暫く何も声を発していない爽汰に、悟はしびれを切らしゲームを一時停止して、ベッドの上に座っている爽汰を振り返る。

「爽汰? おい、爽汰。おまえ、大丈夫か?」

 窓から見える、まるで平面であるかのように真っ青な空に顔を向けたまま、爽汰は固まっている。

 悟が何度か呼びかけてやっと、抜けていた魂が帰って来たような顔をして爽汰は振り向いた。そして、おもむろに叫ぶ。

「今何時!?」

 呆れた顔で一度ため息を投げかけてから、悟は腕時計を見た。

「二時半過ぎだけど」

 爽汰はそれを聞き、ああと呻いて頭を抱えた。見ていた悟も堪らずに肩を叩いてなだめる。

「まあ、緊張するわな。一ヶ月も前から準備してた初めてのデートで、相手は理沙子ちゃん。おまえが俺でもきっとそうなると思う」

 そう言って、悟は目をつむり、うんうんと頷きながら同情してみせた。


 石崎理沙子。爽汰と悟と同じクラスの女子の名だ。

 黒くまっすぐな艶のある髪を肩まで伸ばし、斜めに分けた前髪から覗く、大きくビー玉のような瞳。鼻と口元は、派手すぎない品のいい作りで、顎から耳の下へと彫刻のように美しいカーブで輪郭を結んでいる。

 一見、美人特有の冷たい印象を受けるが、その丸い目を三日月のようにして笑うと、彼女の優しく明るい人柄をすぐに証明してくれる。

 そんな理沙子に二人が会ったのは、数ヶ月前の入学式の日だ。

 式を終え、初めて入った教室は、五十音順で席が決められていた。黒板に張られた席順を確認し、青山爽汰の席につこうとした時、一つ後ろの席に座っていた石崎理沙子と目が合った。

「席、ここ?」

 理沙子は、近づいて来た爽汰に、自分の前の席を指で指しながら、控えめな笑顔を作って聞いた。

 その瞬間、爽汰は理沙子の存在自体に五感全てが集中してしまうほど、彼女の魅力に惹き付けられていた。

 ぎくしゃくと頭をやっと上下させ、肯定の意味を伝えてからやっと、自分がずっと息を止めていた事に気づいた。それ程、爽汰は舞い上がっていた。

 そんな爽汰の不審な動きを怪訝に思う事もなく、理沙子は先ほどよりも目を細くしてもう一度笑った。

「私、石崎です。よろしくね」

 爽汰はその後、その日一日をどうやって終えたかわからないくらい、後ろに座る理沙子を意識してしまい、頭が真っ白だった。

 矢野という名字のお陰で教室の反対側にいた悟は、爽汰のその様子を見ていなかったが、学校帰りに「一体この気持ちはなんだ」と相談され、爽汰が理沙子に「一目惚れ」をしたのだということを知った。

 理沙子は知る由もないが、それは爽汰にとっての「初恋」でもあった。

 それからというもの、爽汰はろくに後ろを振り向く事すらできなかった。声をかけるどころか、真っすぐ顔を見ることも、緊張が邪魔して出来ないのだ。

 それでも、爽汰は席順のお陰で、毎日のように理沙子の近くに居ることが出来、声を聞くことが出来る。傍から見れば、もどかしいと言われるかも知れないが、爽汰自身は、こんな恋が自分には似合っていると、満足に近い気持ちでいた。

 話すことはできなくても、友達と話す会話から漏れる理沙子の情報は、ますます爽汰の想いを募らせた。

 理沙子には中学生の妹が一人いて、最近色気づいて来て困っている。

 読書が趣味だそうだ。最近映画化された、悲しい恋愛小説を読んで、泣いてしまったということも聞いた。

 そして、その会話の最後には爽汰を有頂天にさせるオマケまで付いてきていた。

「あーあ。私もあんな素敵な彼が欲しい。私のことを守ってくれるやさしい人」

 ばかね、と冷やかされる声に、理沙子は笑っていた。

 しかしその会話に背中を向けて聞いていた爽汰は、嬉しさのあまり泣きそうになっていた。 自分には無理だが、そんな奴、このままずっと現れないでくれと願ってみたりもした。

 しかし、ある噂を悟から聞き、そうも言ってられない気持ちになってしまう。

 明るく可愛い理沙子の評判が、クラス内はともかく、他のクラスや高学年達にまで広がっているというのだ。

 そういえば、ここ何日か、教室のドアの外から、こちらの方を覗き込んではコソコソしている男子の姿を見た。それも一人二人ではない。

 このままでは、いつ目の前で誰かが彼女の気持ちをかっさらいに来るかもわからない。

 爽汰は腹をくくる決意をした。

 ただの憧れでもいい、片思いで終わったっていい。でも、友達にすらなれないで、こんなに近くでいつも思っていた自分の目の前で、どっかの誰かに心奪われていく様を見せられるのだけは嫌だ。そんな終わりは、あまりに情けないと思ったのだった。

 決意をしてからすぐのある日、悟が爽汰の席に走って来て、今がチャンスだと、こそっと言いに来た。

 わざと一度席を離れ、何がチャンスなのかと遠くから見てみると、珍しく理沙子が、休み時間に一人で、席に座って何かを読んでいたのだ。普段は友達に囲まれ、なかなか話しかけるチャンスがなかった爽汰にとっては、願ってもない状況だ。

 すごすごとまた席に戻り、一度大きく深呼吸をした。そして、安いおもちゃのロボットのようなぎこちない動きではあったが、なんとか後ろを振り返り、爽汰は理沙子に声をかけた。

「な……、何読んでるの? 石崎さん」

 机に置いた雑誌に夢中になっていた理沙子は、突然前の席の男子に話しかけられて驚きはしたが、顔を上げ、これ? と言ってから、恥ずかしそうにその表紙を爽汰に見せてくれた。

「青山君も、好きなの?」

 爽汰は驚いた。

 まずは、爽汰の名前を覚えていてくれただけでなく、親しみを込めて「青山君」と呼んでくれた事だ。存在を認めてくれていたのだと思うと、嬉しくて涙が出そうだった。

 それともう一つ。

 それはプロ野球の情報雑誌だったのだ。別に野球が好きな女の人が珍しいという訳ではないが、理沙子のイメージからは連想しにくい。

 しかし当の本人は、好きな野球の話を聞かれたのが嬉しかったらしく、爽汰に色んな話をしてくれた。

 理沙子の祖父はプロ野球好きで、小さい頃からよく試合を見に、球場に連れて行ってくれていた。そのせいで、気がついた時には理沙子も野球が好きになっていたと言う。

 だが、五年前にその祖父を亡くしてから、球場に行く事がなくなってしまったという話をしてくれたときに、ほんの一瞬、笑顔から寂しい瞳を見せた事を爽汰は見逃さなかった。

「両親も妹も、野球には全く興味ないし、女の子の友達にはなかなか付き合ってもらいづらくて。最近はほとんどテレビ中継だけなの。だから、たまには雑誌も買って情報収集してるんだ」

 爽汰は、野球が特別好きな訳でも、詳しい訳でもなかった。

 しかし、その日以降、毎日スポーツニュースを欠かさずチェックし、朝一番で昨日の試合結果を理沙子とあーだこーだと話す事が出来るようになるまでになった。

 爽汰にしては、それだけでも十分だと思うくらいの進歩だった。目も見られなかった以前に比べて、今では顔を合わせれば笑いかけてもらえる程にまでなれたのだ。

 しかし、爽汰はどうしても一つの願望を考えずにはいられなかった。

 連れて行って上げたい、球場に。

 理沙子のおじいちゃんの代わりに、自分が連れて行ってあげたいと思っていたのだ。しかし、それをそのまま口に出来る程、爽汰は度胸も経験もなかった。それはまさに、デートに誘うのと同じことだからだ。

 もしも、下心があると思われて、せっかくのこの関係まで壊してしまうのではないか。それとも、俺となんか行きたくなくても、優しいあまりに嫌々承諾させてしまう事になりはしないか。あるいは……。

 爽汰の頭には、一つとして良い事は思い浮かばなかった。

 それでも、どうしても理沙子を喜ばせてあげたいと、必死に頭を働かせ、なにかいい方法はないかと考えていた。


 そんなある日、二階の自分の部屋から飲み物を取りに階段を降りようとしていた爽汰に聞こえて来た、新聞屋の勧誘と母のやり取りが、爽汰に一つのアイディアを与えた。

「もううちは何年も毎朝新聞さんにお願いしてるから。今更変えるつもりもないんですよ。ごめんなさいね」

 母がなんとか帰ってもらおうと断るが、その営業マンも必死にあの手この手で気を引こうとする。

「でもね、奥さん。何ヶ月かだけでもいいんですよ。今なら、三ヶ月のご契約頂いたら、洗剤セットか東京ドームのジャイアンツ戦の指定席チケット、差し上げますから」

「本当にうちは結構ですから……」

 これだ、と思った。

 わざわざ買って来たチケットを持って誘えば、断りづらいだろう。でも、たまたまもらったチケットなら、どうせ元はタダだと、気軽に受け取ってもらえる。

 それには、買った物を偽ってもだめだ。すぐバレる。招待券と書いてなければ。あの新聞社からもらったものでなければ。

 そう思った爽汰は、三ヶ月分の新聞代を稼ぐべく、生まれて初めてのアルバイトを早速始めた。週末を使って、日雇いの引っ越し屋での肉体労働。一人では、少々心細かったので、気乗りしない悟をなんとか拝み倒して誘っての、二日間。

 初めての「仕事」は、汗だくになり体中が筋肉痛になるほど疲れたものの、渡された封筒の中に、必要な一万円をとうとう手に入れることが出来た。

 お年玉や、小遣いでその程度の金額を見たことがないわけではないが、その一万円は今の爽汰にとっては、光る金貨のようなものに見える程、価値のあるものに見えた。

 大切にその封筒を抱え、疲れているはずの足は小躍りするように、近所にある新聞社の営業所へ向かった。

 子どもが自ら契約をしに来るなんて、驚くほど稀なケースなので、営業所にいた事務員のおじさんも唖然とした様子だったが、話しをするうちにその真意を察知した。

 手元にある中で、一番良い席のチケット二枚を爽汰に渡して最後に笑って聞いた。

「野球が好きなんだね。楽しんでおいで」

 爽汰は、ニッと笑って答えた。

「大好きです」

 定価ならもっと安く買えるはずのチケットをやっと手に入れ、爽汰は思った。

 自分と行くのが嫌そうな空気を感じたら、すぐさまこのチケットだけでもあげてしまえばいいのだ。タダだと言えば、快くもらってくれるだろう。それでもいい、満足だ。

 少しでも気負いをなくそうと、そう思うようにして、次の月曜、早速切り出した。夏休みに入る直前の事だった。

 それに対する理沙子の返事は予想外だった。

「本当に? いいの? 私、一緒に行ってもいいの?」

 見るからに高揚した理沙子の顔は、これまで見た笑顔の中でも、とびきりだった。気が遠くなりそうな緊張から解放された爽汰の気持ちが、尚更そう見せたのかもしれない。


 そして、今日この日がその約束の日なのだ。

 夏休みに入ってから二週間以上、理沙子には会っていない。それが必要以上に緊張を煽る。

 悟は、今日の日にこぎつけるまで、どれだけ爽汰が努力し、気を使い、何より楽しみにしていたか全部見て来たので、爽汰の取り乱しようがおかしくもあり、応援せずには居られなかった。

「楽しんでこいよ。夏休みのいい思い出としてさ」

 すると、思いあまったような顔で爽汰は悟にすがりついた。

「なあ。今日おまえ行ってくんない?」

「ばーか! 何言ってんだよ。理沙子ちゃんだって、おまえと一緒に行くつもりで、今日くるんだぞ? おまえが逃げてどうするよ」

 弱々しい顔を上げて、爽汰は一度深呼吸をした。

「そうだよな。俺が行っていいんだよな。俺で、いいんだよな」

 爽汰は、自分を奮い立たせようと必死だった。

 しっかりしなきゃ、じいちゃんに怒られるよな。

 そう。爽汰が祖父の命の危機にも関わらず、見舞いに行こうとしなかったのは、この日をキャンセルする訳には行かなかったからだ。

 それを思うと、爽汰も胸が痛まなかった訳ではない。


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