G・ガール! 18
四
カメラを持った越智と機材を抱える丸刈りは、回って来たリフトに乗りこんだところだった。
「それ! 次のそれに乗って、乗って!」
越智達の次のリフトに急かされて、爽汰と、徳二郎はなんとか収まった。自動的に上から降りてくる安全バーを掴む。地面から足が離れ、宙に浮くのを感じた。
山頂へと上る時もそうだったが、このリフトの全長はとても長く、しかも景色を見せる為に、ゆっくりと動いているせいで、乗っている時間がとても長い。
このリフトの上で撮影をすると言い出した越智も、この長さと時間があればこそだったのだう。
リフトが少し進んだところで、早速越智の指示が飛んで来た。
「おっけ。じゃあ、こっからカップルの設定だから、もうちょっと二人、くっついて座って」
「カ、カップル!?」
爽汰はその言葉に過剰に反応した。
「ただの設定の話だっぺ? このスケベが、はっはっは」
大声でなければ越智達には聞こえない事を良い事に、言いたい放題だ。
「わ、わかってるよ……」
足場がないリフトの上では、座っている位置を少し移動させるのも、そこそこ大儀だ。
じりじりと腰を滑らせ、なんとかカップルのように見えるくらいにまで近寄る事ができた。
中身は爺だとわかってはいるものの、僅かに触れ合う腕と腕の感触は、理沙子のものである。
爽汰はこの時点で、心臓の動く音が自分にも聞こえるほど、どきどきしていた。
球場で、一昨日隣同士に座っていたし、偶然ではあるが、手が触れる事くらいはあったが、そのときはなんて事なかったのに、たったの一言、「カップル」というお題目が付いただけでこの気持ちの変わりようは、爽汰自身もびっくりだった。
本当の理沙子には感づかれたくないので、このドキドキが外見にでてないといいな、と爽汰は思っていた。
「じゃ、カメラ回すんで、顔見合わせて、仲良くおしゃべりしてる感じ、まずくださいーい!」
越智の使う、どことなく業界人っぽい言葉を聞くと、不思議とこちらもそれらしい気分になってくる。
「どれ、楽しそうにしてみっぺ」
この訛りのお陰で、今目の前にいる可愛い女の子は、理沙子ではなく徳二郎だと思いださされる。それは、いまだに心臓が落ち着かない爽汰にとっては有り難いことではあった。
「そうだよ、これバイトだもんね。えっと、笑ってないと仲良く見えないよね」
ぎこちない笑顔で、理沙子の顔を見つめたまでは良いが、何を話したらいいかが全く思いつかない。
「じいちゃん、何か話してよ。俺、何にも思いつかない」
徳二郎も、さすがに笑い疲れてきたのか、引きつった笑い顔を作るのに必死のようだ。
「なんだべ、おめが何か面白い事さ、言ってくれねば、じいちゃんはもう笑えねーよ」
「そんな、面白い事なんて普通、言おうと思って言えるもんじゃないでしょうが」
「そっだらおまえは、ずっとしかめっ面してたらいいべさ」
「なんでそんな意地悪言うんだよ……」
「ちょっと!」
撮影されている事をすっかり忘れて言い合いをしていた二人を、ずっと見せられていた越智は、怒鳴りつけた。
「喧嘩すんのは後にしろー、ばかー!」
「……喧嘩すんのは後にしろー……」
「だから素人は嫌なんだよー!」
「……だから素人は……」
越智の怒っている声が、山にこだまして数秒後に返ってくる。
それを聞いていた爽汰と徳二郎は、つい顔を合わせて笑ってしまった。
「ぶはは」
「わっはっは」
怒るのに一生懸命になっている越智を、丸刈りが腕でつんつんと気がつかせ、とてもいい笑顔で笑う若いカップルを撮影する事が出来た。
そんな事をしていたらようやく、長いリフトも半分まで降りてきていた。
どうにか自然体で撮影される事にも慣れてきたその時、徳二郎がクンクンと鼻を利かせる仕草をした。
「どうしたの、じいちゃん」
「すごいのが来そうだなや」
何の事だ? と思っていると、爽汰の鼻にも覚えのある匂いが届き始めていた。
「あ。これ、雨の匂い」
見れば、さっきまで明るかった空が、まだ日が傾く時間でもないのに、暗くなり始めて来ている。
徳二郎は、カメラを向けている越智達に、その雲を知らせようと指で空を指してみせた。
それに気づいた二人は、空を見上げ、怪しい雲行きに眉をひそめる。
この長いリフトの移動時間と、あの雲の動きの早さから考えると、もう一度リフトに乗り直す時間はなさそうだ。それは、越智達にも、その後ろに乗る爽汰達にも想像できる事であった。
「おおーい、じゃ、次に最後のカット撮っちゃうから、よろしく頼むよー?」
最後と言われて、気が楽になった爽汰は元気に答える。
「わかりましたー!」
次は何を要求されるのか、と指示を待っている爽汰と徳二郎は、越智の言葉を聞いて目をむいた。
「それじゃ、ゆっくり見つめあってからー」
越智が大声で叫んだ。
「その後、キスで終わりねー」
「キス!?」
「ちっす!?」
爽汰は、お腹の前にある安全バーに両手をかけて思わず乗り出した。
「無理だって!」
「爽汰! 危ねえってよ」
「……そんなの無理に決まってんじゃん。ねえ、じいちゃん?」
ひきつった顔をカクカクと徳二郎に向けた爽汰は、一気に顔が真っ青になっていた。
「ワシも、かわいい孫とはいえ、男とちっすはなあ……」
「……」
徳二郎の言う事には、いささか問題があるようにも感じるが、同意してもらえたのは、よかった。
「出来ないって言ってよ、じいちゃん……」
「こういうのは、男が言うもんでねえが?」
「じいちゃんだって男だろう」
「今は、うら若き乙女だっぺよ」
「都合の良い時だけ乙女になるなんてずる……」
「ちょっと!」
怒鳴る声が前方からまた聞こえた。もちろん越智の声だった。
「雨がもうそこまで来てんだから、さっさと終わらせないと、帰れなくなるよ? それが嫌なら、巻きでよろしくたのむよ!」
爽他は何とか聞こえる様に声を出してみる。
「あのお! ……キス……キスってのは、ちょっと……そんな事するなんて聞いてませんよ?」
「言ってないから、聞いてないだろうよ! いいから早くしてくれ!」
越智はかなり苛立っているようだ。
「……でも……」
はっきりしない言葉に発狂しそうな越智の横でじっと構えていた丸刈りは、何も言わずに迫ってくる真っ黒の雨雲を見ている。
「そんな事言われても、できないよ……」
爽汰は焦燥感で一杯になって、落ち着かなくなっていた。
徳二郎は、そんな悩める孫息子を横で見ていて、自分の胸まで痛くなってきてしまった。
「わかった。これもそもそもワシが原因だ。ワシが責任取るから、かるーく、ほんのかるーくちっすして、終わらせっぺよ」
「責任って、じいちゃんがどうやって責任取れるんだよ」
こんな会話をしている間も、越智の怒号は絶え間なく飛んで来ている。
「元に戻ったら、ちゃんと謝りにいくべさ」
「謝りって……適当な事言うなよ」
そこで何か大きな音がして、前後のリフトに乗る四人は一斉にびくっとした。
「なんだ……?」
そう言うが早いか、今度はまたさらに大きな音が一帯に鳴り響く。
「雷……か?」
それは、とんでもなく大きな木版を、真っ二つに折る時のような、バキバキという大きな音だった。
それが何の音かがわかった瞬間に、遠くで光る稲妻が見えた。
知らないうちに近づいていた雨雲は、すぐ向かいにある山の上で、その脅威を見せつけている。
「おい!」
越智は叫んでいた。
「リフトから降りる前に雨が来ちまう。そしたら、もうカメラも回せないんだ! 頼むから早くしろ!」
急かす大声、もう視界に入って来ているリフトの昇降所、黒い雲に飲み込まれる寸前の空。
普段の爽汰なら、入ってくる全ての情報を足し算しても、理沙子にキスをする為の理由には不十分だと思ったはずだ。
しかし、爽汰にかかるプレシャーはその計算式を狂わせていた。
もう、終わらせないと!
爽汰の焦りは、冷静な考えを遠のけた。
「ごめん、石崎さん!」
爽汰は、徳二郎の肩を右手で力強く掴み、無理矢理自分の方に向き直らせた。
「ん……!?」
徳二郎の、いや理沙子の口目がけて、目をつぶったままの爽汰の顔が素早く近づいた。
「いやあ! 止めて!」
「……え!?」
驚いた徳二郎は、力一杯に体をねじらせて、鼻の先にあった爽汰の顔を避けてしまった。
「わああ!」
爽汰の体は、体重をかけた先のものが無くなってしまい、前のめりに倒れかかった。
そして、リフトの上で急に体重が移動したせいで、バランスが一気に崩れる。
爽汰は、椅子部分と安全バーの間に足の方から滑り出してしまった。
「爽汰!」
腰から下がリフトから落ちた状態で、爽汰は間一髪、手すりに右手を絡ませた。
「おい、大丈夫か!」
前方で見ていた越智と丸刈りも、口を真円に開けてその様子を見ている。
しかし、その問いかけに返事をする余裕はなかった。
ステンレスの手すりを握った右手だけで、体重を支えているのには、無理がある。
「爽汰! 待ってろ」
リフトは片方に大きく傾いた状態で、ただでさえ危険な状態だ。
それでも徳二郎は急いで爽汰の腕を掴もうと、安全バーの下に体を潜り込ませた。
「……捕まれ!」
両手で握ってくれている徳二郎の腕を爽汰の左手は、なんとか掴めた。
「……よし、離すんでねえぞ」
徳二郎も、相当無理な体勢だ。男一人を支え続ける事も容易ではない。
気持ちは体自慢の徳二郎でも、腕力そのものは理沙子のものだ。そうそう耐えられるはずもない。
それでも、絶対に離さないと、徳二郎は思った。
「だめだ……右手……が、もう……すべる」
「頑張れ! 離すな!」
このままもしも、手を離したら、もちろん数メートル下に真っ逆さまだ。
「絶対に……離すんでねえ」
「じいちゃん……だめだ」
爽汰の手のひらは、途絶えてくる力と汗の滑りで、既に指の第二間接で支えているだけだった。
「やば……い。もう……無理」
「爽汰!」
その次の瞬間、爽汰の右手は、手すりからとうとう離れた。
「わああ」
爽汰と、その体に引きずられるようにした徳二郎は、真下に落っこちて行った。
越智と丸刈りの叫び声が、その後を追ったが、無情にもリフトはその距離を離して行くだけだった。