前夜
「ねぇ、かあちゃん?」
読書灯の黄色がかった柔らかい光に照らされたその小さい顔には、満面の笑みが浮かんでいる
私がゆうまに"ママ"と呼ばせなかったのは、自分の頭の中で思い浮かぶ"ママ"とは程遠い存在であると感じたからだ
「なあに?」
飲んでいたウイスキーのグラスをテーブルに置くと、氷がぶつかる涼やかな音が響いた
「この"ほたる"って虫..本当にいるの?」
小さな手にしっかりと握り締められているお気に入りの"虫図鑑"を指差し、彼は至って真剣に、"蛍と言う虫は実在するのか"と聞いている
あやかは悪いとは思いながらも、吹き出した
「勿論、いるよ」
吹き出したこの母親に対し、腹が立ったのか眉を釣り上げるゆうまは尚も質問を浴びせる
「お尻が緑に光るんだよ?」
あやかの中で、堪らない愛しさが込み上げて来るのを感じた
小さな子供を心底可愛いと感じるのは決まって、"無知"さに秘密があるのではないかと、あやかは思う
一頻り可愛らしいゆうまの顔を眺めた後、微かに息を吸い込み、口を開く
「そうだよ。線香花火みたいにピカピカ光るの。
かあちゃんが子供の頃はよくいたなぁ」
「どこにいるの?」
「ばあばの家に行く途中に、大きな池があるでしょう?あそこにいっぱいいたよ」
「ふうん..」
"ばあば"とはあやかの祖母のことだ
このあやかの実家からそんなに離れていない距離にある大農家のばあばの所へは、ゆうまとよく遊びに行っていた
図鑑を見ながら何度も頷くゆうまを眺めてから、グラスを一気に煽り、時計を見やる
「明日も保育園だよ?もう寝ないとね。
さぁ本を閉じて..布団に入ろう」
「うん..おやすみ。かあちゃん」
「おやすみ」
読書灯のスイッチを消すと、辺りは闇に包まれた