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皆が寝静まった空に She was here, so was I.

 第七幕『皆が寝静まった空に She was here, so was I.』


「ヒャッハー!」

 舞台はまさにバイオレンス・アクション。B級映画よろしく暴力が乱れ飛んでいた。その中を最高にボロボロに成ったバイクが突っ走る。搭乗員のメットは既にお亡くなりで、服は焦げ付き、顔には煤が付いている。

「さあれ、皆様、御立合い! 皆大好き道化でござい。御用と死に急いでる方は、聴いて驚け観て笑え。我等が演じるは世界劇場。観客だからと油断は禁物。さあ、御立合い!」

 彼は自動小銃を撃ちながら、嬉々として口上する。どーでもいいが、さっきから彼、全く銃の弾を再装填リロードしないし、相手の弾に当たらない、その癖に自分の弾は当たるし、何コレやらせじゃないですか「赤い彗星」か何かですか?

「何を隠そう、これぞ俺の千のスキルの一つ〈人並みに奢れや女子(ADV)〉、効果は『運命の転換期が見え、能力に関わらず運命を選択できる』……というのは冗談で、そりゃ、不感症な漫画の役者じゃあるまいし、全部避けるのは普通じゃないか」

「物語に『普通』と自己紹介して普通な役者はいない。俺は思うんです。アニメの主役が一挙に同じ世界に存在すると、一体幾つ世界が必要なんだろう」

「ハルマゲドン待ったなしだな。神話作った人もビックリだ」

 俺とケイはその後も迫りくる追っ手をクリアした後、超高層ビルにバイクのまま乗り込んでいた。WCの社長のエクスという男が作った秘密基地的な建物らしいが、表向きにはWCとは直接関係ないらしい。その建物は普通に都心の真っただ中に建てられてあった。木を隠すなら森の中という訳か、都会の喧騒が大切な何かを掻き消す様に(詩的表現)。

 しかし、見た目こそ何処にでもある普通のオフィス・ビルなものの、階層の三分の二は貸しビル(テナント)となっており、そこに住む者達は言わずもがな普通じゃない住人ばかり。ヘンテコな兵器を開発してたり、ヘンテコな宗教をやってたり、挙句の果てには超能力だの魔術だのオカルトだの……マジで変な奴は、何処にでもいるものである。

 そしてそんなレディース・アンド・ジェントルメンは、ケイがビルに乗り込むなり攻撃して来た。湧き上がるパーティ会場。まさに即興笑劇コンメディア・デッラルテなスラップ・スティック。アルレッキーノは笑って銃を撃ち、鉄の馬でコロンビーナの胸元に飛び込んで、廊下をギュワン、階段をズガガガと駆け上がる。赤色のワインが飛び散って、黄色い歓声が沸き上がる。クールだね、ステキだね。

「絶対人死に出てるって……」

「絶対なんて安易に使うもんじゃない。なーに、『サウスパーク』や『HTF』よろしく来週には生き返る、多分。明日には治ってる、多分。ギャグじゃ人は死なん、多分」

 アメリカさんは猟奇が良くて下ネタが駄目。日本はその逆。世界観が良く解る。尤も、俺もケイに貰った銃を撃っていた。銃の名前は知らない。ガン・マニアでは無いのだ。

 尤も、当たったかどうか解らないが。撃つ度に、確認する前に頭を引っ込め、無意識に眼を瞑るからだ。しかし、それも仕方ないだろう? 実銃など初めてなのだから。手が痛いし音が怖いしこの歳で前科など貰いたくない。

「ケイさん、アルマが何処にいるか解ってるんですか!?」

 怖さを誤魔化すように俺は叫ぶ。声が大きいのは無意識に興奮しているのだ。一方、ケイは何時もの様に道化て笑う。

「解らんから手当たり次第に突っ走りつつ上目指してる」

「すっげー迷惑っ! 何か『気』とか『直感』とか感じないんですか!?」

「俺は受信オンリーなの。相手から話しかけられないと喋らないのと同じなの」

「コミュ障かっ!」

「一人で生きていく方法は無いものか。それか全てを受け入れてくれる存在が欲しい」

「アルマが居るじゃないですかっ!」

 ギクリとした。しかし吐き出した言葉はもう呑み込めない。投げたボールは戻ってこない。だが彼は何てことない様に言葉を返してくれる。

「アルマは確かに良い子だが、誰かの物になるタイプじゃないよ。星のように目を惹いて、星のように誰にでも輝いて、星のように遠いんだ」

 それは嘘だと思った。だってあの子はあんなにも――

 目の前に大きな観音開きの扉が現れた。ソレを見て、ケイは自動小銃アサルトライフルを引っ込めて何処からか無誘導式噴進弾ロケットランチャーを取り出す。本当に何処から出してんだ四次元ポケットか? 兎に角、ケイはロケットで「開けゴマっ」と扉をノックして破壊した。爆炎と硝煙が立ち込める。だがバイクは構わず其処に突っ込む。

「お父さんお母さん元気ですか? 僕は最高に『ハイ!』ってやつです、ヒャッハー」

 悪役染みた台詞で長い扉を抜けると映画館であった。スクリーンが点滅した。バイクが止まった。向側の座席から男が立って来て、ケイの前で不敵に笑った。爆炎の煙が流れ出た。男は大袈裟に手を広げ、事前に用意された台詞を語る様に、

「さあれ、ようこそお出でになったねえ」

 一目と一言で飄々とした性格だと解る男は、知的で野心的な雰囲気を持っていた。年老いた肉なのに、心が眼をギラギラさせていた。俺はその男に一目で怯み、だがそれを誤魔化すように無意識に敵意を湧かせ、

「うあっ、ケイさん! それとぉ……うやうや、そいや、お名前聴いてなかった」

 その場違い、というか呑気な子供の声で冷静に成った。マツリという少女であった。男の隣で、椅子の上に乗っていた。俺は無意識に苦笑いして、それに応う。

「俺は、あー、慧一とでもしておいてくれ。偽名だけど」

「あ、因みに、」と、隣の男が不意に語る。「私は、えーと、誰だっけ」

「え、まさか呆けた? エクスでしょ、クマさん。もう歳ねー。肉が腐ってるのねー」

「娘の無邪気な邪気が酷い。これが反抗期か……」

「何を嬉しそうに(ツッコミ」

 彼等は能天気に喋った。俺からすればどっちも呆けた道化であった。そして同じくトリック・スターであるケイも、何て事無さそうにこう言った。

「あら、開幕には間に合わなんだか」

 その台詞に釣られて映画のスクリーンに眼を遣ると、剣と銃の闘いが映っていた。

「アル――っ!」俺は言葉を呑み込んだ。騒ぐな、見っともない。空気を読め。「……あの映っている場所は何処なんですか? アルマは何をしてるんですか?」

「場所は屋上で、アルマ君は其処でレドナーと闘ってるんだ。けど邪魔はしないでくれ、君が無粋な人間じゃないのなら」

 その言葉に、俺はケイの顔を伺った。ケイは俺を見て肩をすくめた。

「解ってるだろう? 俺は野暮じゃないんでね。ここで見てるさ」

 けど……、と俺が反論しようとしたその時、大きな地響きが室内に響いた。だが室内は揺れていない。俺はスクリーンを見た。そこにはレドナーに押し倒されるアルマが居た。

 その光景はあの時と同じだ。初めて彼女と出会った、夜の屋上と。それを俺は、また見ているのか? 答えは否だ。俺は決めた。この舞台で演じる役を。自己満足でも構わない。

「スイマセン、ケイさん。俺、行ってきます。銃は返しますね」

「要らないのかい?」

「いえ、俺にはコイツがありますから」と言って、俺はポケットのカッターナイフを見せた。そして銃を返し、こう挨拶した。「では、行ってきます」

「いってら~」

 その言葉を受け取り、俺は映画館の外に出た。

「って、こらこら、行かせる訳な「I’m coming with you!」えー」

 俺を追うように、マツリの声が聴こえる。そして「こら、茉莉、じゃなくマツリ、待ちなさー、いー……」という声も聴こえたが、それはすぐに追う事を止めた。


「はあ、莫迦には勝てんか」エクスは頭を振って、携帯を取る。「俺だ。娘と青年が屋上に行くが無視してくれ。……あん? 阿保、大人子供フリークスに特等席はネーヨ」

「悪いね。どうもひねくれ者で。場を引っ掻き回してばかりだ」

 バタバタと騒いで出て行く二人を見送って、ケイは肩をすくめて言った。エクスは「まあ、それが子供の役だろうて」と、携帯を切って肩をすくめる。

「しかし、アルマ君、彼女は素晴らしいな。まるで神を偶像した金の子牛のようだ」

「まあ、あの子は頼まれれば何でもやるな。自分からは何もやらんけど。いるだろ、クラスに一人そういう奴? まあ、そういう奴は根暗扱いされるもんだが」

「だからこそ素晴らしいのだろう? 何が正義と問わず、理由も必要とせず、どんな役に成ろうと厭わない。例え用無しに成ろうと。彼女がやれば学芸会の木の役も世界樹だ」

「おいおい、それじゃ駄目だろ。木の役は地味じゃなきゃ」

「確かに」そう言って、エクスはくつくつと笑った。酔った戯言の様に、或いは学校の屋上でサボる餓鬼のように。だが、「しかし――」と、笑みを消して、望郷に浸るような顔になる。「それでも憧れずにはいられない。闇夜に光る星月の様に、暗幕に光る照明の様に、蝋の羽根持つ我等は誘蛾される。君達在は、皆ああなのかい?」

「さてね。他のチームは知らん。ただ惹かれる理由は解るよ。それは魂の引力だ。芸術のように、何かを極めたものは善悪を越えて美しい。そしてそういうものは、人が人を理解できない様に誰にも理解できないものだ。言葉は抽象の技法、語るほど真から外れる」

「言葉は何時も多過ぎて足りない。逆に、無言のキスで十分な時もある。『スキ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ス・キ。口をすぼめてキスして、その後に照れて微笑む。ス。キ。朝、一日の元気をくれる笑顔はルビー、太陽のルビー。学生服姿ならラブ。ムーンではリバー。奴はとんでもないものを盗んで行きましただとロブ。しかし、私の腕の中ではいつもスキだった』」頭を振って笑った。「……で、俺を倒すのかい?」

「あぁ……いや、もうその必要はなさそうだ」ケイは肩をすくめる。「自己完結した様だからな。もう相手は不要だろう? それとも、最初からそのつもりだったか?」

「俺はもう大人だからな。莫迦には成り切れん」そう言う男は、自嘲する様でも、寂しそうでもあった。皮肉でしか物を語れんのだ。「大立ち回りは子供の役だ。マツリや、慧一君とかいう奴のな。お前だってどうなんだ。自分が必要と思っているのか? 彼女はあんなにも強いじゃないか。鳥籠から出る『青い鳥』の様に、彼女はたった一人でも……」

「それもまた、さてね、だ。俺の決める事じゃない」

「――ふっ、そうだったな。理由など要らないんだ。……下らん嫉妬だった」そう、彼はすぐ道化と戻った。「しかし、やはり彼女の演じる役は、『金枝篇』よろしく神話の英雄に対する竜やユングの元型の親殺しが語る乗り越えるべき壁か、はたまた『不気味な泡』よろしく一念の後悔も抱かぬ程に諦めを与える限界を教える壁か……」

「それも、さあな。時に死が救いと成れば、時に幸福が堕落と成るように」

「何が【敵】か解らんか。何が味方かさえ解らぬ世の中では」

 銃声が響いた。何度も響いた。ソレ以外に響かなかった。銃声は止まる事を知らなかった。文字通り、止まる方法を……。

「恋は、何時でも大人を子供に戻すね。如何なる賢者も愚者も、この前には無力だ。ま、それでいて百年も恋も呆気なく冷めるものだが。理由なんて戯言よなあ。

 ……彼女、ヤられてしまうんじゃないのかい?」

「そりゃ、負ける事もある。英雄に対する、敗北を運命づけられた竜のように。まっ、簡単には負けてやんないがね」ケイはバイクのサイド・スタンドを降ろし、座席に腰かけ、スクリーンを見上げた。「さて、此度の舞台はどうなるかね」

 誰に対する事なく、小さくそう、呟いた。


 階段。無人。廊下。靴音。息。心臓。暗い。足元。光。壁。窓。星灯。

 初めての夜を思い出す。あの冬夜の闘いを。ついこの前の出来事なのに、もう過去の思い出になりつつある。あれから俺は、何か変われたのか。いや、変わろうとしたのか。

「『ほぉたーるのぉひぃかーりぃッ! まぁどーのぉゆーき~ッ! ふぅみーよむぅつぅきーひぃッ! かぁさーねぇつぅつーッ!♪』」

「何ヤケクソ気味に別離と再会の歌を歌ってんだ」

「もうすぐ『クリスマス・キャロル』が放送される時期なのに、私達はそんなの気にせずただ走る! アウトローだぜぇ、ヒャッハー! ほら、頑張って下さいお兄さん! お兄ちゃん! 先輩! 慧一さん、だっけ? とまれ、走って走って、ライド・アウト!」

「解った、解ったから身体を押し当てないでくれ。ただでさえ心拍数上がってんだ」

「ふふん♪ 意外と大きいでしょう。健康には自信が在りますぜ、親父」

「何キャラだ。ま、アニメよろしく発育は良いね。将来は『マリリン・モンロー』だ」

「エッチ! バカ! HENTAI! てか彼女最後がイヤーンじゃないですかやだー」

「本物の役者はそんなもんだ。そして今の俺はヤケクソなんだ、巫山戯てると犯すぞ」

「ええぅ!? 犯、えぇ? 貴方、安っぽい小説にありがちなヤレヤレ系を気取ってるように見えて、意外とそういうキャラなんですか? ムッツリなんですか?」

「安っぽいゆーな。そんなら明治から昭和の純文学だって大抵ダウナーだぞ。尤も、彼奴等は最近の死にたいと言いつつ実際に死ぬ気のない意識高い系の小説家とは違うがね。昔の純文学作家は本氣で、だから真面目過ぎて鬱ったり薬ったり自殺したりしたんだ」

「死ぬのはイヤーンですぜ。死んだら幸福も不幸も在りません」

「子供の内は何とでも言えるさ。尤も、俺もそう世界を知ってる歳じゃないがね。だが少なくとも、俺はヤレヤレ系ではない。そも、そんなイベントに会わないんだから」

 いや、正確には、会わなかった、か。

 俺は変わっていた。マツリを背負っていた。自分が走るよりアルマに強化されている俺が担ぐ方が速く、また置いて行かれるのが嫌なので無理矢理に乗って来たのだ。

 そうだな、何も変わらないという事はない。ただ流されるままに生きる日常でも、世界は今日も簡単そうに回る。幸福であれ、茫洋であれ。そうともさ。なら、踊る為の舞台で不貞腐れても仕方ない。やってやろう、俺なりの役を。『青い春』という名の演技を。

 最後の階段を駆け上がった。そこには両開きの扉があった。俺は立ち止まり、マツリを降ろし、息を整える。マツリはその様子を心配する。

 ソレを見て、俺は「お前が背負わせたんだろ」と皮肉を言おうとした。だが、間違って無意識に優しく微笑んでしまった。疲れたのは君のせいじゃない、安心してくれ、自分のせいでそんな顔をされる方が辛い、とでもいうように。

「――あ」その時、俺は気付いた。そうか、「そうなんだな。『かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える』……これがケイの言ってた道化の美学なんだな」

 何と自分に酔った美学だろう。だとすると、道化はずっと負けっ放しじゃないか。俺はニヒルに笑う。マツリは「? どうしました?」と小首を傾げる。

「大人に成り切れない俺でも、俺より若い奴からすれば大人という事さ。

 それよりも、君は君の心配をしなさい。君を愛してくれる者を一杯見つけなよ。そうすれば安心だ。けれども一人で生きて行くなら、注意しなよ。ぼんやりしてると、すぐ世界の速さに置いて行かれるぜ。そう……俺みたいになッ!」

 俺はサムズアップで自分の顔を指差した。

「お、おう」マツリが解りやすいリアクションで呆れた。ちゃんと俺の伝えたい事が伝わっているかは不明だったが、反応してくれるだけ嬉しかった。「でもでも、お兄さんはまだ二十歳くらいですよね? だったら人生百歳を二十四時間だとすると、五分の一でまだ午前四時四十八分。朝日だって昇ってませんよ。まだまだ余裕だって! ねー?」

 もしかしたら、俺は呆気に取られていたかもしれない。思わず笑っていた。

「わ、私も恥ずい台詞なのは解ってます。けど役者は臭い台詞を堂々と言えて一人前なのだぜ。何でもすぐ『中二病乙』や『黒歴史(笑』と冷ややかに笑い素面でいようとするいつでも本氣に議論をしない青年たちに、バナナの皮で滑って転ぶチャップリンの偉大さは解りませぬ。『君はただ常に笑われてい給え』、それが道化ピエロの美学でござい」

「いや、悪い。バブル時代のドリンクCMよろしく五十で昼はキツいと思ってさ」

 けど、そうだな。俺はまた頭でっかちに成っていた。大人に成ったフリをしていた。

 そう思い、俺はマツリの頭に手を乗せようと手を伸ばした。が、止めた。頭を撫でるだ何て、そんなありがちなテンプレートはしたくなかった。ましてや、彼女は俺のヒロインではない。アニメのヒロインが笑い掛けるのは、視聴者じゃなく主人公だ。

 伸ばした手は宙を彷徨い、行き場を失う。それをマツリに気付かれた。大きく綺麗な瞳で不思議に見上げてくる。どうしようか、これを握り拳にしたら恐がるだろうか。何て悪戯に笑いつつ、ケイの様にSnapと指を弾いた。マツリの大きな眼が更に大きくなり、猫のように身体を震わせた。それが妙に嬉しかった。

「行こう」

 俺は微笑んだ。お茶を濁す笑みではなく、力強く、自分に言い聴かせる様に。

 俺は扉に手を当てて、押し開いた。


 扉を開いたのと銃声が弾けたのとは同時だった。

 アルマは仰向けになり、レドナーに踏み倒され、銃口を向けられていた。意識が無いのか眼を閉じている。銃口から立ち上る煙草の様な揺らめく煙と、床を流れ出る赤い血が、今のアルマの状態を物語っていた。まさか死――

「アル――ッ!?」

 そう叫んで駆け寄ろうとした。だが次の瞬間、敵意が身体を貫いた。レドナーがアルマを見たまま、底なし沼の銃口を俺の額に向けた。そして冷たく重い台詞を撃つ。

「死んではいない。だがまだ劇の途中だ。舞台に上がるな……マツリもだ」次いで、俺に対してとは違い、更に淡々とした口調で語る。「解っている。お前は他者を傷付け傷付けられる程度で嘆くほどヤワではないが、根は喜劇主義だ。だが今は邪魔するな」

 その言葉に、マツリは駆け寄ろうとしたが、固唾を飲んで足を止める。普段は明朗な彼女も、真面目な雰囲気に気圧された様だ。

「白々しい。エクスにお膳立てしてもらって何が『邪魔するな』だ」だが俺はその言葉に強い台詞で、しかし飽くまで落ち着いた表情でそう言った。「本当はマツリに自分の勇姿を見てもらいたいんじゃないのか? そのくせ昔の女を忘れられなくて、しかし振り向いてくれないから弾丸をブチ込むなど、解りやすいモチーフだ。女の子に意地悪でスカートめくりするようなもんだ。フロイト的に下ネタだ」

「ならお前は投影だ」レドナーは冷たい双眸を一層冷たくし、無表情で言った。「コイツが回復するまでの幕間か? なら止める事だ。観客席でも、物が飛ぶぞ」

 その言葉に俺は怯む。男の敵意が物理的な弾丸のように俺の精心を射抜く。

「レドナー……」

 マツリが小さく呟いた。俺の後ろで。心配そうに。とても小さく。レドナーは横目でマツリを見た。何処か申し訳なさそうな眼だった。俺は意を決して口を開く。

「アンタは俺に似ていると言った。冗談だと言ったが、そうかもしれない。そうであるなら、アンタの考えが少し解る。アンタはただ、踊り相手が欲しいんだ」

 人はよく言う、「闘え」と。社会の圧力、他人の眼、勝手な限界、そんなものに挑戦しろと。しかし、闘う理由は何だ? それらと何処で闘える? そも、敵は何者だ? そんな疑問は終ぞ明かされず、大人になるにつれ皆と同じ様に妥協する。

「解っている。求めなければ敵は居ない」そう、レドナーは小さく、重く、呟く。夢遊病のように。「だが、闘わない人生に何の意味がある? それは部屋で寝ているのと、墓の中で寝ているのに、何の違いがある? だから俺達は闘う。『世界とは何か』、『俺は何処から来て何処へ行くのか』、そして『何故、お前は此処に在るのか』、その解答の為に。

 於戯、そうだ。俺は『世の中に起こることが何もかもインチキ』だと思っていた。それでいて何と闘うべきか解らなければ、何と闘っているかも解らなかった。そも、闘ってるつもりなのは俺だけではないかと思った。白昼夢のように、存在しているのは俺だけで、俺以外は己の作る幻だと思っていた。

 だが今は違う。痛みが在る。振り上げた拳で殴れば、殴り返して来る相手が居る。

 俺の【敵】が此処に居る。

 だからここで勝利する。そうして初めて俺は夢から覚めるのだ。お前にそれが出来るのか? 覚悟が在るか? 観客のように夢の中で星を見上げるばかりを止め、役者のように温かいベッドから出て星に辿り着き更には星自身に成ろうとする心意気が。視ればその眼を焼かれるぞ。触れば蝋の羽根を溶かされるぞ。子供よ、認めろ、己の程度を理解しろ」

 そう、レドナーは小さく、重く呟いた。夢遊病のように、その台詞は続いて行く。そしてその台詞は、この俺の心を穿つ。

「それを認めろ」

 息が詰まる。俺は何も言い返せなかった。正しいとか間違っているとか、そんな話ではない。納得できるか、意志を貫き通せるかどうかが問題だった。そして俺は、レドナーの言葉に全く持って撃たれていた。

 解っている。俺はただの観客で、一目惚れの一ファンに過ぎない。その舞台裏に何があるか知ろうともしない、知ったかのおちゃらけだ。だがそれでも、それでもだ。

「それでもいい。俺は何度だって幻想する。何度だって約束する。現実に行きながら、それでもなお夢を見る。何故なら此処が俺にとっての、『魔法の場所』だから」

「行き着く結末は同じだ」「問題は結末をどう魅せるかだ」

「夢物語の様な偽りだ」「夢物語への憧れは本物だ」

「知らぬだけだ」「それはアンタだ」

「何だと?」

「いや本当は知っているはずだ。自分が如何に餓鬼っぽいか。アンタは、いや俺達は解っているんだ。彼女の隣に居るのは、自分でなくとも――」

 後ろの扉が吹き飛んだ。マツリが驚く。俺は無意識にマツリをかばう。

「言ったはずだ」レドナーが俺に銃口を向ける。「邪魔をすれば話は別だ、と」

「それは本当にすまないと思っている」俺は恐る恐る立ち上がった。「だが、アンタは俺に似ていると言った。なら解るだろう? 俺の気持ちが」

「ならばお前にも解るはずだ。『ファルスの作者といふものは、決して誰にも(無論自分自身にも――)同情なんかしやうとはしないものだ』」

 Boy! ムカつくぜクソッタレー。役者は莫迦ばかりだ。本当は見て欲しくってたまらないくせに、それを否定する。無頼を気取るのが、格好良いと思っているのだ。

「レドナー!」

 後ろでしゃがみ込んだマツリが叫んだ。レドナーの意志を察したからだ。レドナーが僅かに口を歪めた。だが一瞬だった。銃口が俺に向けられた。だが怖じ気なかった。というか感じる余裕が無かった。此処で退くなど無粋だ。銃声と共に回避する。できるはずだ。いやできろ。何時かじゃなくて今できろ。でないと死ぬぞ。今死ぬぞ。

「……お前は、それでいいのか?」とレドナーがゆっくりそう言った。

「ああ、だから俺は此処にいる」

「……成程、そう選んだか。だが残念だな。コイツは俺が倒す。お前の役はない」そうして、レドナーは引き金を引く。「……それを認めろ」

 認められないから此処にいるんじゃないか。

 銃声はそんな思いをたちまち呑み込んだ。俺を食らおうと襲ってくる。たった親指くらいの塊に、ありったけの暴力を詰め込んで、言葉の速さを越えて撃ってくる。射線を見る。真っ直ぐ此方。直接照準。身体をずらすだけで避けられる。避けていいのか? いや避けろ、でないと死ぬぞ、受け止められない、だから動け、さあ動け。どうした、何故動かない、動け、動け動け動けああ駄目だ俺はぶっつけ本番は苦手なんだ避けられ――

「〈シエル・シェル〉」

 Ding-Dong、という福音した。弾丸は何時までも来なかった。代わりに眼の前にアルマが居た。レドナーの束縛を強引に逃れ、俺の前に現れた。

「今、少しだけ思い出した。お前はレドナー。ああ、確かに此処に居る」

 何時もの様に落ち着いて、だがより力強く語る少女を見て、男はこう言った。

「……アルティメティア」

「そうだ、【火の無い灰者】のREADER。【暗幕を斬り裂く涙流星】、【万華にて究極】、【月虹】、【白虹星】、そして【魔法の箒星】のALLTIMATEOARだ。敵意を何度も受け、是と、其方の事を少しだけ思い出した。レドナー、お前だったのか」そう、女は味わうよう相手の名を噛みしめた。「故に、もう負けない。其方は是が倒して魅せよう」

 女は汚れていた。口元からは血が流れ、手足は生傷が刻まれ、服は乱暴に斬り裂かれ、無残な姿に成り果てていた。

 それでも綺麗だった。いやそれ故に星彩だった。暗幕に光る星の様に、死の影を負ってこそ生の光に満ち満ちていた。「劇は続いてるんだ。笑わせろ」とでもいうように。

「下がっていてくれ、慧一、マツリ。すぐに闘いは終わる。束の間の蝋燭の様に、けれどその分、鮮烈に。離れて見ていろ」

 明らかに雰囲気の違うアルマがそう言った。俺は大丈夫かと手を伸ばそうとしたが、その手が届く前にアルマはレドナーの方へ歩いて行った。伸ばした手は宙を彷徨う。

 と、その手に水が落ちてきた。雨だった。雨は遠慮しがちに落ちた後、すぐさま勢いにのって降り注いだ。それは演出効果の様に出来すぎて、だからこそ、この舞台を見守る者の想いがある様だった。俺とマツリはアルマに言われたように屋上の扉まで離れたが、アルマとレドナーは構わずに外に立っていた。

「俺を倒す、か。その体でまだ言うか」

「応。是は一振りのブレイド。振るう刃は相手を選ばず、奮う心に意志は無し。ならばこの闘いに意味は無く、在るとすれば意味を見出す心意気のみ。

 そして崖から転がり落ちる子供を捕まえる救済であり、崖から飛び立たんとする大人を阻む最後の敵。崖から飛ぶ覚悟と恐怖を知り、それでもなお栄光と絶望を求めユくのならそれでも良し。だがその前に、この問答無用の刃を超えてユけ。死の先へ往く魔法使いよ。深淵を覗く愚者よ。蝋の羽根を持つ道化よ。この太陽を、越えて、みろ」

「……そうか」そう言って男は撃鉄を起こした。ガチリ、という重たい金属音とともに弾丸が装填される。「ならば突き立ててやる。俺という蝋の羽根で貫いてやる」

 その言葉に対する女の応えは一つだった。

「『そうあれかし』と望むなら」

 その言葉に対する男の応いは一つだった。

「望むものか。やる、だけだ」

 そうして、最後の幕が叩き斬られた。


 オチから言おう。少女が勝った。十秒も経たなかった。これが七十と三年を掛けて得られた、共演の時間だった。呆気ないモノだった。いや、真の闘いとはそういうものか。さながら、何十年もの人生を、たった数時間の映画に凝縮する様に――

「想いを、力に変えて――〈ブレイズ・アルター〉」

 暗幕に輝く銀月の下、刀は彗星の如く蒼銀の軌跡を描いて夜を斬り裂き、弾丸はただひたすらに灰赫の軌跡を描いて夜を貫く。生と死の接点へ駆け上がる。

 流るる星が幕を切る。二つの星が衝突する。

 それは互いに必死の状況であるにも関わらず、とても美しい光景だった。いや必死だから美しいのだろう。天多の隕石で産まれる原始星のように、星の終わる超新星の様に。

「ギフト発動、〈限界点突破エクセンド〉。効果は『超越』。上限を突破する」

 アルマは爆音と共にレドナーへ跳躍。加速距離殆ど0で音速突破。アルマを濡らしていた水滴がアルマの形に取り残され、次の瞬間には衝撃波で球状に吹き飛ばされ蒸発する。屋上がヒビ割れ、瓦礫や粉塵が弾け飛ぶ。

 地球の重力を振り解く第二宇宙速度の如き唸りを上げ、少女の能力がほぼ縦に跳ね上がる。身体が核融合の様な熱を帯びる。伝達神経が発火する。爆発寸前。絶頂寸前。

「〈ア・バオ・ア・クゥー〉」

 男はそのギフトの輝きを影に変え模倣する。そして空へ飛ぶ。少女も追って空へ飛ぶ。

 蒼銀と灰赫が空中で相対する。流星群のように光が断続的に瞬く。双方が速すぎて、互いを一瞬以上捉えられなかい。もはや眼に頼らず相手の気配を感覚し、神経に奔る本能シナプスと勝利に向かう経験則イメージの隙間めがけ、高速チェスの如く互いに必死の一手を繰り返す。文字通り電撃的ブリッツな速度で刃と弾丸が閃く。

 超音速ゆえに音も無い。相対的に雨粒は止まっている。二人に当たる雨粒が蒸発し、蒸発したまま停止し、白い軌跡を作る。互いに〈空の殻〉がなければ雨粒で眼が潰れる速度。それでいて火花を映す雨粒が星のように瞬くのだから、まるで宇宙のようだった。

 舞台は二人だけの物だった。速い。眼で追えない。ただの人間には追い付けない。身体強化された慧一さえ、何光年も離れた星を見るように残る光と音を追うのがやっとであった。況や、マツリには見えてさえいるか。

 ――お前は何の為に闘う? 何をそんなに頑張る? 報われないぞ。何時か全て思い出に変わる。何時か全て忘れ去られる。一つの物語を読み終えて、別の物語を読む様に。

 指向性を持った敵意が弾丸と化し、悩む事無く少女に飛翔する。

 音さえ置き去りにする闘いにとって、言葉は余りに遅すぎる。故に想いは弾丸に託された。少しでも早く少しでも強く、相手に刻み付ける為に。

 故に少女は敢えて避けない。殻で受け、刃で斬る。砕けた弾丸が粒子と成り、想いがアルマの周囲で弾け飛ぶ。それら全ての弾丸が「これでいいのか」と問い質す。

 ――これでいいのだ。独り立ちする子に捨てられる事を嘆き、どうして人形に子をあやせよう。「我ら役者は影法師」。舞台が終われば、ただ去るのみ。それが道化の心意気。

 そしてまた彼は知っている。弾丸は一方通行だという事に。

 夢見るあまり夢魅入られて、憧れる故に愛焦がれ、愛おしむ程にいと惜しくなり、絆を結ぶ度に傷と成り、心中するはずの夢に老いて枯れ、願いは何時か寝返られ、無駄な今日に妥協して、目的の其処は底無し沼。束の間の影法師は、蝋の羽根で星へと向かう。

 届かぬ想いは夢語、昔を語るは物語。ならばこれは、夢物語。夢を物語るという事は、さながら片想いする事かもしれなかった。

 ――ギフト発動〈黄金のアンブレイカブル〉。効果は『ギフトの効果が上昇する』。ギフト発動〈剛化堅乱ハードコア〉。効果は『身体能力を強化する』。ギフト発動〈平常運転ナチュラルスタイル〉。効果は『状態異常に成らなくなる』。ギフト発動〈万能感アイキャンフライ〉。効果は『受ける攻撃を無属性にする』。ギフト発動〈指輪物語ザ・ワールド〉。効果は『己を孤立系にする』。ギフト発動〈英雄補正ヒー・イズ・ロー〉。効果は『英雄の能力を得る』。ギフト発動〈絶対魔剣エクスカリバー〉。効果は『勝利フラグを得る』。ギフト発動〈灰色の時間貯蓄銀行モモ〉。効果は『未来の力を先取りする』。ギフト発動、〈神々のマルドゥーク〉。効果は『相手の二倍の力を得る』。ギフト発動、〈永劫回帰スーパー・エゴ〉。効果は『時間を圧縮する』。

 莫迦みたいな量だった。万華鏡の様に、少女の右手が銀ではなく虹色に爆発した。もはや強いとか弱いとかのステージを超えていた。

 ――〈ア・バオ・ア・クゥー〉。

 それら全てを吸収した。光に対する影の様に。もはや能力の設定は哲学的インフレで、ただ不可解さが凄味と成って感ぜられるのみ。……だが、

 ――今、解った事がある。〈ア・バオ・ア・クゥー〉は影法師……相手の能力を行使出来ても、相手より等級カラットの下がった形でしか使えない。相手が現在進行形で能力を行使していなけれは、特に。また、同時複数行使も困難か?

 ――だからどうした。今や俺はお前以上にお前を知っている。お前の知らない能力を使い、お前以上に使いこなすだけだ。道化ジョーカーは、如何なるナンバーにも敗北するが、キングにだけは勝利するのだ。

 ――成程、ならばこれも知っていよう。是の星の真髄は、色相環の上に座す極星……全たる完全無欠の虹星マルクトではなく、一たる問答無用の白星ケテルだと。

 少女の星が輝いた。右手だけでなく、全身が白に包まれる。超新星スーパーノヴァの様に、激変天体ブレーザーの様に、「よだかの星」の様に燃える。闇を斬り裂き、月を背景に輝くそれは、さながら夢想ドン・キホーテを斬り裂く「銀月の騎士」。

 我、全身全霊、問答無用。ギフト発動、

 ――〈我が麗しの妖精ピグマリオン〉。効果は『相手の理想となる』。ハレルヤ。

 ――だからどうした。〈ア・バオ・ア……

 そのギフトは、遠くに来た人間の心を無為に映す『ソラリス』か、夢を現実にする『ムーピー』か。男は気付いた。男が少女の事をどう思っているか、少女が男の事をどう思っているか。それは真に迫る程に真との違いが如実となった。

 男の身体が吹き飛んだ。蹴られたのだろう。だが男には少女の姿が見えなかった。

 己の理想となった相手の姿は、もう己の眼に捉える事は出来ない。星の様に、大切なモノは目に見えない様に、色即是空の様に、光の様に。我々は、世界を光の反射により認識する。そして、この認識は透明から分光した虹しか成らない。つまり、世界は相対して初めて見え、また世界が美しい色だとしてもそれは欠陥の光景なのだ。

 だが憧れる事は止められなかった。己の思考を超えて勝手に動く夢の様に。古今東西に神の設定は天多あれ、太陽への羨望は共通なように。

 男は落ちていく。それを少女が追っていく。

 ――お前はそれでいいのか?

 男は虚ろに問うた。星に祈る様に。弾丸はもう無いが、心はそれでも伝わった。その心に対する少女の答えは一つだった。

 ――肯。それが私の存在理由。

 だが、今度は、その後に台詞があった。

 ――何が正しいのか悪いのか、是には判らない。自分の幸福さえ。けど、これでいいのだ。自分のほんとうの幸が解らずとも、自分のやった事で誰かが笑えば、それは自分が笑ったのと同じだと思うから。だから私達は道化るのだ。そして、何より……、

 上手く出来ると、あの人が喜んでくれるから。

 最後の台詞が理想故の答えかどうか、終ぞ男には判らなかった。

 二人は落ちていく。


 大きな衝突音が鳴り響いた。アルマとレドナーが屋上に落下したのだ。屋上が砕け、粉塵が撒き上がる。俺は思わず、マツリを庇った。庇わなければ頭が瓦礫で吹き飛んでいただろう。俺はギフトで強化されていたので、頭に当たっても痛いが死にはしなかった。

 やがて煙が晴れて見えたものは、仰向けに倒れたレドナーと、その胸を踏み刃を突き付けるアルマだった。レドナーの四肢は広げられ、アルマの濡れた髪が垂れていた。レドナーの手にもう銃は無く、遠くに投げ出されてしまっていた。何時かの光景と逆だった。

「そうか」男は何もかも理解できた。男がかつて見た夢はかつてと同じ愛しさで、男の目の前で輝いていた。「……そうか」

 故に負けた。だがそれでいい。例えそれが夢だとしても、それに憧れた心に偽りはなかった。それは己が昔描いた尊い夢。今では訪う遠い何時かの夢。それは決して誰のものにもなりはしないが、それ故に、何時までも変わる事はない。

 その事に、男は安心したのだ。

 その姿を、俺は表情も無く見つめていた。雨は強く降り注いだ。涙の様であり、拍手の様であった。その拍手など知らぬ顔で、男は俺の顔を、横目で見た。

 ――結局はこの様だ。それでもお前はやると言うのか?

「ああやるさ。俺達にはそれしかないのだから」

 ――やはり愚かだな。何も知らず、気だけは大きいのだから……まるで昔の俺の様だ。

「そうだな。けど違う。誰だってそうなんだ。俺だけが特別な訳じゃない」

 ――そうか……そうだな。

「そうさ」

「レドナー、何か言い残す事はあるか?」

 アルマが太刀の切っ先をレドナーの胸に向け、そう言った。言われ、レドナーはアルマを見据え、やがて、口を小さく開いて言った。

「特にない。が、敢えて言えば――例え俺が此処で立ち止まっても、お前達はまた別の敵を探すのだろう。それでいい。神話の英雄の様に、少年漫画の主役の様に、何時か朽ちて果てるまで闘うといい。観客を楽しませる役者の様に」そして最後に、「若者。弾丸が一発残っている。勝手に使え。俺は、少しだけ眠る。起きたら、また、同じ夢、を……」

 レドナーの顔に一瞬だけ懐かし気な感情が浮かんだ気がした。気がしただけで、もうレドナーの眼は閉じていた。何かを失った気がした。もう取り戻せない気がした。

「貴方の舞台に感謝する(Thank you for your fight)」

 アルマの刃がレドナーの胸に深く刺さった。雨粒と共に静かに、傷口から灰色の光が流れ出た。流れ出る灰色の光と共に、レドナーであった何かが流れて行く様だった。人はそれを心というのかもしれない。

 Boyチェッ! 俺は舌打ちした。だから嫌なんだ、大人は。一生懸命になったって、報われるとは限らない。見たかよ、あの最後の顔を。本当は寂しくってたまらないくせに、満足した様な顔しやがって。何もかも解った様な顔しやがって。

 まるで忘れていた昔の自分を見つけた様な顔しやがって!

 だから嫌なんだよ。だからカッコつけた大人は嫌いなんだよ。ちくしょう……。

「レドナー!」

 マツリがレドナーに駆け寄った。泣くのを堪え、レドナーの手を握る。

「Boy! 何だよ、もうアンタにはいるじゃないか。それじゃあ、満足できなかったのかよ。羨ましいぞ、クソッタレ……」

 俺は呟いた。一人だけ場違いな気分だった。闘ってるつもりなのは自分だけな気がした。

「終わったか」後ろから声がした。ケイがいた。彼はレドナーとラエに眼を遣る。「大丈夫だ。数週間は大長編の映画を見終わった様に倦怠感と虚無感がするかもしれないが、命に別状はない。まあ、コイツが昏睡するまで疲労したのを見たのは初めてだから、正確には不明だがな。何時も途中で撤退してたから……それだけ今回に賭けてたという事か」

「そ、そうですか……あの、レドナーを、何処かに連れて行っちゃうんですか?」

「俺達は敵するだけだよ。まあ、あまりに酷い精心病院、あー、しまっちゃうけど」

「……だったら、私がちゃんと見ています。見ていますから、連れて行かないで下さい」

 その声は力強かった。泣きそうな程に。それを見たケイは優しく笑った。

「『愛嬌と云うのはね、――自分より強いものを斃す柔かい武器だよ』、か。どんな英雄も、可愛らしい姫様には敵わんな。古今東西で詩われる愛は、まさに宇宙の星々だ。

 宜しい、なら君に任せよう。レドナー君がどういうかは解んないけどね」

「は、はい! ありがとうございます!」深く頭を下げてそう言った。それが本来の彼女の気質なのだろう、礼儀正しい言動であった。そして、マツリはアルマの方を伺うように見て、「……あの、アルマさんは大丈夫ですか?」

「はい?」言葉の意味を理解できず、アルマから抜けた様な言葉が出た。そんな声も出すのだなと、俺もマツリも驚いた。「……ああ、貴女は良い娘ですね」そう言って、アルマはマツリの頭に手を乗せた。「大丈夫です。アルマは大丈夫です」言い聴かせる様に何度も言った。「けど、ああ、これが喪失感……久しく忘れていました」優しく淡く、微笑んだ。その微笑みを月が照らした。雲は流れ、舞台が明るくなる。雨が止む。「けど、悲しむ事はありません。強い意志は、例え砕けても、また星に成りますから」

 こうして彼の舞台は終わったのだった。レドナーの弾丸はアルマという敵に叩き斬られ、彼の夢は目蓋と共に、幕を降ろしたのだった。――しかし、

 俺は月に照らされる三人の元を離れ、一人、別の方向へと歩いて行った。その方向はレドナーの銃。屋上の端っこにそれはあった。落ちるか落ちないかのギリギリの場所。俺はそれをゆっくり拾った。以外に重く、大きいと感じる。これが命を奪えるに足りる武器。それは何度も使われた形跡があり、銃身は傷つき擦れていた。

「……慧一さん?」

 アルマが此方に気付いた様だ。俺はそれに、落ち着いて微笑んだ。

「『さあ、受け取れ。この偽りを、真実に変えるのは君だ』、か。アルマ、俺は闘う事にしたよ」俺はレドナーの銃を見せる。「ノリじゃないぞ。ヤケだがな。Boy! 全く、ムカつくぜクソッタレー。認めるよ。結局、俺も熱血ガムシャラが好きなんだ」

 恐らく、これは蛇足だろう。ましてやレドナーの舞台を汚す事に成るかもしれない。

 けど、やる。自己満足でも良い。それでもそれが全てと信じるくらいじゃなきゃ、演技なんてやれない。役者なんて誰もが現実逃避で酔っ払いで我が儘で気狂いの道化だ。ならこんなのどれだけ楽しめるかじゃないか。お上品に気取るな。莫迦に格好付けてろ。

 レドナーもそれを許してくれた。たった一発のワンショット。酔うには物足りないが、それが彼の精一杯の優しさだ。いやそれともイジワルか? 結末など解り切っているだろうに。けど、それでも構わない。やってみよう。今だけは、本気で。

「そうとも。一度の人生、素面のまま腐るくらいなら、道化て爆発してみようぢゃあないか」恐れる事はない。土台、如何なる生命も無から生まれるのだ。なら、何もかも駄目に成ったって元に戻るだけだ。むしろ、そうなりゃいっそ清々しいだろうさ。「だからアルマ……ちょっとだけ、俺の茶番に付き合ってくれないか」

「茶番、ですか?」

「そうだ。カーテン・コールだ。だから、つまり――アルマ、この俺と闘ってくれ」

「闘う? 貴方と?」無表情だが、台詞には珍しく疑問が感じられた。彼女は右手を俺に伸ばす。「それは私の決める所ではありません。兎に角、銃を渡して下さい」

 俺は銃口を己のこめかみに向けた、アルマを驚かす様に。そしてその甲斐あってか、今度はアルマも僅かに驚いたような顔をした気がする。そして此方に来ようとする。が、それをケイが、優しく、寂しい微笑みで遮った。マツリは予想していた顔をした。

「(ケイが深く息を吐いて、笑い)成程、こうなったか」

「ええ、俺はこの選択肢にしました。……スミマセン、折角、ここまでお膳立てしてもらったのに。けど、解っていたんでしょう?」

「人生はゲームのように一様ではない。此方側の舞台に立つ選択肢ルートも在ろう。でなきゃこうやって役など与えんさ。慈善事業じゃないのだから。そして君には現実を飛躍するだけの道化ファルスが在った。ニーチェの語る『超人』の様に、喜劇も悲劇も『人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定しやうと』し、笑劇に涙を飛躍する心意気が」

「『肯定』、ですか。やはり、貴方達の役は、否定ではなく……」

「いや、否定だよ。俺達は風刺する道化さ。そして否定を以て肯定するのだ。社会の決めた差別を無視し万民を愛したり、甘い西瓜に辛い塩を掛けたりするような話さ。相反する矛盾を矛盾のまま、グイとばかりに呑みほすのだ。

 俺達は、世間の圧力に『なにくそ!』と闘い、嘘を本当にする瞬間に惚れるんだ。十人十色という様に、ユートピアな試験の満点ではなく、桃源郷なその者の心意気が見たいのだ。神の謳う正義を否定し、その者の信じる正義に拍手するのだ」

「アレですか。自分達は、人類を進化レベル・アップさせる敵である、と?」

「漫画みたいな話だがな。

 ――アルマの力は、特別な力じゃない。人が物語に感動する時、心が熱く成るだろう。それは、熱が物質の電子・原子・分子などの運動エネルギーの伝達である様に、心が奮えているからだ。それと同じ様にアルマの力は世界の心を奮わせ、人を喜怒哀楽させる様に、地を山に、海を波に、空を風に、光を虹に励起する革命だ。アニメの変身する魔法少女や漫画の特殊能力を持つ戦闘少年が社会で認められる大人に成りたい願望を投影した存在である様に、誰をが持つ空想を現実に相転移する可能性だ。妄想を爆縮し、夢と現を核融合し、『サキノハカといふ黒い花といっしょに』が歌うように、喜劇も悲劇も何もかもびしゃびしゃに叩きつけて笑劇にする昇華だ。特殊相対性理論の『E=mc^2』の様に空想を現実に対生成する、世界と劇場を習合する、物語という名の魔法なのだ」

「まるでガイア理論やオカルトの集団的無意識な噺ですね。付いて行けない。けど行けたとして、それで俺は報われたかな? 一生懸命やったら、俺はケイに成れたかな?」

「ソレを決めるのは俺じゃない。だが敢えて言うなら、言ったろ、俺はその者の最高が見たいと。幾らシェイクスピアの劇が最高だからって、皆が同じ劇を描いちゃ意味が在るまい。況や、本人が描いてこそ本人の劇さ」ケイはそう言って眼を閉じた。それは何処か、恥ずかしく懐かしい記憶を思い出すようであった……が、すぐに眼を開き笑った。「アルマ! 出力過剰で過負荷オーバーロードだと思うが、彼と闘ってやれ。二度と後悔など抱かぬよう、完膚なきまでに叩きのめせ」

「ですが……」

「言葉は野暮だ。闘いで語れ。好きというより唇を重ねるように。慧一君も、後悔しないよう一生懸命やれよ。解ったら、『じゃあ、行っておいで――僕はここのベンチにいるから。君を見ててあげる』。『Here's looking at you, kid』ってな」ケイはニヤリとして言った。「そして最後に。応えてくれ。それはもはやありふれたチープな言葉。だがよくお聴き。子供は何時だって、その時にならないと大人を解ろうとしないのだから。さあ、聴いてろよ、いいか聴いてろよ、聴けよ……聴かせるぞ!

 これでいいのか?」

 その台詞に対する俺の答えは一つだった。

「はい、俺はこれで構いません。いえ、俺はこれがいい。是が俺の、真の意志です」

「待って下さい、慧一さ――」

 俺は静かに、引き金を引いた。



 ……第七幕・終

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