G・ガール! 12
四
小学校二・三年頃の夏休みだったろうか。
両親と帰省し、墓参りを済ませて祖父の家に居た爽汰は、早速暇を持て余していた。
「じいちゃん」
久しぶりに会った親戚達と話が弾んでいる両親の事は諦め、爽汰は祖父が昼寝していた畳の部屋にふらりと向かった。
「あれ、爽汰でねが。どうした?」
狭く開けたふすまの間から、遠慮がちに顔を出している孫を見て、祖父は体を起こした。
爽汰は、そろそろと部屋の中に入って来て、祖父の傍らに正座して言った。
「暇。なんかして遊ぼう」
見るからに退屈そうな顔をする孫のその台詞に、徳二郎は破顔する。
「わっはっは。そうか、暇か。わかった。じゃあ、じいちゃんと外さ遊び行くか」
雲が晴れたように、爽汰の表情がぱっと明るくなった。
「うん!」
網と、バケツと、祖母が作ってくれたおにぎりを持って、山を下って渓谷へ向かった。
自然の中でひっそりと続く、地元の人もあまり使わないような道を通って、少しずつ聞こえてくる水のせせらぎを頼りに、進んで行く。
背の高さを有に超える、育ちに育った雑草をかき分けたその先には、切り立った崖の麓に、爽汰の存在など一切関係のない時間を刻み続ける清流が流れていた。
「わあ。綺麗な所だね、じいちゃん」
爽汰は喜んだ。
「んだべ。ここはな、じいちゃんが爽汰くらいの歳の頃よく来てた、じいちゃんの秘密の遊び場だ」
「へええ!」
キラキラした目を向ける孫息子に、とっておきの内緒話をするように徳二郎は耳打ちする。
「ここにはな、ザリガニがいんだで、爽汰。イワナもおる。取り放題だっぺ」
「本当に? ねえ、獲ろうよ、じいちゃん」
「んだ。いくど?」
わああ、と大声で叫びながら、川に飛び込んで行く。
川の水深は徳二郎の膝くらいだが、流れが急で大人でも足をとられる。子どもの爽汰にとっては、まさにサバイバルだ。
「気をつけるんだで、爽汰!」
「うん、大丈夫。あ、ザリガニだ!」
網を使って、数匹のザリガニを捕らえた。とても大きなハサミを持った一匹を、大将と名付けた。
「大将が、バケツから逃げそうだよ、じいちゃん」
心配そうに、その中を覗き込んでいる。
「バケツの上に、網さ被せておけばいい。あんまり近くで見てると、鼻さちょん切られっど?」
咄嗟に顔を離し、爽汰は自分の鼻を手のひらでゴシゴシと拭いた。そして、言われた通り、今までザリガニを捕らえるのに使っていた柄のついた網を、バケツにすっぽりと被せた。
大将は、今さっきまで脱獄を試みていたが、戦意喪失したのか、途端に動かなくなった。
はっは、と笑う祖父に、爽汰はふう、と息を吐いてから言った。
「網が使えないんじゃ、もうザリガニ獲れないよ、じいちゃん」
「じゃ、次は昼飯だ」
「えー。まだお腹空いてないよ」
確かに昼時にはもう少し時間があるが、徳二郎は違う、と首を横に振った。
「そうでねえ。これから自分達で、昼飯のおかずを獲るんだ」
「ええ!」
爽汰は、大げさな程に驚いた。
「ばあちゃんが握り飯さ作ってくれてっから、ここでイワナさ獲って、焼いておかずにすんだ。どうだ、爽汰。やってみっか?」
爽汰は、ブンブンと頷いた。
しかし、イワナはザリガニのように動きが遅くない。しかも、水の中を素早く泳ぎ回るので、網すらない二人は中腰で長期戦を余儀なくされていた。
「爽汰! そっちにイワナさ、いたか?」
すでに半ズボンの裾もお尻も濡らしている爽汰は、真面目な顔で答える。
「居るけど、近づいて行くとすぐ逃げちゃうんだよー」
「よし、二人で力合わせんべ」
コクンと頭を上下させ、どうしたらいいかと祖父に仰ぐ。
徳二郎は、近くにある大きめの岩を何個も持って来て一カ所に集め、川の中に小さな塀をつくった。片側に狭く開けた隙間から、イワナを追い込む作戦だ。
「よし。爽汰、上流の方にイワナいるけ?」
爽汰は、素早く目を凝らして探してみる。
「あ、うん。いる、一匹」
「よし。じゃ、一度もっと上流に行って、そのイワナさ、こっちに逃げるように追いかけてきてくんねが」
「わかった!」
爽汰は、パシャパシャと川の流れに逆らって歩いて行く。
「行くよー?」
爽汰は元気よく声を上げる。
徳二郎は手を振り返して返事をする。
爽汰は、わざと水しぶきを上げながら、目当てのイワナを下流へと追いやる。
「よし、いいぞ、爽汰」
手前まで来た所で、徳二郎も手伝いイワナの進路を狭めて行く。
そして、最後は二人して両手を川に入れ、徳二郎のつくった塀の中へなんとか入れる事ができた。
すぐに、入り口用に開いていた部分を、用意していた石でせき止めた。
イワナは即席で作られた囲いの中に、見事収まった。
全身がずぶ濡れになった二人は、息を荒げてその様子を確認してから、お互いを見合わせた。
「やったー!」
二人は大笑いしながら、その場で飛び跳ねた。着ている服の、僅かに残っていた濡れていない部分も、それで無くなってしまった。
大はしゃぎしていたら、腹が減るものだ。
イワナは一匹だけだったが、小さな火をおこし、徳二郎が焼いて二人が交代でかぶりついた。
「じいちゃん、これおいしいね!」
「だべ? 自分たちで獲ったもんだから、尚更だっぺ、なあ?」
「うん!」
爽汰は満面の笑みで、おいしそうにイワナにかぶりついた。
徳二郎は、とても嬉しかった。
今時、子どもに遊ばせるといえば、何か買ってこないとだめだと言う。それも、十円二十円ではなく、一つ何千円もするゲームをいくつも欲しがるのだと聞いた。それが普通なのだ、と。
しかし、徳二郎が小さかった頃は、自然が公園で、自然が遊戯物で、自然が遊び相手だったものだ。外にいるだけで、何時間でも時間を忘れて遊べたのだ。
今の子どもが悪いわけではないが、せめて自分の孫には、こういう遊び方を知ってもらいたかったのだ。
自分の横で、口にご飯粒をつけて笑っている孫は、とても楽しそうにしてくれている。それが、たまらなく嬉しかったのだ。
食事を終えて、膝をかかえ、大将の様子を見ている爽汰に、徳二郎は言った。
「爽汰。これ、出来っか?」
徳二郎は自慢げに、河原の石を川に投げ入れてみせた。
「すっごい! どうやるの? 教えて!」
「これはな、実はコツがあるんだよ……」
「……じいちゃん、石だ。石を選ばないといけないんだった」
徳二郎は、ちょっと顎を上げ、やっとか、という表情で見た。
「思い出したか? 平たい石じゃねーと、だめだで」
そう言っているうちにも、爽汰は良さそうな石を探すのに夢中だった。
「お、これならいけそう」
そう言って、立ち上がり川辺で構えた。
「見てて、じいちゃん」
「ああ、見てるよ」
何度かフォームを確認してから、爽汰は石を投げ入れた。
ピシャ、ピシャ、ピシャ……。
「三回かよ……」
「わっはっは。お前も衰えたなや」
爽汰は何度も小首をかしげて、おかしいな、と呟いた。
「どれ。じいちゃんの投げ方、よく見とけ」
「うん」
結局昼をとっくに過ぎる時間まで、二人の川辺の特訓は続いた。