表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

誰がために幕は上がる Is the world a fine place and worth fighting for?

 空から落ちてくる少女を受け止めるのが子供の頃の夢だった。それは物語の始まりであり、幼い自分をワクワクさせた。それが変わったのは何時からか。気付くと空のつもりがマンションの屋上を見上げている。本当に落ちてきたらどうするのか。

 解っている。ありえない。出会い自体は在るだろう。けれどその役は自分じゃない。況や、ガールは主役のボーイに会う前に、色々なボーイに会っただろう。だが彼等は主役に成れなかった。彼等に足りないのは何だったのか。解らない。だが思う。きっと少女を受け止める役は、鉱山で働く見習い機械工の少年でなくても良かったのだ。彼がやらなくても他の誰かが少女を受け止め、共に天空の城へ行き、幸せな閉幕を演じただろう。

 そうとも。「この世は舞台、誰もが観客」と人は言う。だが現実は、自分が何をせずとも舞台は始まり、何をしようとも舞台は終わる。朝になれば日が昇り、夜になれば星が瞬く様に。幸福も不幸もなく、ただ、一切は過ぎていく。

 その事に少しだけ、自分は――



 序幕『誰がために幕は上がる Is the world a fine place and worth fighting for?』


「どうすれば良かったのだ?」

 時は冬夜。舞台は屋上。役者は三人。

 人々は寝静まり、空に星々の観客が座する中、月のスポットライトが舞台を照らす。時折響く合いの手は、眠り忘れた冬の風。夜の暗幕の下で、都会の喧騒から離れた十数階はあろう無人の廃墟ビルの屋上にて、一と一が向き合い、もう一がそれ等を見つめる。

 向き合う一は腰より伸びた夜色の髪を持つ少女。しかし少女と言うに双眸は月の様に静謐で、立ち姿は錬成された刃の如く凛として美しい。顔はアジア系で、身体は嫋やか。冷たい風を意に介せず、淡泊な無表情で瞬き一つせず相手を見る。服装は、瑠璃色ウルトラマリンのケープと膝まで覆うドレスに始まり、首にチョーカー、胸にリボン、腰にベルト、足に三本のベルトを持ったロングブーツという体である。

 一見するとゴシック・ファッション、またはピアノの演奏会に来た子供、はたまたシックな人形か――人形、ありふれたワードだ。永遠の美と従属の無垢を与える――。だがその風貌を崩す物が右手に二つ。素肌に燃える蒼銀ジルベルブと、身の丈程も在る長大な太刀が奇妙だった。太刀は一目で命を奪う力が在ると解るのだが、その天衣無縫な造りは蠱惑的な美しさを漂わせ、ともすれば自ら胸を差し出してしまいそうだった。

「どうすれば……」

 向き合うもう一の男は、低く、同じ言葉を繰り返した。自分自身に問いかける様に。もう何千何万と繰り返した選択肢クエスチオン。口にするほど擦り切れて、もう自分でも何を問いたかったのか解らない。

 重く硬く巨躯な男だ。大人だが、如何な経験をして来たか老人にも思える。だが内より発せられる静かにも強い敵意は、彼を十も三十も若く見えさせる。白の混じった灰色の髪は短く、双眸は銃口の様に冷たく、顔は西洋的、身体は精悍、そして少女と同じく無表情だ。だがその無表情は、文字通り表情の無い少女と違い、さながらナンセンス文学の様にその裏に渦巻く思念が混濁して他に理解できない故の無表情だった。何時、弾けるか解らない銃のような威圧さが在った。衣装はどれも古びており、シャツ、ジーンズ、トレンチコートと簡素である。その簡素さが、男の重々しい空気を一層重くしていた。

 しかしそれだけならただの恐ろし気な大男だ。だが彼は「ただ」で無く、そして少女と同じ様に、右手に煙る灰赫アシェッドと、そこに持つ64口径も在りそうな巨大な回転式拳銃リボルバーが異様だった。相手を圧倒的な暴力で捻じ伏せる為の銃だった。

いらえは無用」別の男が真面目ながらも微笑んで、静かに強く言った。「問いが無用ではない。自分が既に答えを持っているなら、その答えは己で見つけるか、他に肯定されるかの違いに過ぎない。持っていないなら答えを他に託しているという事、しかしその様な答えでは何時か拒否反応を感じ破綻する。そしていずれにせよ、その答えが気に入るかは自分次第だ。それとも、彼女が口にした応えならば満足か?」

 その男は少女と大男を見守っている。しかし男の立ち位置は少女の後ろ、つまり少女の側に居る事が見て取れる。ただし手出しする気はない様だ。

 普通な男だ。というより、印象が無い。若い大人に見えるが正確な歳は解らず、服装もシャツとブレザーとコートという典型的なトラッドで、顔も如何なる国でも溶け込みそうに特徴が無い。笑劇の道化の様に、影法師の様に、少女をただ見ていた。しかし、明らかに異常な二に比べ、一だけ普通で居る事自体が異常であった。彼は続けて語る。

「だが、問いたい気持ちは理解できる。そして理解されたくない事も理解できる」

 三者三様、誰もが異様。しかしこの舞台自体が異様なら、異様こそ普通か?

「だからお前は【敵】として斬り伏せる。彼女がお前を打ち砕く」

 見守る男はそう言い、少女は気丈に太刀を構え青銅の鐘のような声で応えて曰く。

「その通りです。私は一振りのブレイド。使い捨てのバレッド。無為のアイテム。振るう刃は相手を選ばず、奮う心に意味は無し。貴方が何であろうと、私が誰であろうと関係ない。相対するのなら、叩き斬る、までです」

「……そうか」男も銃を構えた。その銃身も、火薬も、弾丸も、全て敵意で出来ている。その敵意は破壊的で、その狙いは絶望的だ。「ならば斬ってみろ、俺という【敵】を」

「斬るさ彼女が。そうだろう、アルマ」

「肯(Yes)」

「ならば行け」男は命じた。右手を伸ばし、「目の前の敵を叩き斬れ」

 その言葉に対する少女の答えは一つだった。

「了(Understood)」

 その言葉に対する大男の応えは一つだった。

「やってみろ」

 その言葉を合図に、少女はドレスを閃かせ舞台を駆け、男は銃を構え弾丸を撃った。


 成就あれ、克服あれ、幸運あれ。

 蒼銀のころもを翻し、一人の少女が駆けあがる、

 観客は幾らか、拍手は幾らか、誰が見遣るかこの演舞、秘密の舞台の始まりだ。

 可憐な姿は誰の為、雄々しき刃は何の為、

 否、語りなど致すまい、否、語りなどもはや不要、

 刃は喋らぬ、刃は聴かぬ。

 刃が出来る事と言えば、ただ、相手を叩き斬るのみ!

 “Le vent se lève, il faut tenter de vivre.”

 成就あれ。


 彗星の如く刀は蒼銀の軌跡を描いて夜を斬り裂き、隕石の如く弾丸は灰赫の軌跡を描いて夜を貫く。流るる星が幕を斬り落とし、火蓋が開かれ音を鳴らす。

 両者が生と死の接点へ駆け上がる。二つの意志が衝突する。

 それは互いに必死の状況であろうにも関わらず、とても美しい光景だった。


「うー……あぁー…………」

 その呟きは、白い息に変換され黒い冬空に消えて行く。寒いと星がよく見える。もう空は夜色だが、辺りは静まる事なく人が通り、かと言ってそれほど賑やかでも無い、そんな田舎と都会が程よく混ざった大学の帰り道。

 今日も何とか生き延びた、俺はそんな想いと共に、ジャケットに手を突っ込み、前のチャックを閉めて顔を沈め、誰にも聴かれない声で唸りながら歩いていた。その理由は今日の大学での出来事だった。

 何故、プレゼンなどやらせるのか。ぼーっと話を聞いて単位を貰うだけで良いじゃないか。そも、俺は何かを学びたくて大学に入ったのではない。学歴の為だ。モラトリアムの為だ。なのにあの教員は真面目くさって、「この論文は研究も論証も足りない自己満足です。もっと学術的貢献のある論文に仕上げてください」、だってさ。

 Boyチェッ! ムカつくぜクソッタレー。んな事言うなら、俺にとってもアンタの事なんてどうでもいいよ。それよか就活の講義でもしとくれ。

 《ゆんゆん♪ ゆんゆん♪》

 何処でラブソングが電波ってる。アイアイアイアイお猿さんかよ。同じ曲を取っ替え引っ替えしやがって。それもラブこれもラブ。ラブがブラブラあそこもブラブラ。

 別の場所では別のミュージシャンがアジってる。クールだね、ステキだね。戦時のプロパガンダかよ。「自由」と? ならヒッピーでもやれ。楽しいと楽は違うんだ。他所様に迷惑かけるな。「個性」と? お前程度の個性は、個性じゃない。ありのままの姿見せるのよという歌に皆が共感してる。誰もが奇抜な服を着てやがる。「頑張ろう」と? 余計なお世話だ。そんな事言うくらいなら、お前等が上手くやった方法を教えろと。

 資本主義の誤魔化しだ。ポエム社会だ。言ってる本人さえよく解らない響きの良い具体的意味のない自己啓発め。ロクに社会を生きた事もない餓鬼のくせに解ったフリして列車で疲れたサラリーマンを励ます様な事言いやがって。札束で明かりを灯すマネしやがって。どうせ歌うだけ歌って、実際に歌詞の通りやるつもりなんてない癖に。

 そんなものばかり聴くから思想の無いまま「俺にも何か出来る」と勘違いするのだ。そして何時か冷静に成って不安になるのだ。誰もが見た事の無い愛や自由という神を信じている。そんな事より怪物でも来い。憂鬱な世界を踏み潰してくれるブルース・ドライブ・モンスターとかさ。実際出たら逃げるけど。

 曲がグルグルと頭を渦巻く。ネオンが混ぜり目ま苦しい灰色に変わる。

 莫迦ばかりだ。その他大勢向けのミュージックや大量生産バラエティー番組で明日も頑張れるというのなら、お前はその程度という事だ。全く、ムカつくぜクソッタレー。

(しかし、ならお前の言葉にどれほど価値があるのだ、という噺だ)

 相手を莫迦にする奴も莫迦だ。誰かを認める事が出来ないくせに自分を認めて欲しいなど、おこがましいにも程がある。自分を特別と思う頭でっかちなエゴイズムだ。

 寂しさを誰かのせいにするな。幸せな奴を妬むな。不幸でも生きて行くのが大人だろ。むしろ祝福してやれ。道化の様に笑ってやれ。

(なんていう考えも、もう何度した事か)

 解ってる。こんな考え、ありきたりだ。頭でっかちな青春期のハシカだ。『ライ麦』読んだ十代だ。メディアの情報が世界の全てと勘違いし知ったかぶるセカイ系だ。世の中がツマラナイといい茫洋を気取る悟り世代だ。戦闘美少女に癒しや解放や安心や存在理由を求める無気力系だ。曖昧に都合良く解釈して誰かの言葉で議論する青年たちだ。

 無意味だ。幾ら小難しく考えても、世界は今日も簡単そうに回る。自分の居場所は此処でないと思いながら何もせず、一生かけてゆっくりと死んでいく。幸福も不幸も無く、ただ、一切は過ぎて行く。俺はそういう事を解っている。自分が特別でない事、本氣でない事。解ってるんだ。解っててこうなんだ。ムカつくぜクソッタレー。

(げろげろげろ)

 自虐と言う奴らしい。下らない。そんなの構って欲しい自傷行為だ。そんな不幸自慢をやるくらいなら聖書でも読んでた方が精心衛生的に健全だ。それか外で遊べ。

(あーもう、何というか、カント言うか、あーくそっ、都合良く目覚めろ圧倒的閃き)

 アホか。於戯、世の中にはなんとか無理しねえですむ方法はねえんかなあ。世間と合わせずにすむ方法が。まあそうして面倒を避けてきた結果が今のグダグダした自分だが。

 でもアレだ。俺より不幸な人は沢山いるんだ。難民とか貧民とか未だに戦争やってる方達とかさ。ロシアンルーレットみたいに死んでいくイラクやソマリアやアフガニスタンや中東に居る方達よりマシじゃないか。そういう人は気分次第じゃない物理的な悲劇に居るんだ。響きの良い歌や漫画でどうにかなる問題じゃないんだ。ならば彼等の幸福を祈ろうではないか。そこんとこの慈悲深さはNGOだって眼じゃないぜ。

 アホか。

(誰か教えてくれ、「ほんとうの幸」を。人それぞれなんて無責任な誤魔化しだ。だが、そも本当の幸福が在ったとして、それに頑張る力がお前という畜群に在るのか)

 イジイジ。イジイジ。る~るる~。

 よし、深夜徘徊しよう。何が「よし」かは置いといて、適当に夜を散歩してれば、嫌な事も忘れるさ。もしくは何もかも手遅れになれば、いっそ清々しさを覚えるだろう。

 という訳で、俺は当て所なく夜を歩き出た。思い付いた様に路地を曲がり、喧騒から離れ、奥へ進んで行く。明るい都会も少し裏に回ると、途端に暗くなるものだ。ずっと進めば向かいの表通りに突き出たりする処は、まるで雲の中を行く様だ。

 深夜徘徊など久しぶりだ。子供の時分はちょっとした個人的ブームだった。

 元々、俺は田舎に住んでいた。夜は人気も無く明かりも無く静かなものだった。そんな夜を歩いていると、もしかしたら何か変わった事に出会うかもしれない……そんなワクワクした気持ちになったものだ。まあ実際に出会ったのは男女二人の揺れる車とか下着泥棒とかそんなのだが。だから徐々に、散歩する事もなくなっていった。

 勿体ない。折角上京したのだから見物くらいすれば良いのに。しかし特に行ってみたい場所も無く、知りたい事も殆どパソコンで済ませてしまうのだった。

「遣る瀬ない」何か面白い事は無いのか。「例えば、空から何か落ちてくるとか……」

 そう思い見上げると、ビルの屋上、仄かな明かりが点滅しているのが眼に映った。

 ビルの明かりではない。よく見ると建物はボロボロで、どうやら廃墟の様だった。加えて辺りは閑散としており、どうやら何時の間にか随分と辺鄙な場所に来ていた様だ。

「暴走族」

 は、今時、絶滅危惧種か。けど同じような種族は成人式でよく見かける。或いは、ホームレスとか? あ、もしや集団飛び降りする前の最後の晩餐……これは不謹慎すぎるな。

 さてどうしよう。昔の俺ならその場のノリで見に行ったかもしれない。だが今の俺は、枯れていた。何時も何か在るかなと行ってみても、結局は何も無かった。しかもこの建物は十階以上はあるだろう。登るのは少し面倒か。もし何かがあったとしても、登る前に終わってしまうかもしれない。だが、しかし……。

「『彼は登る事にした』」

 TRPGよろしく地の文を呟き、上まで行ってみる事にした。こういう悪ガキがいるから事故が減らないのだろうな、と少し罪悪感。

 行く理由は、一つには何時ものなんとなくだが、もう一つは見納めだった。俺はもう大学三年生で、季節は冬。そろそろ嫌でも考えなければならない時分だった。つまり、何をして、誰と付き合い、何処に居場所を確保するかを――大人になるという事を。だから役に立たない夜遊びは、これで最後にしようと思ったのだ。

 ……或いは、探しているのかも知れないな。魔法や異世界を、ではない。この世界という劇場で踊る、自分だけの役を。神話の英雄のようなお約束を。

(解ってる。俺は主役じゃない。よくて端役だ。大体、そんな空想より現実の就活の方が先決だ。だが何をして生きればよいのか。俺には特にやりたい夢も目標も特にない)

 いっそ、人生が決められた道筋であれば良いのに。そうすれば悩む事も無いのに。何が民主主義だよ。社会主義万歳だ。多くは望まないから寝たきりで過ごしたい。

 などと本氣ではない反社会的を独り言ちつつ、俺は廃墟の中へ入って行った。

 廃墟の中は意外と明るく、差し込む蒼白い月明りが異風な感じだった。長い間放置されているのか、お化け屋敷にはちと危険という塩梅で、崩れた穴からは風が冷たく吹き抜けており、窓は割れ、酷い場所は鉄筋がむき出しになっていた。廊下に部屋が均一に並んでいるので、かつては住宅マンションだったのではなかろうか。

 そんな物思いに深ける廃墟探索は中々に面白く、独りぼっちの空間は、自分が少し特別な存在に成った様な気さえした。尤も六階に着いた頃、体力のない俺は早くも疲れたが。大きく息をつき、ぼんやりと天上の向こうにあるはずの空を見つめる。

 やはり何も無いだろうか。まあそんなものだろう。物語じゃあるまいし。それでも上には行くけどさ。確かめたら納得する。無ければ、莫迦だったな、と余韻に浸ればいい。

 そう思い、また歩き出そうとした――その時だった。

 大きな衝撃が身体を貫いた。あまりに急だったので、疲れた足はよろめき、手は本能的に壁に寄り掛かろうとし、頭は「壁はささくれ立って危ないかもしれない」と考えるという並列処理を行った結果、俺は何の行動も出来ないまま地面に転がった。

 そして同時にまさかと思った。まさか本当に、この上には何かあるのか?

 耳をすませば上の方から、断片的な金属音、爆発音、そして人の声が聞こえてくる。

 俺はにわかに興奮した。だがすぐに自分を窘めた。冷静になれ。期待するな。何時もそうだったじゃないか。そして結局、何もなかったではないか。

 けれども――

「もしこれが舞台で、俺が役者だとするのなら……行くよな、そりゃ」

 どうせ最初から屋上に行くつもりだったし、ここで戻る理由は無い。俺は急いで立ち上がった。階段を二段飛ばしで駆け上がる。意外と明るいとはいえ薄暗い事に変わりなく、疲れで足はふらつき危ないが、それでもひたすらに上を目指した。

 上を目指す程に音は増した。それに比例し、自分の心臓、呼吸、足音も増す。締め付けられる気分だった。嘔吐感さえした。

「これで終わり、かっ……!?」

 息も絶え絶えに言った。住宅フロアの最上階に来た。残すは、屋上へ続く最後の階段だけだった。そこに至り、思い浮かぶ言葉があった。つまり、

 ――間に合った。

 まるでサーカスを見に来た子供だった。俺は必死に落ち着こうとした。今になって期待する自分が恥ずかしくなった。大人を気取る子供の様に、努力する者を冷ややかに見る様に。だから息を整え、顔の笑みを消し、ゆっくりと階段を上ろうとした、のだがすぐに足は浮き立ち、急ぎ、その勢いで最後の扉を開け……ようとする手を押し止めた。

 開けるのは良いが、途中で押し入るのはマナー違反だ。映画がそうだ。ましてやこの先が舞台なら、部外者が土足で立ち入るなど以ての外だ。俺はどうしようかと辺りを見渡した。壁に開いた大きな穴を見つけだし、そこからコッソリと覗き込む事にした。

 すると眼に飛び込んできたのは、如何にも非日常な光景だった。

 上手に少女が居た。暗幕に輝く銀月の下、黒い長髪と瑠璃色のドレスをはためかせ、右手に星のような蒼銀の炎を燃やし、太刀を振るう少女が居た。

 下手に大男が居た。精悍な顔付きに、古ぼけた長いコートを着て、巨大な銃を撃っていた。その断頭台のような銃声は、聴くだけで抵抗する意志が砕ける様だった。

 そんな弾丸を、少女は太刀で斬っていた。その度に星屑が少女の前で散逸した。

 男の弾幕が終わった瞬間、その隙に少女が太刀を振り上げると其処に銀光が集まった。そして太刀を振り下ろすと、集まった光が衝撃波の如く男に向かって進撃した。男は衝撃波に三発ほど撃ったが全て光に飲み込まれ、男さえ食らい爆散した。

 しかし男は爆炎から飛び出た。弾丸の如く少女に突進し、蹴る。

 が、少女はそれを太刀で防ぐ。同時に、少女を中心にクレーターが出来る。少女はそこから動けず、男が少女を踏み潰そうとする格好になる。銃口を向けられる。すぐにも死神の鎌のようにハンマーが下ろされ、弾丸が発射されよう。――しかし、

 ――Ding-Dong.

 カムパネルラが、鐘が鳴った。

 少女は焦る事無く別の手札を切ったようだ。即ち、彼女を中心に空気が爆発し、男を吹き飛ばした。砂埃が舞い、ビルの破片が降り注ぐ。

 しかし男にそれ程ダメージは無いようだ。空中で態勢を整え緩やかに着地する。そして銃のように黒く冷たい双眸で少女を見る。

「〈空のシエル・シェル〉か。やはり厄介だな。制約の少ない盾であるだけでなく、前置きなく相手を吹き飛ばすギフトは」

 弾丸のように淡々とした冷たい台詞。一方、少女もまた人形のように静かに応う。

「ありがとうございます(My pleasure)。ソチラこそ強いですね」だが、此方は冷たいというよりも、単に常温なだけに感じた。「しかし私の名前といいギフトと言い、旧知の様に語るのは解せません。何処かで会った事がありますか?」

「思い出さなくて構わない。お前を倒す瞬間の俺を刻み付けろ」

 どうやら彼女と彼には何やら因縁があるらしい。無論、あれ程の熾烈な闘いをやっているのだ、無関係という訳ではないだろう。一方、俺はというと、

「凄い」と口走った瞬間、しまった、と思った。何故かは解らない。してやられた、と思ったのかもしれない。「何だコレ。現実か? ドラマの撮影やCGじゃないよな? 二十数年の常識が邪魔するが、本物の少年漫画だよな。スマホで動画でも撮ってみようか」

 逸る気持ちを抑えるものの、口は思った事をそのまま喋っていた。何とも場違いというか、低俗で安っぽい台詞だった。

 まるで蚊帳の外だった。映画を見ている気分だった。TVがやる戦争や震災の生中継くらいに迫力があり、それはスクリーンという境界で完全に遮断されていた。

(まるで観客だな)

 穴から隠れて覗く自分が、途端に卑しい野次馬に思われた。実際、このままここで眺めていれば、通行人Aの端役にさえ成らず終わるだろう。そしてこんな非日常の舞台に関われるのは、これが最初で最後かも知れない。

 って、関わるつもりかよ。主役にでも成ったつもりか。呆気なく死ぬ雰囲気作りの脇役だったらどうするのだ。そも何の演目かも解らんのに。舞台が台無しになったらどうするのだ。思い付きだ。若気の至りだ。莫迦ばっかりだ。自己満足オナニーだ。

 けれども――

「お前はこれでいいのか?」独白する。応えは無い。自分でも何が問いたいか解らないのに。けど、このままは嫌だ。「なら、失敗したって同じ事か?」

 そうと決まればアクションだ。グダグダ考えても仕方ない。伸るか反るかだ。ならば行け。飛べ。アイキャンフライ。って、それじゃガンギマリだ。落ち着け。

 俺は何か武器は無いかと荷物を探った。家の鍵とそのアクセのペンライト、筆記用具、講義のプリント、ノートPC、そして大型折る刃式カッターナイフが一本。軽く銃刀法違反である。いやただのアレだよ護身用だよ本当だよ。ふー、上手く誤魔化せたぜ。

 などと自分に言い訳しつつ、カッターナイフを装備する。攻撃力は不明である。後の問題は、出て行くタイミングと、どちらの味方に付くか、だが……

「『ルパン三世』なら、やっぱ女の子だよな。男の方はちと怖いし」

 俺は深呼吸し、決意を決める。そして格好良く助けるのだ。

 行くぞ、すぐ行くぞ、絶対行くぞ、ほら行くぞ、いやその前に落ち着け、いやいや落ち着いてる場合か、此処は叫んで気合入れる場面だっつーの、兎に角飛べ、動け、やってやれ、でも、やっぱり――

 その時、音が消えた。いや吸い込まれた。一瞬だった。脳裏に言葉がよぎる。

 爆縮。

 地震の如き音と振動が弾けた。身体が浮いて、尻餅を付いた。「これだけ騒いで近所迷惑ではないのか。この建物は壊れないのか」などと莫迦な事を考えた。そうならないから異常なのだ。俺は状況を確かめる為に立ち上がり、穴から覗き込んだ。

 一際大きなクレーターが出来ていた。其処に、少女が見るも無残な姿で仰向けで倒れ、その胸を男が踏み見下ろしていた。少女の手に太刀は無く、男の手には銃があった。

エクリプス。これが俺の新しいスキルだ。〈勝利への影光(A・B・A・Q)〉……お前と言う栄光の元に生まれた、虚しい影法師だ」男は静かに言った。圧倒的な弾丸と違い、言葉は燃え尽き落ちる煙草の様だった。そして最後に、「お前はこれでいいのか」

 それは独白のようだが、問いのようでもあった。だから少女は、応える。

「構いません。それが私の存在理由レーゾン・デートです」

「そうか……」男は初めて何らかの感情を見せた。だが蝋燭の火のようにすぐ消えた。銃を握る手に力を込める。煙草の煙の様に、輝かぬ灰色の光が右手に揺らめく。「なら、やはり【魔法の箒星】の役を襲名する力は無かったという事だ……それを認めろ」

 だから男は、引き金を引く。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」

 そこに俺は鳴り物入りした。高らかに声を上げ、勢いよく扉を開けた。考えなしで場違いで空気を読まない乱入だったが、一度走り出したらもう止まらなかった。雨に濡れるのが嫌であれば、いっそズブ濡れになればもう嫌でなくなるのだった。

 えいもうヤケクソだ小難しく考えても仕方ないどうなるか解るかよなら全力でやるしかないじゃないか行き当たりばったりじゃないか喋る前に兎に角、やってしまえ!

 男の銃口が此方を向いた。

(殺されるッ!)

 原始的な恐怖が脳裏を走った。物理的な距離を跳び越えて俺を撃った。だが俺は止まらなかった。というか止まり方を忘れていた。しかし思わず目を瞑った。後悔した。何時撃たれるか不安に押し潰されそうだった。

 だが何時までもその瞬間は来なかった。再び目を開けると目線は吸い寄せられた。少女にではない。何故か男にだった。男の瞳は銃口のようで、背筋が凍りそうだった。

「アルマ!」

 少女でも大男でもない声が聞こえた。別の誰かがいるのか?

 しかし俺の疑問は解決される前に、少女が「肯(Yes)」と応えた。するとQuonという、静かに月の浮かぶ湖畔に光の波紋が広がる様を連想させる、美しい音がした。それは少女から出ており、同時にその右手が蒼銀に燃えた。俺は何事かと思ったが、少女は気にせず握り拳の形からLのように第一・二指を伸ばした両手を男に突き出したかと思うと、人差し指から銀の光弾が男に飛んだ。しかし弾丸は一つも男の身体を貫かず霧散した。

 だが男を防御に移すには十分だったようだ。その虚を突き、少女が掌底を男の胸辺りに突き出すと、直接に手が当たってないにも関わらず男が大きく吹き飛んだ。

「これは私の天多あるギフトの一つ、〈以身伝心エアマスター〉。効果は『身体言語を体現する』。ただし意味が伝わらなければ効果が薄い。逆に過大解釈される場合も有」

 この緊張場面でその少年漫画染みた能力説明は必要なのだろうか。

 俺がそう思うが早いか少女は跳ね起き、此方に向かって飛んできた。いきなり近づいて来るので気恥ずかしく成り、同時に俺のすぐ右で雷火が奔った。見ると無くなったはずの少女の太刀が在った。どうやら危うく大男の弾丸で俺の頭が無くなっていた様だ。

「人払いのギフトをしていたはずですが、神隠しにあったようですね。大丈夫ですか?」

 少女がそう言った。だが、俺は間近に見る少女の姿を見るだけで聞いてなかった。

 さながら芸術の域まで達した無為な刃、或いは無垢に頷く精巧な人形。見惚れる暇などないのに眼を逸らせない。そんな少女は呆然とする俺に、落ち着いてこう言った。

「初めまして今晩は。私はアルマ、彼はケイ。貴方は不明。とまれ、私が貴方を護」

 その後の言葉は少女の身体と共に吹き飛んだ。男が放った大砲の様な剛脚を受け止めきれず、男と共に一気に屋上の端まで移動した。いっそ心中する様な勢いだった。

 移動する間にも男は少女に弾丸を撃つ。一発、二発、飛んで十発、まだ続く。先までの冷たさは凶暴さを持ち、強引に弾丸を捻じ込もうとする。

 しかし弾丸は全て少女の周りで止まっており、また男の蹴りも止まっていた。まるで少女の周りに見えない球体の壁が在る様に。そしてそのまま屋上の端まで滑ると、少女の周りで止まっていた弾丸は落下した。同時に少女の膝が折れた。力尽きたのか?

 方や、俺は過呼吸の様に興奮していた。それと同時に呆としていた。勝手に乱入した癖に、もう燃え尽き症候群か賢者タイムよろしく出番が終わった気に成っていた。

 それは駄目だろ。次はどうする、選択肢を、ええと、えい、兎に角、動けッ!

 俺はポケットからカッターナイフを引き抜いた。「斬り斬り」という音と共に刃が伸びる。男は少女に夢中で小っぽけな端役たる俺を気にしてない。それを良い事に俺は男に向かって走り、小っぽけな刃を男に向かって突き出した。

(明らかに犯罪だ……ッ!)

 また場違いな思考がよぎったが、その場のノリでそのまま進んだ。

 けど普通は悪いと思うよ。考え無しにモンスターを殺すRPGじゃないんだから。でもアンタだってこうするだろ? こんな展開でヤレヤレと冷静を気取るなんて、それこそ嘘だ。お前は何処ぞの退役軍人か。それにどうせこんな刃、こんな化物に効きっこない。

 効かないどころか粘土よろしく男の銃を持つ右手に突き刺さった。あまりにすんなりで突き刺した俺の方が面食らった。「やっちまった」と思った。簡単に「殺すぞ」という奴の中にどれほど実際にヤる覚悟の在る奴が居るだろうかと思った。

 しかし男もまた驚いていた。何故だか、それは解らない。ただ、その瞳に俺の姿が映っていて、ベッドの下で無くした玩具を見つけた時の瞳だと思っただけだ。

 驚いていないのは少女だけだった。彼女は淡々とやるべき事を実行した。即ち、右拳で男の胸元をアッパーした。やはり凄まじい怪力で、男は防御したものの身体を宙に浮かされる。少女は間髪入れずローリング・ソバット、男を跳び後ろ蹴りで飛ばす。

 そして「ソレください」と俺のカッターを指差した。俺は「え?」と訝しみつつ無意識にあげた。そして少女がカッターを両手で掲げると、銀色の輝きと共にカッターが縮尺そのまま巨大化した。驚く俺を他所に、投槍よろしく男に向かってぶん投げた。だが男は向かい撃つ様に灰色の弾丸を撃ち、カッターを容易く粉砕した。

「やられたっ」

「否(No)。まだです」少女の言葉通り、砕け散ったカッターは速度を緩めず散弾の様に展開し、男の身体に突き刺さった。「これは私の天多あるギフトの一つ、〈鋼夜の口笛吹き(ワイルドアームズ)〉。効果は『対象を武器化し、性能を顕在する』。アレは折る刃式でしたから折れてもまだ使えるのです。折り込み済みという訳ですね」

 だからその説明は必要なのだろうか(※正しくは「織り込み済み」)。

「無論です。技名や祝文や鬨の声。心を奮わせ、氷山の底の無意識を励起」

 不意に台詞が止まった。彼女の胸で刃が砕けた。男が弾丸で太刀ごと少女の胸を穿ったのだ。衝撃で少女は屋上の端を越えて吹き飛んだ。

 俺は驚き、咄嗟に右手を伸ばした。だが少女は手を取らず、折れた太刀を男に投げた。男も弾丸を撃った。結果、太刀は男の胸に刺さり、弾丸は少女の頭を貫いた。男の膝は糸の切れた様に折れ、少女ももう動かない。俺の手も届かない。少女は落ちていく。

(で、終わってたまるかッ)

 俺は屋上の端から飛び出し、少女の身体を抱えた。一瞬の浮遊感の後、重力に捕まる。無情な9.8の世界観に従って、俺達は地面に落ちていく。

 考えはない。だが何とかなる。何とかなるのか? そんな台詞を吐く主役など信じられない。だが何とかしてやる。考えろ。

 落ちたくないけどまあ落ち着け冷たく成りたくないけど冷静になれ物理をしよう数値は裏切らない建物の一階の高さは大体約3mでこの建物は十数階だから衝突速度は「v=√2gh」でえーと少なくとも時速87kmか。

 いやもう駄目だろ。

 俺は吸い込まれる様に星という莫大な質量に激突した。意識が身体と共に弾けた。

 まあこんなもんだろ。期待なんてしてない。こんなもんだよ。

 ちくしょう――――


「――大丈夫か、アルマ」

「……………………はっ。あ、ケイ、もといマイスター。肯、アルマは大丈夫です」

「それなら何よりだ。レドナーは引いたか?」

「ナウローディング中……キー、俺達はツいてるぜ。大いなる文化は風と共に去りぬ」

「なら、彼奴は置こう。あの程度の傷は問題ないだろうが、彼奴は二人っきりが好きだからな。だが、甘く見過ぎた。一人でスキルを見出す等級カラットまで進化するどころか、あの無頼派が連むとは……少しは成長したか?」

 誰かの声が聞こえる。けど水の中にいる様に上手く聴こえない。視界は呆焼け、感覚はゴムの様に無い。この感じを知ってる気がする。俺はぼんやり考えた。ええと、これはなんだっけ。なんだっけ。そうだ、これは、ゆめなんだ。よかったな。何が?

「で、コイツの事は覚えているか? 一緒に屋上から落ちたのだが」

「肯、覚えています。二十歳程の男性が乱入しそれで何やかんやで屋上から落、あ、ぎやああああああやっちまったああああああぁあーんっ!!!」

「落ち着け」

「落ち着きました」

 ああ、そうだ。何かが落ちそうだったから、それを受け止めようとしたんだった。ちゃんと受け止められたか、解んないけど。

「彼、助けられるかい?」

「石炭袋地方は午前中低気圧に覆われ概ね雨でしょうが、午後からは南十字からの影響で晴れと成り明日の汽笛がある見込みです」

「頭打ってちとボケてるか? 裏方は俺の役だから、無理しなくていいぞ」

「大丈夫です。アルマは大丈夫です。所で空にピンクの象やユニコーンが見えます」

「空飛ぶスパゲッティ・モンスターとどっちがマシかな。まあいいや。なら助けてくれ。これも仕事だ。それに一応、お前を好意で助けようとした訳だしな」

「私は拳銃」

 Quonという鐘のような美しく安らかな音と共に、少女の右手が銀に燃える。俺の身体がベッドの様な柔らかい光に包まれて、満ち足りた気持ちになる。軽くなり、眠くなる。夢の中でも夢を見るのか。それは何だか、途方もなく寂しい気がした。

「……まあ、好意ではないかもしれないがな」

 その後の事は覚えてない。



 ……序幕・終

 ――――――――――――――――――


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ