G・ガール! 15
三日目 一
また昨日と同じように、爽汰はベッドではなくリビングにあるソファーでうたた寝をしてしまっていた。
そんな爽汰の睡眠に割り込んできた音は、どこかで聞いたような。
いや、音ではなく、この状況自体にデジャヴのような感覚を味わう。そして、それは何か嫌な予感すら運んできている。
起きたくないような、でも起きないと恐ろしいことになりそうな、非常に寝起きの悪い朝を迎えた爽汰は、嫌々体を起こした。
気配を感じて、祖父が来たのかと家の外を覗いて見た。
すると、昨日と同じところに、昨日と同じくタクシーが停まっているのが見えた。
「いや、まさか違うよな……」
言った瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
その瞬間、爽汰は体の血液が普段とは違うスピードで駆け巡っていくのを感じた。
こわばった顔のまま、鍵を開けドアを開けると、まんまとその人が立って笑っていた。
「おはよう、爽汰。わりーけんども、タクシー代、払ってくんねが。手持ちがなくって……」
「お金持ってないのに、なんでタクシーで来るの! 家にだってもう、お金ないってば! 電車で来てって言ったでしょう?」
「あああ、そうだったっけかな」
てへへ、と後頭部を手で掻いて笑っている徳二郎を、呆れるを通り越して、爽汰は感心してしまっていた。
「それで、お代の方はどうして頂けるんでしょうかねえ? お二人さん」
気づかないうちに、徳二郎のすぐ後ろに、制服をきたタクシーの運転手が冷ややかな表情で迫って来ていた。
「あ、あの……。えーっとですね、今、両親が居なくてですね……。僕も手持ちがないんです……よ」
出来るだけ愛想よく言おうと努力するが、しどろもどろでそれどころではない。
ぎろりと睨んでいる運転手は、爽汰の慌てっぷりなど気にせずに言う。
「いつ帰ってくんの、親御さんは?」
この二人に練り出すお金などないだろうと踏んだ運転手は、とにかく親に話をしようと思った。
徹夜勤務明けの運転手は、今日の最後の客のせいで、こんなところに足止めされるのを不愉快に思っていた。
とっとと詰め所に戻って、家に帰ってゆっくり寝たいのだ。
しかし、目の前にいる若い男女は、何か隠し事でもあるような様子で、お互いを見合っては、きまり悪そうにするばかり。
イライラした運転手は、まだ朝の早い時間の静かな住宅街に響くような声色で言った。
「悪いけど、こっちも商売だからね。代金もらわないとここ動けないんだよ。親御さんが戻ってこないなら、お隣さんでも、友達でもいいから、借りてでも払ってもらわないと!」
玄関先の会話は、朝の散歩をする人や、ジョギングする人達の注目を集めている。
爽汰はこれが近所の噂にでもなったら困ると思えばなおさら、どんどんパニックになっていく。
どうにか切り抜けようと考えを巡らすが、焦りが邪魔してうまくまとまらない。
自分の財布にあるのは、確か千円札一枚と、小銭が少し。貯金箱も持ってなければ、銀行に預けているものもない。
「あ……あの、今は千円しかないので……、残りは後で、必ず、絶対持って行きますから。それじゃ、だめですか」
「今払ってもらわないと困る。君ねえ、お金もないのにタクシー乗ったなら、知ってるかい? 無銭乗車って、立派な犯罪……」
「俺が立て替えますよ。いくら?」
突然話しに入ってきたのは、顔を見た事もない三十代くらいの男性だった。
「あんたは?」
運転手は、後ろに立つその男性を見た。
男性は、色黒でさらっとした茶色い髪の毛に、白いシャツ。胸元にシルバーのネックレスをしていて、最近よく言う「ヤンエグ」みたいな、おしゃれな感じの人だった。
爽汰も、徳二郎も、誰だ? という疑問符を頭の上に光らせたまま、その人を見ていた。
白い歯を見せながら、その男性は軽い感じで言った。
「俺? 俺は越智、越智良樹。って、名前じゃないって? ハハハ。俺、近所に住んでるんだけど、今仕事の帰りでね。ここを通ったら、何やら揉めてる声がしたんで、何事かと思ってさ」
なんというか、イケイケというのだろうか。
どこまで真面目に話しているのかわからないような、気楽な感じだ。
運転手は、越智と言うその男の身なりを見て、安心したのか、爽汰達にみせていた怒り顔を抑え、薄ら笑いを浮かべながら向き直った。
「まあ、こっちはどなたが払ってくれるんでも、構わないんでね。お宅さんが払ってくれるっていうなら、有り難いですわ。その代わり、うちは責任負いませんよ? 立て替えてもらったのは、こっちのぼっちゃん達って事でお願いしますよ」
「オッケー」
どこまでも明るく、能天気にさえ感じる程、あっさり承諾した。
大人達のやり取りに、目と口を開いたまま固まっていた、少年と、少女のふりした年寄りは、とにかく成り行きにまかせて黙っていた。
都内の移動とはいえ、万のお金がかかるというのに、越智という男は財布から出したゴールドカードで特に金額に驚きもせず、支払いを済ませた。
運転手は、どうも、と越智に挨拶をして、自分のタクシーに乗り込み、やっと帰っていった。
なんと切り出せばいいのだろうと、思っている二人の元へ越智は笑顔で寄って来た。
「あの……。どうも、本当にありがとうございました」
爽汰はぺこっと頭を下げる。
しかし越智は、自分の髪の毛を両手で前から後ろに撫で付けながら、話しかける爽汰に目もくれず、理沙子の顔から足までを何度も上下して見ていた。
「あのお、今はないですけど、必ず全額お返ししますので……あの、ご近所なら、お金直接持って行きます」
「いいよ。お金は気にしない、気にしない」
まだ理沙子に目を向けたまま、越智は答えた。
「いや、それは困ります。結構な額でしたし、俺、バイトして稼いだらすぐ……」
「ねえ、君いくつ?」
「十六です」
即答する爽汰は、その質問が自分に向けられていない事にここでやっと気がついた。
「いくつ?」
越智は理沙子にもう一度聞いている。
徳二郎は、越智の顔と爽汰の顔を交互に目を動かし、助けを求める。
爽汰が、思い切り背中を向けている越智に見えないように、口だけ大きく動かして教えた。
「じゅ、十六です」
「おお、女子高生か。いいねー、可愛い。名前は?」
これは知っていた徳二郎は、爽汰が後ろでパクパクしているのを、わかっているとばかりに睨ねつけてから、わざとらしくしおらしい声を出して答える。
「理、理沙子ですう」
尚も顔をしげしげと見続ける越智の視線を避けて、徳二郎は顔を下に向けるが越智は懲りずに目を向けたままだ。そして、越智はこう言った。
「理沙子ちゃんね、オッケ。じゃあ、バイトしてもらおうか」
爽汰と徳二郎は、同時に聞き返した。
「バイト!?」
越智はシャツの胸ポケットに入れていた、携帯電話を取り出してから、言った。
「そそ。さっきのタクシー代、バイトして返してくれればいいからさ。いやあ、遠くから見るよりも、全然かわいいねえ。これなら十分価値あるよ」
「どういう意味ですか?」
爽汰は、越智と理沙子の間に体をねじ込み、存在をアピールしてから言う。
やっと理沙子以外の人間がいたことを思い出したように、爽汰を見て笑って答える。
「返してもらえる見込みもないのに、他人にお金貸すバカなんて居ると思う? 思わないでしょ?」
一瞬にして爽汰の頭の中で警戒音が鳴り出した。
昨日の事もあり、爽汰はナーバスになっている。
「じゃ、じゃあ、初めから、バイトさせようとしてお金貸してくれたってことですか」
あまり爽汰の話には興味なさそうに、携帯を操作しつつ越智は答える。
「まあ、そうだね。なんか朝から揉めてる声が聞こえたから見にきてみたら、なんかかわいい子が困ってるじゃん? かわいい子がトラブルに巻き込まれてるー、助けなきゃーってさ。なんちゃって、ハハハ」
そう言って越智は、二人から数歩離れて、誰かに電話をし始めた。
どこまで本気なのか。掴めない。
信用してはいけない匂いがプンプンしていると感じてはいるが、決定的に下手に出なくてはならない理由が爽汰達にはある。お金を立て替えてもらったのは確かなのだ。
徳二郎は、何かしゃべって粗がでないようにずっと黙っている。
爽汰は侮られないように、男気を全面にだして聞いた。
「どんな、どんなバイトですか!?」
必死の爽汰を横目に、越智は大きなあくびをしていた。
「ふぁ、ふぁああ。簡単なバイトだよ。俺のとこで作ってるDVDにちょっと出演してもらうだけだから。一日で済むからさ」
爽汰はこんな怪しい話はない、と思っていた。
理沙子の体をジロジロ見て、かわいいだのなんだのと散々褒めたたえた上で、DVDに出て欲しいだなんて、絵に描いたようなうさん臭さがする。
恐る恐るだが、爽汰は正直に言った。
「あの、越智さん。なんだか、とても怪しい感じがするんですけど、なんかいかがわしいとかっていうなら……」
越智は大いに笑った。
「ハハハハ! なるほど。彼氏は、彼女を危ない目に遭わせたくないわけか。美しいね、結構な話だ」
笑われた事になんだか腹が立ち、むっとしながら爽汰は立っていた。
「そうは言っても、君たちは俺に借金があるんだよ、わかってる? そんな仕事選んでられる立場じゃないっしょ」
「それは……そうですけど、俺ならなんでもやります。だから、そういうのは困ります……」
ほほう、と越智は爽汰の勢いの良さに興味を示した。
「オッケ。そんなに言うなら、彼氏も一緒に来なよ。そんで、変なことしないか見張ってればいいっしょ? それでオッケ?」
爽汰は、徳二郎の顔を一瞬見る。理沙子の表情から読み取れるのは、上等だと言わんばかりの戦意むき出しの徳二郎の意思だ。
それにしても、祖父の性格からして、この状況でよく何も言わずに黙っているものだ、と爽汰は感心していた。ここで、訛った言葉でとんちんかんな事を言われても、爽汰に庇いきれるかどうか自信がなかったので、丁度よかったと言えば、そうなのだが。
爽汰は、何かあればとにかく逃げ出そうと心構えし、越智に返事をした。
「……わかりました。一緒に行きます。それで、どこに行くんです? 今日一日で終わるんですね?」
越智は、にっこり笑った。
「終わる終わる。っていうか終わってくれないと俺が無理。死ぬ、眠くて。あ、来た来た」
爽汰に話していた越智の視線が、瞬間遠くに向いたと思ったら、一台の黒いワンボックスカーが向かって来ているところだった。
「これ、俺んとこの、スタッフ。今日の撮影はね、山。山の上行くから、早いとこ用意よろしくー」
追い立てられるように、携帯や残り僅かしかない財布を取りに一旦家の中に戻った。
越智は、早速車に乗り込み、ちょっと寝ると言って車のドアを閉めた。
爽汰の後をついて、二階の部屋まできていた徳二郎が、後ろを振り返り、誰にも聞かれていない事を確認してから言った。
「なあ、爽汰。DVDって、なんだっぺ?」
爽汰は、漫画のようにずっこけてみせた。
「なんだよ、それがわかんないから黙ってただけかよ」
そう言われても、愛想笑いしかできない徳二郎はその先を聞いていた。
「ビデオの事だよ。ビデオはわかるでしょ? それのちょっと進化したやつで、何かを撮影するんだって。でね、それに、石崎さんに出演してもらいたいんだってさ。石崎さんがかわいいから、あの越智って人、俺たちのタクシー代金肩代わりしてくれたんだって言ってるんだ」
あーあ、と納得した様子で徳二郎は頷いて、何かに引っかかったように爽汰に聞いた。
「……出演って、おい、爽汰。ワシは演技なんてできねーよ?」
それを聞いた爽汰は、さすがに怒って言った。
「じいちゃん。なんでこうなったか、わかってんの。じいちゃんが、金がない事忘れてタクシーなんか乗らなければ、じいちゃんが出来ない演技をする事もなかったんじゃないんですかね!? え!?」
ずりずりと責め寄られ、壁に背中をぶつけた徳二郎は、その場は落ち込んだような顔を見せた。
そこで外の車がクラクションを鳴らして、急かしているのが聞こえた。
爽汰は、窓から外を覗いた。黒いスモークの張られた車内は見えないが、もう行かないとまずいだろう。
「とにかく、行こう。どうせ、今日どこかに行く予定がある訳でもないし。石崎さんに何かあるようなら、俺が絶対阻止する!」
力拳を右手で作って、小さく掲げた脇で、こちらに嫌ったらしく舌を出している徳二郎の顔が視界に入る。
爽汰は、ぎろっと睨む。
徳二郎はびくっとして、階段を走り降りて行く。
「たかだかあんくらいの金で、うるさい孫だべなあ!」
「なんだと……こら、じいちゃん!」
爽汰は追い掛けて駆け下り、残り五段あったところから滑って転げ落ちた。
「まったくもう!」
爽汰は癇癪を起こした。