G・ガール! 17
三
「とにかく、上行こう、上」
ろくな説明も受けないまま、爽汰と徳二郎はリフトに乗せられて、山の頂上近くの小さな山小屋へ来ていた。
ここは、スキー場の職員が点検の際などに使うところらしく、飾り気のない木の机と椅子が一つずつあるだけで、他はリフトの操作板と、何かの計器がおいてあるだけだった。
しかし、冬の寒さを凌ぐためなのだろうか、窓も小さく、中は薄暗く、空気も湿っぽい。とても健全とは言えない場所のような気がする。
まさかここで撮影を?
さすがにここで聞かねばいつ聞くのだ、と爽汰は越智に詰め寄った。
「あのお!」
手に持った台本のようなものから顔を上げて、越智は爽汰を見た。
「ん? なに?」
爽汰は、左手で越智の背中を小屋のドアの前まで押して、右手でドアノブを掴み、二人を残して外へ出た。
「なに、どうしたの」
越智は、聞いた。
「まだ、聞いてないです。これから、どんな撮影するのか。そろそろ教えてもらわないと」
「ああ、そうだった? そうか、俺、自分で問題解決したから、安心しちゃって、説明すんの忘れてたっけ。ゴメンゴメン」
あっけらかん、と言いのける越智を、爽汰はじっと見返して返事を待つ。
内容によっては、爽汰も覚悟がある。
ごくり、と喉が鳴った時、越智は言った。
「カラオケのイメージビデオなんだけど」
「カラ……オケ?」
「そそ。ほらー、カラオケ行くと、テレビに歌詞が映るでしょ? そのバックでさ、なんかダサいイメージビデオ流れてるじゃーん。アレアレ」
爽汰は体中から力が抜けて行く気がした。
「……そ、そうなんですか」
「俺、映像監督なんだよね。こんな仕事はあんまりやりたくないんだけど、ま、仕事は仕事だからね」
そんな仕事に付き合わされるこっちの身になってから物を言えと思うが、そこはなんとか抑えた。
とは言うものの、言い方はともかく、想像していたようないかがわしいものではなかったようで、爽汰は心底ほっとした。
カラオケのイメージビデオと言えば、なにやら無駄に走ってみたり、踊ってみたり、どんな曲にでもなんとなく合うような、抽象的な雰囲気だ。
カラオケを歌っている人は、歌詞ばかり見ているものだから、誰が出ていようが気にする人も少ないだろう。
一つ安心したところで、もうひとつ。
「それと、あの、俺も出るんですか? その、イメージビデオに……」
どこをバックに撮影しようかと周囲を見回していた越智は、きょろきょろしながら答えた。
「そうだよー。何? 嫌なの? 君が言ったんだよ? 一緒に行きます、なんでもやりますって」
「まあ、そうですけど……」
考えてみれば、いつか元に戻った理沙子に、この一件を謝る時が来たとしても、ここで自分だけ保身に走ったと思われるのも嫌だと思った。
「やってくれるでしょ?」
一瞬躊躇したが、爽汰は、はい、と言って答えた。
こうなったら、とっとと済ませて、早く家に戻りたい。こんな山奥で、ビデオの撮影なんかしている場合じゃないんだ。
この思いだけで、爽汰はやる気を奮い立たせたのだった。
爽汰の心配事など、まったく知る由もない徳二郎は、ただで気持ちのいい場所に連れて来てもらったと、ご機嫌だった。
小屋を出て、まずは爽やかに晴れわたる空の元、理沙子一人で撮影に入った。
「理沙子ちゃん、じゃ、今度ははにかむように笑ってみて。そう! いいな、かわいい! そうそう、それで今度はにっこり。わあ、天使みたいよ」
カメラを抱えた越智は、どこからそんなに褒め言葉が産まれてくるのかという勢いで、理沙子の容姿を褒め続けている。
理沙子の周りを近づいたり離れたり、左右に回ったりもすれば、後ろから追いかけたりと、躍動的な映像を撮っているようだ。
褒められていい気になっているばかりか、まさに悪のりしている徳二郎は、言われるがまま、大げさな笑顔をレンズに向かって大盤振る舞いしている。
「こうか? もっと、こうか?」
昭和のアイドルみたいに、後ろに手を組み首を曲げて肩越しに振り返ったりしている。
「いいねー! 理沙子ちゃん、本当に素人? うまいなー!」
今日は、白いキャミソールの上に青と白のボーダーのワンピースを着て、足下には、白のスパッツ。山の上でマリンルックとは、少々違和感があるが、それもあの笑顔で帳消しだ。
こんなに可愛い理沙子の中身が、実は白髪のじいさんだなんて、知らない方が幸せだ。
爽汰だって、これが本当に理沙子であるなら、一緒になって褒め言葉の合いの手でも入れていただろう。
しかし、見ているうちに、若さ溢れる理沙子の顔が、どんどん白髪爺の顔に移り変わって見えてくるのを止められないのだ。
溜まらず自分の手で、理沙子を見ていた目を覆う。
見ている事もままならなくなった爽汰は、少し離れたところに腰を降ろし、向かいに見える大きな山の斜面をぼんやり見ていた。
繁々と見渡す限りびっしりの木々の緑で埋まったその景色は、ほんの少しの間、爽汰に安らぎを与えてくれていた。
暫くした頃、遠くの空に黒い雲が迫っているのを見つけた。
「あら……、雨になるかもな」
夏の天気によくある、夕立の類いかもしれないな、と爽汰は思っていた。
そこに、丸刈りが歩いて呼びに来た。
「そろそろ、出番だそうです。リフト乗り場に居ます」
その声で現実に戻された爽汰は、自分こそが爺のように、よいしょと腰を上げた。
丸刈りの後を歩いて行くと、上って来た時と同じリフトの前に理沙子と越智が待っているのが見えた。
「はい、お待たせねー。じゃ、今度は二人でリフトに乗って降りて来て欲しいんだ。俺たちが君たちの乗る一個前のリフトから撮影するって感じでー」
ここのリフトは、一つのリフトに四人程乗れる、幅の広いタイプだ。
「声は聞こえると思うから、乗ってから指示するんで、よろしくね」
「はい」
爽汰と理沙子は、素直に返事をした。
ここまでは、爽汰からみても、理沙子自身にとっても、ただビデオを撮影されているだけで、特別嫌な事をされている訳ではない。この調子で終わってくれるなら、きっかけはなんであれ、きっとこの様子を見ている理沙子も、そんなに悪い気はしないのではないだろうか。
こっそりと見上げた理沙子の頭上に、爽汰は苦笑いを浮かべてみせた。
「あ」
丸刈りが何かを言ったと思ったら、空を見上げていた。
それにつられて他の三人も首を上げる。
それは、さっき爽汰も見ていた、黒い雨雲の姿だった。
「うわ。雨降る前に、さっさと撮影終わらせて、下行こう」
真上の真っ青な空とは対照的に、その黒い雲は、明るい光をすっかり遮断しながら、浸食を進めている。
徳二郎は、爽汰にしか聞こえない声で、ささやく。
「ありゃ、大雨さくるで」
「え?」
聞き返したときには、もう知らん振りで、徳二郎はスタスタと歩いて行ってしまった。
とにかく、こんな所に取り残されても良い事はない。早く終わらせてしまおうと、その事に意識を向けた。