夜の大追駆子 Call me!
第四幕『夜の大追駆子 Call me!』
《世の中に跋扈する左巻きの赤トンボめ! エンゲル係数に代わってボコボコです! おいでませ! 必殺・現実蹂躙奇跡銃!》BLAAAME!
《莫迦な、こんな奴に俺様ぎゃああああああああッ!》BOOOMB!
魔法少女マキナちゃんが因果子を超光速射出し宇宙怪獣ギーラ・ギルム・ギガンギガンをアカシックレコードごと葬った。討伐数が増えるよ!! やったねマキアちゃん! けど彼女は忘れない、自分と闘った敵を。さよなら宇宙怪獣! ハロー真っ赤に輝くサンシャイン! だけど敵はまだまだいるぞ。平和は次の戦争の為の準備期間! 彼女の闘いはこれからだ! 次回は『新世紀ロマンシングメモリアル改Ver.√3~そして虚無へ~』をお送りします。のーみそくちゅくちゅしちゃうよ♪ テーレッテレー。CM、ダッ! ネットが世界を覆う時代。全ての意識が一つに成る時、何が生まれるのか。地球の意志か、金の子牛か、それとも――。『神造計画 All et One』、宗教家たちに絶反放送中! 放送局の前に猫の死体置いていくのマジで止めろ。タッターゥン♪
「何DAコレ」
静かな夜の中、可愛らしい声(及び断末魔)と美しい光(及び焦熱)が俺の部屋に散っていた。事はケイの好きなアニメを見始めた事に始まる。
「とにかく戦闘シーンがハイセンスで特に技のインパクトの瞬間とか高速戦闘のエフェクトが(略)小奇麗な静止画だけじゃなく良く動くんだ細かく見るとフェイント入れたり視線誘導したり(略)適度なデフォルメでリミテッドされた省略と誇張の緩急や大袈裟なフォーカスや(略)元々に『ラフ・ヒーロー』というオムニバス形式が在ってそこで人気だったキャラは主役化されて別途細かいストーリーが(略)これはその一つの『魔機少女デウス・エクス・マギナ』といってごく普通の小学生牧菜が(略)(略)(略)」
ケイが説明するが、最近、この手の奴は殆ど見ないからよく解らん。流行も知らん。新聞もTVも見ないから、現実の社会情勢も芸能人も良く解らん。てかこの人は大人でアニメを見るのだな。アルマも相変わらず無表情だが、ジッと見て身体を動かしたり時折にビクリとしたりするので、割とノっているのかもしれない。
まあ、確かに、そのアニメはよく出来ていた。様々な実験的な演出を施していて、よく解らないが「小難しくやるくらいならいっそパンクにしちまえ!」という勢いがあった。EDまで凝った作りで……って、あれ、テロップの制作会社の欄にWCの名前が?
「スゴいなあ」無意識に言って、頭を振った。それは己の無力さから来る言葉であり、それで相手を褒めるのは違う気がした。「でも、大人がアニメってのは、何かアレですね」
「(ケイが笑う)能ある鷹は爪を隠す、さ。道化て君の緊張を和らげているのだ」
「そうなんですか?」
「んにゃ、ただの趣味だけどね。しかし、じゃ、何をすれば大人なんだ? 高尚に、感傷的な黒澤明の『生きる』や、紳士的なショパンの『別れの曲』やシューマンの『トロイメライ』やドビュッシーの『月の光』やサティの『ピカディリー』や、敬虔な『主よ、御許に近づかん』や『主よ、人の望みの喜びよ』や、気取ったキリコの『通りの神秘と憂愁』やゴッホの『星月夜』でも嗜もうか? こういうのは自国じゃ下等星だが外国じゃ一等星なのを上げると通ぶれます。他には、『2ちゃんねる』や『FLASHアニメ』や『フリーゲーム』とか? やあ、アレ等もSNSや動画サイトの発達で過疎ってったなあ。古今東西の常だ。西洋剣術は火薬と銃に、映画はTVに、人間の戦争は機械に取って代わられる。中学生の脳内嫁が新しいアニメ・ヒロインの出る度に取っ替え引っ替えされる様に。ああ、『諸行無常の響きあり』、『兵どもが夢の跡』、『川の流れのように』」
「いや、それ等は単に古いだけな気が……。つまり、アニメでも『カウボーイビバップ』や『パプリカ』や『ストレンヂア』なら映える、って話です。最近はその手の娯楽が市民権を得て来たと言うけど、昔の方が流行ってましたね。少なくとも、大人も子供もお姉さんも、本氣で熱中していた。今じゃ面白ければ良いという思想のない子供の物だ」
「思想、ねえ? まあ、『ドラえもん』や『クレしん』も、見方によっては大人向けだしな。『火の鳥』や『デビルマン』や『ゲッターロボ』や『魔獣戦線』や『宇宙戦艦ヤマト』は況やをやだ。『R.O.D』も良い。因みに、ナンシーさんのすり抜け能力って光子や重力子を貫通して透明に成ったり無重力に成ったり出来るのだろうか」
「まあ、アニメの設定です適当じゃないですか? そう真面目に考察しなくとも……」
「おいおい、さっきと言ってる事が違うじゃないか。選り好みしてるのか?」
「いや、そういう訳では……」
「そりゃ、真面目が高尚という訳じゃないし、真面目は疲れる。高級フレンチばかりじゃ、たまにゃジャンク・フードを食いたくなるのが人の性だ。尤も、誰にも解る面白さというのは、やり込みのないゲームと同じだが。
けど夢物語を真面目に考察するのが大人の楽しみ方さ。例えば、量子力学的にこの世は情報でありパソコンの切り取りや座標変更のように移動できるとか、しかしそれはテセウスの船やスワンプマン的にどーなのかとかさ。そういう考察をやる大人が、星を見上げるばかりに飽き、月に小さな一歩を刻むのさ。受動的な夢ではなく、能動的な現実に。少なくとも、夢やロマンだけじゃ宇宙ロケットも出来んね。物語だって技術が無きゃあ。
まっ、要はどれだけ本氣に成るかさ。『星の王子さま』の暇潰しした薔薇の様にな。本氣に成れば何でも神で、成らなきゃ如何なる宗教もルサンチマンだ。子供向けな『ディズニー』や『ドラえもん』は『ファンタジア』や『夏の夜の夢』をやり、大人向けな『ロミオとジュリエット』は若気の至りな笑劇と成り、低俗な娯楽は純文学に成り、歌舞伎やバレエは娼館と成るのさ。御都合主義な子供には難しいかニャ?」
「子供扱いしないで下さいよ。俺だって大学生、衒学は一人前です。
けど、そんなら大体の現代の作品は古典の焼き直しだと思いますよ。少年漫画ならマイナーな主人公が事件を解決して社会に認められる『一寸法師』や『桃太郎』の、いわゆるループ物や多世界物ななら古今東西の神話や哲学家の古典です。現代人に出来るのはCGや3Dなどの発達だけで、発明じゃない。もっと洗練された古典を見れば良いんです。ネットもない時代で社会現象を起こした古典をね。最近のはネットですぐ流行に成ってすぐ廃れる。回転寿司か魔薬みたいだ」
「ネットと言われても、俺ァPCはおろかTVも持ってないけどなー」
「マジですか。世界情勢に詳しいと思ってましたが……」
「詳しいよ? ただ、俺達はマイナーな問題に対するお助けマンという事さ。それに本当の話が知りたければ、その他大勢向けの情報より専門家に訊く方が良いしね。
ま、現代も数年すりゃ古典に成るさ。そんなら人類の物語なんて聖書だけで十分だよ」
「いや、それは……まあ、何時でも同じような恋の歌や自己啓発の物語が流行る様に、本氣に議論しない青年たちには気に入れば何でもいいのでしょうが」
「まあ、誰もが読書家な訳じゃないし、ゲームよろしく『強くてニューゲーム』は出来んしな。『市民ケーン』は、内容は一般人が成功した末に破滅するというアメリカン・ドリームを書き切っており、編集は現代の撮影技術の九割が是の後追いであり、映画作家にゃ一等だが、一般人にはそうとも限らん。大体、是は監督自身の人生の方が面白いし」
「そうです。古典を知らないなんて地球外生命体と同じです。なのに地球を語るなんて、性行為も知らず薄い本を書くようなものだ。まあ、それでも人は興奮するものですが」
「でも、仮に面白くないとしても、下らなさは必要だよ。でないと『冷たい方程式』に成る。役者にもね。役者に大切なのは、バナナの皮で滑るような堂々とした余裕さ」
「恥じるな、という事ですか。アルマのように?」
「んにゃ、アレは、待機状態はただの省エネで、戦闘状態は何にも考えてないだけだ。早く一人で闘えるように成って欲しいのだが……ま、急いても仕方ないか?」ケイはアルマを見る。すると、何時の間にかケイを見ていたアルマは目を逸らした。ソレにケイが肩をすくめて笑う。「まっ、有体に言って、場末のスナックやインスタントや回転寿司に高尚を求めても仕方ないという事だな。進化主義も結構だが、それぞれの良さが在るのだ。面白さは見出すものだ。俺なんて、生クリームよりバター・クリームが好きだしね」
「俺はどっちも好みじゃないです。微妙な甘さが……てか、そういう噺ですか?」
「そういう噺だよ。少なくとも人間にとっちゃ、善悪なんて好き嫌いや流行の問題さ。何かで正しいものは、別の何かじゃ間違ってるもんだ。尤も、賢者も愚者も、王も庶民も、神も悪魔も、全てを笑わすのが笑劇だがね」
まあ、息抜きというのは大切だろう。宗教劇に対する世俗劇の様に。
けど、俺はそも始めてすらいない。歳ばかり食ったただの愚者だ。俺は今まで生きて来た時間に見合う物を、得ているのだろうか。だが疑問したって意味はない。何がやりたいのかも解らないのに。ああ、また頭でっかちに考えてる。
「どしたー?」
CMから目を離し、ケイが不意に笑いながら言って来た。俺の悩みに気付いたのか。
だが俺は頭を振って、「いえ、別に……」と愛想笑いした。その事に俺は恥じた。それはさも「何かあるけど敢えて言わない」という気を引きたい狡猾な子供の言い方だった。
「……アルマ君」
ちょいちょい、とケイがアルマを手招きし、近寄ってきたアルマに何やら小声で耳打ちし、頼んだよとでもいうように頭を撫でた。アルマが犬の様に目を細める。
「了(Understood)」そして静かに応え、俺に手を伸ばした。「では、案内しましょう」
「……何処に?」
俺は無意識にそう問うた。一方、少女は何て事なしにこう応えた。
「暗幕の中に、です」
俺は『魔女の宅急便』の冒頭である、キキが修業のために村から飛び立つシーンが好きだ。無音の夜空を一転して賑やかにする『ルージュの伝言』、高度を上げるキキと共に現れる「魔女の宅急便」のタイトル、続くOPテロップ。素晴らしい。冒険の始まりのお手本である。「お楽しみはこれからだ!」という感じがとてもワクワクする。
どうしてこうも人は空を飛ぶ事に憧れるのだろう。楽しそうだからか、自由そうだからか、好奇心か。俺は思う。それは、此処じゃない何処かへと行きたいからだ、と。
そして今、自分は夜空を飛んでいる。
「うっ、おおおおおおおおっ!?」
だがその飛行はとても素晴らしいものではない。俺は生身で空を飛んでいた。その感想を簡潔に言えば、身体を固定する装置の無いローラーコースターに乗ってる気分。レバーに必死に掴まり、早く終われと意識を閉じて耐えるしかない。その緊張感たるや突っ走る自動車の窓から顔を出したまま眼を瞑るかの如しだ。そう言えば、それで電信柱か何かに当たり首の上が吹っ飛んだという噂話を思い出す。冗談じゃない。
だがそんな恐怖も、横を見ればすぐに消える。息を呑むとはこの事だった。
アルマが星の泡が浮く夜の海を泳ぎ、耽美な指で夜の海に蒼銀の軌跡を描く。Quonという静かな月夜の湖畔に波紋が広がる様な久遠の音をさせて、右手に銀の星を燃やす。
その様は、地上からは止まって見えるのに実際は太陽の重力さえ振り解く第三宇宙速度を持つ、太陽系を越え宇宙を旅する、彗星という魔法の箒で空を飛ぶ魔女の様だった。
「これは私の天多あるギフトの一つ、〈我が道を往く(ゴーイングマイウェイ)〉。効果は『向きを変える』。物理的な運動ベクトルは勿論、精心的な向きも変えられます」
鋼鉄の翼も無く、燃料を燃やす機関も無く、空に向かって落下する。
今の高さはどれくらいなのだろう。少なくとも超高層ビルが星になる程に高い。見下ろす街は、ありきたりな表現だが、模型を見ている気分だった。残念ながら、普段の地上の風景をあまり知らない俺には、こうやって上から見てもそう感慨は湧かなかったが。
そうか。日常を隅々まで楽しんで非日常の驚きがある。今いる此処が楽しめなければ、新しい何処かへ行っても、きっとまた同じ事を繰り返すだけなのだろう。ましてや現実逃避して新しい場所なら上手くやれるだなんて、それは世界を舐めている。現実の通学路に咲く花の名前も知らないで、見知らぬ夢の異世界を目指して何に成るのか。
(また頭でっかちに成ってる。『夜な夜な夜な』と反省文。こんな時くらい楽しめよ)
「けど、然りです。世界は広く、多いです。別に、物語に剣と魔法と竜の異世界を夢見ずとも、少し足を延ばせばもう異世界です」不意に、アルマがそう言って来た。彼女は、言葉にしなくとも此方の心を感じ取る。「所で、寒くないですか?」
そう言えば寒くない。航空速度からして、呼吸さえ困難なはずだ。なのに車の中のように音も風も静かである。これは一体……。
「そうか、〈空の殻〉とかいう奴か。風を遮断しているんだな」
「肯(Yes)。暖かくなる訳ではないですが、平時と変わらないはず。如何ですか?」
「ああ、そうだな……」俺は、少しだけ考えた。折角、という言葉がちらと浮かぶ。そうだな。折角、生身で飛んでるのだ。「君が良ければ、殻を緩めてくれるかな。風が当たる方が、飛んでる、って感じがしないかい?」
「アルマは大丈夫です。了(Understood)」
小さく肯き、Quonという水の音が鳴った。すると唐突に風が顔を押した。空気が粘度を増し、俺は水に溺れる気分に成り慌てる。先程までの静かな飛行と打って変わる。眼がすぐさま乾燥する。何より寒い。自分で言った事だが、もう少し緩やかにしてくれよ。
けど、やはりこれで良かった。寒さが心地良かった。何故って、それは、彼女の左手の温かさがより感じられたから。
それに、慌ててばかりじゃ様に成らない。俺は落ち着き、軽く笑ってアルマに言う。
「これ、空飛んでるの、他の人に見つからないかな?」
「問題ありません(No problem)。ギフト〈情報空間〉を用いて認識を改変し、存在の解像度を下げています。現在の存在度は石コロ並。派手な事をしない限り気付かれませんし、気付いたとしてもぼんやりとしか感知できないでしょう」
「はあ、便利なものだ」
「けど、一応です。そんな事をしなくても大丈夫だと思われます」
「? それはどうして?」
「何故なら普通、人は空を飛びませんから」
確かにそうだ、と俺は小さく笑った。
アルマは道を走る自動車と同じ高さまで下りて行った。トラックの荷台の屋根に捕まり引っ張ってもらう。道路を歩く人々や街路灯を横切っていく。成程、本当に気付かれない。その後、アルマはトラックを押す様にして、ふわりと空に戻る。
「これでも私、誰かを殺した事がありません。少なくとも、記憶の限りでは」アルマが唐突に行った。「尤も、私達の舞台に置いて生死は二の次ですがね」
「そう……それは解ったけど、いきなり何?」
「貴方は、当たり障りのない事しか訊きませんね、私達の事。別に、仕事が終わったら記憶を抜くとかしませんよ? 尤も、貴方は試用期間なので多くの舞台裏は秘密ですが」
ドキリとした。だがそれを誤魔化す様に俺は愛想笑いする。
「まあ、俺は、主体性のない漫画の役者よろしく、典型的な日本人だからね。流されるまま楽しんでいて、つい訊くのを忘れてた。まあ、アレだ。俺のスダチで有名な故郷には『踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿保なら踊らにゃ損々』という言葉が在る。酒場の雰囲気を楽しむだけで十分なのと同じさ。娯楽に真面目に成るのは場違いで、『不思議の国のアリス』の面白さはツッコミという常識の不在による衝撃的な不条理と弛緩に在るのだ。と言いつつ、俺は酔う程に醜態を晒すまいと冷静を気取るのだが――」
ああ、何言ってるんだろうな俺は。どうでもいい事ばかりベラベラと駄弁ってる。一方、彼女は鋭く、静かに、短く、俺の心を突いて来る。即ち、
「それとも、興味が無い?」
「まさか! そんな事は……」
そんな事は、ないはずだ。訊きたい事は山程ある。
ただ、怖いのだろう。出来過ぎている、と。素面に問えば、夢のように消えてしまうと思っているのかもしれない。――本当にそうか?
「成程。そういう無垢な受け取り方もアリでしょう。しかし、芸術は芸術単体ではなく、作者や技法や時代などの製作背景を知る事により別の色を魅せます。恋愛と同じですね。デートで演技する彼女ばかり見てると、結婚してからガッカリしますよ」最後の台詞はケイの受け売りだろう。次の台詞は解らないが。即ち、「それとも、私が怖いですか?」
それは、見た目によると思う。明らかに化け物ならば怖いだろう。けど、可愛ければ、例え世界を滅ぼす怪物だって同情されるだろう。そしてそう同情する主人公に対して、ヒロインはこういうのだ、「貴方みたいな優しい人は初めてだ」と。
Boy!「初めて」か。これには参る。出会い系かよ。処女信仰かよ。俺だけじゃないよ。皆、君を好きになるさ。況や、君の隣には何時だって――
俺はそんな気持ちを露わにはせず、頭を振ってはにかんで応えた。
「まあ、人外の少女に対する日本人の適応力は高いから」
台詞を間違えた。
「それは偏見ですね。古今東西、若さと無垢には憧れるものです。『過ぎたるは猶及ばざるが如し』――もしかしたら、かつての青春を取り戻したいのかもしれません」
物は言い様だと思いました(後、その諺使い方違う)。
「しかし、特に思い詰めていない様で良かったです。何か落ち込んでいる様なので、慰めてやったらどうかと、マイスターが言っていましたので」
恵まれている。脳裏によぎった言葉はそれだった。次いで、どうして、という思いが湧き上がった。どうしてそんなにも心配してくれるのだろうか、と。
けど、慰める、か。ならこうやって空を飛ぶより、ベッドの上で飛ばして欲しいぜ。命令すればやってくれるのかい? 止めろ阿保。そんな甲斐性も責任感も無い。己の汚いモノを注ぎ込んで自ら台無しにしてどうするのだ。そんなの白昼夢で十分だ。
「尤も、今は夜だから、『銀河鉄道』という所だがな。それでも八月前後だが」
「なら私は『緑の切符』です。望めば南十字にも惑星大アンドロメアにも参りましょう」
「それは凄い」淡々とした台詞に、俺はニヒルに笑う。「なら、遠くまで行こうか」
「何処までです?」
「何処までも」月が夜を見渡す眼に見える。旅人を優しく見守る眼。「君と一緒なら、俺は火の中も暗闇の中も怖くない。このツマラナイ世界を抜け出して、何処までもこの夜を西へ行こう。朝日に追いつかれない様に。腹が減ったら自販機を壊して金を盗もう。寒ければ二人で温め合おう。飽きたら俺を置いて一人で帰れ」
――じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと 完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする この変態を恋愛といふ
月が夜に空いた穴に見える。異世界へと通じる栄光の穴。
落下して飛ぶ空はあべこべで、どちらが上か下か解らなくなる。星は泡沫で、気分は羊水の海に眠る胎児で、現実感が無くなって、いっそ消えてしまいたくなって……それがすんでの所で踏み止まれるのは、左手の温もりが恋しいからだった。
このまま何処までも落ちて行こう。世界の果てへ、その向こうへ。誰も何も居ない所へ。世の中に起こることの何もかもを、聞かず、見ず、言わず。
そう言ったら、彼女は何と言うだろうか。駄目です、と否定するのか。良いですね、と肯定するのか。いや、解ってる。解っているさ。彼女が言うのは、これ一つ。
「了(Understood)」
否定も肯定もせず、ただそのままに受け止めるのだ。
「……冗談だよ」
止めてくれ。酔っ払いの冗談さ。此方からお断りだよ。そんな覚悟、俺にはない。
夜空に星々が光る。何光年も離れた星は繋がって、星座という物語を作る。銀河鉄道の線路を作る。その線路を、彗星が走る。その夜行列車は何処へ行くのだろう。それは俺の知らない何処かだろう。俺には見ている事しか……。
「……あ」
アルマが何かに気付いた様に言った。その「あ」は予想していたものが来た時の「あ」であり、驚いた様子は無い様だった。そして、すぐ俺にもその何かに気が付いた。
後ろで何かの音が小さく鳴っている。大きな物体が風を切る重低音。機関銃の様な連続音。俺はこの音を知っている。見なくても予想がつく。
機体上部にあるメインローターを動かし揚力を得る乗り物。空中停止は無論で機体によっては横転(ロ―ル)や宙返り(ループ)といった曲芸飛行も可能であり、狭く複雑な地形でも飛行できる、高度な立体運動能力と安定性を持つ回転翼機。
明らかにその音は、此方に向かって飛んでいた。でも、まさか、ありえない。
「世の中に『ありえない』はありません。あるとすれば、無知から来る不慮だけです」
俺はゆっくりと後ろを向いた。そこにはヘリコプターの左から半身を外に出し銃口を構えるレドナーと、右に操縦桿を握りヘッドセットを被ったマツリの姿が見て取れた。怪物の眼のように照明を光らせるヘリの中で、可愛い笑顔で手なんか振っている。わーお。
俺のそんな気の抜けた感想を合図に、レドナーの銃から弾丸が放たれた。アルマが重力方向を変え緊急回避。弾丸が腹をすれすれに飛んでいく。
「貴方の切符を手放さないでください。これより空中戦闘機動に入ります」
そう言うと、彗星は速度を上げた。
謳え、DAY☆DREAM! BGMは『Woo Hoo(Ver.『キル・ビル』』! ポチッとな――と、ヘリが炭酸の抜けた酒のような音楽を鳴らし始めたのは少し前。
レドナーの弾丸は破壊的で、その狙いは絶望的だ。夜を駆ける一つの彗星を、全の流星群が追いかける。ヘリの上という不安定な場所に居るにも関わらず、高速戦闘にも関わらず、コンピューターの弾道計算も借りないで、レドナーの狙いは的確だった。
対してアルマはレドナーの銃口の向きを感覚し、敵意が放たれる瞬間を狙って回避する。左右上下に小刻み揺れて飛ぶ。この的を絞らせないようにとにかく動く回避運動をジンギングと言い、この様な特定の飛行機動をマニューバと言う。更に急旋回するブレイク、間髪入れず旋回方向とは逆方向に横転し螺旋を描く様にして飛ぶバレルロール、次いで斜めに180度下方宙返りするスライスバック、今度は180度上方宙返りして頂点で横転し水平飛行に戻るインメルマンターン、そして蛇行するシザーズなどと曲芸をコンボする。ドリフトだってこなします。
アルマとレドナーは早指しチェスの様に変化する状況に即座に最高の行動を予測し最強の演出を確信し最高の自分を魅せ付け合う。刃と弾丸が飛び合う。子供が筆を想うままに振る様に黒色のキャンパスを駆け抜ける。傍から見れば中々カッコいい動きだろう。
だが当の俺は『トップガン』よろしく内臓が振り回されブラック・アウトし気絶するのも時間の問題だった。戦闘機ってこんな感じなのだろうか。ああ、吐きそう……。
《コリャー、逃げないでちゃんと闘えーッ!》そんな所に、不意に回転羽根の低音を貫いて電子の高音が空に響いた。拡声器でも積んでるのか、マツリの声だった。《闘いの基本は正面衝突じゃろ! ヘッドオーン! 当たって砕けろッ!》
この場合、比喩ではなく本当に砕けそうである。自動車にぶつかった蜻蛉の様に。
「逃げている訳ではありません。戦力を見極めているだけです」
《Oops!? インカムからアルマさんの声が聞こえる? まさか〈電脳妖精〉という奴か!? ヤバい、ヘリが乗っ取られる! 脳を抜かれる!》
《通信機器の使用を限定的に許可しているだけだ。害的には使わせない》
二つ目の低い電子音はレドナーの声だった。どうやら彼にはアルマに抗う力を持っているらしい。それもそうだ。ギフトが容易に通るなら、ヘリを楽に落とせるだろう。
だが、マツリがヘリを運転できる理由は不明だ。彼女はどう見ても中学生くらいで、日本のヘリ免許の取得は17歳からだったはずだが。てか勝手に飛んで良いのか?
「空にも法は在りますよ。そして出来るだけルールには従うべきです。尤も、それは表舞台で生きる常識……私達の舞台には今更でしょう。私なんて生身で空飛びますし」
そりゃそうだ、と納得すると同時に俺の当たり判定を弾丸がカスった。
《Shit礼な、ちゃんと資格もあるし許可もあるわいっ! 因みにこのヘリはWCの製品でござい。お名前は『DAY☆DREAM』。スゲー、バヤいですぜ!》むしろネーミングセンスがスゲー、ヤバい。居眠り運転ってレベルじゃねーぞ。《そして私は知ってるぞ、アルミャさんには論破よろしく意志ある攻撃が効果的だと。ならば攻撃ヘリのハートレスな機関銃より、ハートフルな私のレドナーの弾丸の方がきっと強い。故に、さあ、レドナー! 移動は私に任せて撃つべし! 撃つべし! あべしッ!》
《あまり喋ると舌を噛むぞ》
熱い台詞に対し、銃の様に冷たい声。しかしその言葉に同意である。元気な事は良い事だが、付き合う方は一苦労だろう。追いかけらたりされれば特に。
「このまま迎撃するのか!?」
俺は声が風に飛ばされないよう叫んだ。或いは、無意識に気が動転しているのかもしれない。スカイハイだ。一方、アルマは何時も通り刃の様に冷静に、
「肯。このエンカウントは偶然ではないでしょう。相手は此方の位置を把握する術を持つと予想されます。ならば逃走は難しいかと。ですが、レドナーは強敵です。空は今日一日重い低気圧に覆われ、かなりの悪天候が予想されるでしょう」
「そんな天気予報みたいに言わなくても! どうするんだ!?」
「では四つの手段を例示します。一つは〈銃謳無尽の鋼進曲〉。効果は『対象を飛ばす』。速度・軌道・音光の有無なども設定できます。弾が無いので代わりに貴方を発射します。二つはお馴染み〈シエル・シェル〉。とりあえず大気中の窒素を1700℃と110万気圧で圧縮した爆弾を生成します。理論は私も知りません。三つは〈CUBE〉。効果は『結界の作成』。次元断層に隔離します。なお、隔離対象を元に戻すギフトは忘却中です。四つは〈カッコーの巣の上で(レクイエム・フォー・ドリーム)〉。効果は『幸福を与える』。その力は魔法の薬並みです」
「オーバーキル過ぎる……! その選択肢どれを選んでもバッドエンドじゃないか!?」
「冗談です」アルマは機首を上げた。虚を突かれたヘリは、思わずアルマを追い越してしまう。「必殺――『木の葉落とし』」
さながら木の葉の様にヒラヒラと舞うそれは、急上昇により意図的に失速状態となり相手を追い越させ背後に回り込む空中戦闘機動。実在した技か解らない、だがこれ程までフィクションを熱くする技もそうはない、かつて零式艦上戦闘機のお家芸と言われた、掛け値なしの必殺技であった。
「〈シエル・シェル〉」そして魔法の呪文を唱えると、硝子の割れるような音と共に、アルマの周りに幾つもの白と黒の弾丸が出現する。「〈銃謳無尽の鋼進曲〉」
炭素と水分子が圧縮され黒い金剛石と白い氷の塊と成り、銃も火薬もなく超音速で飛翔する。総勢五十。だが相手は高機動ヘリ、隙を付いたと言え、十発当たればいい方か。
十発どころか五十発全て当たった。その内、相手の装甲を貫いのは皆無だった。
《Tut-tut, too easy! そんな攻撃ぢゃレドナーの「絶対恐怖領域」は砕けない!》
ヘリは旋回して、レドナーが弾丸を撃つ。アルマはそれを回避して、距離を取る。
「ふむ、頑丈ですね。今度はもっとハード・ロックに行きましょうか」
「だけど……ッ!」
俺は言葉を押し止めた。「だけど」、何だ? 足手まといがいて闘えるのかとでも言うつもりか? 言えっこない。言ってしまえば、本当にそうなってしまいそうだから。
「アルマは大丈夫です。任せてください」
彼女は何時だって落ち着いている。彼女が大丈夫と言えば、大丈夫な気に成ってくる。
しかし、やはり難しいシーンだと思う。ヘリは無論、弾丸の男も強敵だ。それに強引に攻撃するとヘリを破壊してしまい、ともすれば街に落ちて二次災害を生みかねない。
「於戯、そうですね。それは大変です」アルマはその事に今気付いた様に応えた。「しかし変わった事を言いますね。己は事件に関わりたいのに、他は関わらせたくないとは」
そうだ、これは矛盾している。俺はこんな非日常の出来事に出会いたかった。それは俺だけではないはずだ。なのにその出来事を遠ざけるのは、俺のやっていい事か?
「とまれ、無闇に部外者を危険にさらすのは問題です。相手も無頓着な敵ではないですが、配慮に越した事はないです。ならばここは一先ず、人気のない所まで逃げましょう」
《待てルパーン!》
「私はルパンではないのでまた今度」
アルマは飛び込む様に、僅かに上昇してから急激に下降した。左手を握る俺もそれに続いて下降する。ヘリも追って下降する。重力加速度に従って毎秒ごとに速度が上がる。
しかし速度はヘリに及ばない。揚力の関係でヘリの最高時速400km。方や、人体の落下速度は空気抵抗の関係で最高時速300km。これでは追い付かれる。
そして弾丸はそれさえも優に超えてくる。その速度は超音速、即ち時速1224km以上。その兎の糞のような大きさと質量に、一体、どれ程の敵意を込めれば弾丸など出来るのだろう。どんな敵を倒すのだろう。少なくとも、あの弾丸の狙いは俺達だ。
「ビルの間を縫って飛びます。距離を稼げるかもしれません」
そう言って、アルマは高速ビルの群れを潜り抜ける。だがヘリは素晴らしい操縦技術で追いかけてくる。あれ程まで巧みなら免許が無くてもいいのでは、と阿保な事を考える。
ビルの中に居る人々は此方の姿には気付かないが、ヘリの音は聞こえるらしい。プロペラ音を聞きつけて何事かと窓を見る。これでは俺達も見つかると思いきや、ヘリが無駄に派手に飛ぶおかげで、益々此方は気付かれない様だった。
「子供ながら、流石に私達の舞台に立つだけはありますね。なら……」
アルマはビルとビルの間に落っこちた。その幅、軽自動車一個分。窓ガラスに映った己が見えるほど肉薄する。人であれば問題ないが、この速度での突入は背筋が凍る。
入ったその途端につき両側のビルは忽ち両側に分かれ両目の端へと飛んで行く。不規則に明かりのついた窓が映画フィルムのように飛んで行く。ビルの隙間は裏通りの様に薄暗く、雲を潜る気分になる。振り返るとヘリは居ない。入って来られない様だ。
諦めたか? それはない。ビルの上から追いかけてくるくらいはするだろう。いやヘリは此方よりずっと速いのだ。ならば追いかけるだけではなく、きっと……。
ビルの雲を抜け出した。眩しいライトが此方を照らす。その先にはしたり顔で笑うマツリと銃口を向けるレドナーの姿が――
《WARNING!》
マツリの掛け声と共にレドナーの持つ銃口が灰色に光った。それに合わせてアルマの右手が銀色に輝く。アルマは空の殻を展開し銃弾を防いだ。しかし空中では踏ん張りが効かず、傷は防げたもののその衝撃で弾かれた。安定した姿勢を失い後退するがすぐさま立て直し、飛んでくる次弾を横転して回避する。
だがそれはフェイントだった。横に滑った場所には既に次の弾丸が置かれてあった。その目指す先はアルマの額。空の殻が展開されるが、傷は防げても衝撃がアルマを貫いた。
その瞬間、アルマの光が蝋燭を吹き消す様に消えた。星の重力が正常に生じ、下向きの力場を身体に感じる。頭は下に足は上に、地面に向かって落ちていく。
「なっ、アルマ――!?」
気絶した!? 落ちる事よりあのアルマがあっさり気絶した事に驚いた。俺が足手まといだからか? まだ先の屋上の戦闘での傷が癒えてないのか? レドナーの攻撃が予想以上に強かったのか? それともただ単に当たり所が悪かっただけなのか?
いや「何故」はどうでもいい。死の口を広げる地面を見上げる。今は起こさねば。
何度も大声で呼びかけ、身体を揺すり、頬までつねった。だが起きない。五十、四十、三十m。地面との距離は無慈悲に小さくなる。重力加速度に従って必死の速度に近づいて行く。心臓が高鳴る、思考が空回る、現状を信じられなくなる、冷や汗が出る、息が止まる視界が回る音が消える身の毛がよだつ道路の模様が鮮明になる看板の文字が読めるビニール袋が落ちている左手を強く握る何だこれ時間が遅い走馬灯か駄目だ死
「ケイが言ってるぞ! 飛べッ!」
Quon、と身体が落下姿勢のままスライドした。目の前をヤスリの様な道路が高速で滑る。身体中の細胞が全力で青ざめる。強烈な横Gが脇腹を殴打する。ギャグ漫画よろしく「ぐふぇ」という変な声が絞り出される。心臓が握り潰される気分になる。大量のアルコールを飲んで立眩みした状態で小便をした時の様な気分になる。必死に引き籠ろうとする意識の首根っこをひっ捕らえる。助かったのかと何度も自分に問い合わせる。
俺は左手の感触を確認した。舌を噛んで夢じゃないか確かめた。落ち着き、街の喧騒が耳に聞こえる。眼の前の視界がクリアになる。今いる現実が感じられる。その安堵と共に嘔吐感が込み上げてきた。こんなに寒いのに汗が出た。今死が限りなく近かった。「死にかけた」という事実が徐々に実感された。シャレにならない。衝突寸前まで急降下するスパイナル・ダイブは最後の悪足掻きだ。そう易々と使っていいもんじゃない。
「……う?」と、そしてアルマは覚醒し、直ちに縦転して体勢を横に立て直し、周囲の状況を把握し、「すみません、少し寝てしまいました」
と何時もの様に平常運転でそう言った。もしかして無意識にスライドしたのか?
「あ、あああ、あ、いやっ、や、生きて、て、大じょ……」方や、俺は未だグルグル回り、次いでパニくる頭を振った。「だ、だから、その、君は、大丈夫、なのか?」
「大丈夫です。アルマに任せて――」ぐぐぅ~、という間の抜けた音が聞こえてきた。明らかにアルマのお腹の音だった。「お腹がすきました」
そう言えば。夕食を食べずに外に出てきのだ。イマイチ締まらない噺だ。
と、強い風が上後方から吹いてきた。ヘリが高度を下げて執拗に追ってきたのだ。そうだ、まだ追いかけっこは終わっていない。
アルマは地面を平行に滑り、曲がりくねった道を行く。人混みを縫って横に落ちる。すると一陣の風が人混みに吹くが、やはり通行人はアルマと俺が見えず、ただの突風として意に介さない。だが、その直後に大慌てする。アルマを追うヘリに驚く。
その光景に飲み会へ向かう大学生の集団が指を指し、腕を組んだカップルが奇異の眼で見い、仕事帰りのサラリーマンが口を開き、夜遅くまで餌をねだる鳩が驚いて飛び立つ。二人と一機は騒動を起こすだけ起こした後、台風一過よろしく詫びる事無く風立たせて共に去りぬ。カフェテリアの外付けの席を吹き飛ばし、食材店の品物を吹き飛ばし、違法駐車の自転車を吹き飛ばし、買い物帰りの主婦の悲鳴を吹き飛ばす。酷い迷惑だ。
「けど、人混みに入ればレドナーは撃ってきませんよ。彼は無頼派、世間に無頓着なようで人一倍に舞台と客席を区別します。まあ、だから道化に成り切れないのですが……」
「けど、他者を巻き込まない為に逃げているのに、これじゃ無意味だよ」
「まあ、大丈夫ですよ。事後処理は舞台裏が何とかします。彼等は優秀ですから」
「まあ、そりゃ街の被害を考えてたら物語のヒーローは闘えんけどさあ……」
ヘリもまた華麗に付いて来る。あのヘリの巨体でこの都会を飛ぶとは、少し間違えば永遠の空を飛びかねないのに、マツリの技術は凄い。子供でも裏舞台の役者という事か。
《HAHAHA! どぉーですぜこの舵さばき! ホレるやろッ!》
マツリが自慢気に尻尾を振る犬の様に叫んでくる。それに対し、俺はこう応える。
「ああ、クールだね、ステキだね! 男と一緒に練習したのかい!?」
俺は「しまった」と思った。舞台を穢すと思った。安っぽい下ネタだった。思ったよりもテンションが上がっているらしい。冷静になれ。
《まあ、レドナーとやったフライトシミュレーションゲームのおかげもあるなのです!》
だが、少しウィットが効きすぎていたか。伝わらなくて良かった。
「しかし、あの程度ならレドナー単体が飛んだ方が速いと思いますが……」
《私にも出番を下さい! それに数合わせた方が映えるでしょ? ねえ、レドナー?》
《……そうだな》
その静かな応いは、戯れる子猫に仕方なし気に応じる大型犬の如しであった。
しかし、にしてもヤンチャし過ぎだ。仮にも一般企業がそれでいいのか。そのヘリ自社製品って言ってたし、色々とアレなのでは? 株価に影響するのでは? むしろ話題に成るか? というかわざわざ高度を下げてまで派手に追いかけてくる必要はあるまいに。
《ハーハッハッハッ、この愚か者ォ!『空にある星を一つ欲しい』なら『勇敢に屋根へ這い登れ!』こんなに観客がいるってのに派手に演出しないでどうするです! 自分の姿を魅せ付けろォ! ガンガン行こうぜ! 銃だけに! ぷぷっ》
「クッ、怪我人が出てない事を祈ろう……ッ!」
《アレアレ? 聞こえませんでした? じゃあもう一度……》
「……あ」
と、幕間にアルマが言った。その「あ」は突然の危険物が来たが、別段驚いた様子は無い「あ」だった。俺もその何かに気が付いた。目の前は交差点で信号は赤色で大質量の幾つもの鉄塊が化け物の眼の様にライトを光らせ人体に致命的な速度で右往左往
「危な――ッ!」
だが、跳ねる様にアルマの軌道が弾けた。斜方投射の軌道で四車線の道路を一気に飛び越え、向かいの歩道に着空する。その後に続くヘリが車のクラクションと急停止の嵐を起こしながら付いて来る。衝突音が無いのは偶然だ。これでは地上の方が危なっかしい。
アルマもそれに同意し、高度を上げる。車を追い越し、歩道橋を潜り、紅白電波塔を四秒で落ちる。すると遠くに黒く波打つ地面が見えた。
「海が見える!」
「そうですね」
「『そうですね』じゃなくて、あそこなら他を気にせず闘えるから行こうと言うんだ」
「ああ、成程。了(Understood)」
その応えと同時に灰色の弾丸が飛んできた。アルマが空の殻で向かい打つ。防御しても吹き飛ばされるが、その衝撃を利用してヘリコプターとの距離を作る。
アルマは海に向かって飛び込むのように落下した。そして何処ぞの「フラップター」よろしく水柱を上げ、塩水に突っ込む前に水平飛行。ビロォドの様に艶めかしい夜の海を風圧で斬り裂く。ヘリも追って海面を飛行。此方の何倍もの水柱を巻き上がらせ、派手に海面を砕き散らす。まるで「王蟲」に追われる気分だ。
そしてやはり速度の差はどうにもならない。二人と一機の距離は徐々に縮まり、縮まる毎に放たれる弾丸の精密さが増していき、増していく毎に恐怖が募る。
だが往々にして物語とは、最悪のピンチに逆転の可能性が在るものである。
《Gotcha! もらっちゃーッ! ……噛んだ》
「熱くなりすぎです」《熱くなりすぎだ》
二つの声が同時にしたと思うと、アルマの下で海水が爆発し、アルマと俺の姿を覆い隠した。辺りの重力を掻き集めて海面を穿ったのだ。追いかけっこに熱中していたマツリはその突然の行動に対処できず、水柱に突っ込んだ。
しかしそれで墜落するマツリではなかった。慎重に姿勢を制御して、水柱の壁を突破する。だが壁を突破した先にアルマの姿は居なかった。
《Boy! オーバーシュートか!?》
マツリはアルマを追い越してしまったと思い込み、速度を緩めて旋回する。が、
《止まるな》《ニャ?》
その選択は悪手だった。レドナーの警告にマツリが間抜けた声した瞬間、ヘリの上からアルマの姿が現れた。水柱の中に隠れていたのだ。
「〈ブレイズ・アルター〉」
アルマはJingleと右手を燃やし、其処から散逸する星屑で長大な太刀を形成する。そしてその太刀を、星の引力と共にヘリの頭に振り降ろした。――だが、
《そ、そんな攻撃じゃこのヘリの装甲は砕けな――ッ!》
しかし、
「なら装甲ごと沈めます」
そんな事はお構いなしにと、ヘリを海中へ押し込んだ。傷は防げても衝撃は防げない。ヘリは盛大な水飛沫を上げ、抵抗するプロペラ虚しくやがて海の中に沈黙する。
何という力任せ。何という問答無用。俺は唖然としてアルマを見つめた。
彼女の力は虹の多彩にあると思っていたが、実際はこの道理を押し通す白の強靭にあるのだと思い直す。まるで夜空に浮かぶ星の様。少女は静かに、だが確かに美しかった。
……って、呆けている場合じゃない。
「肯。これで終わりではありません。相手が上がってきた所に止めをさします」
アルマが派手に吹っ飛ばされた。「吹っ飛ばされた」?
何が起こったか解らず驚いて眼を宙にやると、先程までアルマが位置に、眼を回したマツリを左肩に担いだレドナーが居た。どうやらレドナーも空を飛べるらしい、彼等は何時の間にかヘリから離脱して、そのままアルマを蹴飛ばしたのだ。
アルマはすぐさま体勢を立て直し、高度を上げる。レドナーもまたそれを追って高度を上げる。いや違う。俺が落ちているのだ。
俺の右手は、既にアルマの左手から離れていた。
「あっ、慧一さ「前だ、俺を見るなッ!」」
瞬きにも満たない僅かな隙、レドナーはアルマが気を取られた所に弾丸を撃った。いや弾丸と言うより、戦車自体が飛んできた。レドナーの大きな脚がアルマの腹に捻じ込まれた。アルマがどんな表情をしたのか解らない。何故なら俺は海の中に落ちていたから。
何とかして浮き上がった頃には、アルマはレドナーの脇に抱えられていた。
嘘だと思った。アルマが負けるなど。だが現実だった。茫然として見上げた。見上げる事しかできなかった。何故なら俺は普通の人間で、空を飛ぶ事など出来ないから。
左手の感触がもう無かった。とてつもない喪失感が胸を穿った。やはり足手まといだった。俺が居なければ――幾ら考えても意味はない。
「莫迦と鋏は使いよう、か。幾ら能力が高くとも、是ではな。いや、先代の力を継いだお前なら、如何なる試練も問答無用に――」レドナーが何かを言ったようだが、その続きも表情も解らない。いずれにせよ、灰色に燃える右手を海に掲げると、海面が盛り上がり、沈んだヘリが浮き出る。そしてマツリに、「起きろ。帰るぞ」
「……う? あれ、どういう状況? あ、アルマさ……あれ、寝てる?」
「俺が捕らえた。お前はヘリを動かせ。帰投する」
「ほう、偉い偉い、流石、レドナーだ。しかしあんなビチョビチョな椅子に座ると私の下着がイヤーンな事になっちゃうな」
「ならヘリは捨て置くか?」
「不法投棄は心が痛む」
「……なら俺のコートを下に敷くと良い。それなら構わんだろう」
「それでこそ私のレドナーだ。『ぐっどだよ! ぐぅーっど』! 私のプリンをやろう」
「……それは喜ばしいな」
アルマを席の後ろに乗せ、二人は海面に浮かぶヘリに乗った。やがて翼は回転を上げ、夜空へと飛び立つだろう。俺はそれを見上げるだけしかできない――
「止めておけ」で済むはずがなかった。俺はヘリの扉に手をかけ、カッターをレドナーに突きつける。だがレドナーは俺を見ず、淡々と語る。「自分の程度くらい解るはずだ」
「このまま何もしない訳にはいかない」
「そしてもう絶対に無理だと諦めが付けば安心か?」
「『安心』だと……?」
「出せ」
「え、でも……」
「茉莉」
マツリが俺をちらと見てから、レバーを引いた。ヘリが揚力を得て、徐々に高度を上げる。俺はレドナーから眼を離さず、滑り落ちそうになるのを何とか堪える。
「何をそんなに熱心になる。どうせその場限りの思い付きだ」
「解っている」
「お前の行動は報われない。虚しさが募るだけだ」
「解っている」
「成すべき事は何も無い。誰も何も必要しない」
「解っている。俺は全部解っている」
「ならば何故何もしない。何故舞台に上がらない」
「それは、何をすれば良いか……」
「違う」冷たく言う。言葉の弾丸は心がそうである様に物理的な距離と時間を超え、俺の心を撃ち抜く。「今は漫画のように駄弁ってないで、さっさとナイフを刺すシーンだろう。認めろ。お前は眼を逸らしているだけだ。与えられた舞台で上手く踊れないから、誰かに文句を言って拗ねている。お前は恐れているだけだ。いざ飛ぼうとして飛べない事を知るのが怖いから、飛べないフリして笑劇を気取る。お前は道化という予防線を張っているのだ。本気に成って笑われるのが恥ずかしいから、その前に己で己を笑って――」
「違うッ!」
「違わない」レドナーが此方を向いて言葉を発した。その眼が俺を射抜いていた。「子供だな。何も知らない癖に、心意気だけは大きいのだから……まるで昔の俺の様だ」
「何だと?」
瞬間、その台詞を言い終えると共に、腹に鈍痛が湧き上がった。レドナーの拳がえぐっていた。甘酸っぱいものが口元まで迫り上がる。
「Just kidding.」そして、レドナーは最後にこう言った。「お前はこれでいいのか?」
「……そんなの、」
解る訳がない。何が問題かはおろか、問う己が何者かすら解らないのに。
手が掴み所を失った。支えを失い、身体が傾き、海に落ちていく。ヘリは既にとても高いに違いない、下が水だとしても苦痛だろう。例え高くないとしても、岸まで泳ぐ気力があるかどうか。星の重力が俺を捕らえ、抵抗する術も無く、夜の空を落ちていく。
(ちくしょう……)
それが、最後に思った言葉だった。
……第四幕・終
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