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ローソクの音  作者: 相模遼一
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プロローグ

 俺は少し緊張しつつも、扉の前にいた。

 手に持った引越しの挨拶用のタオルや洗剤などが詰まった日用品セットをどう渡すかについての12通りのシミュレーションは済ませてある。よし、押そう。

 ピンポーン、とお決まりのインターホンの音が響く。

 すると5秒ぐらいして中から若い女性の声で「はーい」と聞こえた。

 そして出てきた女性を見て、先ほどまで描いていたシミュレーションドラマの内ほとんどはどこか意識の外へ消えてしまった。

 何故なら酷く自分の好みに近い女がホイッと出てきたからだ。

 胸、ある。尻、ありそう。そして顔も、アリ。というかナイということがナイ。若干ヤンキーっぽいのが引っかかるけど。

「あの…」

 と困惑した顔で"アリ"な娘に言われると、慌てて俺は正気に戻り、まだかろうじて頭のなかに残っていたシミュレーションを思い浮かべながら言葉を捻り出した。

「あ、えと、201号室に越してきた松木です。この度は引っ越しのご挨拶にと…」

 と、テンプレート文をなぞりながら挨拶用のお歳暮を差し出す。

「あ、どーも。ユズキっていいます、よろしくお願いします。じゃあちょっと忙しいんで」

 そう一言素っ気なく言われ、扉を閉められてしまった。

 あぁ…大学のために仕方なく来たものの東京さ冷てぇとこだなァ…なんて思いつつも若干スタートダッシュに失敗したような感覚を味わいながらトボトボと歩いて自室へと戻った。


 夕方になり、そろそろ夕飯の買い出しでも行くかな、と玄関で靴を履いていると、インターホンが鳴った。

 なんだろう、胡散臭い宗教の勧誘だとか訪問販売だったら幸先悪いなぁなんて思いつつ扉を開けると

「…こんばんわー」

 さっきの"アリアリ"だけどちょっと素っ気ない子がいた。いや、尻もありそうだから"アリアリアリ"か?と死ぬ程下らない問答を頭のなかで繰り広げたのもつかの間、懐かしくも食欲をそそる匂いが鼻腔を貫いた。

「えーと…さっきは何か頂いちゃってありがとうございました。これ、まだご飯とか食べてなければど、どうぞ」

 と少し噛みながらその娘がくれたのは肉じゃがだった。

「う、うわぁ…凄くうまそー…ほんとありがとうございます。」

「いや、ちょっと作りすぎちゃって。もし味付けとかミスってたらごめんなさい」

「いやいやいやこれもう完全に美味しい形してますもん、間違いないっすよ。ありがたく頂きます!」

「そうですか。なら良かった」

 この時終始素っ気ない顔だったこの娘が笑顔になったのを見て、少し胸が跳ねた。

「じゃ、ちょっとバイトあるんで行ってきます。」

「はい。ちょうどご飯作ろうと思ってた時だったんで、助かりました」

「いいえ。じゃあ、また」

 と言うと、少し笑った目でバイバイ、と手を軽く振って彼女は去っていった。

 あぁ。いい娘だな。東京あったけぇ~。なんてウキウキで早速頂いた肉じゃがを食べるとじゃがいもや人参に味が染みていて、涙が出る程美味しくて、どことなく母の味って感じがした。

 それで、気付く。さっき彼女が忙しいと言っていた時、ふわっとこの肉じゃがと同じ匂いが香ったことに。

 別に素っ気なかった訳じゃなく、単純に料理中で間が悪かっただけだっただろう。

 貰った時暖かさを変わらず纏っていた肉じゃがを一通り平らげると、俺は一計を思いつき、自転車を走らせた。


 翌日。俺はまた扉の前に居た。

 今度は全く緊張無しに、いやまた違った意味での緊張を孕みつつも、インターホンのボタンを軽く押す。

 休日だから多分いるだろう。と考えていると、中からはーいと声が聞こえたので軽くガッツポーズ。

 その娘が出てくるとすかさず

「あ、こんにちは。ちょっと俺も作りすぎちゃったんで」

 と、昨日肉じゃがが盛りつけてあった皿に、今度は俺の唯一の得意料理であるチーズオムレツが乗った皿を渡した。

「え、チーズオムレツ作りすぎるなんてあるんですか」

「いやぁさ、普通にお返し、お返し。今日ホワイトデーだし。結構これだけは自信あるんですよ。ちょっと食べてみてくださいよ。」

「あ、じゃあ今一口貰ってもいいですか。バレンタイン渡してないですけど」

「もちろん、どうぞ。」

 と言うと、彼女は事前に付けあわせておいたプラスチックフォークでオムレツを口に運んだ。

「~~~、おいしい!」

「ほんとですか!いや良かった」

「ウチこんな美味しいオムレツ初めてかも…」

「なんか照れちゃいます」

 そう言うと、彼女は丸い目で

「そういえば松木さんって大学生さんとかですか?」

「そうですよ。ちょうど来月の4月から。ちょっと早めに越してきたんです」

「あ、じゃあウチの一個下なんですね」

「うわ、先輩だ。じゃあ、これからよろしくお願いしますね」

「はい、お願いします。じゃあまた。ちなみに…えと」

「え?」

「また私も何か作っていきましょうか?」

 少し照れくさそうに言う彼女に、嬉しさを堪え切れず少し震える声で

「お願いします…!」

 となんとか伝え、軽く手を振り自室に戻った。


 それからというもの、ユズキさんと互いに料理を作っては渡し、渡された皿を洗った後は逆に新たな料理を盛り付けて返し…と、交換ノートならぬ交換クッキングし合う日々が続いた。

 今まで俺は中高共に男子校と言うこともあり、こんな慎ましくも温かい男女交流生活に憧れを抱いていた俺にとっては、本当に理想の状態であった。

 毎日が幸せだった。

 そして3月末日。今日はユズキさんが作ってくれる番だなーと、呑気に構えながらテレビを見ていると、急に脳に鋭い痛みが走った。

 何となく味わった記憶のある痛み。

 そして痛みが走ったと思うと間を空けず一つの音が頭のなかに響く。「サラ」と。その二文字が文字ではなく音として脳内に響き続けた。全く訳が分からない。本当に、痛い。1分程耐えていると、頭に響くのが収まった。

 よくわからないが、変なこともあるもんだ。というか、頭痛のことなんてどうでもいい。

 いつも大体日が暮れる前ぐらいにインターホンが鳴るのだが、今日は全く鳴らない。

 変だなぁと思いつつも、気長に待ち続けた。


 しかし、その日中インターホンが鳴ることは無かった。

 少し期待しすぎてしまったかなと反省しつつ、コンビニに飯を買いに行こうと部屋を出て、軽く202号室…ユズキさんの部屋の扉を見つめる。明日から、4月。きっと今日はバイトか何かで忙しかったんだろうが、明日はあの可愛い顔が見れるはず。

 そう思いながら部屋の前を去る。


 その翌日、俺は彼女の顔を見た。

 しかし、その顔は実際に会って見たのではなく、何故かテレビに映し出されていた。

 そのニュースを、俺は呆然と見つめることしかできなかった。


「3月31日午後11時過ぎ、都内の乃木坂通りの路上で柚木彩良さんが死亡しているのを通行人が発見し、通報しました。彩良さんは刺されたような傷が見られますが、現場からは凶器はまだ発見されていないとのことです。警察は殺人事件と見て捜査しています」

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