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一期一会で一気に異界 Life was like a box of pandora. You go whatever you're gonna get.

 第三幕『一期一会で一気に異界 Life was like a box of pandora. You go whatever you're gonna get.」


「おはようございました。お腹が空きました」

 起きるとアルマがそう言ってきた。

 時刻はもうすぐ一時。無論、午後の、だ。また夜更かししてしまった。早く寝た方が良いのだろうが、どうも時間が勿体なく感じられて。夜更かしの方が非効率なのは解っているのだが、何とも……まあ、そんな事は置いといて。

 お腹が空いたと来たもんだ。これは役に立つチャンスだ。仮にも三年自炊生活、料理なら人並みに出来る。問題は、かなりの食事をしなさる事だが……それとも外食にすれば手っ取り早いか? いや、やはり俺が作ってあげた……と言う思考回路は驕り過ぎている。いやでも、彼女は様々なギフトを持っている。ならば彼女が作った方が……。

 そんなグダグダした思考を視線にのせ、俺は少女の方を見た。

「…………?」

 しばし少女は見つめ合った後、小さく首を傾けた。どうやら彼女が作るつもりは無いらしい。いや、頼めば作ってくれるのだろう。逆に言えば、頼まなければ作らない。

 だったら作ろう。作らなければ、俺の意味がないじゃないか。

「良し、じゃあ、俺が何か作ろう」

「ありがとうございます(Thank you)」

 これで後には引けなくなった。気が楽になった。そうと決まれば何を作るか。

 食材を集めてみると――先ず親から仕送りの米が2リットルペットボトル二本分。冷蔵庫にはキャベツ、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、安売りしてた鳥のもも肉が2kg、小麦粉が二袋……ってこんなに何に使うんだよ。うーむ、ここから出来上がるのは、

「お好み焼き、か?」

 うん、それは良いな。それをおかずに白米を食べてもらおう。それでいいのか? 炭水化物ばかり。あー、でも学食を思い出すに食べられれば何でもいいのかもしれない。

(とはいえ、おざなりはイカンよな)

 とにかく気持ちを込めて作ろう。それが俺のできる、いや俺にさせてくれる精一杯だ。


「御馳走様でした」

 そう、両手を合わせ、御辞儀して、丁寧にアルマは言った。

 驚いた。全食材を使ったので軽く一週間分は在っただろうに、まさか平らげるとは。

 しかしそれ以上に驚いたのは、その食べ方だった。歩き方や立ち姿など普段の行儀もそうだが、端整だった。上品だった。ケイの教育のおかげか、これもギフトの効果か。

「(俺は食器をかたしながらさり気なく訊く)あー、美味しかった?」

「美味しかったです。マイスターの様でした」

 マイスターの様、ね。君の判断基準は、何時だって……。

「そか、悪くないなら良かった。あー、因みに今更だけど、外食とかの方が良かった?」

「私は〈ブレイズ・アルター〉の応用により水や食料だけでなく熱や光や電気や何なら風でも土でも大抵のモノは力に変換ますが、換言すれば情報エントロピー、つまり歌や絵や劇などの物語をエネルギーにします。この場合、手作りの方が良いです。食堂や出前やレトルトは、悪いという訳では在りませんが、やはり不特定多数向けなので薄味です」

「えぇ? 不意に自分の常識が世界の常識みたいに小難しい設定を言われても困るんだが……まるで縮退炉ブラックホールや核融合炉だな。相手の攻撃も吸収できるのか?」

「可能です。能力無効化も出来ます。精心も物質に変換できます。ですがエネルギー効率の問題で、心は繁雑曖昧で変換しにくく、戦闘中などの集中できない緊張状態では著しく効率が落ちます。故に敵意ある攻撃などは論破される様にダメージを受けます。つまり私を倒す為には、物理攻撃ではなく問答法やラップみたいな精心攻撃が必要なのですね。

 土台、無敵などありえません。エネルギー保存やエントロピー不可逆や作用・反作用などの法則に従い、影響を与える事は、影響を受ける事と同時ですから」

「成程ね。君にも弱点があるという事だ」

 俺は何気なく笑って言った。敵意は無かった。しかし、すると、

「……肯」

 何だか落ち込んだ気がした。勿論、ただの気のせいで、見た目は変わらない。だが自分を武器の様に言う少女だ。不必要を良しとしても、役者不足は嫌かもしれない。

「けど、心さえ力にするとは凄いな」だから俺は話を変える。「まるで情報を熱量に変えるマクスウェルの悪魔だ。呪文で魔法を使うみたいだ」

「『呪』文ではありません、『祝』文です。呪いではなく、祝いなのです」

 ふん? 神道よろしく祝詞という事か。役者ともなると、そういう拘りが大切なのか。

「まあ、どちらでも良いですけどね。貴方の認識次第です」

 どっちでも良いんかいっ。この子は何時も真顔なので冗談が区別できん。

「ともあれ、凄い事だ」と、俺は話を戻す。「環境問題も解決だ。安っぽい少年漫画はバカスカと技を出すけど、現実で問題なのはコストだよな。銃弾なんて1発1$掛かるし、そんだけ在りゃ一日に一人の割合で餓死する子供の命を何日伸ばせるか」

「肯。心の力は凄いです。光速を越え、本棚から本を選ぶ様に物理的な距離と時間を飛び越え全方向に双方向であり、『胎児のドグラ・マグラ』よろしくただの原子や微生物を人間まで進化させ文明を造らせ、ただの自然に神を見出させ、無意味を意味に昇華する、世界を励起する力です。人を殺すのは銃ではなく人とは、言ったものです。勿論、永久機関ではないですけどね。物理法則と同じように、シワ寄せは来るものです」

「まあ、これだけ物理主義な科学が発達しても、やはり少年漫画やスポーツでは精心が重視されるしね。精心は証明できない曖昧だから、逆に物事を納得させやすいのだな。不可解な自然に納得する為の正体を創る多神教のように。心、なんて便利な逃げ道か。まさに両腕を失ったミロのヴィーナス、その神秘は無限に変化し増幅する。日頃の堅苦しい世界にウンザリしている者にはピッタリだ。『大切なモノは目に見えない』、だ」

「でも、これは誰でも行える事です。例えば、物語は己の精心を物質に対生成する行動と言えませんか? そして読書は物質を精心に変換する行動です。私はそれを他より簡単に行えるというだけです。水蒸気と氷を互いに相転移するようなものです」

「『人間自身の存在が「現実」であるならば、現に其の人間によつて生み出される空想が、単に、形が無いからと言つて、なんで「現実」でないことがある』、と? しかし、夢と現の相転移ねえ……それは心の哲学や心身問題で言えばなんという思想なのか」

「何でも良いです。性質二元論でも実体二元論でも、物理主義でも唯心論でも中立一元論でも、多元論でも、プラトンでもデカルトでもウィトゲンシュタインでも、イデア論でも色即是空でも、格好良いのを選べば良いです。意味が解らなければ辞書を引いて下さい」

「そんな意地悪言わないでくれよ」

「否。精心と物質の区別は曖昧です。宇宙を、古代ギリシアの哲学者アリストテレスがエーテルに満ちた神様の領域として精心的に見て、しかし後世の天文学や古典物理学の決定論で物質的に見て、しかし現代の量子力学でまた曖昧に見られているように、両者の違いは時と場で変わります。敢えて違いを言えば、未知と既知、理解と不可解、或いはただの名前やクオリアの違い程度に過ぎず、納得できれば良いのかも知れません。

 尤も、何でも曖昧とするのは、人間も猿も原子で出来ているから両者は同じだと言ったり、肯定であれ否定であれ神を気にする時点でどちらも宗教家だと言ったりするような、過ぎた俯瞰でしょうが」

「ブルカニロ博士も言ってたな、体系化すれば信仰も化学と同じになる、と。『十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない』のなら、仏教の色即是空と科学の原子は名前の違いに過ぎず、精心も工知能が出来れば物質なのかもな」

「肯。私など、お墓にお供えした食べ物が消えたり味が薄かったりするのは霊が食べるからと思っていますが、科学的に言えば虫が食べたり日が経っただけなのでしょう」

「あはは、君も中々に可愛い所が在るね。それだけで宗教の価値が在るもんだ。尤も、往々に科学と宗教は対立するものだがね。隙間の神とか何とか」

「宗教と科学の対立こそ19世紀に出来たフィクションです。例え物理科学が神様を隙間に追いやるとしても、宇宙は果てが不明なほど大きく、原子は小さく、どちらも大抵は実際に見た事のない予想です。それを隙間というなら、あまりに広い隙間です。世界を舐めたヨーロッパ中心主義と同じです。それこそ精心的な宗教です。

 宗教は過去の科学で、科学は現代の宗教です。どちらもほんとうの幸福に近づく一あしずつです。ガリレオもニュートンもエジソンも、科学に己の神様を見出したのです」

「或いは、祈る、それが神なのかも。神様の姿は様々あれ、祈る事は変わらない様に。誰もが各々の神様が本物だと喧嘩し、けど他者の信じる神様のした事に感動する様に。

 殊に地球の神様は凄いぜ、ファンタジーな異世界にまでその名を見せるんだから。本地垂迹よろしくだな。ま、俺は無宗教だが、神様は信じるよ。例え人の言う神様が居なくとも、ガガーリンがプロパガンダで『宇宙に神は居なかった』と言っても、世界を創った凄い何かは在るでしょう。或いは、世界そのものが神様なのか。

 いや、これは自然と超自然を分けない自然崇拝だな。何を言っても『~主義』や『~派』と分類される。ゆとり世代とか、誰でも考える事だろうに。その癖、ネタにして、笑って、本氣に議論をしない。分類される限り、抽象という限界からは逃れられないな」

「肯。人間中心主義により擬人化される偶像の様に、言葉は欠陥しか語れません。神様が絶対でも、人間様は絶対では無いのです。その意味では、むしろ数学の方が絶対ですね」

「欠陥、か。完全の定義の違いだな。善悪併せ呑む根源の全か、悪を排除した究極の一か……。少なくとも、俺は絶対なのが神と思うね。人それぞれなんて神とは程遠い。尤も、迷信や妖怪などのオカルトを否定するのは科学ではなく無視だと思うがね。

 だが言葉は描く、夢でさえ描けない事を。無限、内角の和が360度の三角形、永久機関バター猫を。君の力も理論は在るのだろう?『超能力の基本は確信だ』など信じられん。それで自由に空も飛べるはずなら、ガンギマリは宇宙旅行さ」

「個人の確信では世界常識に勝てないのでしょう。絶対時間と固有時間のようなものですね。或いは多世界では飛んで……」

「スマン、そういう量子力学的な話は虚無エターナるから置いといて」

「はあ。とまれ、ギフトは信じる以前の行動です。それこそ心と物の区別が在りません。人には鳥の飛行が奇跡でも、鳥自身は空気力学を知らず飛ぶ様に、ギフトが他には『じゅもん』でも、私自身には『たたかう』な日常の呼吸や会話と同じですから」

「成程な。『燃えよドラゴン』曰く、『考えるな、感じろ。月を指差すのと同じだ。手段に拘ってばかりじゃ、目的には辿り着けんぞ』。技をただの行動にまで無意識化し、心技体を融合した所に真の強さは在るのか。まあ、俺は『スパルタンX』の方が好きだが」

「組織ではこの様な力を、主に天才の『先天才能ギフテッド』と秀才の『後天技術スキル』に分類します。天才は、秀才より強靭ですが、細やかさに欠けます。是は組織の可動数の1%です。正確には1%に制限されています。核拡散防止条約と同じです。他は無能力者か手術や訓練などで成った秀才です。秀才は、新しい技術なら制限されません。二十年後にはされるかもしれません、と二十年後も言ってそうです。そして今闘っている敵は秀才でしょう。多分、レドナーも」

「だが危なくないか。俺は科学信奉の現代人だから、少年漫画よろしく効果ありきで原理の解らない能力なんて、チェルノった原子力発電よろしくだと思う。少年漫画よろしく時間停止や空間移動や運命操作や能力吸収も良いが、中身のない外側だけじゃ衒学だ」

「逆です。万有引力は経験則に過ぎず、容易に人を殺せる自動車も大半の消費者にはブラック・ボックスです。けど誰も気にしません。乱立するソースの無いまとめサイトや、原理の解らないダイエット商品や、真偽不明な霊感商法と同じですね。科学は絶対の様で、絶対ではありません。そも、科学を生み出す人間が何者かも解らないのに。

 そして科学が決定論なのは量子力学が出来る20世紀以前の古典です。ラプラスの悪魔はもう居ません。詳しくはシュレーディンガーの猫やコペンハーゲンの収縮解釈やエヴェレットの多世界解釈や不確定性原理や観測者効果などをWikiで」

「Wikiで大学卒論なんて大目玉だがな。後、最後のは観測者効果ではなく観測問題だ。そして俺は不確定を妥協と思う隠れた変数理論派だ。量子力学なんて新興宗教だ」

「ならカオス理論です。人間が平均1ngの60兆の単細胞生物から成る群体とするなら、宇宙は200垓以上の星々から成るビー玉のような超個体かもしれません。そしてバタフライ効果よろしくどんな極小値にも因果が在るなら、世界は殆ど無知で出来ています。人生の三割が夢で出来ており、起きている時間も九割が無意識なように。『くらやみの速さはどれくらい』、です。既知の先には、常に未知が在るのです。孤立系の宇宙は、セル・オートマトンの一つ『ライフゲーム』やTVゲームの中くらいです」

「あー、あの『曼荼羅』や『RーType』みたいな。俺もそういう噺好きだよ。脳細胞や神経と宇宙やWWWの見た目が同じとか、倍音は二進法のパソコンと相性が良いとか、遺伝子は四大元素よろしく四進法とか、コウモリ論文や胡蝶の夢や水槽の脳や世界五分前仮説とか、パンスペルミア説や古代宇宙飛行士説とか、重力の特異点では観測されない故に物理法則を無視してどんな因果も可能だとか――。とまれ、まさに『ゼイリブ』や『MIB』のラストだな。往々に人は物の評価を他者の評価で決める。

 じゃあ、あの〈星奮〉とかいう『キューティーハニー』や『鋼の錬金術師』な力も自動的なのか? 俺はオカルトな物質化現象や、或いは科学な化学反応や、水素二つを繋げてヘリウム作るような元素合成や核変換と思うんだがね。まあ、後者二つは放射能がヤバいし、核融合や太陽やビッグバン並みの力が必要だが」

「肯。自動的です。けど、マイスターなら詳しい設定を知っています」と、アルマは何処ぞの修道士よろしくピンと人差し指を立てる。「マイスターは言っていました。『面白ければ良い、そんな無垢な楽しみ方も悪くない。何処まで行っても言葉や理性は抽象の技法なのだから。だがそれは観客の感想で、況や結果論だ。役者なら原因を調べねばならん。『十二夜』が「この方は賢者だから愚者を演じられるのだわ」と詩う様に、喜劇王チャップリンが完璧主義である様に、サーカスのクラウンがベテランである様に、阿保に阿保の演技は出来ん』、と」

「定跡も知らずチェスをやるようなものか。じゃあ、ケイさんに教えて貰おうかな」

「しかし続けてこうも言っていました。『その上で、偶然に描かれたアウトサイダー・アートを演出するのだ。『雨に唄えば』は語る、「品格を、常に品格を」。プロは観客に夢と希望を与える役であり、同情や涙を貰う役ではない。舞台裏を見せるのは粋じゃないのだ。確かに、『ガンダム』よろしく大人から託されたロボを操る少年なんて子どもの権利条約的に気狂いだし、『AC』よろしく巨大人型ロボなんて現実じゃコスト的に無駄の塊だ。しかし、それ等の批評や思想の主張をやりたきゃ評論でやれ。娯楽の場で素面に成るのは酒場で説教するくらい場違いだ。リアルとリアリティは違う。フィクションに必要なのは後者だ。リアルが見たければ『書を捨てよ、町へ出よう』』、と」

「最後のは反面教師だが……『フツカヨイの、もしくは、フツカヨイ的の、自責や追悔の苦しさ、切なさを、文学の問題にしてもいけないし、人生の問題にしてもいけない』という事か」訊く気が失せた。怖かったのだ。教えて貰えないなら、俺は役者不足という事に成るから。故に、俺は愛想笑いで話を変える。「ケイさんも何か力を持ってるの?」

「マイスターは古い役者で、ギフトもスキルも持っていません。というより、持たない様にしています。青春の無い大人が虚しい様に、保守も進化には必要、と。けどマイスターは私より強いです。ポーカーがそうである様に、畢竟、強さとは能力の高低ではなく、やるかやらないかで決まるのでしょう。

 そして私のような天才には、常に普通の人が必要です。魔法使いに非現実を感じさせる使い魔が居る様に、天才を現実に留める『はてしない物語』のアトレーユが居るべきなのです。居なければ、天才は解離性障害や統合失調症や夢遊病のように成るでしょう。尤も、ナンセンス文学など大なり小なり頭が可笑しくなければ描けませんが」

「まるで『リア王』の道化だね。無力故に王だけは倒せる影法師であり、無知故に神の英知に触れられる愚者であり、底辺故に何処でも生き残れる旅人であり、無法故に自由な、最弱の切りジョーカーだ。暴走系ヒロインに対する巻き込まれ型主人公だな」

「少否。私が前で引っ張るのではなく、マイスターが後ろで押してくれるのです。私は剣。如何な力を持っていても、振る者が居なければ無用の長物です」

 アルマは常に淡々としているが、その台詞だけは少し自慢気な所が見えた。だから俺は、その台詞に皮肉気に笑った。

「まるでロクサーヌに対するシラノだな。『俺の人生は、台詞を付ける役だった』、だ。なら俺はクリスチャン――」

 自分で言った台詞にドキリとした。思わず、目を伏せる。

 だが、アルマは「? 何ですかそれは」と小首を傾げた。アルマともあろう者が知らないのか? 或いは、物語に従って教えていないのか。ともあれ、そんな役柄は今更だ。だから俺は「何でもない」と頭を振る。

 そしてそれらの説明に対し、成程と思った。それは納得というより、よく出来た設定だという意味だった。世界観が違い過ぎてよく解らず、ともすれば宗教にさえ思うが、これが彼女達の常識であり、科学なのだろう。

「しかし、現実に帰る事は大切ですね。なので最後はこう言って纏めるましょう。即ち、『まっ、大抵の人はこんな小難しい事を考えずに生きてますがね』、と」

「ソレを言っちゃあ、笑劇だ。或いは、責任逃れか、誤魔化しか……」

 アルマの無表情に、俺は思わず笑った。そりゃ、確かにこんな事を考えずとも人は幸福に生きていけるし、むしろ悩まない方が幸福かも知れん。

「けど、無駄でも良いんです。『ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!』という事です。学校の勉強は、勉強自体が大切な訳ではありません。勉強を通じて世界に疑問し、世界の広さを感じ、世界の無意味を知り、己の限界を悟り、それでもなお世界を愛する為に、心を耕す為に大切なのです。悲劇なく幸福を得た人は、必ず惨いエゴイストです。勉強しないと、自分の周りが世界の全てでそれら全てを思い通り動かせると勘違いしたセカイ系や、自分に都合の良い設定だけ抜き出し評価する観客に成るでしょう」

「問答法と同じだな。人は安易に『心』や『世界』を語るが、そもそれ等は何ぞや、という噺だ。まるで名前だけが独り歩きする『ジャバウォック』だ。尤も、内容が解らなくとも、可愛い娘となら話してるだけで楽し」思わず咳払いする。余計な台詞だった。「……ま、科学が進化するほど人間が退化する近今、己の程度を知るのは大事だね。

 しかし、君も意外と語るね。思想など無視して実行あるのみと思ってた」

「本物の音楽家は音楽の知識や技術だけでなく文学や天文学など様々な専門外から音楽のモチーフを得るように、闘いも単純な腕っ節の強さだけでは勝てないものです。

 尤も、私の言葉は、大体がマイスターの教育によるものです。役者が凄く見えるなら、そう魅せる監督が凄いのです。そしてマイスターも、かつては同じ様に……」

 成程。これがケイの世界観なら、それでも良い気がした。畢竟、物事はそんなものかもしれない。物事は正悪ではなく、納得できるかできないかに在るのかも知れぬ。

 ……あれ、そう言えばまたケイがいない。彼は、アルマと一緒に居るとしっくりくるのに、居なくとも気にならないから不思議だ。まるで空の雲のよう。普段もこうなのか?

「場合によります。マイスターはマイペースですから」方や、アルマはノンペース。言われるまま動き、言われなければ動かない。似て正反対だ。「けど、呼べば直ぐ来ますよ」

「ふーん、ホントかな?」

 俺は挑発する様に訊いた。少しイジワルな言い方だったな?

「……なら今から呼びましょう」ケイに関する質問に何時も落ち着いたアルマも反応したのか、眼を細めて応えた。次いで、「マイスター。マイスターぁ」

 そんな台詞を窓の外に向かって言った。すると……

「(三秒して)なんじゃー?」

 本当に来た。ケイがベランダに降ってきた。このマンションは四階建てで、俺の部屋は三階である。屋上で昼寝でもしてたのだろうか。

「否(No)。特に用事はありません。呼んでみただけです」

「ん? そうか。アルマは子供だニャ~」

 そう笑いながら、ケイはそこら辺に座ってパソコンらしきものを取り出す。俺はその事に驚いた。あんな「デタラメ人間の万国ビックリショー」な超常バトルをするくせに、日常的なデジタルとは。いや、それは魔法が科学と相容れないものだという偏見か。

「これは日記ログだよ。アルマのね」ケイはキーボードを打ちながら俺を見る。軽くタッチ・タイピングだ。「彼女、すぐ忘れるだろう? 日記を読み返すだけでも良くなるんだ。何を隠そう、俺はアルマの主治医なのだ。『Wouldn't It Be Nice』ってね」

 そう言えば、アルマは前も何かの本を読んでいた。アレも日記だったのだろうか。

「やー、絵本か小説じゃないかなあ。エネルギー源に成るしね。そいや、前に少女漫画で情操教育されて脳内が御花畑に成った女の子の漫画を見たんだけど、どう思う?」

 どう思うと言われても。まあ、お嬢様は良いけど、恋愛は似合わないかな。せめて『世界名作劇場』辺りが無難かと。

「因みに今描いている日記はこうだ。『今日のランチはお好み焼きだったぜッ! 美味かったんだぜッ! 激ヤバだったなのだぜッ!』、みたいな?」

 何だそのパンク。彼女をどういうキャラにするつもりなんだ。てか見てたのか。

 ……それにしても、何だか久々な感じだった。見知らぬ誰かと自分の部屋に集まっている、という事が。大学生に成ったばかりは、大学デビューよろしく友達を呼んでそんな事をしてみたもんだ。だが、すぐに面倒に成ったのだ。

 それが今は楽しいのは、たまにするから粗が見えないのだろう。そういうものだ。

「ん、もっと騒ごうか?『フルハウス』や『ホームアローン』ばりに」

「止めて下さい近所迷惑です」

「ヤレヤレ、日本は狭いよね。俺は映画館とか静かに見るより皆で騒いで見た方が楽しいと思うんだがなあ。アレかな、恥ずかしがり屋なのかな? ムッツリなのかな?」

「他者を楽しませるより悲しませない方が大事なんですよ。そう言えば、ケイさんは日本人なんですか? 日本語喋ってますけど。見た目は、何処かよく解りませんが」

「それは『ひみつのアッコちゃん』。内緒です」

「前と言ってること違う。そういうの、隠してる訳では無かったのでは?」

「『『それはそれ』!!『これはこれ』!!』。人の言葉や思想が絶対なんて思っちゃいけないわ。例え一つの恋にフラれても、また別の恋をすれば良いのよ。きゃっ♪」

「何ですか、そのオネエ的な……」

「いや、真面目に言うとね、『我ら役者は影法師』という事さ。俺達の設定は、舞台により種族も年齢も性別も変わるんだ」

「何だかハード・ボイルドな殺し屋みたいですね。表稼業はショット・バー?」

「殺しは高いぜ? 対価は依頼人の魂と、それに殺す魂一つに付き妻→子→親→友→その他の順で加えた魂だからな。尤も、微生物でも王様でも一律料金なのは良心的だがね」

「え、あー」冗談を暗黒微笑(笑)で返されてしまった。「……という、設定ですか?」

「然り。『仮面ライダー』よろしく魔を以て魔を制し、『必殺シリーズ』よろしく悪を以て法では裁けぬ悪を討つのだ。ピカレスクやね。於戯、『誰がために』」ケイは先の黒い笑みをサッパリ消して普通に笑った。それが逆に不気味であった。「とまれ、俺達は『風の又三郎』よろしく風来坊だからさ。今の仕事が終わり、君と別れ、再会しても、全く別人という事も在ろう。いや、変わるのは俺達じゃなく、君の方かな?『ピーターパン』や『くまのプーさん』や『パフ 魔法の竜』のように」

 その事に俺はギクリとした。そうだ、彼等は一時的にこの場所にいるに過ぎない。あまりのんびりしていると、俺は一般人という端役のまま彼等と……

「所で、今日は何も無いのかい? つまり、大学」

 脈絡なく言われ、考えが吹き飛んだ。同時に身体に生暖かいものが滑るのと同時に青冷めた。彼等に付き合っていたおかげで忘れていた。いやそれは言い訳だ。俺のせいだ。

「あー、そうでした。大学行かなきゃいけませんね。もう遅刻ですけど」

「おいおい、大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。出席率が三分の二以上なら許容範囲ですし、ちゃんと出席カードもくすねて……あー、文系は緩いですから」と言いつつ、俺は急いで準備した。もう遅刻は確定だが、それでも世間体を気にするのは、日本人の悲しい性だった。「えー、とりあえず行ってきます。出掛けるならこの鍵で戸締りしてポストにでも入れといてください」

 と、俺は鍵を机に置く。すると、ケイとアルマがこう言う。

「いってらー」「いってらっしゃいませ」

「え? ああ、いってきます」

 それに俺は早口で応え、出かけた。

 ああ、何時もこうだ。俺は間に合わなくなってから焦るのだ。日常に追われるのだ。いや、逆に、必死に追いかけているのか。世界に置いて行かれない様に。

 中途半端だ。達観を気取りつつ世間を気にし、風刺しつつ本氣ではなく、生に茫洋しつつ死を嫌う。於戯、もっと軽やかに生きたい。――だが、それにしても、

(いってらっしゃい、か……)

 久しく忘れていたな、あの感じ。挨拶と言うのはいいものだ。此処に居る、という感じがする。いってらしゃい……きっと、また帰って来られる様に、そういうのだな。


「で、これか」

 教室は無人だった。どうやら臨時休講らしい。家を出る時にちゃんとパソコンなり携帯なりで確認しなかった俺が悪いのだが。

 無駄に走ったせいでお腹が痛い。アルマにつられてお好み焼きを食べ過ぎた。省エネの俺にあの量はちと辛い。というか彼女は何でもエネルギー変換できるんだから、食事じゃなくても光合成や風力発電でも良いんじゃないか? 何なら電気コンセントに指突っ込んどけば……それは悲しい画だな。それにそんなの心が無いか。

 俺は外のベンチに座り、頬杖をついて道行く生徒を眺めた。彼等は何処に行くのだろう。講義か、サークルか、今を楽しんでるのか、それとも作り笑いか。何処かに俺と同じ茫洋の種族はいないのか。それはいるだろう。本当に? もしかしたら俺だけがとんでもない失敗をしているのでは? しかし、だとしてどうすれば……。

 と、ポケットに何か振動を感じた。携帯だった。俺は少し考えて、携帯に出る。

 《――――。――――?》

「んー、大丈夫、時間ある」

 《――。―――――――――。――――? ―――――――――――。――》

「元気だよ。普通。解った。あー、外だから大きな声じゃ……」

 《――――》

「んん、じゃあ……」

 俺はそう言って電話を切った。相手は父親だった。何時もの様な会話だった。父ばかりが喋り、俺は大して何も応えない会話だった。

 俺は右手の携帯を握りしめ、手の甲を額に当てて項垂れた。

 申し訳なく思った。親が言うのは何時だってこれだ。「とにかく元気に」。義務か、世間体か、自己満足か、期待か、愛か……。解らない、どうして心配してくれるのか。

 不安になる。福祉論によると自己肯定できない若者が増えているらしいが、俺も己の価値が解らん。誇れる事もない。罪悪感と情けなさばかりが募る。今もこうやって時間を無駄にしている。だというのに、何故そこまで……。

「何やってんだろ、俺」うわっ、素で言っちゃった。しかも青空見上げながら。酔ってるな。だが思う。今この瞬間に核爆弾でも落ちてくれば……。「Boyチェッ! 学費や家賃だって莫迦にならないだろうに、この親不孝者め。俺はどうすれば良いんだ……」

「感謝の気持ちを伝えれば良いのでは? マイスターはそれで喜んでくれます」

 肩をビクリと震わせた。……何時の間にか横にアルマが座っていた。何故?

「社会見学してこいと、マイスターが言いました」成程、と俺は思った。社会見学ではなく、その神出鬼没さに。「それで、貴方の講義はもう終わったのですか?」

「……始まり無しに終わりは在るのかな」俺は哲学的に応えた。ソレと同時に、ふと思った。「そう言えば、君って学校――」

 其処まで行って、俺は口を噤んだ。また余計な詮索をしている。しかし、アルマはソレに何て事の無い様にこう応える。

「学校は、私達の組織の学校に通う者が居れば、日常の学校に通う者も居るなど、様々です。私はマイスターに教わってます。私の様な道化にも勉強は必要です。知識だけなら〈電脳妖精〉でシャーマンやニューエイジよろしく己をインターネットなりアカシックレコードなりに繋げて検索できますが、それでは経験が無いのです。哲学的ゾンビです」

 そのアルマの淡々とした物言いを聴き、俺はまた、成程、と思った。彼女にも彼女なりの生活があるのか、と。

「ならアレをご覧」と、俺は冷やかに笑いながら右手を遣る。「彼等は留年の限界に挑戦する勇者だ。彼等の明日はどっちだろう。でも大丈夫。大学なんて留年して一人前だから。まあ余裕ぶっこいてるとエスカレーター方式で『ショーシャンクの空に』よろしく天使の輪に祈る事に成るが。子供の時分は某巨大掲示板のニートなど都市伝説と思ってました。でも人生詰んだとかこの法治国家ではそうないから安心しよう。けど宗教と左翼には気を付けろ。気付いたら亡霊赤軍にいるぞ。あそこは魔窟だ。濃縮1000%の気狂いが居て一発でキまる。まあ適度な堕落は大学の嗜みだがね」

 無論、冗談である。だが、老人になってまで節々の痛みに耐えながらパチンコするくらいなら、適当に遊んで飽きたら死ぬ様な人生でも良い気がする。家族も作らず親に迷惑かけなければそれで……一瞬、親を泣かせたくないから早く死ねと思った自分が憎い。

「けど、皆で集まって楽しそうです」

「集団意識のせいだな。『彼等は、よく笑ふ。なんでもないことにでも大聲たてて笑ひこける』って奴だ。駄サイクルだ。呑気に幸福が続くと思ってるんだ」

 俺は気取ってニヒルに笑った。一方、アルマは淡々と言った。

「じゃあ、貴方は一人で何をしているのですか?」

 花が萎れていく様だった。言の葉はそれ以上続かず、ボロボロと枯れ落ちて逝った。

 何も無かった。他をとやかくいう知識はあれど、己を語る記憶は何も無かった。友達を作る事も無ければイジメられる事も無く、皆が楽しく熱中するのを冷めた眼で無視して来た。青春をフルスイングでドブに捨てている。いや捨てようともしていない。冷蔵庫に放置したまま、腐っただけだ。幸福も不幸も無く、ただ、漠然と過ごしたのだ。

 焦る。こんな俺が大人の社会で生き抜く事が出来るのか。ワザと自動車に突っ込んで適当に障害負って生活保護など笑えんぞ。

 そして同時に、まだ大丈夫と思う呑気な俺が何処かに居る。ピーターパン症候群だ。何時になったら本気を出す。ああ、どうして僕は大人に成るんだろう。どうして科学はこんなにも発達してるのに、人はまだ働かなくてはならないのだろう。最近、家族が死んだり包丁を噛み砕いたりする事を想像する。俺はリスカなどする勇気はない。

(ふっ、大丈夫さ。生物なら誰だって持っている鬼札ジョーカーが、俺にもある。何もかもに期待できなくなっちまったら、高いビルの屋上からアイキャンフラ)

 イカンだろそれは。それこそ迷惑だ。第一、何時でも出来る事なんかやる物じゃない。

 俺は両手で顔を覆った。視界が塞がり安心する。手の暖かさが気持ち良い。そしてこんな事で気持ちが良くなるとはそれだけ自分は疲れているのだなとますます落ち込む。

 最近、「死にたい」でネット検索してみると真っ先にデカデカとカウンセリングの電話番号が出てきて思わず笑った。何故笑ったのかは自分でも解らない。ああこういう機関があるのだなと、他にもこういう奴がいるのだなと、そう思って笑ったのかもしれない。そしてSNSやお悩み相談ならまだしも、相手が何か返事をしてくれる訳もないのに無意識に単語を打ち込む事実を冷静に考えて、割と自分はギリギリなのかと薄ら寒くなった。

 だが死んでたまるか。世界に負けてやるか。TVのニュースを見る主婦に「最近不景気ねえ」なんて消費されてたまやるか。死にたいという理性が在る内は大丈夫だ。夢が無くとも生きてやる。努力すれば夢が叶うとは限らない、とありきたりな事を言うつもりは無い。だが言われた事しかやらん指示待ち人間でも良いじゃないか。その他大勢の様に、普通に生きて、普通に死ぬ、それではイケないのか。

 だがしかし、なら、何も言われなければ、俺は何をすればいいんだ? そも、俺がする必要は? 自分を特別と勘違いす――

 また頭でっかちだ。正気なつもりでいる。アルマやケイという非日常に出会っても、俺は相変わらず素面のままだ。幾ら役者が熱く成っても、作家は冷めている様に。

 於戯、アルマ達を手伝いたいと思ったのは単に自分の空っぽさを誤魔化す依存の為ではないのか。夢を追っている間は一端の役者に成れると思っただけではないのか。現実逃避ではないのか。だがどれだけ現実から逃げても、腐っている自分からは逃げられない。

 遣る瀬無い。茫洋だ。ああ、そこで莫迦騒ぎしている奴等みたいに生きられたら。奴等みたいに? 莫迦な! あんな阿保みたいな生き方、誰が……しかし、なら俺は誰かに羨ましがられる生き方か? Boy! ムカつくぜクソッタレー! 

 だが解ってる。こんな悩み、適度なスリルと美味しいご飯が在れば明日には忘れてる。きっと本氣じゃないんだ。ファッション・メンタルなんだ。人は大袈裟な夢や目標が無くとも何だかんだで生きていける。「かわいそうになあ。気づいちゃったんだよなあ、誰も生き急げなんて言ってくれないことに。なあ。見ろよこの青い空、白い雲。そして楽しい学校生活。どれもこれも君の野望をゆっくりと爽やかに打ち砕いてくれることだろう」。

 あああああああああああッ! 叫びたい。そうすれば気分が晴れる。けどそんなの自己満足オナニーだ。後で脱力感に襲われる。もう放って置いてくれ! 幾ら叱咤されたって、莫迦には何も解らんのだ! 一体全体、こんな俺に誰がした!? お前だろ。

「食べます?(もぐもぐ」と、アルマがサンドイッチを出してきた。何時の間にか何か食べていた。……さっきのでは足りなかったのか?「否。私は食いだめが出来るのです。貴方に落ち度はありません」

 彼女は淡々と言った。彼女の台詞に行間は無い。だが、その台詞を聴く方はそうではない。俺は勝手に己の役者不足を嫌に思った。

 サンドイッチの形は、いわゆるサブマリンだった。しかし長さが少女の上半身くらいある。何処で売ってたんだそんなの。

「マイスターが作りました。ちとマスタードが効きすぎですが、美味ですよ」

 もしかして気を使われているのだろうか。いや、使ってくれというなら使うが、何も言わなければ使わない、彼女はそういう子だ。だから俺は、その申し出を優しく断った。

 むしろ自分が食べるより、彼女の食べる姿を見る方が心地良かった。相変わらず無表情だが、ケイの作った料理なら喜ばしい食事だろう。誰かの幸せな姿を見るのは安心する。

(けど、望むならば、俺が……)

 頭を振ってその先を消す。その先は、俺が入っちゃいけない領域だ。

「私と居るのが迷惑なら、帰りますが」唐突にそう言われた。俺はギクリとし、「どうして?」そう思うのだ、と愛想笑いする。「それは、喋るのが億劫そうでしたから」

「――ッ。……これが俺の普通なんだよ。そう気を使わないでくれ」そんなにつまらなそうだったのか? こんな状況に居ながらも?「人が喋るのは確認する為だ、『相手は私と一緒で楽しいか』と。でも子が親に愛情を確かめたら駄目さね。ソレと同じ様に、俺は、気に入った人とは、大袈裟に騒ぐより、何もせず静かに過ごすのが……」

 まくしたてる様な羅列から一転、最後の方は尻すぼみになってしまった。途中で自信が無くなったのだ。兎も角、彼女はその台詞を聴き、

「そうですか。それは失礼しました」

 それだけ言って先の行動に戻った。つまりパンを食べ始めた。もぐもぐ、もぐもぐと。もぐもぐ、もぐもぐと。もぐもぐ。もぐもぐ。もぐもぐ。もぐもぐ。おかわり。

(何か、真面目に考えるのが阿保らしくなって来た)解っている。こんな小難しい考え、適当に食って寝れば忘れている。(解っている。足りないのは、熱だ。夢とか、目標とか、本気で莫迦になれる青春だ。生きている実感だ。それを分かち合う友人だ)

 けど、何をすればいいのだろう。大学のサークルで知り合いを作ってみたが、一カ月も経たず面倒臭くなり幽霊になった。ブログやSNSをやれる奴は凄いと思う。よく気が回るものだ。尊敬はしないがね。そんな自分にやりたい事など……

(ハッ、余裕だな。「やりたい事」? 世の大人が皆やりたい仕事をやってると? 夢じゃ腹は膨れんだろ。しかし、夢が無ければやる気も出ん……)

「まあ、というのは冗談でありまして」と、思考にアルマの台詞が割り込んだ。十三本目のパンを出しながら。それだけ何処に隠し持っているのだろう。それもギフトなのか、「スペアポケット」的な能力なのか。「つまり、社会見学が、です。本当は、不慮の事故に備えて来ました。公園の闘いの様に、【敵】は何処にでも潜んでいます。むしろ少年漫画よろしく真正面から武器を構えて歩いて来る方が珍しいでしょう」

「あまりそういう事言わんでくれ。俺はホラー映画を見ると、夢と現がごっちゃに成ってトイレにも行けなく成るんだから。それに、噂をすれば何とやらと言うしな」

「『何とやら』とは何ですか?」

「何とやらとは、つまり、えーと……」

 あれ、何だっけ。噂をすれば穴二つ。ではないな。ド忘れした。噂をすれば――

「『噂をすれば影法師』、だな」

 不意に声がした。ケイではない。聞いた事の無い声だった。何時の間にか眼の前に、見知らぬ少女と見知った男が立っていた。

 見知らぬ少女は東洋と西洋の混血という感じである。中学生か、衣装は学生服なブレザーとパーカー、そして無駄にオッドアイでメガネである。だが雰囲気は中学生より若い。というのも、エネルギーに溢れていた。肩より少し長めの髪を一尾テールにした以外に化粧や装飾品の類も無く、見た目に気を使うより優先したい事が在るという意志が見て取れる。逆を言えば、気を使わなくても十分に女性として自信が在るという事だった。

 そしてもう一人、見知った男がどの様な男かと言うと……。

「レドナー」

 アルマが呟く様に言った。自分に言い聞かせる様な言い方だった。

 見知った男は夜の屋上での。灰色の男だった。あの悪魔の様な銃声を思い出すと、心臓を撃ち抜かれる寒気に襲われる。風貌や服装もその時と変わらず、相変わらず冷たく堅く重く鋼の様な雰囲気だ。ただあの夜に受けた傷は、すっかり治っている様だった。

「(レドナーが問う)思い出したか?」

「否(No)。日記から知識として知っただけです。経験は在りません」

「……そうか」

「肯(Yes)。因みに、貴方の事は『夜な夜な少女を追い回すHENTAI』と描かれていました。貴方はHENTAIさんですか?」

「…………違う」

「そうですか」

「…………」

「…………」

 ……ひょっとしてさっきのはギャグだったのか?

 俺はどう反応すべか解らなかった。レドナーという男は無表情だし、アルマも無表情というかボーっと相手を見つめたままである。お腹が一杯に成って眠たいの? 

 言葉を交わさなければ空気さえ動かず、換気しない部屋の様に息苦しく、自分が場違いな様に思えてくる。そんな俺は高校の修学旅行を思い出す。

 オチから言おう。嫌な思い出だ。余りで組み込まれた班、行先は北の国、俺達は昼食で小さなラーメン屋に入った。所帯じみた食堂のおばちゃんは遠くから来た俺達に気兼ねする事なく話しかけ、俺以外の奴らもそれつられて和やかに話していた。会話は野球の話へとシフトして、おばちゃんは弱小ながら地元のチームを応援していた。そんな中、おばちゃんが俺に話を振って来た。あまりに唐突だったので、俺は考え無しにこう言った。

 ――別に一番強いチームを応援すればいいんじゃないですか? 何で弱いチームを応援するのか、俺にはそれが解りませんね。

 その瞬間、先程までの空気は何処へやら。その後の会話はお察しである。俺は何時もの様に何時もの事を実行した。つまり、「食事に集中してるから」。

 ああ解ってる。莫迦だった。その台詞は相手の好きなものを下らないと一笑に付したのに等しい。何故わざわざ楽しげな空気をぶち壊す? 特別でも気取ってるのか。解らないなら理解する努力を知ろ。それか口をはさむな。せめて阿保だと自覚しろ。

 だが、此方にだって言い分がある。喋らせたのは彼方だ。それで嫌な顔されても困るのだ。だから青年たちはいつでも本氣に議論をしない。勝ちも無ければ負けも無い。

 しかし、この場合はどうだろう。俺が勝手に思い込んでいる事で、二人にとって黙っている事は普通な事かもしれない。しばしば若者というのは言葉がない状況に居心地の悪さを感じるものだが、彼女等もそうだとは限らない。だとすれば俺も黙って――

「って、何時までそうやって見つめ合ってるつもりやねん。恋人か」

 と、見知らぬ少女がレドナーに「なんでやねん」と関西風(?)なツッコミをして空気を割った。それに俺も便乗する。

「そう言うアンタ達も何のつもりだ。こんな所で即興劇をやるつもりなのか?」

「まさか。ボク達はナイト・ウォーカー、本番は子供が寝静まった後だ。如何なる喜劇も悲劇も問答無用の刃で舞台ごと打っ壊し笑劇にしてきた、天多の戦争を喧嘩両成断してきた、【機械仕掛けの道化】や【黒朝】と言われるKEYさんには今更と思うがね」

 そう、ニヤリとする少女に対し、俺はドキリとした。俺はケイじゃない。だからすぐさま訂正しようとした。だが、何故か言葉に詰まった。

「ソイツはただのワナビーだ。サイドキックじゃない」

 レドナーがそう訂正した。余計なお世話だと思った。助けられた気がして嫌だった。

「んや? そかそか。なるなる。『なるたる』」少女は左手で口を隠し、申し訳なそうに言った。「うやうや、スマナイ。早とちりしてしまって。ケーの事は知ってるが、実際に会った事はなくてね。今時の闘いは変なものさ、顔も知らずに闘うのだから。面と向かって闘うなんて少年漫画か西部劇の決闘くらい、現実じゃあミサイルかコンピューターだ」

「別にそれはいいよ。それで、君は誰なんだ?」

「ボクの名前はマティーニ。愛称はマツリ。『しかしてその実体は』……レドナーの相棒、言うなれば引き金ならぬ裏で糸を引く者という所かな」

 不敵な笑みを持ってそう言った。その台詞を聴いて、俺はハッとした。レドナー、裏で糸を引く者、それ等が意味する所は、つまり――

「意味解らん」

 鼻で笑った。

「えーっ!? 展開的に解るだろ? 黒幕だよ社長だよ。スゲー奴として反応せよ!」

「えっ、社長ですか! ああ、スミマセン。お名前はかねがね伺っておりますが、いやあ、やはり本物は違いますなあ。流石はおもちゃ会社、目の付け所がシャードですね」

「この取ってつけた言い回しっ!」

 先までの気取った上から目線は何処へやら、マツリという少女は「我が社は世界征服という名の世界展開もしてるんだぞーっ!」とか何とか怒る。どうもノリやすい方らしい。

 しかし、この少女の言う通り彼女がそれ相応の役者らしい事は、漫画擦れした自分には展開的に思っていた。ただ言い回しが冗長だったので、からかっただけだ。社長だったのは意外だが。本当なのか?

「本当です。彼女はWCを創った父の娘で、それを継いでいるのです」俺の疑問を感じたのか、アルマがそう言う。「と言っても名目だけで、実権は父親のままですが。もし父親が失敗しても無関係を装い、なるべく会社の被害を抑えようという算段ですね」

「経済学はよく解らんのだが、それはアリなのか?」

「表舞台では兎も角、裏舞台たる私達の世界観では今更です」

「それもそうか(そうなのか?)。しかし、じゃあ黒幕は父親の方では?」

「ウィトゲンシュタイン曰く、『『私』とは世界の登場人物ではなく世界の限界だ』」不意にマツリが語る。「世界は宇宙の星々のように多世界であり、概念は恣意。ならば手前が主役に成るかラスボスに成るか、それは自分次第なの、ダッ!」

「言語論的転回や構造主義やソシュールな話か? なら俺もラスボスか、ってその論理はポエム社会だろ。世界の狭い若者はすぐ中身のない大袈裟な言葉を使う。君ってバレーでアタック決めてりゃ格好良いって思うかい? 劇は舞台裏が無きゃ成り立たないぜ」

「ななな何を言ってあばばばばば。理論武装で人身攻撃するんじゃねーですっ!」

 図星である。

「それに、自分達のしている事でどんな迷惑が起こってるか解っているのかい?」

「Huh!『You talkin' to me?』。彼にも此方側の住人が、『ライ麦畑』の住人が、そんな湿気た台詞言うんじゃあないッ! 戦争映画に無理やり恋愛要素をぶち込むが如き唾棄する発想! 酢豚にパイナップルだ! そんな事言ったら、ボクなんて今日も暇潰しに仮病で学校をドロップアウトする痛い奴っスよ、ですよ!?」

「暇潰しで学校抜け出すなよ。イジメられてんの?」

「いや、学校は楽しいよ? 況や、学校が狭いとかボクの賢さに付いて行けないとか、安っぽい反抗期はやんないさ。けどボクの望む楽しさと違うのであり握りたいのは鉛筆ではなく闇を切り裂く聖剣であり唱えたいは公式ではなく星を落とす魔法でありそもさん学校に行かなきゃならないのは偏見でありこの世界自体が学校でありおりはべりいまそかり。つまり、『グーニーズ』や『スタンド・バイ・ミー』みたいな友達が欲しいんだよなあ」

「そりゃ難しいね。今時は、数だけはネットで揃えられるが、本物の友を探すのはそうも行かんというのを知らんから。けど学校は行けよ。『インディアナ・ジョーンズ』だって自分は学校から逃げた癖に息子には学校に行けと言ってるぞ」

「それなー。けどいいもん、第四作は駄作だし。作品が駄目なら台詞も駄目です」

「どんな理屈だ……。善悪二元論じゃないが、何言おうと迷惑する奴がいるなら悪だ」

「ゆーて、ボク達を望む奴等もいるんだぜ? 彼等にとっちゃボク達が正義だ。悪としても作用・反作用の法則のように罪の大きさが心意気を輝かす。他の幸福を否定する事を恐れて何が神か。況や、戦争を否定しつつ戦争映画を楽しむ畜群よりマシだ!」

「ホールデン少年よろしく、インチキな『武器よさらば』で感動するなってか」

「と、同時に、喜劇王チャップリンさん曰く『人生は、クローズ・アップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である』……どっち何でしょ? ホールデン少年もチャップリンさんも好きだから、どっちが良いか困っちゃうわ」

「台詞じゃなくて、台詞を語る役者で決めるんかい。女の子だなァ……。どちらにせよ、無理矢理に見せるのは不粋だと思うね、俺は」

「Show rap! Shit damn! Sit down!」

「もう座ってます」

「そんなの識るか。笑劇の道化は、客が野次ろうが拍手しようがどーでもいいのだ。『竹竿を振り廻す男よ、君はただ常に笑われてい給え』。『君の噴飯すべき行動の中に、泪や感慨の裏打ちを暗示してはならない。そして、それをしないために、君の芸術は、一段と高尚な、そして静かなものになる』」

「その台詞は口に出した時点で敗北だ。矛盾してる。『わずかな衒学をふりかざして、「笑う君達を省みよ」と言い給うな』という台詞を自分で振りかざしてるんだから」

「Phew! 流石、大学生、何か賢い事言ってくる! 凄いっ! うーむ、やはり子供が幾ら背伸びしても、大人の社会を生き抜いた年月にゃ勝てないぜ」

「今時、子供で坂口安吾を暗記してる奴の方が『凄いっ!』だけどな」

「えー? やー、別に凄くないですよ。ネットで調べれば幾らでも出て来ますしお寿司」

 マツリは笑って手を振る。猫のように良く動く子だ。ソレを見て、俺はニヤリと笑う。

「いや、マジで凄いぜ。よくそう台詞が出て来るもんだ。しかし君は言葉が足りないくせに冗長だよ。自己満足オナニーがしたいならブログかSNSでやれ」

「オナっ!? ~~~~っ」

 彼女は唐突な下ネタに面食らった様だった。俺も「しまった」と思った。無意識の台詞だった。非現実な舞台で酔ったのか? 先程、彼女の事を冗長だと言ったばかりなのに。同族嫌悪だったか。いや、こんなオジサンと一緒にされるのは嫌か。

 俺は恥ずかしくなって眼を逸らした。これくらいで眼を逸らすから俺は駄目なのだろう。しかしその言葉のおかげかどうか、マツリは冷静になった様だ。

「Ahem. とりま、ただ敵情視察に来ただけだ。特に、アルマ君をね」

 不敵な笑みを元に戻し、またもやニヤリをしながらアルマに言った。しかし、

「…………」

 当のアルマは相変わらず平然とした無表情かつ無言でマツリの顔を見返していた。あまりに見つめられて気恥ずかしいのか、マツリは眼をやや逸らして言葉を続ける。

「……あの、アルマ君。ボクは君と噺をしに来たんだが、何か言う事は無いのかい?」

「知らない人とは話さない様に、とマイスターから言われてますので」

「はいならさっき話した! もう約束破っちゃったねー貫通だねー。『ああ、よごれを知らぬヴァジニティは尊いものだ』った(過去系)! こうして少女は大人の階段上る。けど君は永遠にシンデレラさ。『時よ止まれ』? 否否否。千辺否。万辺否。『青春の幻影』故に雄弁だと、君にも分かる時が来る。それがとても寂しく、けれど美しく思うのサ~」

「…………」

「……うにゃー」道化たマツリの台詞にも、アルマは黙して語らず。マツリはまるで屋根の上で星を取ろうと竹竿を振り回すピエロだった。「レ、レドニャ~ん……」

 そして無法のピエロは、舞台そのものを笑劇にする。泣き付かれる強面のレドナーもまた、もはやただの保護者と成る。溜息を付いて、こう応う。

「……先ず、自己紹介でもすればどうだ? 互いに既知とは言え、初対面だろう」

「あ、そだね。略して、あーね。さっぱり、うっかり、カバン語でさっかり忘れてた。ボクの名はマツリ。これでもう知らない人じゃない。皆、皆、生きているんだ友達なんだ」

 マツリは笑って言う。一々、台詞の多い女の子だ。一方、同じく女の子のアルマは冷静に「…………?」と夜色の瞳で俺を見て来る。俺に選択しろというのか。

「いや、それで知り合いとは言えないだろ」俺は応える。「それに、どうせ偽名だ」

「あや、そですけどね。本名は茉莉です。祭りや祀りと、一文字では無意味という意味が在るらしいです。加えて私はボクっ子ではなく今だけのキャラ付けです。メガネは伊達で、目はカラコンです。えとえと、タメ口もそです。生意気でごめんなさい」

 本当に偽名なのかよ。というかそれキャラ付けかよ。

「そりゃあ貴方、折角、世界劇場で踊るのですデス。素面で演技は勿体なく、個性を越えた超人へと……しまった、これは舞台裏だ。えい、兎煮も角煮も担当医を呼べ! いや呼んでください! アルマさんのサイドを! プリーンズッ!」

 マツリはその場で回転しながらそう叫んだ。少女だが、何とも姦しい娘である。その言動にアルマはどう思ったか、目を細め、何処か優し気に、こう口を開いた。

「それは命令ですか?」

「お願いしてるんですぃょぅ、ヒャッハー!」

「『ヒャッハー』とは何ですか?」

「ま、真面目に訊かないで下さいよ。調子狂うなあ。いや、治るのか?」

「とまれ、了。なら……マイスター! マイスター!(暫しの沈黙」

「(何気なくアルマと俺の後ろから現れて)なんじゃー」

「うえっ!?」驚くマツリの目線を辿ると、そこにはケイが居た。「貴方いま七階(約21m)くらいから落ちて来ましたよ! アレか、ギフトという奴ですか!?」

「だーほ。お前、これは机に乗りながら落下して地面に当たる寸前に机から跳躍したり、地面に転がって衝撃を分散させる五接地転回法のような人間力、つまり気合だ」

「気合スゲーっ!(拍手」

 これが自然と言うのなら、自然破壊とはさぞ恐ろしいモノなのだろう。しかしこの登場の仕方、まるで休日のお昼にやってる新喜劇か笑劇場みたいだな。

 そして実際、ケイの登場は劇的だった。舞台が世界の全てである劇は、役者一人の登場でガラリと空気が変わるもの。先程までの穏やかな場面は、異質な空間へと転換する。

 それはなまじすぐ隣に日常があるだけ異常だった。大学生が何て事無しに歩く中でこうも簡単に非日常が行われているのかと思うと、不安と不気味さを感じ、けど同時に、上手く言えないが、懐かしい感じがした。

 初めて父の仕事ぶりを見た子供の頃を思い出す。休日の家で安っぽいバラエティー番組に笑う父の顔とは違う、仕事人としての、プロとしてのあの顔を……。

「んで、」固い空気を割る様に、ケイがSnapと指を弾く。「今日は。顔合わせは初めてですね。私がアルマの影法師、ケイです。宜しければ、どうぞお見知りおきを」

「どもども。吾輩はマツリである。名前もマツリ。此方こそよろしくですょ」

「で、可愛い妖精シーがこのお兄様に何用で?」

「ふふん♪ 私は時代小説のワザとらしい前口上が好きでしてね。一つは宣戦布告でござい。即ち――準備は整った。今より我らは攻勢に転ずる。覚悟しろ」

「ほう、どう覚悟しておけばいいのかな? ヒント何て教えてくれたら幸いなのだけど」

「そうですね……こう、風と共にブワーっと突入して、グワーっと去りぬ?」

「はっはっはっ、成程っ!」

 さっぱり解らん。

「解れば結構でござい。けれども宣戦布告、これはオマケ。二つ目が最後で、主題でございます。即ち――賞品を一目見て置こうと思いまして」

 と、マツリはその「賞品」とやらを見る。つまり、アルマを。

「ふぅん……それで、感想は如何?」

「ふふん♪ パパから聞いていたよりずっとステキです」マツリは眼を細め、指先を唇に当てて言った。「パパと同じ様に、私も欲しくなっちゃった」

「それはどうも、でござい」

「そう勝ち誇っているがいい」マツリはケイを指さした。「彼女は私達が頂きます。WCと私のサイドキック、レドナー、がッ! ね、そうでしょ? でしょー?」

「……そうだな」

 レドナーはその問いに、肯とも否とも取れぬ口調で冷たく応えた。

「うや、すみません」それにマツリが頭を下げる。「ウチのレドナーはシャイですから」

「いやいや、彼の不器用さはよくご存じですからお構いなく」二人はレドナーに対し勝手な意見を言っていた。当のレドナーは、借りて来た猫の様にマツリの隣で無表情で突っ立ったまま、何を考えているか解らない。「後、うら若き乙女がクソはイカンなあ」

 ケイは笑いながら言った。マツリは俺の様に否定するかと思いきや、「ご、ごみゃんなしゃい……」と素直に怯んだ。解っているが、酷い差である。

「いやいや、悪かないよ。闘う覚悟が在るならね。とまれ、受けて立とう。君達が如何なる攻撃を繰り出そうと、我々はそれらを全て受け、なお、立つ。そうだろう、アルマ」

「肯」それにアルマが応えて曰く。「誰かが『そうあれかし』と望むなら」

 そうして二組は向かい合った。今日も変わらぬ日常の下で、ただ一度の舞台に全ての人生を魅せる役者の様に。

 俺はその中で、ただ何も喋らず、黙ってその光景を見つめていた。まるで場違いだった。ただ、邪魔しない様に黙っているのが精一杯だった。

「ふふん♪ 会いに来て良かった。さて、日常パートはこんな所でせう。後は夜の部に向けて準備なのです。てー訳で帰るけど……レドナー、何か捨て台詞は在るぞなもし?」

 その言葉に対し、レドナーは特に反応しなかった。アルマをじっと見つめるままだ。

 しかしマツリもまた、じっと待っている。それに対し、レドナーが何を想ったかは知らないが、眼を瞑り、息を吐き、ケイを見て、閉じていた口を僅かに開き、低く言った。

「……相変わらずだな」

「応。一年ぶりだっけ。それとも一万年と二千年?」

「俺の固有時は止まったままだ。それより、まだソレを使っているのか。俺の方が強い」

「ヤキモチか? 於戯、モテる男は辛いなあ。それとも、まだ『アルマ』の役を襲名できなかった事で駄々こねてるのか? 帰って来いよぅ、一緒に酒でも飲もうぜ」

「……そんなものじゃない」

「ヤレヤレ、無愛想だなあ」と、ケイは笑う。その無愛想さがたまらなく好きだというように。「その娘が今のお前のヒロインか? 人懐っこそうで、可愛いじゃないか。やはり男も女も楽しく元気に笑う奴が良い。畢竟、人間の目指す所は笑いなのだから。『星の王子さま』が暇潰しする薔薇よろしく、影法師の甲斐が在りそうだ」

「…………そんなものじゃない」

「そうそう、逆ですよ。私が影法師に助けてるのです。この人、ケイさんみたいな非日常を捜して海外放浪してたんですけど、途中で軍資金が尽きてお腹減って倒れちゃいまして。んでんで、同じく義務教育をすっぽかして放浪してた私がご飯を奢って、その見返りとしてこうやって私達の護衛をさせているのです。『るろうに剣心』よろしくですね」

 マツリの言が本当か不明だが、ケイは「ニャる程ニャ~」と笑った。レドナーが黙っているのは、別に肯定する訳ではなく、単に否定するのが億劫なだけだろう。とまれ、レドナーはそれ以上にケイとは話さず、次いで、アルマに眼をやった。

「お前は俺が倒す」

「貴方の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます」

 アルマは静かに応えた。軽く煽っているというかお祈りメールに聴こえるのは、彼女が天然だからか、俺が就活に迫っているからか。そして最後に、レドナーは言った。

「お前はこれでいいのか?」

 アルマはそれに応えなかった。ケイも応えなかった。何故応えないのか。その問いは、俺に対して向けられたからだ。

 だが、俺はどう応えていいか解らなかった。だから、俺は曖昧にこう応えた。

「……さあ」

 さあ、だとさ! もっと気の利いた台詞は言えないのかよ。面接じゃあ、そんなのは通らんぜ。おまけにお茶を濁す様な気持ちの悪い笑みで言いやがって。

 即興アドリブは止してくれ。俺は戦闘中もペラペラ喋る役者でなければ、一瞬でひねりのキいた技名を思いつく作家でもないんだよ。事前に仕込みと台本を用意してくれ。第一、いきなりそんな事訊かれて、答えられる訳ないじゃないか。

 良いか悪いか以前に、何がしたいのかも解らないのに。

「……終わり? もっと何か言えばいいのに。『Go ahead. Make my day』とか。ちと気取り過ぎかニャ? まあいいや。ぢゃ、帰りますか」

 もう喋る気配の無くなったレドナーを見てマツリは言い、レドナーを連れて帰っていった。飛んだり跳ねたりせず、徒歩で。非日常の住人とは思えない帰り方だった。

「ぢゃ、俺も帰るわ。舞台を準備しないとな。君達は、適当にラブコメしてい給え」

 ケイも笑って何処かへ歩いて行った。何だか軽いノリだった。

 そうして俺とアルマは取り残された。いや、残されたのは俺だけか。まるで一人離れてクラスメイト達の会話を聞いている昼休みの様な、近くて遠いあの感覚。

 解ってしまう。舞台に上がれば上がる程、住む世界が違うのだと。

「どーしてああいう人達っていうのは、如何にも『ああ』いう感じなのだろうなあ」

「? どういう事ですか」

「つまり君が」言葉を濁した。「ああ」じゃない自分がソレを言ってしまえば、嘘になってしまうと思った。「……君のマイスターが、とてもカッコいいという事だよ」

「そうですか。それはとても嬉しいです」

「君が嬉しいのか」

「自分を認めくれる人が褒められたならば、それは嬉しい事だと思います。自分が認めている人なら尚更です」

「……ほーか」俺には解らん事だ。本氣に議論しない青年には。何で俺は此処にいるのだろうな。「……さて、俺も行くか」

「どちらにです?」

「講義に出て来ます。今日はもう一つ在るんでね」

 どうやら次の幕が上がろうとしていた。俺にとっては、屋上での闘い、公園での闘いを経て、次で三幕目。だが彼等にとっては何幕目なのだろう。解らない。彼等の舞台は俺の居ない所でも始まるのだから。そう言えば、彼等は俺の舞台を見たいだろうか。俺自身は、俺の舞台なんて、別に……。

(「此方側の住人」か)それは一等救えない台詞だ。確かに、傍から見ればこんな俺でも役者なのだ。だからもう己を不幸だ何だと素面マトモなフリをする資格は無い。「汚れっちまった悲しみ」だ。なのに、お前は何をまだ燻って……(何やってんだろ、俺)

 そう想いながら、俺は一人、講義へと向かった。



 ……第三幕・終

 ――――――――――――――――――

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