旧世界より NUN KOMENCIGAS
終幕『旧世界より NUN KOMENCIGAS』
「うー……あぁー…………」
そう呟くと、白い息となって白い冬空に消えて行く。昼だというのにまだ寒い。
大学四年の春。リクルートスーツの学生が出没する今日この頃。俺も何だかんだで就職活動という奴をやっていた。慣れない黒い背広を着て、恥ずかし気に街を歩いていた。
こういう時に知り合いがいないのは辛いものだ。相談できなければ、失敗を笑い飛ばす余裕もない。エントリーシートの受付が予想以上に早くてビビった。そも大卒を重視する癖に大学の授業が役に立たんてどういう事。Boy! 全く、ムカつくぜクソッタレー。
「はあ、仮にもエクスさん処は大企業か……」そう言って、俺はハッとする。そして懐かしく肩をすくめる。つまり、「数ヶ月ぶりにアルマ達の事を思い出したな……」
アルマとケイがその後何処に行ったか、俺は知らない。もうヘンテコな敵にも出会わない。夜空でヘリと追いかけっこした事でさえ、初めはニュースになったものの、すぐ別の話題に代わった。きっと、そう特別な事ではなかったのだ。この世の何処かでは今も戦争や難病や飢餓に悩まされている者がいて、けれども俺の様な平和な者達とは無縁な様に。
マツリ達にはその後、たまに会ったり会わなかったりする。
レドナーはマツリ達の前から何も言わず消えていた。消息は不明だ。恐らく、またアルマを追ったのだろう。あの闘いで満足したかと思えば、懲りない奴だ。
マツリはそれを追って旅に出るらしい。「感謝もせずに出ていくとか猫みたいやねー、これだからブキッチョは」とか何とか。アレで恋愛ではなく、飽くまでも共犯者らしい。レドナーの意見は不明だが。学校はどうするのかと尋ねたら、何を今更、と笑われた。そして一緒に行かないかと言われる前に断った。何故って、それは野暮さ。まあ、携帯のアドレスを無理矢理に奪われたので、たまにメールが飛んで来るが。現代は便利である。風情が無いよね。因みに、この前に話した時は、『パイレーツ・オブ・カリビアン』よろしく洞窟に隠された海賊の秘宝を探したらしい。どんなだ。
エクスの会社は普通になった様だ。尤も、荒唐無稽さは裏舞台に力を割かない分むしろ増したらしいが。「結局、彼奴等は俺達と同じなのだな。お約束のない茫洋の日常に耐え切れず、機械仕掛けの非日常に酔う英雄や怪物と成ったのだ」、そう言っていた。そして、卒業したらウチに来ないかと言った。俺は感謝した。けどリップ・サービスだろう。彼は愛すべき莫迦だけど、大人だから。それに俺自身が認められない。だから実力で判断して下さい、と断った。彼も予想していたのだろう、最高だぜクソッタレー、と笑って了承してくれた。そして、だが、畢竟、持つべきものはコネなのは忘れるなよ、とも。因みに、表舞台の本名は「來栖」らしい。ああ、「クロス」ね。
本当に、誰もが良い人だった。余裕が在るのだろう。素晴らしい事だった。
「何だかなあ……」
そして俺はというと、アルマ達に会う前の頭でっかちに戻っていた。成長物語の役者としては落第だった。けどそりゃそうだ。今までずっとこうして生きてきたのだ。簡単には変われない。いや、むしろ前よりでかくなった気がする。
何故なら知ってしまったから。もう「そんなことはありえない」と誤魔化せないから。
俺はあの非現実的を思う程、現実に引き戻された。それが今では憎い。魔法の薬をやってしまった奴っていうのは、こういう心境なのかも知れぬ。救えない。
「Boy! 全く、ムカつくぜクソッタレー。どうすれば良かったのだろう」
回答は無い。もう幕は降りた。ヒロインは去り、子供は置いて行かれた。『デイ・ドリーム』が歌う様に、もう今は彼女は何処にも居ない。彼女は千夜の内の一夜を通り過ぎた青春の幻影。青春を知らない己に遅れてやって来た初めての、そして最後の少年の日々。
――あゝ、さうだ。みんながさう考へる。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。
アルマ達との別れ際は気取ったものの、冷静に今思うと勿体ない事をしたと思う。やり直せれば良いのに。劇を見る様に、例え同じ終わり方でも、何度でも。
いや、いっそアレで何もかも終われば良かったんだ。そうすればもう諦めが付くはずだったのに。そう思って俺は闘ったはずなのに。確かに俺の理想に成ったアルマを倒したさ。現実が夢に勝ったのだ。ザマァミロ! だが本当にアレが精一杯だったのか。結局、俺は自分が大切にしていたものを、自分で駄目にしただけなのかもしれない。
「けど、楽しかったよな」
そうとも、楽しかったさ。ケイの自由ながら責任を持った姿が、アルマの問答無用の剣戟が、レドナーの莫迦らしい敵意が、マツリの恐れを知らぬ無邪気が、エクスの憎めない道化た野望が、俺には素晴らしかったさ。
それが答えなのかも知れぬ。「良い夢だった」、それが。自分だって言ってたじゃないか。例え夢物語が偽りでも、夢物語への憧れは本物だ、と。まあ、冷静に今思うと、アレは随分と自分という酒に酔ってたと思うけど。でも、それが素直な所なのかも知れぬ。
「『いや、僕はただ、君を見ててあげるよ。僕は見ているだけでいいんだ』」俺に足りなかったモノがあるとすれば、それかもしれない。自己主張が激しくなかったのだ。観客を楽しませる役者ではなく、役者を楽しむ観客で十分だったのだ。「『フィービーがぐるぐる回りつづけているのを見ながら、突然、幸福な気持ちになったんだ。本当を言うと、大声で叫びたいくらいだったな。それほど幸福な気持だったんだ。なぜだか、それはわかんない。ただ、フィービーが、ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐる、ぐるぐる、回りつづけてる姿が、無性にきれいに見えただけだ』……ああ、綺麗だったよな」
道化が世の中に起こる何もかもに嘲笑いながら街を歩けば、辿り着いたは回転木馬。理由の解らぬ幸福感に、雨に濡れながら笑う。於戯、何と切なく、美しい。恐らく其処は、意図的に辿り着けないという桃源郷。言葉に成らない、赤子のような原風景。
けどそれはエゴだ。子供には素晴らしい舞台で踊って欲しいという、自分にはできなかった事をして欲しいという、汚染された社会の空気が忘れさせる思春期の思い出を綺麗なまま守ろうとする、ずっと夢を見させて欲しいという、大人の優しい、勝手な、思い上がった、儚いエゴだ。事実、そんな自分に酔った頭でっかちは、精心病院に入れられた。
俺も本気に成り過ぎれば、そう成っていたかもしれない。そう成らなかったのは、レドナーが魔法の薬を一発しかくれなかったからだ。中途半端な優しさだった。
「結局、俺は何がしたかったんでしょうね」
答えは、よく解らない。最初から最後まで、熱病のような気分だった。ただ、やっぱりそうなのかな。アルマの言う通り、愛して欲しかったのかな。
Boy!「愛」だと? 安っぽい。その程度の想いじゃないだろ。彼女は俺の心の中に居る、そんな事は在りえない。彼女は大きな存在だった、俺の心に入る訳がない。
だがありふれているという事は、それだけ望まれているという事か? なら俺にも君の愛を下さい。星の欠片が欲しいと言えば、勇敢に屋根へ這い登り竹竿を振ろう。それでも愛が貰えないなら、どうか諦めを下さい。そうすれば楽に成れる。
Boy!「楽に成れる」? いや無理だ。何度こんなものだと諦めても、やはり祈る事を止められない。夜は明け、涙は止まり、不幸にさえ飽きてくる。まして今さら誤魔化せない。なら俺達は何がしたい? 簡単だ。手に入らないものを手に入れたい。
勝手だな。解ってる。開き直りか。解ってる。解っていない事も解ってる。だが立ち止まって何になる。だから俺達は叫ぶのだ。誰か、俺を見て下さい! 誰でもいいのか?
だけど現実は、そんな台詞は心の中で死んでいく。だって俺達は、自分の物に成らない彼女に恋したのだ。星のように、此方の事など気にせず、無為に輝く彼女に憧れたのだ。矛盾してる。どいつもこいつも一人の女にイかれてた癖に、悪戯するのが関の山で、ましてや、己なんかに振り向いてくれる程度の浅い奴など、ゴメンだと思っていたのだ。
やるせない。悲劇にすらならない。無劇だ。物語は最初から終わっていたのだ。現実は劇のように脚色された絶望はない。幸福も不幸も無く、ただ、一切は過ぎて行くのだ。
――デカダン? しかし、こうでもしなけりゃ生きておれないんだよ。
ポケットを探る。カッターナイフはもうそこに無い。そんな武器を持ち歩くのはもう止めだ。大人は莫迦みたいに武器を振り回さない。何でもかんでも敵にしない。
だがこれでいいのだ。「火も爆弾も忘れて、おい俺達二人の一生の道はな、いつもこの道なのだよ。この道をただまっすぐ見つめて」、アレはそういう話だったのだ。だから俺は現実という舞台で生きる。都会の風が冷たくとも、夜が静かでも――
「けど、やっぱり寂しいよ……」
と、ポケットに振動を感じた。携帯だった。父からだった。少し考え、携帯に出る。
《――――。――――?》
「んー、大丈夫、時間ある」
《――。―――――――――。――――? ―――――――――――。――》
「元気だよ。普通。解った。んん、じゃあ………………あー、あのさ」
《――?》
「いや、何というか……いろいろ心配してくれてありがとう。ソッチも元気で」
《――お前もな》
そして、電話を切った。同時に、笑う。苦笑いだが、この頃は笑う数が増えたと思う。
「……まあ、でも、大丈夫だ。死ななきゃ、『どうにか、なる』、さ」
確証は無い。けど大丈夫だ。大丈夫でないなら大丈夫にする。だから今日も「ムカつくぜクソッタレー」とヤケクソに生きる。……ってそれじゃあ、今までと変わらんか。けどまあ、私は思っています。明日からも、こうして生きていくのだろうと。「あんなこといいな」と憧れつつ、「こんなものだ」と笑いつつ。
ま、駄目だったら田舎に帰れば良いさ。親に頼ると良いだろう。「人の世話にばかりなって来ました。これからもおそらくは、そんな事だろう」、とね。今更になって解る親の凄さ。俺は何も知らないのだ。普通に生き抜く大変さを。自分で決める覚悟を。ソレはもしかしたら、TVのスターや世界を救う英雄に成るより、難しいかも知れない。
――なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。
世界は今日も簡単そうに回る。そのスピードで涙も乾く。大人に成ろうとする俺の前を、子供が無邪気に笑って走って行く様に。「時よ止まれ」も聴いちゃくれない。
時よ止まれ、それは祈りだ。ハッピーエンドの条件は、ハッピーな時に終わる事だ。だが今日が幸福でも、明日は不幸かも知れない、だから人は茫洋に成る。故にファウストは幸福な未来を予感し、その瞬間に対してそう言うのだ。「喜劇に終われ」、と。
それとも、俺も非日常を追う旅に出ようか。舞台は一先ず終わった。今は少し休み給え。月が上がればまた闘いの日々。何時か見たのと同じ星を追いかける――なんて。
「ま、俺も少しは変わったか。生きる目的が出来た。何時か、また彼女達に会うかもしれない。その時の為に、恥ずかしくない男に成ろう。物語のようなお約束はないけれど、だからこそ遣り甲斐が在ると信じて。……尤も、再開する時は死に際、なんて笑えんが」
まあ、それも選択肢の一つだ。子供の時代が過ぎ、大人の時代が近づいている今、日常を生きるだけで精一杯。だから今は、これで終わり。
――さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしにほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。
旅はいずれ終わる。敵は倒され、謎は解かれ、恋は実る。映画の幕は下り、蝋燭の火は消え、影法師は舞台を去る。そして観客も席を立ち、帰らなければいけない。何時までも他人の物語を見ている訳にはいかないから。自分の物語が在るから。
それで良いのだ。「アリス」も「ドロシー」も「バスチアン」も、皆、元の世界に帰っていった。帰なければ「ナルニア」だ。それも良いが、たまには帰ろう。そして夢から貰った物語を現実に広めよう。そうして、新たな物語は紡がれるのだ。因みに、ドロシーの場合は中の人が夢から帰って来なくなった。それもまた世界劇場、か?
「そして同時に、俺達は何時かまた旅立つだろう。ボードレールのように。『ある夜、我らは旅立つ』。『本物の旅人とは、旅のために旅する人。運命を呪わず、足取りは軽く、旅の目的地など考えず、訳もなくただ言うのだ。「行こう!」、と』。『日毎に変わる曖昧な欲望を胸に』、『此処じゃない何処かを目指して』。そう、例え『Alone!』でも。
そうだ、これが始まりなんだ。古い夢は置き、何時か、新しく始まるドラマへ旅立つのだ。だから俺はこう言う。――ありがとう。また会おう、と」
大丈夫だ。俺は、もう、この寂しさを誰かの所為にしない。
俺の闘いが終わっても、彼女の闘いは終わらない。きっと彼女は今も何処かで、世界劇場を演じている。星の様に、何時までも変わらない姿のままで。今日も簡単そうに回る星の上で、自分が居なくとも、何が在っても、彼女は踊っている。
その事に少しだけ、俺は安心したのだ。
――だが! それでも俺達は闘う! 闘わないなら、何故、お前は此処にいる!? そうだとも! 全てを賭けた先に残るモノこそ、俺達の……ッ!
了
……終幕・終 …………But you know, a new story would bring them a new stage…"Aber das ist eine andere Geschichte und soll ein andermal erzählt werden."
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