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星と共に去りぬ Frankly, my dear, you don't give a damn.

 第五幕『星と共に去りぬ Frankly, my dear, you don't give a damn.』


 眼を瞑ると宇宙が広がる。暗幕の中、虹の星屑が散逸する。それはよく見ると動いており、意識すると自分の後方へ飛んで行く。

 気付くとバイクで走っている。何処かの高速道路で速度を、快感を、神を、世界の果てを、その向こうを、光の先に常に在る暗闇を求め。もっと速く! でないと世界の回転に追い付かれる。だが思う様に速く成らない。もっと、もっと速く! 前に人が

 気持ち良い瞬間は、何時だって壊れる時だ。砂の城の様に、風船の様に、カタルシスの様に、オーガズムの様に、励起状態の様に、超新星の様に、死を横切る瞬間が一番生きている感じがする。事故ってバイクと一緒に寝転がり、夜空を見上げている時が一番安心する。「神、そらに知ろしめす。並べて世は事も無し」。宇宙は無為だ、善や悪の概念無く全てを呑んで宇宙は在る。それでいて時計の様に、全てが予定調和に回っている。そして自分もまた、そんな宇宙の一部と思うと、安心するのだ。

 だがそれは酔っ払いのオナニーだ。素面に成ればまた茫洋に成った。童貞を捨てれば一端の男に成れると思ってた。命を殺せば大人に成れると思ってた。一番に成れば何か素晴らしい景色が見えると思ってた。だが何をやっても満たされなかった。虚無と焦燥が身体を犯した。しかし何より恐ろしいのは、そんな自分に慣れて行く事だった。若い内の情熱的な恋も、老いと共に倦怠していく。心がスカスカと死んで逝く!

 それでも頑張れと言うなら、役をくれ。世界を救えと言うのなら救おう。世界を滅ぼせと言うなら滅ぼそう。ただ何もするなと言うなら何もせず生きて逝こう。星の様に、人形の様に、剣の様に。「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」、それが本当の幸福と信じて。

 ああ、でも、上手く出来たら、褒めてくれると、とても…………………………


「…………ん」

 黒髪の少女が目を覚ました。ゆっくりと半身を起き上げ、辺りを見渡す。

 大きなベッドの上に居た。ベランダに続く月明かりさす窓には夜空と都会の星が散らばっており、此処がとても高い場所なのが見て取れる。照明は消えているものの、蒼い月明かりのさす部屋は仄かに明るい。その明かりで、部屋を見渡す。

 部屋は、ありふれた言葉で言えば、おもちゃトイ・ボックスをひっくり返した様だった。床には所構わず様々な本が好きな頁を広げ寝転がり、その頁を模した人形やおもちゃの兵隊の戦いは中盤戦になった辺りで止まっている。色鉛筆やクレヨンは次に何を描くのか決めて居らず、机の上にはナイフが作っている木の魚のペンダントが在る。

 そんな時の止まった様な、人間が夢から覚めたので玩具が我に返って玩具に戻ってしまった様な、魔法使いの子供の部屋で、少女は一人ポツネンと居た。

「……ふっ、シブい」

 と思ったが、一人ではなかった。自分の隣に、自分より幼い少女が微笑んで寝ていた。マツリだった。

 彼女はしばしマツリを見つめた後、徐に手を伸ばした。こめかみに手を当てて、髪をくしゃくしゃと指でやる。優しい手つきで、そこに在る事を確かめる様に。何時も自分を見守ってくれる人がやってくれる様に。それがこそばゆく感じたのか、マツリが小さく微笑んだ。アルマはその微笑みを見て、同じ様に小さく頬を緩めた。

 それと同時に、自分の右手首に灰色の腕輪が付いている事に気が付いた。

「おや。おはよう、アルマ君。いや、早くはないか」

 その声と共に光が入った。薄暗い夜が逃げ、時間が思い出した様に動き出す。チック・タック、という針の音がしていた事に今気付く。

 扉を開けてレドナーと、もう一人、別の男が現れた。先の台詞は後者の台詞だ。

 それなりの歳の様だが精悍で、中年よりはミドルという感じ。短い髪を後ろに固め、静かに知的な雰囲気を帯び、口元には常に飄々とした笑みを持ち、派手過ぎず高価過ぎないビジネスな服を着る、仕事も日常もそつなくこなすエリートと言った体である。だが、黒い太陽よろしくガンギマリにギラつく双眸は、狂気を隠さず露わにしていた。

 彼こそがマツリの父、つまりWCを創り上げ、此度の劇を創り上げた黒幕だった。

「よく眠れたかね? 眠れる月の美女ターリア

「肯(Yes)。よく眠れました」

「それは上々。君は既知と思うが、読者の為に自己紹介しよう。私の名は、あー、娘と同じ様に偽名でゴールデン・ラズベリー、いや長いな、あー、怪人Xという感じでエクスとでもしておくか。そして二つ名は【王の道化クラウン・クラウン】……いや、これは流石に歳甲斐も無いか?」そう、エクスと名乗る男は道化て笑い、次いで部屋を見渡して言った。「此処は本社とは無関係を装った秘密基地だ。本社の人間でも信頼できる莫迦達しか知らん。家族にも教えていない……はずだったのだが、何時バレたのか、今では御覧の在様だ。一室を愛しの姫様に侵略されたよ」

「そうですか(Is that so?)」

「一緒にいた若者は冬の夜の海に落っこちたらしい。無事かどうかは解らんね」

「そうですか(Is that so?)」

「君の服はドザエモンだったから脱がして塩気をとって乾かしておいた」

「ありがとうございます(Thank you)」

「その間に君を着せ替え人形よろしく色々な服を着させて楽しんだよ。いや、何を着ても似合うね。ま、結局、元々着ていた服に落ち着いたが」

「そうですか(Is that so?)」

「その間に君の裸体を鑑賞させてもらった。まさに絵に描いたような聖女、マリア様な偶像、いや女神だ。数学者が涙する様な美しい黄金比が……いや素晴らしかった」

「ありがとうございます(Thank you)」

「私の事どう思う?」

「エクスです(You're X)」

「やれやれ」エクスは演技っぽく頭を振った。「彼女は随分と大人しいのだね」

 その問いに、レドナーは静かにアルマを見つめ、やがて低い声で呟く。

「言った通り、コイツの力の源は物語、つまり夢や想像や記憶という情報だ。必然、無くなれば反応は淡泊になる。かつてはもう少し年相応だったが……今はこんなものだろう」

「成程。傷付くほど極まる訳か」エクスはアルマに近付き、その顎を手で引く。「美しい。まるで砂糖と香辛料と全ての素敵な物とケミカルXや妄想やで出来た人形だな。『乳白色の肌のガラテイア』、『理想ハダリー』、『夢見る蝋人形シャンソン』、少年の日の思い出の中だけにいる『青春の幻影メーテル』だ。思い出は何時だって美しい。君達の様な存在は、皆、こういうものなのか?」

「それを決めるのは私ではありません」

「ふっ、壊したくなる可愛らしさだ。しかし私は紳士である。ヤるなら品格のある笑劇だ。『劇を続けろ』、『笑わせろ』」エクスはアルマから離れ、Snapと指を弾いた。「そう、物語。生命の主題は『物語』だ。物語られる役者に成る事だ。生きた証を残す事だ」

 そしてエクスは不敵に笑い、身振りを交えて語り始めた。言動はアジを帯び、誘蛾灯の様に他を引き込む万有引力が在った。どす黒く燃える太陽、いや己を爆発させ光さえ吞み込む黒洞々たるブラックホールのようなカリスマが在った。

「私が初めて君達の様な存在に出会ったのはほんの餓鬼の頃であり、それまではいわゆる『何処にでもいる普通の子供』だった。『魔法や超能力があればいい』と思うが、同時に『そんなことはありえない』と思いつつ、一人で深夜徘徊をやっちゃう少年だった。

 しかしそんな時だよ、莫迦みたいな事件に出会っのは。何時もの深夜徘徊で寂れた遊園地に行くと、君達の様な存在がサーカスをやってた! 飛んで跳ねての大立ち回りだ! 花火より煌びやかで、観覧者より高く上がり、ローラーコースターより興奮したよ!

 そこからだよ君、私の人生が狂ったのは。君達は私の信じていた世界を、呆気なく爽やかに打ち砕いた。まるでヒーローになれる魔法のドラッグだ。約束された安堵だ。嘔吐する程の快感を知ってもう戻れない。普通の幸福じゃ満足できない。日常の全てを見下して、行き場の無い熱意だけを持ち、とにかく莫迦みたいに上を目指した。命をかけたギャンブル、特攻染みた戦争の傭兵、伝承の秘境探検など、漫画やアニメのお約束は全てやった。『伊豆の踊子』に憧れて働きながら世界旅行もやった、何時かまた君達に会うために、他人と違った事をしていればまた異常に会えるとでもいう様に。この会社もその一つだ。高卒で起業した。私と同じような愛しべき莫迦を集めた会社だ。そして今ではこのザマだ。我ながら何やってんだろうね。夜に崖だらけの場所で全力疾走してる気分だ。

 無論、これでも、他人からすれば素晴らしく幸福だろう。仕事では莫大な財産と部下を抱え、何万人もの人生を変える力があり、家に帰れば気の利く貞淑な妻がいて、元気が無ければ可愛らしい娘が励ましてくれる。これを不幸というつもりはない。

 しかし、それは正常だ。私が望んでいるのはマネーじゃなくマナだ。ピストルじゃなくファイヤーボールだ。そして君達は全く異常だ。平たく言えば、イかれてる!

 ……しかし、出逢いはそれきりだった。あの時の、舞台に上がる度胸が無く、物陰から見るばかりの私を悔やんだよ。気分はまるで地獄の門に入らなかったダンテ、拍手も無く終わったシェイクスピア、銀月の騎士に倒されたドン・キホーテ、悪魔も無く老いたるファウストだ。私も夜に三度もトイレに行く歳になって、もう諦めようと思った。

 しかし、世の中は上手く行かんもんだ。何処で引っ掛けたのか、我が娘は海外放浪で悪魔メフィストを連れて来た。聴けば彼もまた君達を追っているそうじゃないか。中でも君を、アルマをね。だから私達は協力した。私は後援者ガンに、彼は手足バレットに。そして私は考えたのだ、『逆に君達が私を探せばいいのでは?』と。結果がこの莫迦騒ぎだ。世界に文句がある者に玩具を与えた。大人になり切れなかった者へのプレゼントだ。そして思惑通りキルロイが参上した、いや思惑以上の代物だ!

 全く、最高だぜクソッタレー。六十年は長かったよ。だが星にとっては一瞬か? てか本当に六十か? 最近は今日が何曜日かも解らん。しかし何曜日だろうと君は美しい。一目惚れだ。イかれたよ。絶頂した。もう死んでも良い。どう思うかね君!?」

「はあ、即興でよく台詞を噛みませんね。練習してました?」

 一頁を使う程のエクスの台詞に対し、アルマは淡々と一言で返した。皮肉でも褒め言葉でもなく、率直な応えだった。それにエクスはくつくつと笑う。

「ちゃんと想いが伝わってるか心配なのだよ。自信がないんだね。オナニーな哲学パンクさ。しかし欲求は留まる事を知らないもの。だから私は君に問う。

 君は不安にならないか、怖くないか、怯えないか? この世界に何も残せない事が、自分が忘れられていく事が、何者にも成れず終わる事が。私は嫌だ。『何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのは嫌だ』。そんな私を見て人はこう言うだろう、『莫迦だな』『面倒な生き方だ』『もっと上手に生きろよ』と。或いはこう言うだろう、『解る』『共感できる』『同情する』と。どっちもFUCKだ。このデカダンやニヒルは全部私のものだ。お前なんかに解る程、私は浅い人間ではないのだッ! 

 だがしかし、君になら解って欲しい。いや君なら解るはずだ。だから私は君に言う」

 エクスは、アルマへ右手を差し出し告白した。

「君が欲しい」

「それは私の決める事ではありません」アルマは何時も通りの口調で応えた。「私はマイスターの『アルマ』ですから、所有に関してはマイスターの方に伺ってください」

「ふ、心までは渡さないか? 益々、欲しく成るね。ならよくある台詞を言おう。君が素直に言う事を聴くなら此方も穏便に対応する。しないなら……後は解るね?」

「解ります。しかし、ならばこれもお解りかと」途端、空気が重くなる。ゆっくりとアルマの右手が持ち上がる。アルマの右手が銀色に燃え、星屑が散逸する。「貴方が自分の正義を持つ様に、私は私を信じる者の正義を実行します」

「止めておけ。茉莉がいる」

「ご安心を、レドナー。マイスターなしに勝手しません。つまり、ここは逃げます」そして、アルマは魔法の呪文を唱えた、「〈ブレイズ・ア――」

 其処まで言った、その瞬間、「――――ッ!」、アルマの身体に電撃が走った。思わず身体がビクリと跳ね、意識が飛びそうになる。

「寝ている間に小細工をさせてもらった。ギフトを使えばレドナーお手製の腕輪に電気が流れるからそのつもりで。常人には電気椅子だが、何、君にとっては中学生のエロ漫画みたいなものだろう。それともまだ絶頂も知らぬヴァジニティ、か……ね?」

 エクスは驚いた。何故なら、常人なら煙が上がる程の電撃を浴びせられているはずなのに、アルマの双眸には相変わらず確固たる意志があったからだ。それどころか電撃が強まる程に、右手の焔もまた輝きを増して行った。

「……私の、天多あるギフトの、一つは、〈臨死応戦スターライク〉……効果、は、『傷付いた分だけ、強く成る』……宇宙という暗幕に、浮かぶ星の、様に……役者は、逆境においてこそ、輝くの、です……」

「……は、ははは。いやはや、何というか…………君は少し、少年漫画にゃ強過ぎだ」

「ありがとう、ございます……〈ブレイ、ズ・」

 そう言って、再度、アルマは魔法の呪文を唱えようとした。だが、その瞬間、

「……う?」マツリが目を覚ました。ゆっくりと起き上り、辺りを見渡し、すぐ横に居るアルマを見つけた。「……おはようございます」

 寝ぼけ眼でにへらと笑った。

 途端、アルマの光が弾け飛んだ。それと同時に切迫した空気さえも掻き消えて、先までの静かな空気に戻っていく。まるで暗幕の舞台が明るくなるように。

「肯。おはようございます」

 アルマもまた丁寧に挨拶をした。電流は既に止まっていた。

「――く、ハッハッハ!」エクスは大きく笑った。「クールだね、ステキだね。全く持って最高だ。食事を持ってこよう。役者は万全でないとね。細かい話はその後で」

「……了(Understood)」

「うん、良い娘だ。ではそれまで、ごゆっくり(take your time)」

 そう言うと、エクスとレドナーは出て行った。


「私は子供の頃、よく生き物を殺した。楽しんでじゃない。不安でだ。遊びじゃない。儀式だ。自己同一性の確立って奴さ。自分がこの世界に影響している保証が欲しかったんだ。この世界が在ると確かめていたんだ。矛盾した話だ。生きているのを確かめる為に殺すなど。もし『タイム・マシン』が在るなら、大人の私は子供の私に命の尊さを説教しに行くね。やるなら一人で痛がれ、と。まっ、それじゃ構って欲しい自傷行為なリスカだが」

 エクスとレドナーが人気のない静かな廊下を歩いている。窓に浮かぶ月明かりを受け、エクスは道化て笑い独白する。月は人を狂わせる。レドナーは無表情で黙っている。

「これはその延長かもしれん。全く、餓鬼だな」エクスは、その餓鬼っぽさが愛おしいとでも言うように道化て笑う。「とまれ、これで俺の望みは果たされた。後は君の望み通り、闘いの舞台を用意しよう。二人っきりだ。尤も、色々とデータは取らせてもらうがね。まっ、無粋な邪魔はしない。気兼ねなくヤってくれ」

「……お前はこれでいいのか?」

「私は初心シャイでね。会えて話せただけで十分さ。彼女が眼を開きて見る白昼夢なら、私は黄金の昼下がりに笑う茫洋の猫。ナニを突き挿れるのは、私の粋じゃないという事だな。だから上さんには子供みたいと笑われるんだが。

 まっ、私はお前の恋だ嘆きだと書き散らした恋文で、笑わせてもらうとするさ。想いの言葉で彷徨う鳥をズドンと一発。コレがホントの『的を得る』ってね、ククク」

「俺は……」

「照れるなよ。羨ましいんだぜ? 太陽に向かって蝋の羽根で飛ぶお前等がさ。莫迦みたいだが、私にはソイツが反社会に憧れる餓鬼のように羨ましいんだ」

「いや、俺は……」

 そんなつもりではない、と言おうとしたのか。或いは、負けるつもりは無い、か。いずれにせよ、その台詞を言う前に、エクスのポケットから高い音が鳴り響いた。

「演目中は電源切っとけって? だが失礼。Eコールだ……Boyチェッ! 早いな。まあいい、適当に付き合っておけ。ああ、グッド・ラック」そう言うと、携帯のフタをパチンと閉じた。「追っかけが来るそうだ」

「邪魔をしなければ構わない」

「Sure and sure. 急がせよう」肩をすくめた。そして眼を細めて呟いた。「嘘だ」

 レドナーは目を向けず、だが静かに聴く。エクスは台詞を続ける。

「不感症などありえるか。冷静を気取っても目に焼き付く、それが星だ。だが会って解った。つくづく思う――『俺』は、違うのだな」あの夜に浮かぶ双月の瞳が、六十年に及ぶ旅路の終着駅だ。「更に時を賭ければアチラ側の役者に成れるやも知れん。だが、それでも俺は観客なのだな。舞台の上でも彼女に憧れるんだ。本物には成れない」

「此方は七十年だ。尤も、元々に追っていたのは先代の【魔法の箒星】だが」

 男は思い出す。アルマの前の「アルマ」を。自分が「レドナー」と名乗る前の、そして名乗る事に成ったあの人を。だが、もう、名前も姿も性格も声もよく思い出せなかった。

 それを聴いて、エクスは「ジマで?」と肩をすくめて笑う。

「まるで恋に恋した『千年女優』だな。お前は雰囲気から四十程度と思ってたが、やはり化物だなあ。まあ、お前が慰めの言葉を知ってた事の方が驚きだが。

 けどな……マジになるなよ。私はもう『若きウェルテルの悩み』や『グレート・ギャツビー』なんて歳じゃないし、妻子だって居るからな。無邪気に莫迦はせんし、手前勝手は出来んよ。更年期障害でナニが勃たなくなるのと同じさ。歳を取ると、どんな喜劇も悲劇も青春という笑劇に成るんだ」男は窓から月を見る。人を惑わす、蒼銀の月を。「そしてそれ故に惹かれるのだな、片想いする様に。救えない。そして救えない事に酔っている」

 自嘲する様に、或いは懐かしむ様に笑った。涙が出ないのは、単に歳だからであった。


「――アルマッ!」

 不意に耳に聞こえた叫び声で俺は飛び起きた。叫び声は他ならぬ自分だった。

 何処かの港だろうか、幾つもの大きな倉庫が並ぶ前、俺は冷たい地面で眠っていた。どれほど眠っていたのか、身体は強張り、節々は痛み、海から吹く夜風で震えている。

 どうしてこんな所に居る。そもそも此処は何処なのだ? 波の音が静かに響き夜の闇に吸い込まれる。都会のような光も音も遠い。しかも服は水でぐっしょり濡れてベタついている。どうしてこんな所に一人で眠――

 そこまで考えて思い出した。そうだ、アルマが連れ去られたのだ。レドナーに倒されて何処へと。その時俺は見ているだけで、まるで何も出来なかった。

「――――ッ!」思わず拳を振り上げた。「……ちくしょう」

 だが地面に振り下ろすのは痛いだろうと冷静に考える。いや、元からそんな事できやしない。自分を傷つけて慰める勇気など俺にはない。拳を振り下ろす相手もいない。振り下ろす先を、見失った拳はみすぼらしく膝の上に落ちていく。

 ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。

「期待してんじゃねえッ!」

 だから俺は声を張り上げた。一体、ただの半端役の分際で何を高望みしてたんだ。物語の主役が「そう」であるように、自分も「そう」だと期待してしまったか? ミュージックの歌手が歌う「君」や「貴方」が、「俺」であると勘違いしてしまったか? 自惚れるな。何事も最悪だと食ってかかれ。そうすれば何でもマシだと思える。

 けれどもやっぱり期待する事を止められなくて、けれども今まで頑張った事などないものだからいざという時に何も出来なくて、本気で傷付いた事もないくせに痛がって。

「ちくしょう……」

 その声に応える者は何処にも居ない。声は星の空消えて行く。夜の海のさざ波は、そんな事は興味ないとでもいうように揺れている。

(いや違う)寒い。その冷たさは酔いを醒まし、素面にさせた。(違う。期待なんかしていない。だってそもそも、俺には期待する夢がないのだから。だから、本当は――)

 頭が呆とする。俺は途端に眠くなった。寝ていれば嫌なモノが過ぎて行くとでもいう様に。逃げ癖だ。俺はもう、疲れてしまった。ほとほと自分に愛想が尽きた。無理なら無理と言ってくれ。期待させないでくれ。呆気なく終わらせてくれ。

 もう、放って置いてくれ。

「あー、寒……ん、起きたか土左衛門」声のした方向を見ると、ケイが此方に歩いて来る所だった。「アルマが気を失った地点に着たらお前が浮かんでた。やー、夜の寒中水泳は必死だったぜ」そう言って、ケイは「ほれ」と何かを無造作に投げてきた。俺はそれを受け損ね、何かは地面に落ちて寂しく転がっていく。何かは缶コーヒーだった。「あー、そこは格好良く受け取らないと」ケイはそう笑い、持っていたもう一つの缶コーヒーを俺に手渡し、落ちて凹んだ奴を拾って開けた。「寒いだろう? それ飲んで温まれ。アルマの〈相棒探し〉の効果があるから、それくらい許容範囲とは思うけど」

 確かに異常に寒くあるものの、そもこの冬夜に塩水漬けの服を着て「ただ寒い」でいられる方が異常だった。しかし、我慢強くなっている訳でもなかった。

 コーヒーはブラックだった。持てない程ではなかったがやはり熱く、服の裾を伸ばして持ち、蓋を開けた。白い湯気が顔に当たる。俺は冷ます為にずりずりと不恰好に飲んだ。横目でケイを見ると、特に熱いと思ってない様だった。手の皮が厚いのだ。

「……どうして……助けて……」

 そして俺はボソボソと言った。まるで気を引く様に。無意識にやっていた。途端に恥ずかしく成った。しかしケイは何て事無く応えてくれる。

「アルマが俺を呼ばなかったからだ」

「でも、貴方が来てくれれば勝てたはずです。アルマが認める貴方なら……」

「道化には二種類ある。即ち、魔法使いと影法師だ。で、俺は後者。スターを支える影で、花形を引き立てる草木で、魔法使いの妖精。それが俺の道化の美学であり、心意気なのだ。まっ、子供の代わりに大人が敵をやっつけるもんじゃないという事だね」

「でもレドナーに……ッ!」

「まあ、君の気持ちは解るし、解られたくない事も解る。ましてや自分が動揺しているというのに、相手が余裕な顔をしてるとムカつくよな。

 だがそれでも敢えて言おう、落ち着きなさい。『見上げてごらん夜の星を』。山、海、空、そして星……大きいモノは、皆、静かだ。どれほどの喜劇も悲劇も、あの星々の位置を一ミリだって変えられまい。そう考えると、無宗教でも神のような絶対を見ないか。まるで子供の頃は世界の全てだと思っていた親に抱かれるように、安心してこないか」

 だからどうした、と言おうとして口をを噤んだ。ここでドタバタ言っても何も変わらない。ましてや、悪いのはこの俺だ。

「ま、このまま子供の様に『星に願いを』と見上げてる訳にもイカンがな。星を取ろうとするのが大人であり道化なのだから。という訳で、さあ行くぞ、『鼠の騎士デスペロー』よ。悪い魔王にさらわれた姫の元へ! ……尤も、アルマ君は『白雪姫』や『シンデレラ』や『眠れる森の美女』よろしく白馬の王子様を待つようなか弱く守られる悲劇のヒロインとは違うので、今頃は『リボンの騎士』や『アリーテ姫』に成っとるかも知れんが」

 俺は耳を疑った。俺も行くというのか?

「君『が』行くんだよ。それとも君、ここまで来て降りるつもりか? 大丈夫だって、『プライベート・ライアン』をやる訳じゃないんだから」

「いや、だって、俺の役者不足のせいで……」

「何を気取ってんだ。誰だって最初は初心者だ。それに、ここからが面白い所だぜ?」

「でも、俺は……」

「それともお前――飽きたか?」

 ドキリとした。そんな事は無い、と言いたかった。だが本当にそうか? 俺は今の状況を、天多ある劇の一部にしか思ってないのではなかろうか?

 俺は行く理由を探し求める。作者が自分のキャラクターにそうする様に。アルマを助けたい。ケイを手伝いたい。レドナーを倒したい。マツリに軽口を言いたい。本当に?

 嘘だ。コイツは根っからのぐーたらだ。誰かを助けるのに理由は要らないと言うお人好しでなければ、好奇心で死ぬ猫でも、嵐の様に引っ張ってくれるキャラもいない。

(俺には解らない。どうして物語の主役って奴は自信満々に「自分が何とかしなくちゃいけない」と思い込めるんだ? 自分を特別だと思えるんだ?)

 だが、そうじゃない。特別かどうかは問題じゃない。

(俺は、一体、何がしたい?)

 だが、そうじゃない。何がしたいか、その問い自体が違うのだ。そうだ、俺は――

(俺は、何もしたくないんだ)

 ――私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。

 傷付くのが怖いとか、努力するのがダサいとか、力が無いとか、社会が莫迦とか、人生に疲れたとか、ましてや夢を諦めている訳でも無いのだ。歌や物語に「頑張れば夢は叶う」と言われても、そも夢が無いのだ。流れ星が流れたって、燃え尽きるのを見ているのだ。頑張って空回るという、当たり前の事が出来ないのだ。旅立つ以前に、目的地が無いのだ。生きる意味が解らないのだ。格好付けるプライドが無いのだ。茫洋なのだ。

 ――一際に醜悪で、性悪で、汚い奴がいる。大袈裟な身振りも叫びもやらないものの、好んで大地を廃墟とし、世界を一呑みで喰う奴がいる。それは倦怠という奴だ。水煙草をふかしながら断頭台を夢見る怪物だ。

 本当は何もかも面倒臭いのだ。どうでもいいのだ。素晴らしい夢を見るが涙が努力したり後悔したりする程の熱意や信念はなく、生きる事に意味を見出せねど進んで全てを投げ出すほどニヒルに成れず、世を憂えど犯罪を起こすほど蛮勇に成れないのだ。

 ――汚れっちまった悲しみは、倦怠の内に死を夢む。

 解らない。どうして世の人達は頑張るのか。そんな彼等を見ると自分が間違ってる気分に成って焦り、「これでいいのか」と自問した。けどその問いは余りに漠然として、問うばかりで何もしなくて、頭でっかちに成って疲れ、適当な所で妥協し高を括り、だけどだけどやっぱり心配で……。まるでふりだしに戻るの無限回廊ループ。気持ちを落ち着かせる魔法のドラッグ。己を慰める自己満足オナニー

 ――いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。

 同時に解っている。考えても仕方ないのだ。どうせ素面まともなフリをしたいだけな、明日には忘れる程度の疑問なのだから。「青年たちはいつでも本氣に議論をしない。お互ひに相手の神經へふれまいふれまいと最大限度の注意をしつつ、おのれの神經をも大切にかばつてゐる。むだな侮りを受けたくない」し、むだな侮りをしたくないのだ。だから今日も生きる目的も無く惰性で生きる。

 ――ああ、青春よ、青春よ! お前はまるで劇のようだ。悲劇でさえ、お前にとっては演出だ。畢竟、お前の魅力は、全てを成し得る所ではなく、全てを成し得ると思わせる所にあるのかも知れぬ。大人に成った我々を虚しく思わせて、「嗟乎、もし子供の頃に無駄な時間を使わなければ、何か大きな事が出来たのになあ」と、信じ込ませる所にあるのかも知れぬ。あの頃の私はどんな夢を描いていただろう。どんな困難を耐えようとしていただろう。しかし期待したものの、現実はどうだ!? 人生の夕凪にさしかかった今思い出すのは、あのみるみるうちに過ぎていった春の朝の雷雨ばかりではなかろうか?

 そしてこんな茫洋は古今東西の者がして来たありきたりだ。今もこうして、誰かが描いた物語の台詞ばかりが思い浮かぶ様に。

 ――消えろ、消えろ、束の間の蝋燭! 我らは歩く影法師、憐れな役者の一つに過ぎぬ。舞台では大仰な喜劇も悲劇も出来ようが、終わればもはや何も残らぬ。

(もう疲れた)諦観でも、妥協でも、厭世でもない。ただ眠いのだ。(もう帰ろうかな)

 それでいいかもしれない。何もかも投げ出して、無かった事にしちしまおう。そうすれば気が楽だ。「コマンド:逃げる」。永遠のラスボス寸前。世界崩壊寸前。ヒロイン救出寸前。投げっぱなしエンド。ああ何もかも煩わしい。眠っているだけで、誰か代わりに闘ってくれれば良いのに。幸福とは望まない事。望みを絶つ事。ならもう期待しない。

 もう構わないでくれ。何も聴きたくない。見たくない。言いたくない。一人にしてくれ。もう俺は、誰にも、迷惑かけてくないんだよ!

 ああ誰か助けて――

「泣くな莫迦者。お前は泣いていい程、何も賭けちゃいないだろ」ケイが唐突に口を開いた。それは何時もの飄々とした口調とは違い、他ならぬ俺に向かって喋っていた。「『大人の論理で物を語るな』と子供は言うが、それは阿呆だ。大人は雑多煩雑な社会で生き延びた経験で語っているのだ。その論理を『子供の勝手』『一人でやれる』『本気なのだ』と将来の困難を解った気で語るなら、ソイツは何時までも自分の知った世界が全てと思い込み、何者にも成れず終わるだろう。

 そして逆に、頭でっかちに『こんなものだ』と断じるのも世界が狭いだろう」

「……そこまで言いますか」

「言うね。君は若い。別に世界にゃ君より不幸な者が居るとは言わん。王が何度代替わりしようが、民の暮らしは変わらんように。だが何も賭けていないのに世を儚むのは早計だ。何もかも駄目に成っても、それでも何だかんだで生きるのが大人だよ」

 そんな事は解っている。解っていてこうなのだ。だから俺は誤魔化す様に目を伏せた。そんな俺を待つ様に、ケイはのんびりと煙草の箱を取り出す。

「吸う?」

「いや、吸った事ないので……」

「そうか。ま、湿気た心で吸っても美味かないわな。と言って、俺も美味いから吸ってる訳じゃないが。でも煙草吸ってる大人って良くないか?『紅の豚』とか『風立ちぬ』とかさ。俺は仕事をしながら煙草をふかす親父の横顔がとても好きでさ。特に手が好きだった。親父の手は汚かったが、まさに働く男の手って奴だったな。家族を支えてきた汚らしさだった。時の重みって奴かね。俺の手は……まだまだ綺麗だな」

 ケイは自分の手を見て笑った。それは、何となく解る気がする。煙草の煙は落ち着くものだ。けど、それを真似するという事は、つまり……

「カッコつけですか?」

「然り」そう言いながら、ケイはジッポーで煙草に火をつけた。蝋燭の様に。ソレを吸って、灰色の煙を吐く。「『この世は舞台、誰もが役者』。大人は気取ってナンボのもんだ」

「俺は、チープなスリルに身を任せ、明日を怯えて生きて行くみたいな、見た目だけ取り繕った奴は好きじゃないですがね」

「此方もだ。だが疲れてショゲた大人を見せても、子供は将来にウンザリしてしまうだけだ。だから大人は格好付けなきゃならんのさ。大人は楽しい、ってね。ポーカー・フェイスより、ブラフで笑え。少なくとも、笑劇の道化ならな。笑わせれば良いんだ」

「『笑わせろ』?『笑われている』だけじゃないですか?」

「『笑われる(フール)』か『笑わせる(クール)』か、そんなのは上一重の違いだ。受ければ良いんだ。喜劇であれ、悲劇であれ、そして勿論、笑劇であれ。『俺の人生は、台詞を付ける役だった――後は、忘れ去られる!』、それが道化の美学ですぜ」

「それは、ただの天邪鬼や達観やルサンチマンじゃなくて?」

「まっ、若者なら前線で輝きたいと思うし、俺も昔はヤンチャしたもんだ。親の心子知らず、とな。しかし、どっちもやる事は同じだよ。即ち、笑わせろ! もしこの世界がフザケタ劇なら、俺達は誰かを笑わせるだけで勝てるはずだ」

 そう、ケイは笑った。其処に自虐的なモノは無く、達観でも無かった。むしろ道化の心意気が在った。羨ましかった。

「ふっ。台詞が格好良いからって、ホレるなよ?」

 だが、ケイはそう道化て、俺を現実へ引き戻す。俺は頭を振って、冷静にこう応う。

「……勝つって、何と闘ってるんですか」

「さてな。敵は実に様々で、実に正体不明だ。だが闘おうと思うキッカケはどれも同じだ。即ち、此処じゃない何処かを目指して、だ。それが何処かも、解らんがね。

 だが何処に行っても、逃げたいほど辛い時も、一人に成りたい時も、誰かが君を笑うだろう。それと同じように、君が何を愛するか解らんが、俺は君を助けよう。かつて俺がそうされた様に。尤も、本当の闘いは、君一人でやらなきゃならないがな」

 俺は全く解らなかった。何故、彼はこんなにも助けてくれるのか。誰に対してもこうなのか。あまり光を当てないでくれ。情けなくて仕方ない。俺は俺に、何の価値も見いだせないのに。俺は貴方に、何の価値もあげられないのに。

「だーほ。お前如きに参る程、大人はヤワじゃない。そしてお前はまだ子供だ。大人は年齢で成るもんじゃない。一人前に成って、だ。況や、子供が人の迷惑を考えるな、とは言わんが、銀行家をやっても仕方ない。どーせ今のままじゃ満足できんのだろ? なら失敗したって構うかよ。死ぬ為に生きるくらいなら、生きる為に死ね」

「けど、俺は何をして生きれば良いか解らない」

「何でもいいんだ。確かに人生は劇的だ。誰だって探すものだ、『グスコーブドリ』の様な、この世界劇場における自分の役を。『Are you here?』、『I am here.』、と。だが同時に現実で、選定の剣もお約束も安易な善悪二元もない。だから金稼ぎでも、人助けでも、堕落でも、何でもいいんだ。興味のない事もやってみれば案外楽しいかも知れん。

 好き勝手にやれ、という訳ではない。自分で決めろ、という事だ。何時か旅に疲れ果て、何もかも駄目に成って、全てどうでもいいはずなのに、それでも譲れない何かが在るだろう。生であれ、死であれ。これが君の決めた事だ。これが古今東西の神話が謳う聖杯、『青い花』の見る夢、『青い鳥』の探す幸福、『銀河鉄道の夜』の幻影する緑の切符、『星の王子さま』の暇潰しする薔薇、『はてしない物語』の欲する事、『西の魔女が死んだ』の修行する成果――魔法使いに大切な『真の意志』だ。

 魔法は、今ではキラキラした夢の力に描かれる。だがその真の主題は『魔なる法』――悪魔や邪教や外道を意味する『呪いの文』だ。魔法を使う為には、何に否定されようと、何を肯定しようと、誰が決めたでもない、自分だけの〈テーマ〉を見出す必要がある。お気楽ではない本当の望みを。それは必然かつ、無為に得なければならん。桃源郷の様にな。とても茫洋だと思う。世間に縛られた人生がどれほど安心だったかを知る程に。しかし誰にも保証されないからこそ、それは君だけの宝に成る。

 真面目に成り過ぎるな。他者の決めた絶対を求めるな。生きる事の責任なんて誰も取っちゃくれないのだから。世界は弁解しない、何が善悪か判らずともそれだけは確かだ。

 意志ある所に星は輝く。この星を得る為に、俺達は闘うのさ」

「『真の意志』、ですか。フランソワ・ラブレーやアレウスター・クロウリーの語る、『セレマ』ですね。『神は死んだ』というように宗教改革や物理科学によりもはや安らかな絶対は失われ、神に隷属する時代は終わったとし、故に自分自身の力で何事も無し、己自身が神に成ろうとする思想。オカルトですね。綺麗で、曖昧で、怪しいもんです。そしてそんなのは実存主義という、『~主義』というありきたりな分類の一つに過ぎない」

「加えて言うと、終末論やニュースと同じ、不安を煽るだけ煽って答えを出さない無責任な問題提起だな。だが如何なる学問も方法しか教えられんよ。解答は自分次第さ。常に世界は変わるのだから。世界はナンセンス。在るとすれば、其処にセンスを見出す心意気だけだ。少なくとも、不完全な俺達には」

「解ります。世界が嫌なら、それは世界を感じる媒体の己が嫌な奴だからだ、というんでしょう? けど、自己満足だって酷いものだと思いますけどね」

「はっは。君、自分がアルマを喜ばせているのか不安なのかい?」

「いや、そんな役者不足な事は……」

「だが逆だな。『我ら役者は影法師』。自己満足以前に、プロの役者は拍手も野次も強請らんものだ。必要や不必要など関係なく、踊りたいから踊るのだ。アルマの様にな。だが同時に、それでも君はアルマに何か感じたはずだ。例え彼女が『電気羊の夢』を見ない人形でも、独り善がりなど無い。何だって一生懸命にやれば、星のように眼を惹くだろう。

 心が奮える時ってのは、畢竟、莫迦に成る時だ。宇宙船の為にミサイル作ったフォン・ブラウンも、核爆弾に魅せられたエドワード・テラーも、観客の拍手や野次を気にせず、況や置き去りにし、自分のやりたい事だけをやったのだ。彼等もまた魔法使いだ」

「『宇宙をのぞんだ人間はみんな はじめはウソつきだったんだよ』、ですか。そりゃ、生命の主題は進化でしょうしね。例え『終わりはズタズタでしたが』と成っても」

「それでも魔法使いは旅立つ。魔法使いは、神のユートピアを笑い飛ばす笑劇の道化だ。例えそのユートピアが本当の理想郷でも、幸福にさえ飽きるのだ。停滞に我慢できんのだ。地の、海の、空の、宇宙の、死の向こうを、光の先に常に在る暗闇を、此処じゃない何処か目指すのだ。それに意味は無い。価値も無い。目的だって無い。『僕たちはただ、山の頂上に行きついてみたいのだ。そこに何がある。何があらう。いささかの期待をそれにのみつないでゐる』と言う様に、ただ行きたいから行くのだ。子が親を乗り越える様に。それが生物の本質かも知れん。とても楽で、茫洋な本質だ。

 例え自分で喜劇と思いたくとも、初めに言ったポーカーと同じだ、その劇が喜劇か悲劇かは終幕まで解らず、そして人生という劇の終幕が何時かは言うまでもない。『育ちて樹となれ』だ。小さな芥種が大樹に成る様に、結果を早く求めるな。堂々と衣装を着こなしていれば、演技と評価は勝手に後から付いて来る」

 ケイは肩をすくめた。ソレは自嘲するようでも、楽しんでいるようでもあった。

「さあ、ありがちな悩みに対するありがちな説教も十分だろう。こんなの幾ら聴いたって仕方ないぜ。自分で決めろと説教してるんだからな。矛盾してる。大体、説教なんて惨いエゴイストだ。自分の言い分が絶対と思ってるんだから。

 だから進もう。その黄昏の黄金路が、己を照明し証明する『陽のあたる場所スポットライト』へ続くと信じ。誰かに照らされる月ではなく、己自身が輝く太陽と成る様に」

 ケイはSnapと指を弾きそう言った。まるで舞台裏の劇作家か狂言回し(トリック・スター)の様だった。主役でない故に如何なる世界劇場を回せる、道化の星だった。

「言っとくが、別に【敵】と闘う必要はない。何度も言う様に、俺達に絶対はない。

 だがそれでも【敵】と闘うなら、覚悟しろ。人は夢物語に憧れる。だが憧れは観客の行動だ。騙されてはイカン、憧れのまま通用するのは天才だけだ。都合の良い心意気では、もし夢が現実と成っても、その他大勢の端役のまま、何の感動シーンも無く負けるだろう。そして君は呪うだろう。知らなければ良かったと、『あの頃は良かった』と」

 その台詞を聴き、何故かレドナーを思い浮かべる。あの灰色の男は、何の為に闘うのだろう。アルマを倒す為? 仕事を熟す為? 何も望んでいない? それとも――

「さあ、どうする? 君が俺達を手伝う事に成った時のような、中途半端な選択はするなよ。不完全燃焼の微熱が残る。そして選ばないという選択肢もしてくれるな。確かに、降りるのもポーカーでは大切な事だ。悩まなければ不幸は無い。だが幸福も無い。無劇だ。今まではずっとそうだったかもしれない。だが、闘わなくちゃいけない時は来る」

 一歩進んだら戻れない。セーブなど無い。なら、俺の選ぶ選択肢は――

「……解らない」そうだ、こんなの悪魔の証明じゃないか。答えなんて無いのだ。なら最初から当てずっぽうのマークシートじゃないか。「けど、ケイさんと一緒に行きます。選択ではなく、ただ何となく」

 いや、全くの何となくではないか。彼のお膳立てに出来る限り応えたい、そういう気持ちが在る。……それにまだ、この舞台を見ていたいという気持ちも在る。

(Boy! 何だよそれ。それじゃやっぱり、観客じゃないか)

 けどそれでもいい。それでも俺は踏み出す。自分の意志で。

「考え無しに手札を出すか。フールだね、ステキだね。けどどれだけ悩んだって、取り敢えず幕を上げんと始まらん。人生はそういうものだ。何も解らないまま取り敢えず目の前の問題を対処し生きていくのだ。なら、これは返しておこう」ケイが何かを差し出した。俺のカッターナイフだ。「君が握っていたよ。錆びついてなければ使えるかもね」

 俺はそれを受け取った。俺の刃。これがまだ在るという事は、俺にも闘う意志が在るという事か。何と闘うかも解らないのに。それともまだ期待しているのか。何か起こるかもしれないと。或いは、ただの格好付けな反抗期の不良少年か。

 けどここで降りたらそれこそ無劇だ。なら行くしかないだろ。愚者よろしく眼の前が崖でも構うもんか。むしろそれで何もかも終わるのなら。いっそ勢いよく飛んで

 ――ん?

「どうした?」

 ケイが俺を見ている。俺はボーっとしている。俺は「ボーっとしている」と解っている。そして「……いえ、何も」と言い、カッターをジャケットのポケットに捻じ込んだ。

 そうか、もしかしたら、敵というモノがそうであるならば、俺の望む役は……。

「……なら出発しようか。早くしないと木馬に乗り遅れちまう。ああ、因みに、」ケイはふと思いついた様に俺に行った。「バイクに乗った事はあるかい?」



 ……第五幕・終

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