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素晴らしき哉、好敵手! Remember no man is a failure who has failure.

 第二幕『素晴らしき哉、好敵手! Remember no man is a failure who has failure.』


 ――怪物が近づいている。それは無貌の虚無。無為の暴力。無音の影。アレは何だ。

 君、何をそんなに恐れている。

 ――解らないのあの声が。耳を舐める様な怪物の声! とても恐しい怪物よ。

 それは君の吐息の声。君の怯える気後れだ。

 ――感じないのこの振動が。床を揺らす怪物の身体! とても重たい怪物よ。

 それは君の身体の震え。君の不安の現れだ。

 ――聞こえないのその足音が。私達に迫る怪物の音! とても大きな怪物よ。

 それは君の心臓の音。君の恐怖の大きさだ。

 ――だったらあの怪物がここに来たらどうなるの? きっと私が無くなるわ!

 ああ消える。アレはナニか。敵は世界そのものだ。そして世界は君が創りだすものだ。故にコレを倒すなら、君自身を倒さねばならない。君はどう倒す、この敵を。

 ――……それならば問題ありません。

 それは何故?

 ――何故なら私は刃、己の世界を持ちません。私の世界を創るのは、私でない誰かです。

 それでいいのか?

 ――構いません。それが私の…………


「……ん」

 気付くと、俺は自分のベッドの上に居た。何時の間にか眠ってたんだ。

(何か、夢を見ていた気がする。俺が、俺じゃない誰かの中に居た。まるで多重人格の様に……駄目だ、思い出せない)

 それにしても、久しぶりにスッキリした覚醒だ。何日も眠った様な……。

「あ、起きましたか。おはよう……否、おおそうございます」

 不意に、壁際に座り、何かの本らしきものを持った、誰かが頭を下げてそう言った。アルマである。俺はアルマの台詞に対し「はあ、どうも」と曖昧に応えた。

 その衣装は、普段着だろうか、大学で着ていたドレスとは違い、白朝色のブラウス、黒夜色のコルセットの付いたスカート、タイツという日常的な物だった。

 日常と言っても、その服は西洋的で、日本ではやはり非日常だが。いや、そも俺の西洋感が正しいかすら解らない。『ディズニー』よろしくなノイシュヴァンシュタイン城がシミュラークルという程度なら知ってるが……。

 どうせなら、もっと普通の衣装が見たいものである。非日常の役者なら、非日常より日常な格好の方が映えると思う。ポップにキャミソールを重ねたものとか、ラフなタンクトップとジーンズとか、チャラい学生服とか、シックなスーツとか……素材が良いなら、色々と試してみたくなるものである。それじゃ着せ替え人形か?

(などと、目の前の状況が呑み込めないと思考が空回りするのは俺の癖だな。つまり今考えるべき事は、何で彼女が俺の部屋にいるかという事だ。俺も何時の間に帰ったんだ)

 そう思うと同時に、彼女に電撃の様なものを浴びせられ気絶した事を思い出した。その後、恐らく此処に運び込まれたのだろう。何というブラック企業。まあ、起きたら彼女達はいなかった、なんていう展開よりマシか。

 外は暗く、時刻は日をまたごうとしていた。今日こそ生活リズムを整えようと思ってたのになあ、とどうせやらない事で後悔していると、ふとケイがいない事に気が付いた。

「マイスター、つまりケイは外回りです。私を置いて」やはり無表情だが、少しショゲた気がした。置いて行かれた子犬の様に。「それと、スミマセン、勝手にお邪魔して」

「え、あー、それは良いんだ。コッチこそ散らかった部屋で済まない。掃除しよう」

「了。〈ブレイズ・アルター〉で何でも食べます」

 と、意気揚々そうにアルマが立つ。無論、ただそう見えるだけだ。だが俺は、「え? いや、いいよ。俺の部屋だし」と断る。するとアルマは「……そうですか」と座り直し、また何かの本を読み直し始めた。……暇なのか?

 とまれ、俺は適当に掃除した。普段のゴミの分別は割と律儀な俺だが、今回は急を要するので明日は燃えるゴミの日だが資源ゴミも一緒に捨てる事にする。

 しかし、掃除は受験勉強をやらない為の誤魔化のようなものだった。つまり、男の一人部屋にうら若き少女がいるのはどーかという噺であった。尤も、仮にも俺は歳を食った大学生……思春期の中学生よろしく其処まで気恥ずかしくは成れないが。

 いや、歳は関係ないか。彼女には、己の部屋に異質なものが在って居心地が悪い、という所が無かった。まるで夜に浮かぶ月の様に静かに落ち着いていて、殊更に意識しなければ、その存在感は風景に溶け込んだ。

 そうだ、部屋にちょっと綺麗な人形があると思えば……

(オリエント工業かよ)

「さて……」モンデン・キントが本を閉じ、立ち上がった。俺は「い、いや、スマン、変な事考えて」と慌てる。「? 何を謝るのです?」

「いや、何も。典型的なお約束だ……」

「はあ。とまれ、マイスターの命令を行います。出かけるので準備してくれますか?」

「ああ、解った」俺は大して考えず生返事した。次いで、そんな物臭な自分に頭を振り、台詞を言い直す。「何処かに行くのか?」

「肯(Yes)。敵を倒しに行くのです」


 敵を倒しに行くのです、という訳でやってきたのは近くの公園だった。割と広くて東京ドームくらいある。いや、言ってみただけだ。東京ドームの大きさなど知らん。

 遠くには都会の喧騒が聴こえる。辺りは暗く、申し訳程度に点く灯りが逆に不気味だ。だがこの手の奴が好きな者も居るだろう。人は異物を、時に嫌い、時に好むものである。尤も、今は人影も無いが。

「ギフトで人払いを行っています。一つは〈失われた世界ワンダー・ランド〉、効果は『時空座標をずらす』。画像処理のレイヤーの様に、基底現実に影響を受けつつ、与えません。逆はインフレーション宇宙論の関係で困難です。二つは 〈ポケットの中の戦争チルドレンズ・ウォー・ゲーム〉。効果は『情報が外部に漏れなくなる』。陸の孤島を作り出します。三つは〈禁じられた遊び(トゥルーマン・ショー)〉。効果は『意識を変質させる』。無意識に影響するので、微弱ながらも知覚困難です」

 便利なものだ。だが、こういう事を隠してる訳では無かったはずだが。

「けれど、無闇に事を大きくする必要はないと思われます。近寄ると危ないですしね」

 それはそうだ。ん? なら、この前の夜はどうして俺が屋上に入れたのだろう?

「きっとレドナーが強敵で、余力が無かったのでしょう。覚えていませんが」そういうアルマの衣装は、先の俺の部屋の普段着と違い、大学で見たドレスに、マフラーを加えたものだ。冷たい冬の空気は、女性の美しさを何倍にもするから不思議である。「とまれ、さて、今回倒すべき敵は、マイスターによると、WCと直接的な関係はありませんが、何らかの影響を受けている様で、この公園で良く出現エンカウントするようです」

 敵、敵か……。そう言われてもピンと来ない。けど、彼女らにとっては解りきった事なのだろうか。エネミー、ライバル、ヴィラン……俺にとっての敵は何なのだろう。

「説明しよう」

「え、うおっ?」聞き知った声がしたと思うと、後ろにケイがいた。「何時の間に……」

「何を隠そう、これぞ俺の千のスキルの一つ〈ひとりかくれんぼ(ハイド&シーク)〉、効果は『気配を隠す』……というのは冗談で、ただのストーキング技術だ。軍隊上がりの業物でござい」そう、ケイは笑う。真偽はさて置き、全く気付かなかった。「んで、敵は誰か。それは人それぞれだが、今回の俺達の敵は……アレだ」

 そう、ケイが暗闇を指差した。遠くて暗くてよく見えないが、そこには数人の人だかりができていた。高校生くらいの金回りの良さそうな私服を着た男が三人に、白いスーツの上にコートを着た痩せた中年の男が一人……ていうかあれ、親父狩り?

「ヒャッハー! オヤジィ金出しなあ!」「ヘーイ! でないとデウス・エクス・オレンジよろしく『雨に唄えば』を歌いながらボコボコにしてやんよ!」「ハッハー! 唐揚げを持ってるジャンよお! 子供は唐揚げに眼が無いんだ!」

「Boy! なんてこった、パンナコッタ! 仕事サボって公園で不貞寝してたらすっかり夜だぜ! オマケに悪ガキに囲まれるし、ムカつくぜクソッタレーッ!」

 その様なやり取りを、俺達は相手に気付かれないよう遠くの草陰から眺めていた。

 何だあのハイテンションな親父狩り達と親父は。パンクなのか? ガンギマリなのか? まあ、楽しそうで何よりです。などとギャグってる場合ではなく。

「おっと、門を築く前に既に部外者が入っていたか?」

「否、私の不手際です。彼等からアルコールと薬物反応が感応されます。既にあそこまで変質していては、望む変質にするのは難儀なようで」

「成程。なら、〈カッコーの巣の上で(キージー)〉くらいキツイ奴が必要かな」

「不可(return 404)。スミマセン。それは今、覚えていません」

「(ケイがアルマの頭を撫でて)そうか。なら物理的に処置しよう。どうしようか」

「どうしましょうか」

「って、何を呑気な。アレ等は敵じゃないんですか?」

 痺れを切らして、俺は言った。早く少年達を何とかしないのか?

「違うな。助けたいなら君の敵にするといい。アルマに言えばやってくれるよ」

「アルマ、が?」命令しろ、という事か? 俺が? 気が引ける。けど、助ける事は悪くないはずだ。そうだろう?「アルマ、何とかできないか?」

「それは命令ですか?」

 アルマが俺の目を真正面からジッと見る。その目からは何も読み取れない。まるで『琺瑯質の目の乙女コッペリア』のように。

 俺はその目を直視できなかった。気恥ずかしさではない。何というか、目に映る自分が怖かったのだ。心を読まれるようで。なので、目の辺りをぼんやりと眺めて応答した。

「いや……頼み事、かな」

「解りました」アルマは呆気なく応えた。「では三つの選択肢を例示します。一つは〈虹色の魔法使い(キュティーハニー)〉。効果は『自由自在の変身かつ変身対象の能力付与』。ただし変身過程で貴方のお父さんの服が弾けます。二つは〈電脳妖精ニューロマンサー〉。効果は『電子機器の操作』。多重人格させた魂を電波で飛ばし遠隔操作で彼等の携帯から大音量を流します。三つは〈即席魔術インスタント・マジック〉。効果は『簡易な魔術の行使』。取り敢えず水素と酸素を混ぜて彼等の周辺で爆破します」

「何そのゲームの選択肢みたいな」俺はどうしようか考えた。だが……「何でもいいよ」

 投げやりではない。ただ、彼女に任せた方が適切だと思っただけだ。すると、

「はあ……了(Understood)」アルマは少し納得いかないような、興の削がれたようなに応えた。無論、俺がただそう思っただけであるが。兎も角、彼女は逡巡する素振りもなくすぐに、或いは適当に選択を決めた。「では、〈電脳妖精〉で行きましょう」

 アルマがそう言うと、Quonと共鳴する音叉のような透明音を静かに響かせ、右手に銀色の星が燃えた。すると、いきなり少年達の方角から爆音が鳴り出した。何処かで聞いたことのある曲からホラー映画よろしく女性の金切り声が大音量で響き渡る。

「あびゃあああ!? 何DAコレッ!? 怪奇現象!? 電源切れないし!」「くそぅ、あれか、十八歳未満なのに十八歳以上と嘘ついたバチなのか!?」「違う! 何でもかんでもあるネットが悪いんだ! 俺は悪くねえ!」

 音は色々な音と混ざっていき、楽し気な『聖者の行進』まで聞こえてくる。後、欧米女性の「OH,YES!」というやけにパンパンした喘ぎもとい高音も。もはやLSDをキめた映画監督の作った『2001年宇宙の旅』くらい意味不明だった。しかしLSDのトリップはここまで意味不明にはならないとの反論がある。何この……何?

「さあ、解りません。適当に音の出るサイトに繋げていますから」

 その後、少年たちは色々と試したが音は鳴りやまず、パニックに成って何処かへと消え去った。尾を引いて音が遠ざかる様は、救急車のサイレンの様だった。ご愁傷様。

「これにてオヤジ狩り狩り完了です」

「『気の毒だが正義のためだ』」

「正義の為に悪を殴っては王と同じだと思うのですが、どうなんでしょう?」

「良い質問だな、慧一君。それは戦争と同じ、第三者から見ればどっちも迷惑さ。其処に在る夢や願望まで否定しちゃ虚しいがね。ビジネス化した思想のない戦争は虚しいぜ」

 ケイは懐かしく気にかつ皮肉気に肩をすくめた。覚えが在るのだろうか。

「因みに、放って置いていいんですか、彼等?」しかし、俺は何だか大人に注意された子供の様な気分に成って、話を変える。「どうせ、また同じ事しますよ」

「良し、じゃあアルマ」

「では五つの選択肢を例示します。一つは〈不幸な子供ゴーリー〉。効果は『バッドエンドにさせる』。二つは〈罪とドストエフスキー〉。効果は『所属する社会の法に則して運命的に悲劇が起こる』。三つは〈車輪のヘッセ〉。効果は『精心的な苦痛や重圧が物理的に成る』。四つは〈エルム街の鉤爪の悪夢ファニーゲーム〉。効果は『夢が現実になる』。五つは〈死に至るユーサネイジア〉。効果は『他者に無視される』」

「わーお、素晴らしくロクな手札がない」

「ま、ノリや暇潰し程度の反抗期の尻拭きは、社会か自分でやるものさ。俺達がでしゃばる事ぢゃあない。そんなのはエゴイストだ」 

 そう言うものなのか。見て見ぬフリではないのか。俺はそう思ったが、どのみち俺には何もできない。

「それにしても、優しいのですね貴方は」

「ありきたりな台詞だな。けど、優しいなんて言うもんじゃないと思うけど」

 あれは道徳と言うか、安っぽい正義感と言うか、その場のノリだ。ましてや君の様な女の子の前なら、誰だって格好つけるさ。と言いつつ、君任せだが。

「そうですか。けど潔いです。闘う前に、敵である男を助けるとは」

 ……ん?

「あー、展開的にもしかしたらとは思ったけど……ジマで?」

「『ジマ』です」アルマはコートと手袋とマフラーを脱いで、ケイに渡した。そして淡々と親父の前に歩いて行き、こう口上した。「貴方を敵として、私が倒します」

「んー、君は何を言ってるのかな? てか誰ぞなもし? デリヘルかな? それとも天使の輪よろしく円光って奴かな。んなのメディアの作る都市伝説と思ってたけどなー」

 男は不意に現れたアルマを見て、驚いて後退った。ワザとらしい挙動不審だった。その顔は笑っていたが、目は全く笑っていなかった。一から十まで造り物の笑顔だった。

「貴方は最近ニュースでやっていた動物虐待の犯人です。今度は殺鼠剤の入った唐揚げですか? それとも、あの少年達にワザと食べさせるつもりだったのですか?」

「HAHAHA、まさかマッカーサ」

 さっきからギャグが肉が腐った加齢臭。

「誤魔化しても無駄だ」ケイもまた男の前へ行き、笑いながら真面目に言う。「お前が俺達を知らなくとも、俺達はお前を知っている。近所の鈴木さんも佐藤さんもお前の事を言っていた。何よりお前からは敵意がする。世の中に対する敵意がな。認めろよ」

 その途端、空気が変わった。一陣の風が、箒の様に先までの空気を掃き払った。授業中に寝落ちして、ハッと起きると辺りの空気がガラッと変わっていたあの感覚。生と死の境が滑稽なほど曖昧な童話を思い出す。こんなにも日常と非日常の境界は曖昧なのか、と。

「敵意……【敵】意だと?」

 途端に違和感が湧き上がってくる。見た目は普通の公園なのに、「ここは何処だ?」と不安になる。電灯が不規則に点滅し、風が冷たい風を運び、黒く染まった木々が揺れる。この感覚は知っている。それは劇場。何もかもが演出効果セットの様な。

 そしてその感覚は当然に不自然だった。此処はもう人の意志という種も仕掛けもある異世界だった。この作られた世界劇場こそ、道化の踊る舞台だった。

「だからこそお前は【敵】として斬り伏せる。彼女がお前を打ち砕く」

 そのケイの言葉に、少女は応える様に前に出た。

「その通りです。私は一振りのブレイド。使い捨てのバレッド。無為のアイテム。私は如何なる意志も主張しない。相対するのなら、闘う、までです」

「ふっ、あははははは!」アルマの舞台口上に、男はワザとらしく不敵に笑う。「闘う、だと? その可愛らしいフロラインが、この僕と?」

「そうだ、お前を彼女が倒す。お前の敵意を彼女が倒す。お前の敵意を彼女が受ける」

「彼女が受ける、この俺を?」男は不気味に笑う。もう仕事をサボった中年親父ではなかった。子供如きが幾ら囲もうとも倒せない敵意に満ちていた。「成程、君達が噂の『銀月の騎士』か。なら私は君を倒し、永遠の『ドン・キホーテ』と成ろう」

「倒せば成れるさ。そうだろう、アルマ」

「肯」

「ならば行け」ケイは命じた。右手を伸ばし、「目の前の敵を叩き斬れ」

 その言葉に対するアルマの答えは一つだった。

「了(Understood)」

 その言葉を合図に、アルマはQuonと右手に蒼銀の星を燃やし、駆け出した。

 こうしてあまりに不意に、前振りなく、夜の舞台が始まった。


 蒼銀のころもを翻し、一人の少女が駆けて来る。

 糞喰らえ、呑み込む太母!

 “I'm the king of the world!”

 成就ありやがれ。


「ギフト発動、〈祝詞宣言ザ・ワールド・イズ・マイン〉!『言霊は我に味方せりッ! さすれば私の拳は空を斬るッ!』」

 普段の平然とした声とは違い、鋭い掛け声と共に「手刃シュバッ」っと拳を男に向けて宙に放った。男は何かを感じたのか反射的に身を低くする。結果、先まで男の頭があった部分をカマイタチよろしく風が斬り、男の後ろにある木に当たった。

 しかし衝撃音からなる予想とは裏腹に、木は全く傷付いていない。技の威力が無い訳ではない。これが先に言った〈失われた世界〉の効果なようだ。

 だが技の音自体は風船のように炸裂し、男は思わず目を瞑った。これは男にとって悪い事だった。恐れは身を停止させ、怖れは心に布を被せる。結果、次に男が目を開けた時には、片足を大きく振り上げた少女が目の前に居た。

「『言霊は我に助力せり。さすれば私の脚は大地を砕く』」

 そして先程の鋭い言葉と違い、重く屹然とした物言いで「ゴウ」と脚を振り下ろした。その勢いに砂埃が舞う。技自体が舞わせたのではなく、技に当たった男が地面に押されて結果的に舞わせたのだ。

「アレは自己暗示やシャーマンよろしく言霊で自分を強化したり、王様を裸にしたりするギフトだ。ただしロバの耳の王様と頑固親父には分が悪い」

 俺の隣に居るケイはそう説明した。その言葉通り少女の凄まじい身体能力は更に凄みを増していた。少女の脚は男を呆気なく吹き飛ばし、これにて戦闘は終了しよう。

 無論、それは相手がただの人であれば、である。そして相対する男はただの人ではない。獲物を持たない漠然とした敵意は今此処に、明確に目の前の少女を砕かんと襲いかかる。

「ふ、ふは、ふははははは! これは凄い、こいつぁとても凄いものだッ!」

 男は片腕で少女の剛脚を防いでいた。地面を凹ませる程の蹴りだったのに、だ。

 しかも男の身体から、ヒュードロドロと煙草の様な灰色の煙が漂っていた。

「『今日は死ぬのにもってこいの日』! こんな素晴らしい少女がお相手とは! 中に出して良いんだな!? なら、我の白くてドロドロした欲望を受けてくれええええッ!」

 男が叫んだ瞬間、その身体から灰色の煙が噴出した。今まで溜めてた欲望が、遂に吐き出されたとでもいう様に。それは男と少女の姿を見えなくする程だった。

 その様に俺は「な、な――っ!?」と驚き、しかしケイは慣れた様に数歩前へと進んでいく。その目線を辿ると、ちょうど煙からアルマが飛び出て来た。どうやら煙の噴出に吹き飛ばされてしまったらしい。それをケイは予想し待ち構え、軽く受け止めた。

「む。……スミマセン、ありがとうございます」

「どーいたしまして。ちと反応が鈍いな」

「まだ万全ではないようです。ですが私は大丈夫です、任せてください」

「任せた。当時より対象をコード『広域重要裏事件B081号ARM14番〈重たいヘビー・スモーカー〉』と定義ネームドする。煙には注意しろ。存在を『変身カフカ』させられるぞ」

「了(Understood)」

 ケイはそう注意し、アルマは力強く頷いた。一方、俺はそんな二人を眺めていた。

「アレが俺達の闘っている【敵】の一つだ。漠然とした想いが志向性を持ち、世界を描き変える力を得た【敵】の姿だ。もう妄想は妄想じゃ済まされない。夢が境界を越えて溢れだす。そんな事が可能なのか、信じるかどうかは君の勝手。だが敵は実際に、できる」

 そこには煙を漂わせ、『ジキルとハイド』よろしく豹変した男がにいた。

 肉は変わらない。巨大化や変色や角が生えるという事はない。だが心は変わっていた。

 それが逆に異様だった。飽くまでもアレは人間力なのだ。人の何処にアレ程の狂気が詰まっているのだろう。真に驚くべきは能力ではなく、能力を生み出す心だった。

「さて、俺はもう少し離れよう。慧一君も強い一撃が来るから注意して」

 俺は「え?」と言った。慧一とは誰だ。自分の偽名だ。何を素面に成っているんだ。そう魂は言うが、肉は無意識に離れていくケイを見つめ、頭は展開に追い付かなかった。

「序幕は終わりです。ここからが本番……来ます」

 俺の隣でアルマが言った。実際、男が大きく息を吸い込んだかと思うと、獣の様に叫んだ。全方位に広がるはずの雄叫びは塊となり、暴風の様に此方に向かって来る。

 不味い、と思ったが身体は動いてくれなかった。炎や刃ならその危険性は明白であり、思わず逃げるなり何なりするだろう。だがその危険はまるで未知だった。

 結果、俺は無様に何の抵抗も出来ず呑み込まれた。海に溺れた様に上下左右が解らないまま吹き飛び、回転し、木のベンチ一つを代償に止まってくれた。

 しかしそれだけの攻撃を受けながらも、俺は割と平気だった。どうやらアルマの〈相棒探し〉のおかげらしい。尤も、心まで強くなる訳ではない様だが。俺は口に入った砂利と漂う砂煙に咳き込みながら、身体を立ち上がらせ、アルマは何処に行ったかと見渡した。

「想いを、力に変えて(BRAVE is BLADE)――」すると空から音が聴こえた。まるで月が語り掛けるような声で――「〈ブレイズ・アルター(BLAZE ALTER)〉」

 ――Jingle.

 アルマの魔法の呪文と共に、「シャン」というサンタ・クラウスの到来を告げるスレイ・ベルのような音が鳴った。すると右手の焔による星屑が散逸する。散った星屑は一つの形を成していく。それは太刀。少女の身の丈程もある、強く美しい白刃だった。

 アルマは暴風を利用して大きく跳躍していた。そしてそのまま隕石の如く落下し、太刀を振り降ろす。対し、男が右手を掲げると周りの煙が盾となる様に形を成し、少女の刃を防いだ。しかし刃の威力は凄まじく、男の足元が凹み地割れを起こした。ただの落下でここまで威力が乗る事はない、ならばただの落下ではないのだろう。

 男は拳を払い、アルマを上空に吹き飛ばす。そして着地される前に人差し指を向ける。すると周りの煙が収束し、アルマに向かって飛んだ。ただの煙のはずなのに、弾丸のような速度と威力を感じさせた。

 しかし弾丸はアルマの前で、見えない壁に当たった様に霧散した。アルマは全く身動きしていないのにも関わらず。

「弾丸を防いだのは〈空のシエル・シェル〉。効果は『固定』。周囲の水や空気を鋼のように圧縮して盾にする。防御力だけでなく、可変性と再生性を併せ持つ、何度も元通りになるハンプティ・ダンプティだ。圧縮した物を急激に圧縮・解放つまり爆発させ、衝撃波を起こし相手を吹き飛ばす事も可能。汎用性に優れた攻防一体の盾だ。

 方や、手に持つ剣は〈星奮ブレイズ・アルター〉。効果は『変換』。夢を見るように世界を描き換える、便利で曖昧なギフトだ。心という星を奮い剣にしたソレは、王の笏にて、道化の笏杖にて、教会の杖にて、魔法の杖にて、御伽噺の剣だ。

 この二つが、アルマが主に使う戦闘ギフトだな」

 何時の間にかケイが俺の元に近づいていて、そう簡単に説明した。あまりに何て事ない喋り方で、PCを買いに来た客に機能を説明するかの様な喋りだった。しかし俺の方はというと、PCなんか初めて見たという風で、何処が良いか悪いのかはさっぱり解らないが何か凄い事は解るといった塩梅だった。

「ところで、君は初舞台よろしく鳴り物入りしないのかい? 折角の機会なのに」

 その台詞に俺は黙る。解らなかった。あの夜はヤケクソだった。けれど今は冷静だ。事態を把握しているわけじゃないが、素面しょうきである。そんな頭で俺は考える。

 俺が一緒に闘っても足を引っ張るだけだろう。況や手助けをしなくても、きっと彼女は勝つだろう。そして何より、彼女が闘う姿は美しかった。とても綺麗だった。見ているだけで良かったんだ。あんまり邪魔したくないと思ったんだな。

Boyチェッ! クールだね、ステキだね! ムカつくぜクソッタレー! まるで歯が立たないでやんの!」

 男は煙を拳に大型冷蔵庫のように纏い、アルマを殴っていた。煙だというのに鋼鉄の様に重く鈍い音を出しており、まともに当たれば大木さえ圧し折ると思われた。

 しかしアルマは何時も通り落ち着いていた。演技ではどれだけ熱く成ろうとも、中身は冷静な役者の様に。どれだけの力も、受けて、立っていた。

「俺はさあ、悩んでたんだよ。このまま何の夢も目標も無く何の役に立ってるかも解らないまま定年まで働いて、一体、この人生に何の意味が在るのかとな。その他大勢と同じ様に何も残せず死んで忘れ去られるならこの瞬間に死んでも何の違いが在るのだろうとな。そりゃ家族を養うのが夫の務めなんだろうけどさあ。けど遣る瀬無いんだよ。ぼーよーなんだよ。これでいいのかと思うんだよ。

 だから俺は夜な夜な悪い事をしちゃうんだよなあ。バレるのが怖くて、けど誰にも見てもらえないのは虚しくて。於戯、だからこそ俺達には君が必要なんだッ! 君を白濁に染めてやる! さあ、今こそ、この俺の欲動を受け止めてくれえええええええええっ!」

 男がアルマを押し潰す様に殴った。足元の地面が凹むが、アルマはそれを防ぐ。男は更に煙の拳を大きくし、アルマを力任せに突き上げた。傷は防げても衝撃までは防げない。

 アルマは大きく吹き飛ばされる。だが空中で体勢を立て直し、問題なく着地する。

 其処に男がまた煙を弾丸のように飛ばす。しかも可燃性ガスよろしく爆発する。しかしそれ等は全てアルマの空気の壁に阻まれて霧散した。

「そろそろ終わりか」

 ケイの言う通り、この闘いの決着は近づいていた。男は攻撃を続ければ続けるほど呼吸を荒げ疲労を感じ、荒げた息を吐き出すたびに周りの煙が薄れていく。

 その事に、俺は何か上手く言葉に出来ない気持ちを感じていた。何といえばいいだろう。これで終わりなのか、と思った。

「いや、終わってたまるかクソッタレーッ!」男は最後の力を振り絞るように煙を集め、砲弾のように撃った。「FACK YOUUUUUUUUッ!!!」

 それを少女は避けなかった。正面交差。少女は砲弾に激突し、激しい毒の炎と空気の奔流が弾けた。空気が熱膨張を起こし、辺り一帯を吹き飛ばす。

 少女もまた飛んだ。爆発の勢いを利用して男の遙か頭上を飛んでいた。右手の蒼銀が光り輝く。巨大な太刀を振り被り。

 背中に大きな月を背負い、瑠璃色のドレスをはためかせ、蒼銀の太刀を振り被る。

 その姿を敵である男が見た。身動き一つしなかった。見惚れていたのかもしれない。

「必殺――『大断円ピリオド』」

 一閃。アルマは満月の軌跡で、男を両断した。

「Boy! これで終わり、か…………全く、最高だぜクソッタレー」

 彼は空を見上げたまま呟いた。途端、男の切断された箇所から血飛沫の様に、大量に煙が噴出した。力が抜けるように。そして男は重力に抵抗する事なく倒れていく。先までの荒々しい戦闘とは打って変わり、ぱたん、と静かに地面へ倒れていった。

「貴方の働きに感謝します(Thank you for your job)」

 そして最後に、アルマはそう言った。まるで儀式のように。それでもう終わりだった。

「あの男は、その、死んだんですか?」

「いや、彼女が斬るのは心であって肉ではない」その通り、着ている服は汚れ、身体も傷付いているものの、それは戦闘の余波に過ぎなかった。「ただ、オーガズムした賢者タイムよろしく……おっと、下ネタだった。まあ、燃え尽き症候群よろしく衰弱や倦怠感が在るだろうが、数日も経てばむしろ今までより元気に成る」

 これで終わりか、そう思った。呆気ないモノだった。敵が如何に雄々しい信念を持っているのか、如何に感動の過去を持っているのか、そも何をしたかったのか……そんな事を知る前に終わってしまった。幕開きの合図が無ければ、幕引きの拍手も無かった。

「現実の闘いってのは、大体がポーカーと同じさ。相手の手札を読み、自分の手札を揃え、勝算が在ると確信してから闘うんだ。行き当たりばったりなら、逃げる方が賢いね」

 ケイの台詞に、俺は呆としていた。何だか寝惚けている気分だった。

 たが、確かに闘いが在った。俺はそれを見ていた。寝起きのように動悸は早まり、静かな余韻が身体に在った。冷たい冬の夜風にも、火照った身体は冷めなかった。

 そして同時に、先まで闘っていた男に、心を締め付けられる感情を思うのだった。

(同情か?)俺は頭を振る。(まさか。知ったかで同情など、思い上がりだ。だからこれは、アレだ、正義感だ。そうに違いない)

「さて」と、俺の考えを覚ます様に、ケイがClapと手を合わせた。「GOODだ、アルマ君。たいへんよくできました」

「ありがとうございます」

 アルマは嬉しそうに小さく頷いた。飽くまでも無表情だが、雰囲気は違っていた。

「ぢゃあ、俺は後片付けをして帰るよ」

 後片付けとは何だろう、と俺は思ったが、しかし考えると色々あった。戦闘によって公園が被害を被った所は少なくない。地面に穴が開き、木は折れ、電灯は割れ、ベンチは砕けていた。それに敵であった男の処置もある。これらを放って置けば、明日には朝のニュースに乗るだろう。しかし、それらを一人でやるつもりだろうか。

「ははは、消防士だからって全員が火を消している訳じゃない。後処理専門の部隊スタッフが居るのだよ。とまれ、此方は気にしなくていいから、慧一君は帰るといい。もう遅いし……って、今更か。アルマもだ。まだ万全じゃない様だからね」

「否(No)。私は手伝います」

「駄目でございます」ケイは闘う前に脱いだ服をアルマに着させる。「休むのも仕事だ」

「……それは命令ですか?」

「命令だよ」

「……了(Understood)」

 少し不満そうだが肯いた。自分でもケイの言い分が正しい事は解っているのだろう。

「お休み、アルマ。慧一君も。夜道に気を付けて」

「肯(Yes)。お休みなさい。マイスターも、程々に。……では、行きましょうか」

 そう、彼女は俺に向かって手を差し出してきた。だが俺は、「……ああ」と曖昧に返事して遠回しにその右手を断って、彼女の横を通り抜けた。


 家への帰路。

 電灯が灯っている。その灯りはとても儚く、死の世界を連想させる。だから俺は子供の頃、暗き死に追いつかれない様に、夜の中を焦る様にその光を追った事が在る。

 そして今はこう思う、点々と地面に落ちる光は星の様だと。ならば一つ一つ先の星を踏む道程は、まるで宇宙遊泳だった。

 とても寒く、銭湯の帰りの様に逆上せた身体を覚ました。

 皆が寝静まった時間にも、こうして物語が在る事に、何だか心地良さを感じた。

「大丈夫ですか?」

 不意に掛けられたアルマの台詞に、俺は驚いた。少し眠りかけていたかもしれない。俺は何も出来なかったが、それでも今日は疲れた。色々在った。久々に寝たいと思った。

「ああ、いや、大丈夫。気を使ってくれてありがとう」

「どういたしまして。貴方に心を配る事も私の役目の一つですので」

 それもマイスターの命令なのだろう。まるで従順な子犬、いや、人形だ。悪い意味ではない。文句を言わず、言われた事を淡々と熟すのは、何だかプロという感じがした。

 何故、こうまでも彼女は綺麗なのだろう。ケイも男から見ても格好良い。能力があり、それでいて衒わず、堂々とした余裕が在った。何というか、キまっていた。

 やはり、舞台の役者ともなれば、外見だけでなく人格も素晴らしいものなのか。

「私なら肉も心も好きに変えられますよ。貴方が望むお好きな私になりましょう」

「まさに役者だな。絶対のありのままの個性を歌う奴には、解らん心意気だ」

 好きな私、か。よく物語は言う。自分を見失いそうな奴に向かって、「君は君だよ」という台詞を。もしそれが俺なら、何を莫迦な、と笑うだろう。怒りさえするだろう。

 俺は俺以外の、何かになりたいのに。

 俺はそんな想いを、小さく吐く息と共に消し、彼女に向かってこう応えた。

「今のままが一番良いよ」思わず辟易する様な台詞を言ってしまった。慌てて別の話に切り替える事を試みる。「けど君は、闘う事を望まれているわけか」

「肯。けど、私が特別な訳ではありません。皆、何かと闘っています。戦争は勿論、試験や、就活や、大会や、差別や、世間や、デストルドーなどと。貴方もそうでは?」

 敵――俺には敵が何者か解らなかった。何と闘うべきか解らなかった。闘おうとした事もない、何となく生きている俺には。いや、そもそも闘わなければ駄目なのか?

「それを選ぶのは私ではありません。貴方がそれで良いなら、それで良いでしょう」

 解らない。それで良いのか何て。本氣に議論をしない青年には。

 だから、俺は意地悪な問いをした。その問いは俺自身も巻き込むものにも関わらず。

「けど、君は怖くないのかい? 誰かに刃を向けられる事を、向ける事を」

 下司の勘繰りであった。訊いてどうするのだ。もし嫌だとしても、それが仕事なら仕方ないだろ。転職でも勧めるのか? 無責任な。

 第一、彼女は今までずっとこうだったのだ。なのに知ったかで憤るのは、美少女ゲームや動物愛護団体よろしく勝手にヒロインを弱者扱いし同情する安っぽい感情だ。強くて美しいと思った彼女を、自分で台無しにしてどうするのだ。

 そしてその問いに対し、少女は少女で、何て事無しにこう応うのだった。

「さあ、よく解りません。マイスターに訊いて下さい」

「……そうか」また、マイスターか。「君の世界はケイさんを中心に回っているのだね」

「肯。マイスターが私の鞘であり、キャッチャーですから。私の星ですから。その理由は、もう忘れましたけど。でも良いんです。あの人が笑えば、私も笑える。誰かの役に立つという事は、とても嬉しい事ですから。『ボニーとクライドは一人でやらなかった。テルマとルイーズも一人でやらなかった。そして彼等は最高だったわ』、なのです」

「ケイさん、アグラオネマ飼ってる?『明日に向って撃て!』に成らなきゃいいけど。あの頃は不条理なニューシネマが流行ったね。『BANANA FISH』みたいな奴。どれだけ派手な喜劇も悲劇も、終劇は静かに行われ、周りは日常に戻る。諸行無常の影法師だ。そしてまた『ロッキー』を初めとする人間賛歌に回帰する。そういう時代の流行りを見てみると人の動きが解って面白いね。『僕の地球を守って』の前世ブームとかさ」

「あ、知ってます。『100万回生きたねこ』ですね。転生を繰り返し己の愛するモノを見つける……帰依教の極地ですね」

「えぇっ? いや、アレは名作だが、絵本かあ……」

 俺は愛想笑いした。彼女も子供らしい所が在るのだな。だが少女は真面目に応う。

「スミマセン。私は剣ですから、心の機微を持ちませんし、解りません。私は、自分の正義の為ではなく、ただ、自分を振るう誰かの正義の為に闘ってきました。そしてこれからも。だから、闘う事が良い事なのか、悪い事なのか、解りませんし、決めません」

「あはは、『HELLSING』や『ロックマンゼロ』みたいな事を言うのな。けど、いや、俺の方こそ無遠慮に訊いてスマン。別に、戦争が悪いとか言うつもりは無い。そんなのは対岸の火事を眺める、余裕な畜群の台詞だ」そうだ、端役の俺如きがどうこう言っていい噺ではない。だから、俺は端的にこれだけ言う。「君は、これでいいのか?」

「肯。構いません(Yes, it's my pleasure)。それが私の存在理由です」

 悩む事無く言うのであった。ソレが何だか羨ましかった。俺だって自分の役が解っているなら、死さえも恐れないのに。彼女は全く、無為に輝く星の様だった。

「何か怒っている様な色が見えます」

「え? いや、別に……それもギフト?」

「肯。〈即席超能力(インスタント・PSI)〉、効果は『簡易な超能力の行使』。念写、予知、千里眼、瞬間跳躍、念力の分子・エネルギー操作による物体移動・発火・冷凍など色々できます。器用貧乏ですがね。先のはその一つ、精心感応テレパシーです。心の振動を捉え、読心や翻訳が出来ます。『ドクター・ドリトル』よろしく動物や植物とも喋られます。因みに、素の私の日本語力は『アルジャーノンに花束を』の冒頭程度です。これがホントのマウス・ツー・マウス……スミマセン、意味が解りませんでした」

 口に手を当ててそう言った。彼女はたまに反応しにくい事を言う。或いは、無理に俺に気を遣ったのだろうか。というか、前から気になっていたのだが、

「その少年漫画染みたギフトのネーミングって、君がやってるの?」

「否。マイスターです」

 いい大人が何を、と思ったが、漫画や小説を描いているのも大人か。ああ、もしかしたら彼女が逐一ギフトの口上をやるのもケイの言い付けなのだろうか。

「『応。身体と言葉、即ち内と外の世界を習合するのだ。言霊よろしく魂を技名で具現化し、相手の魂に刻むのだ。格好良くかましてやれ』とマイスターは言っていました」アルマはケイの真似をして飄々と語った。とても似ていた。普段、如何にアルマがケイを見ているかが感じられた。尤も、身振り手振りは大仰な割に、無表情のままだったが。まるで人形のだった。「『逆だな。誰もが世界劇場で踊る人形さ。確固たる永遠の実体はなく、確固たる普遍の正義はなく、人は仮面の様に己を変える。それは自己同一性アイデンティティの観点からすれば茫洋に見えるかも知れない。が、そうではない。むしろ永劫回帰の心意気だ。無を肯定し、以て全てを肯定するのだ。メメント・モリだ。難しい噺ではない。例えば、カオスは、現代では無秩序・乱雑・不安定・混沌の意を持つが、しかし原義はそうではなく、白も黒も虹も併せ呑む陰陽思想の太極だ。色即是空の空だ。むしろ秩序こそ正義の為に戦争を行う思想、ならば無法の混沌の方が静かだろう。そも、自我などフロイトが精心分析で語るように氷山の一角に過ぎない。個性など己を縛る幻想だ。ならば白から分光する虹のように仮面を被り変える事こそ、豊かな人間性と言えるだろう』」

「世界劇場、ですか。シェイクスピアですね」アルマに合わせ、俺もケイと喋るように語る。「プラトンの洞窟の比喩で言えば、俺達はイデアの影法師って事ですか」

「『然り。「この世は舞台、誰もが役者」。観客が役者にやる様に、人の価値は自分ではなく誰かに決められる。だが、己が何の役をやるかは己の勝手だ。結局、どんな台詞も、最後に受け入れるかどうかは自分次第なのだから』」

 そう言って、朗らかに笑った。最後の部分は、何処か懐かしい感じがした。俺にとって、

 ではなく、彼女にとって、だ。ケイの真似をする彼女には、彼女の無意識から来る原風景が感じられた。記憶として忘れても、身体としては覚えているのだろうか?

「……まあ、怒ってはいないよ」俺は苦笑いで応えた。そう、怒ってはいない。むしろ羨ましかった。「少なくとも、君にはね」それでも怒ってる様に見えるなら、それは、自分に怒っているのだろう。「むしろ、俺はドキドキしたよ。とても綺麗で、格好良かった」

 だから、俺はそう褒めた。彼女は刀剣の様に強く美しかった。いや、それを語るのに多くの言葉は不要だった。つまり、

「凄かった」

 その一言で十分だった。

 対する彼女の双眸は、相変わらず落ち着いていた。夜の湖の上にひっそりと浮かぶ月の様に、とても安らかな眼をしていた。そんな眼で彼女は、俺を見てこう言ったのだ。

「貴方の気持ちに感謝します(Thank you for your delight)」

 それだけで十分だった。ソレを聴いただけで、今日一日を生きた意味が在ったと思えた。

 その後は、言葉も交わさず夜の路を静かに歩いた。布団の中の様に心地良い気分だった。満たされている気持ちだった。

 本当に、静かな夜だった。


「何時も通りです、風俗の疑似記憶でも入れて置く。それよりも……当たり(ビンゴ)だ。ワザとらしくWCの広告が入ってる。これは、香水だな。加齢臭で悩んでたのかな?」

 《No kidding. まあ、香水なら『変身願望』と言った所かしらね》

 夜の公園。幕の下りたその後ろで、闇夜に紛れて動く者達がいる。彼等は裏舞台ならぬ裏部隊スタッフだ(尤も、この舞台自体が裏であるが)。先の華やかで派手なアルマと敵の闘いに比べると地味なものだが、アルマが気兼ねなく立ち回れるのは彼等がいてこそである。彼等は裏に徹するのが心意気である。

 彼等は、普段は日常の役者であり、怪我した植物を治す庭園職人だったり、壊れた公園を直す大工職人だったり、証拠を消し辻褄を合わせる警察やメディアだったりする。日常から非日常に巻き込まれた者が居れば、非日常から日常に潜んでいる者もいる。……けれどもこれは別の物語、何時かまた、別の時に話すことにしよう。

 そんな中、裏方の一人であるケイは、携帯で同じく裏方の者と話していた。その二人の言葉は、日本語以外の言語を用いて行われていた。外国語、いや、暗号か?

「『変身』、か。こんな小道具を借りずとも、誰もが仮面ペルソナを被った道化なのにな。新しい自分は忘れさせる、古い自分を。自分でも何をしたかったのか解らなくなる」

 《きっと何でも良かったのよ。自分ではない何者かであれば。例え「虫」でもね》

「禁断の果実、ですな」ケイは肩をすくめた。その様子は慧一の前で見せる捉え所のないソレではなく、大人な仕事人としてのソレだった。冷静で、些か皮肉気であった。「この前は水鉄砲だった。その前は朝刊より重い丸めた夕刊。カードもあった。中でも多いのはスタンガン、エアソフトガン、ライター、金属バット、それにカッターナイフだな。反抗期かね。非行ならぬ現実避行か。玩具の武器ばかりだ。『トイ・ストーリー』だな」

 《敵意という面ではどちらかというと『チャイルド・プレイ』ね》

「あー、確かに爆散する人形もあったな」

 電波の向こう側からため息が聞こえる。

 《でも、彼等と同じ様に、今回の敵もWCとは直接関係ない一般人なのでしょうね。WCは、感応した者にだけ兵器と成る玩具をバラ撒いて、性能実験をしているのかしら》

「少年漫画が正義の後押しをするように、WCは犯罪者の後押しをしている、と? まるで『バットマン』のジョーカーだな。ま、俺たちも道化だが」

 《こうやって端役を倒しても埒があかない。やはり上がった方が良いんじゃない?》

「ならもっと人員を増やして下さい。RPGの勇者やSTGの主人公よろしく数人の英雄が戦争の命運を決める、なんて時代じゃないだろう?」

 《少数精鋭だから動き易いのよ。それに、貴方が居れば百人斬りでしょ?》

「どーめー」ケイは笑って肩をすくた。次いで、静かに目を細める。「だが、今の刃はアルマでござい。そして黒幕の舞台に上がるには、アイツと闘わなきゃならんだろうな」

 アイツ、つまり、あの「灰色のグラウエ・ヘル」と。

 初めて相対した時は何時だったか、もう何十年も過去の思い出だ。彼奴は「アルマ」と闘うために生きている。何度も闘い、時に勝ち、時に負け、だがどちらでもその度に強く成って応戦して来た。今回のエンカウントも偶然ではない。

 闘う理由に「何故」は要らない。「昔は仲間だった」だの「倒錯した愛情」だの「生きている実感」だの、そんな設定は要らない。闘いたいから闘うのだ。彼奴だけではない、皆そうだ。そして最後の独り立ちには、英雄に対する竜として、この自分も――

 そんな事を考えていると、《くすっ》という嫋やかな微笑みが聞こえてきた。

 《過保護ね》

「他のチームの方が過保護ですぜ。フィービーと一緒に木馬に乗ってどうするのだ。独り立ちできるよう育てねば。俺は違う。現に闘いはアイツ任せだ」

 《あの子は強いものね。ディエンビエンフーの戦いの仲裁の時に拾ったとか?【一人軍隊】、【マル=ジャンヌ・ダルク】、【エピセンタル・ヤーデルノゴ・ヴズルーヴァ】と称され、物心付く前から親も無く一人で戦地を生き抜いていた、生来の戦士。流石、ベトナム人は強いわねえ。中国もフランスもアメリカも皆返り討ちにした戦争国家なだけある》

「ありゃ仲間がアルマの気狂いに納得する為に作った合理的な説明、つまり嘘です。他にも滅亡した42の少数派民族を束ねる諸王の王の13番目の姫とか在るぞ。スーパーでパック肉を買う奴より狩猟方から料理方まで知ってるサバイバーな奴の方が真面だと俺は思うが……とまれ、あの子はベトコンでもアカでも勿論『特攻野郎Aチーム』でもないよ。俺がその戦争に行ったのは本当だし、彼女のアオザイとノン・ラーは最高ですがね」

 《そして鉈や鍬を持ってボーパル・バニーよろしくZAP、ZAP、ZAPと……》

「だから違いますって。あんまり言ってると、言霊よろしくマジに成るから止めてくれ。アルマは物語を食べるから、一人歩きする都市伝説よろしく嘘を本当に相転移しちまうんでさ。まあ、この舞台自体が嘘みたいな噺、真偽を問うのは野暮だがね。

 てーか、皮肉りなさんな。『ファルスの作者といふものは、決して誰にも(無論自分自身にも――)同情なんかしやうとはしない』。俺は戦災孤児やアスペルガー症候群や自閉症やPTSDやサヴァン症候群だからと言って甘やかさんぞ。年齢・性別・種族を問わず、舞台に立つ以上、誰もがプロだ。況や、舞台じゃ悲劇だって小道具に成る。

 大体、アッチが勝手に付いて来たのだ。嫌なら別の舞台に行け。アレ程の役者だ、どの舞台でも華に成る」

 《そんな事言って、付いて来てくれるのが嬉しい癖に》

「言わせんなさい」彼は皮肉気に笑って肩をすくめた。「ヤなもんです。男ってのは誰もが大なり小なりピグマリオン・コンプレックスだ。悲劇のヒロインからの無条件の承認と必要を得て己の立ち位置を確保する、卑しい者だ。だが『われはロボット』は語る、子供は親離れして一人前。『ピノッキオ』は語る、何時までも人形のままじゃ居られない。世界大戦後の戦闘美少女は、男が居なくとも強く優しく美しい嫋やかな女でなければ。

 ま、いざとなったら、ギフトやスキルなんて小道具の無い時代から闘ってるロートルの本気を魅せてやるがね。『MASTERキートン』ばりの経験と基礎力を魅せてやるぜ」

 《まるで『あしながおじさん』ね。魔王に浚われたお姫様を助ける英雄ヒーローだ》

「男の浪漫でござい。つっても、CGを使わない爆竹や着ぐるみな特撮ヒーローだが。『何処の誰かは知らないけれど誰もがみんな知っている~♪』ってか」

 《わー、ステキ》クスクス、と声が聞こえてくる。しかしその微笑みは、すぐに蝋燭が消える様に静まる。《……勝てる?》

「俺達にとって『勝つ・負ける』は副賞に過ぎない。そうだろう?『闘う』事が重要なのだ。それに、これは強制イベントという奴でさ。避けて通れまい」

 《「イベント」、ね。貴方は何時もそうやって世界を劇場に見るのね》

「『この世は舞台、誰もが役者』。酔わなきゃやれんさ、人生という劇なんて」

 彼は笑って肩をすくめる。そうだ。勝敗は重要じゃない。善悪など主観に過ぎず、況やどちらも欲望な様に。戦争主義が右翼か左翼か、時代により変わる様に。心地良い温かさも痛い刺激も、同じ熱である様に。

 ならば自分達と【敵】との違いが在るとすれば、それは――

「『F』か『C』の違いほど、か」

 《『Fool』と『Cool』は紙ならぬ上一重?》

「滑稽な事にな」彼は小さく含み笑いをして、次いで、眼を細めた。「それと、もしかしたら、今度の舞台は即興アドリブが入るかもしれん」

 《というと?》

「新顔が一人いるで候。アルマの人払いのギフトを受けないほど変質した良い気狂いだ。屋上まで来た所を見ると、ありゃ無意識にアイキャンフライしに来たのかねぇー? アルマの〈相棒探し〉も喰わせたよ」

 《ああ、確か、『能力が強化される代わりに、情報が筒抜けに成る』っていう……》

「まあ、後者は説明してないがな。『えー』、とか言いなさんな? 物語なんてそんなもんです。『グリム童話』が本当は恐ろしい事や『ゴジラ』が核兵器に対する皮肉な事や『サウンド・オブ・ミュージック』とナチスの関係なんて今や小道具の一つに過ぎん。感動って奴は、何時だって無知から来るんだ。

 とまれ、彼奴は、肉は冷たく魂は熱く、星の様なルサンチマンを持っている。後は喜劇と悲劇の境界を越え笑劇へと超新星できれば――」

 《「――此方側に」、とでも? そう上手く行くかしら?》

「さてね、生真面目な奴は両極端だから。だが行かないから物語は面白いのでさ。陰陽五行思想の相生と相剋の様に、熱力学第二法則の熱伝達の様に、量子力学の励起と基底の様に、擦れ違いこそエネルギーの源なのだ」彼は星を見上げた。それはかつての原風景を思い出している様だった。「さて、幕間もこれくらいにしよう。俺も裏方を手伝う」

 《そうね、でないとアルマちゃんが妬いちゃうわ》

「教え子に手を出すのは薄い本の中だけです。てか、アイツは真面目そうで根本的な所が抜けてるから、そういう嫉妬はしないよ。とまれ、夜が明ける前に片付けないとな。R18という訳じゃないが、夜更かしする子が増えると世間が煩いしな。PTAとか」

 そうして二言三言交わした後、彼は携帯を切って裏方の元へ作業にいく。

 こうして月と星だけが観客の下、舞台裏は静かに進んでいくのだった。



 ……第二幕・終

 ――――――――――――――――――

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