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疾走する殺意



 ファネルをドミノ計画に参与させる、というアイデアは保留した。

 リスターが本部に帰ったとき、そんな些事を済ませられるような状況ではなかった。リアンが脱獄したのだ。

 対策室はもちろん、総務部のお茶汲み係さえも重大な使命を帯びた顔つきで辺りをうろうろしていた。普段は部署ごとの縄張り争いが激しいのに、このときばかりは様々な人間が入り乱れ、対策室に見覚えのない人間が何人もたむろしていた。


「どうして私に連絡を入れなかった?」


 叱責というより、困惑に近かった。これほどの大問題が生じたら、リスターがトップの人間でなくとも、すぐに連絡が入るはずだろう。

 誰もが「誰かが既に入れたかと思った」と言い、「室長への連絡は済ませたと誰かが言っていたのを聞いた」と言う者までいた。


 過ぎたことは仕方がない。それ以上突っ込まず、リスターは状況整理に努めた。既に追跡チームが組まれ、リアンを追っているらしいが、対策室からも人員を派遣したほうが良い。混乱を極まる今だからこそ、指揮系統の安定化に腐心すべきだろう。自ら出撃したいところを抑えて、派遣人員を選定した。


 他部署の現況を確認しているところで、真上から――総裁と審議官と外部顧問から構成される最高意思機関――命令が下った。


「追跡は特務部隊が主導する。対策室は通常業務に加え、保護下にあるシェリルの護衛を強化せよ」


 脱獄者を追跡するのも通常業務に組み込めなくもないのだが。リスターは思いつつも、間抜けな質問をすることはなかった。相手の意向を汲み取るのも仕事の内。上の要求を最大限充足するのも駒の役割だ。

 要するに、邪魔だから引っ込んでいろということだろう。もしかすると、対策室の面々は信用されていないのかもしれない。もちろん能力的な意味ではなく、裏切り者が潜んでいるかもしれない、という意味で……。


 リアン捕獲作戦で死者が出てからというもの、特務部隊では徹底的な「洗浄」が行われ、裏切る可能性が少しでもある者は左遷させられた。人員の半分が入れ替わり、ただでさえ陰気で殺伐としていた部隊が、輪をかけて凄味を増した。

 特務部隊に適格とされている人間が冷酷で非情緒的であること、並び立った面々を見ただけでそれが分かってしまうこと、彼らの任務がますます秘密主義の性格を帯びたことなどに、薄気味悪さを感じてしまう。優秀か否かは小さなことだ。特務部隊は最高意思機関の命令に忠実に動く。裏切りなど起こるはずもない。彼らにのみ処理を任せるのは、合理的ではあったが、ああいう事件が起こった後だから危うさもある。


 ちょっとした引っ掛かりを無視し、リスターはシェリルが収容されている病室の変更を命じた。頂きから降ってきた命令だ。失敗は許されない。

 数時間を多忙の中に過ごし、それはしばらく収まりそうになかったが、脱獄したリアンを見失ったのか、それとも追い詰めているのか、情報が対策室に入ることはなかった。対策室が蚊帳の外だということだろう。状況がまだ進展していないとは思えなかった。


 ふと、人が出払って部屋がガランとしたときに、マティアスとの約束を思い出した。ドミノ計画の一件だ。当初は誠実な人間が適任だと思っていたのだが、一度ファネルに打診してみようと考えを改めていた。

 どうしてそんなことを思いついたのか、自分でも分からないが、彼女のドミノ計画に対するスタンスを知りたかったのかもしれない。彼女が絶対に引き受けるわけがない、そういう確信があるからこそ、彼女に訊ねるのだ。少しでも引き受ける可能性があるのなら、そんな無責任の権化たる彼女に役目を申し付けることはしなかった。


 ファネルも特務部隊から離れたのだろうか――と思いつつ、対策室の端末から特務部隊の窓口にコールして照会すると、ファネルはまだ特務部隊の解析チームの末席に名を連ねていた。

 回線を開いてもらった直後に相手が出て、


《はい、こちらファネルちゃん相談室。一〇分コース、二〇分コース、三〇分コースがございます。最近お得な『金言コーナー!』始めました。料金表の送付を希望なされますか?》


 リスターはしばらく声が出なかった。


「……何を言っているんだ、お前は」


《あ、リスターさん。リスターさんじゃないの。リスターさんだよね。リスターさん》


「そうだよ。……お前、コースって何だ。水商売みたいなこと言ってるが」


《あはん。一杯どう?》


 気色の悪い声だった。リスターは苦笑さえできなかった。


「やめろ。向いてない」


《向いてるよ。天職だよ。相談室を設けてるんだよ。解析にまつわる種々の問題、難題を、ものの数分で解決してみせます》


「それで小金を稼いでいるのか。だが公用の回線で商売するのはどうかと思う。捜査官は副業禁止であるしな……」


《捜査官が副業なんですという言い訳が可能な点について、釈明は?》


「言い訳になってない。用件をいつまで経っても話せそうにないので強引に話すが、ドミノ計画というのを知っているか」


《知らない奴は『モグリ!』だね》


 何のモグリだ、という質問は時間の浪費なのでやめておく。


「ドミノ計画の数理的命題について、検査をするレフェリーに欠員が出たらしい。恐らく基礎理論の構築にも一枚噛むと思う。代役をお前に頼みたいんだが」


《うん。分かった。日当は?》


 リスターは耳を疑った。


「受けてくれるのか? ちょっと待て、今になって気になり出したが、どうしてお前、金を稼いでなんかいるんだ」


《そりゃあ、金はないよりあったほうがいいんだよ。あり過ぎると人生狂うって人がいるけれどもね、そりゃあ金の引力に負けて地べたはいずり回るようなことになっちゃうからいけないわけで、一定の距離を保てば自由落下してても公転軌道にしっかり乗れるわけで》


「意味が分からん。なまじ意味のありそうなことを言ってるから、余計意味が分からない」


《つまりね、お金があればファネルちゃん、もう働かなくても済むわけじゃないの。ドミノ計画の日当はどれくらい? 言っとくけど『現物支給!』だかんね》


「お前、働きたくないのか」


 少し意外だった。ファネルがそんなありきたりなことを言うとは。見損なった、というのとは少し違うが、何故だかがっかりした。


《働きたくないよ。減俸処分ばっかで、最近まともにお給金もらってないしさあ。サプレスにいたら人体実験できるし、設備も出力二〇〇パーセントで無茶できるし、街中で列に割り込んでも識別表見せたら皆黙るし、良いことづくめなんだよ。なのに仕事が入ってきてもう嫌だ、うんざりだ、働きたくない、金さえあれば働かずに上の命令なんて無視できるのに》


 そういうことか……。サプレスでの職務は面倒だが、設備が充実した解析官としての環境は捨てがたい。仕事はしたくない、環境は捨てられない、仕事をしないと減俸で生活できない、なら副業を持てば良い――それだけの話。。リスターはほっとしていた。


「私が悪かった。お前みたいな奴に仕事を押し付けるのは間違ってたな」


《あ、あ、あ! 日当次第で受けるよ! サプレスの人間は高給取りだなんて嘘っぱちだよ! 五年以上働いてるのに、まだ借金が消えないんだ! リスターさん、保証人になって!》


「借金なんてあるのか。お前のような変人でも金貸しには頭が上がらないとは」


「変人じゃないよう。複利の魔物に喰い散らかされた夢追い人の残骸だよう」


 この女にドミノ計画を任せてしまうのも、一興かもしれない――と一瞬思ったが、下手をするとあの論理世界には多くの人間が移り住むことになるのだ。やはりこんないい加減な女には任せられない。


「こっちから話を持ちかけておいて何だが、やはり別の人間に頼むことにしよう――それに、日当は大したことない」


《リスターさん、今の内にファネルちゃんに恩を売っておいたほうがいいと思うけどなあ》


 思わせぶりな発言だったが、リスターは淡々と、


「じゃあ。他に適任が見つからなかったら、また電話する」


 とだけ言って通話を切った。

 通話が終わるのを待っていたらしい部下が、リスターの前に進み出てきた。


「室長。今、連絡が入ったのですが――」


「リアンが見つかったか?」


「いえ。通常業務のほうです」


 落胆を押し殺しながら、リスターは頷いた。


「どうした。テロでも起こったか」


「はい」


 アゼルが引き起こす戦争に関連して、多くの国で政情不安が巻き起こっていた。論理武装した暴徒が政府軍を手こずらせている場合、サプレスから人員を派遣して助言を行うことがあった。サプレスの高度演算装置のおかげで、首謀者の特定や捕縛はかなりスピーディに行えるようになっていた。対策室の仕事の数割は、テロリストへの対応が占める。

 リスターは溜め息をつきたいのを我慢して、


「どこの国だか知らないが、さっさと遣れ」


「担当が全員出払ってます。規則では二人一組で派遣することになってますが、私以外に自由に動ける者がいないようで」


 リスターは改めて対策室を見回した。人がいないわけではないが、いずれも機器の前に齧りついて職務をこなしている。


「誰でもいいから勝手に連れていけ。私以外の人間だ」


「はい。では行ってきます」


「ああ」


 部下は足早に部屋を出て行った。リスターはデスクに着席することなく、次から次へと舞い込んでくる「緊急の用件」を処理していった。しかし心の内では、早くリアンがどうなったのか知りたいという焦りが、常に一定の領域を占めていた。


 マティアスの懸念は当たった。リアンは命を狙われている。だがリスターには、拭い去れない疑念があった。リアンを狙う人間の正体である。

 果たして、マティアスを狙った人間と同一の志向を持っているのか。もしそうなら話は簡単だ。アゼルに崇拝する人間と解釈できる。時と場所によって狙う人間が変わっているのは、組織化されていない複数の人間が、自らの考えだけで突っ走った結果だろう。

 リスターは、一方で全く別の考えを抱いていた。リアンを狙ったのはアゼルの崇拝者かもしれないし、そうじゃないかもしれない。それは考えても仕方がない。だが、マティアスを狙った人間は、特定できなくもないかもしれない。


「そそられている自分が、嫌になる」


 風がどこへ吹くか、という命題は、前を向きたがる人間が興味を持つ。

どこから吹いてくるか。その命題を突き詰めて捉える者は、風とは何かという根源の問いに直面して、探究の深淵へと足を踏み込むことになる。


 もちろん、風とは大気の移動、それだけの現象だ。だが、目の前の「真実」が揺らぎないものだと信じる者が前進を許されるのであり、論理を重ねられるのであり、真理という名の眩い太陽に目が灼かれるのであり、論理学が教える「この世に真理など成立し得ない」という真理に辿り着けるのは、懐疑する者だけだ。


 そこにある真実が真に真実であるかどうかは、問題ではない。可能性を追求するという立場も陳腐なものだ。重要なのは、理性の輝きに導かれるまま、懼れに勝ち、怒りを平らげ、疑念を攻落し、いずれ辿り着く先がどこなのか分かっていたとしても、踏み出し、その地平を見渡すことだ。

 リスターは興奮気味の部下たちの報告を適当な命令に変換しながら、理性と語らっていた。デスクの上の端末が音を鳴らしている。集中が切れ、画面を確認すると、ファネルの研究室からだった。


《リスターさん! 良い『稼ぎ先!』が見つかったよ。一緒にどう?》


 返事をせずに切った。すぐにまた端末が鳴り出したが、無視した。


 リスターは、長年の対策室暮らしの経験から、マティアスを狙った人間の正体に感付いていた。だが、感付いているということを匂わせた瞬間、自分が次の標的に選ばれることは分かっていた。

 感付いている、という錯覚を相手に与えるのも駄目だ。恐らく、マティアスはそれに引っ掛かったのだろう。

 もし、マティアスを殺そうとしている人間を捕えたいのなら。

 リスターに選択の余地は残されていなかった。自分が既にそこへ向かっていることに、彼は漸く気付いたのだった。






        *     *







 論理舗装路を疾走するビークルは時速二〇〇㎞を超えていた。後方に吹き飛ばされる並木や標識の類が、あまりにテンポ良く目の前に出現するので、メーガンは自動操縦に任せたまま眠りたい気分だった。


 舗装路は空いており、政情不安が危惧されているファデリ国西南部ソト地区には、企業がビルごと引っ越した影響で空き地ばかりが目立ち、貸し切りも同然だった。助手席ではマノンがナビゲーションシステム入りの薄いボードを膝の上に載せたまま、端末を弄っている。

 ちょっと覗いてみると、プログラムを組んでいるようだった。今や論理式製作の必需品となった高水準論理式の権化、美人秘書が愛想良くサポートを続けてくれている。


「何を作っているんだ」



 メーガンが躰を傾けながらその論理式を吟味しようとすると、マノンは眉間に皺を寄せて、


「駄目。ちゃあんと前見て運転してね」


 と指示した。


「前見て運転したほうが危険だって知ったら、お前、どうする?」


 メーガンは不愉快に思いながら言い返した。自動操縦なら事故の可能性はほぼゼロだが、手動で運転したら、死ぬ可能性が数百倍に跳ね上がる。

 マノンは端末内部の美人秘書と語らっている。愛想の良い器量良しで、特に男性論理学者から熱狂的な支持を受けているが、ツールとしての能力も一級品だ。

 人間が扱い易いように工夫された論理式が高水準論理式であり、論理式構築をサポートしてくれる万能プログラムが美人秘書であった。ネット上で無料で手に入るツールであり、素人から第一線の論理学者まで幅広く親しまれている。


「で、何を作ってるんだ」


「うーん、何を作ってると思う?」


 マノンがにやにやしながら言う。緊張感に欠けた少女の頬をメーガンはつねってやった。


「痛い! へえええあああやめて!」


「オレはお前とお喋りしたいわけじゃねえんだよ。ビークルも論理駆動だからな、妙な論理式を適用されちまったら、最悪爆発しかねない」


「はいひょーふはよ、ヘエフヒィはひっはりひへるはは」


 頬をぐにぐにしながら喋らせたので、何を言っているのか分からなかった。二十秒ほど考えて、解読した。大丈夫だよ、セーフティがしっかりしてるから、と言ったのだ。


「そりゃあ、普通のツールで作れば大丈夫だけどな、お前、改造してるだろ」


 マノンが心底驚いた顔をした。危うく端末を取り落としそうになる。


「分かるの? 凄いね、メーガン」


「オレを誰だと思ってる。A級ライセンシーだぞ。美人秘書にドーピングを投与したら、レギュレーションをはみ出しかねん」


 そもそも、それを目的にドーピングするわけだからな……。メーガンはマノンの個人端末を奪い取った。高水準論理式が示すカラフルな操作画面を切り替え、生の論理記号が剥き出しの白黒の画面に見入る。うへえ、とマノンが呆れている声が聞こえた。


「……何だ、これ。明らかのオレのビークルに取り付ける前提で組んでるじゃないか」


「あは、気付いちゃった? だって、このクルマ、武器積んでないんだもん」


 メーガンは注意深く論理式を読んでいった。武器にしては凶悪な匂いのしない論理式だな、という印象だった。この小娘はまともに論理式を扱えるのか、アゼルの弟子だからって天才とは限らない。そういう猜疑心があった。

 そしてこの些か複雑な論理式が持つ性格を読み取るにつれて、メーガンは次第に青褪めていった。マノンの澄ました顔を一瞥する。


「おい、お前、この論理界層の大気成分を調べたのか?」


「もちろん」


「えげつないな、一昔前の攻城兵器みたいだ」


「嫌だなあ。そんな無粋なものと一緒にしないでよ。これは芸術」


「芸術が連鎖爆発を生むのか。それも原理上、カオスな軌道を描くよな……。制御不能のミサイルってところか」


「ミサイルぅ? あたしの芸術はそんな無粋なものじゃないのに」


「大体、こんな巨大な論理式、ビークルを動かす為のオペランドを全部使っちまって、運転どころじゃないぞ。クルマに積んじゃいけない代物だ」


「馬鹿だなあ。停まってから撃てばいいんじゃないの」


 再びマノンの頬を掴んで捻り、あでで、という少女の呻き声を聞きながら、ナビゲーションシステムのビープ音を聞いた。

 二人してその薄いボードの画面を見やる。勝手にビークル走行制御装置に干渉して速度を落とす。風防ガラスがぴしりと音を立てる。見れば砂が前方から吹き飛んでくる。


「何だ……?」


「見てよメーガン! 車が逆走してるみたい!」


 弓なりにカーヴする舗装路であった為に、前方からこちらに猛烈な勢いで進んでくる自動車の横っ腹を目視することができた。三台も道を逆走している。

 路肩にビークルを停めるのが最善策だとシステムは提案している。だが、メーガンは自分の端末の遠望プログラムを即時展開し、メタ検索エンジンを用いてネットの海から最適補正を収集して全力援護、分解能を極限まで高め、車に乗っている人間を突き止めた。


 三台の内、先頭を走る車には、リアンと見慣れぬ痩せ細った女が乗っていた。後ろの二台には物騒な装備をした男がそれぞれ四人ずつ乗っている。


「リアンだ」


「えっ、リアンくんがどうしたの?」


「リアンが脱獄してる! で、今、こっちに逃げてる!」


 メーガンは遠望プログラムをそのまま端末に憑依させ、随時その姿を確認できるよう簡素な書き換えを加え、ビークルを手動に切り替えた。ハンドルにかかる負荷を強烈に感じながらブレーキング、論理舗装路との吸着力を発揮し、ジグザグにぶれながら速度を落とす。


「メーガン! メーガン! 急いで停まり過ぎだよ! これじゃあまるで絶叫アトラクションだよ!」


「ほう、まだ余裕みたいだな」


 メーガンは全力でブレーキを入れた。もはやアトラクションどころではない揺れがビークルを襲い、一瞬宙を浮いた。三回転しながら何とか停車し、そしてアクセルを踏み込む。


「ななな何をやってるの!」


「Uターンだよ、バカ野郎! リアンが敵に追われてるんだ、助けたいだろ!」


「助けたいよ! だけど――」


 既に三台の車がかなり接近していた。メーガンは論理エンジンを吹かして加速したが、すぐ傍をリアンの乗った車、追っ手の車が行き過ぎる。窓に頬をくっつけてそれを目視したマノンが叫ぶ。


「本当にリアンくんが乗ってたよ! 運転してたのはシンクレア姉さんだ!」


「アゼルの弟子の?」


「そうだよ! 凄く強いけどおっかないんだ! シンクレア姉さんがリアンくんを助けてくれたんだね!」


 興奮気味のマノンを見て、ここにアゼルの弟子の三人が勢揃いしたわけか、と少し感慨深かった。いや、自分を入れれば四人か。

 ビークルが三台の速度に追いついたとき、車間距離はざっと二〇〇メートルはあった。マノンはもっと急げと叫んでいるが、この論理界層を統治しているソト地区公理委員会は、車両の制限速度を設けていて、原理上それ以上の速度を出せないようになっている。

 すなわち、逆走を続ける四台の車両の速度は、その制限速度に限りなく接近していて、もはやこれ以上追い上げる余地はほとんどない。


「マノン、ここの統轄者を調べろ。セキュリティの甘い地方の役所なら、委託先の選択を間違っているかも」


「空間干渉して追いつくスンポー?」


「阿呆。空間干渉できるなら車ごと追手を消し飛ばす」


「じゃあ、どうする気?」


「だから、車を消し飛ばしたいんだよ、さっさと調べろ!」


 手動から自動に切り替えるのに、多少手間取った。自動操縦だと、逆走している事実を交通管理局に警報を送致してビークルを強制停止させかねない。だからその部分の論理式を改善する必要があった。その上で、念の為に走行精度を調べ、逆走していても事故を起こさないか確認した。

 自動操縦に切り替えたとき、既にリアンと追手の間で交戦があった。散発的な銃撃の音が晴天の下に轟く。


「こっちもミサイル撃とうよ!」


「停車しないと撃てないって言ったろうが! それにリアンまで殺しかねない! ていうか、ミサイルって認めたな、お前」


 メーガンがマノンに怒鳴っている間に、追手の車に不可解な変化があった。急激に速度を上げたのだ。メーガンは一瞬唖然としたが、


「畜生! あの追手、特務部隊だ」


「メーガン! 何が起こったの!」


 慌てふためくマノンの髪をがしがし撫で、自分の気持ちをも落ち着かせながら、


「連中には差し押さえ権ってのが認められてて……。空間の所有権を一時的に移譲させることができるんだよ。サプレスの管轄下に入った空間なら、もうやりたい放題だ」


「それって……」


「リアンの捕縛作戦のときは、サプレス自慢の演算装置も、空間の分析に能力を割いていたから、それほど戦闘は効率的にいかなかったようだが、今日は違う。連中はいつでもリアンを殺せる。オレたちも」


「ええええ!」


「だが、向こうにも細則があって……。今のところオレたちは犯罪者でも何でもないから、こっちに攻撃を仕掛けてくることはない」


「論理舗装路を逆走してるのは犯罪じゃないの?」


「ああ――そう言えば、交通法にたぶん違反してるよな。まあ、些細なことだ」


 それより。メーガンは前方をひた走る三台の車を端末の望遠を通して見る。あれでは特務部隊にリアンたちが捕捉されるのも時間の問題だ。空間干渉できるのなら、慣性系の同調を図った後に界層飛躍されて、速やかにサプレス本部に移送されるだろう。

 特務部隊の車が追いついた時点で、勝負は決する。メーガンはコンソールを平手で叩いた。


「駄目だ、どうすることもできない! 目の前にリアンがいるってのに」


 マノンは不安げな表情だったが、おもむろに、自分の端末を取り上げて猛烈な勢いで操作を始めた。

 メーガンはそれを怪訝に思う。が、少女の行動に明確な意志が感じられて、止める気も質す気も起きなかった。


「メーガン、諦めちゃ駄目だよ」


 マノンは舌なめずりしながら言う。


「姉さんなら、きっと壊してくれる……、だから大丈夫」


「何を言ってる、お――」


 ガクン、と車の速度が落ちた。ナビゲーションシステムがウイルスの侵入を警告している。


 もちろんウイルスなどではない。マノンがミサイル論理式をビークルの制御装置に導入したのだ。論理式同士の反発力によって舗装路を驀進するビークルの構造上、演算装置への負荷はそのまま馬力の低減を意味する。


「てめえ、やりやがったな、軍用コンパイラーでもない限り、そんな複雑な論理式の演算なんか、重荷過ぎて機械もだれるってもんだろうが!」


「分かってるよ! だから使うんじゃない」


 マノンはにやりとした。そして無断で発射スイッチを押す。


 ビークルの演算装置全てを食い破る凶悪な呻りが聞こえてくる。オペランドを消費し、焼き尽くし、生成された人間の腕ほどの大きさの棒が、ボンネット上に出現する。

 メーガンはその詳細な論理式を目にしていたから、思わず仰け反った。眼と鼻の先にそんな凶悪な兵器を突き出されると、頭では平気だと分かっていても、恐怖に震えるものだ。

 マノンが作り出したミサイルは、大気成分と混ぜ合わさると連鎖爆発を起こす準論理兵器である。最初のエネルギーさえ与えてやれば、大気そのものを巻き込んでエネルギーに変えながら、激甚な範囲の爆発を引き起こす。

 有効範囲が限りなく広いので、まず間違いなくリアンを巻き込む。メーガンたちも危ない。


「やめろ、撃つな!」


「もう撃ったよ」


 ミサイルが空中に飛翔する。同時にビークルのエンジンが止まった。くるくると回転しながら舗装路を滑る車内で、メーガンは絶叫していた。


「てめえ、殺す気か、あいつらを――」


「死なないよ、特務部隊はすぐに界層飛躍して逃げるだろうから」


「リアンたちのことだよ! 連中はもう逃げ場が」


 特務部隊の二両の車が、ミサイルの接近と共に大きく減速した。空間干渉してミサイルを弾き飛ばそうとしているようだが、マノンの細工によって、下手に触れるとその場で爆発する。

 多少の逡巡があったと見られ、彼らの車両はしばらく走行を続けていた。だがやがて忽然と姿を消し、ミサイルの有効範囲から離脱した。


 残ったのはリアンの車両。ミサイルが真っ直ぐそちらに向かっている。

 何とか停車したビークルの中で、メーガンは頭を抱える。


「言わんこっちゃない! オレたちまで巻き込まれて……」


「大丈夫だって」


 望遠が映し出す。シンクレアがハンドルから手を離して、リアンに運転を任せた。

 彼女が金属製のルーフを軽くノックすると、いとも容易く砕けた。彼女は半身を車外に出し、屋根によじ登って、突っ込んでくるミサイルに相対した。


「マノンの香り」


 シンクレアは呟いた――声は聞こえなかったが、そう唇が動いたように見えた。

 次の瞬間、ミサイルは粉々になって路上に散らばっていた。紙吹雪のような儚さと呆気なさで、残骸が煙を立てて転がっている。

 メーガンは唖然としていた。


「今のは……。一瞬だけ見えたが……。何をしたんだ、あの女」


 走り去る車を眺めながら、メーガンは茫然と言った。マノンは腕を組み何度も頷いている。


「シンクレア姉さんは壊すのが得意なんだよ。先に避難場所に向かうだろうから、あたしたちも追おう?」


「それはいいんだが、何をしたんだよ、あの女。あんなのを安全に解体するには、相当な設備と人員が」


「安全に解体か……、姉さんにとっては、重苦し過ぎる言葉かもね」


 メーガンは首を傾げた。シンクレアという女の能力も性分も知らないが、何となく、普通の人間ではないのだなと直感した。遠目からでも異様な目つきをしているのが分かった。有り体に言ってしまえば犯罪者の目、もっと言えば麻薬常習者の目、という印象だった。

 メーガンとマノンはすぐさまビークルを発進させようとしたが、そのとき、万能端末がコール音を車内に響かせた。


 耳障りなその音にメーガンは顔を顰めたが、相手がマティアスだと気付くと、慌てて出た。


「――マティアス? お前、もう釈放されたのか!」


《やっと繋がったか。メーガン、お前に話がある。いいか、今すぐ例の低層公園に向かえ》


「あん?」


 いきなり何を言っているんだ、とメーガンは思った。マノンも耳を欹てていたが、首を傾げて「誰なのこのおじさん」という顔をする。


《詳しく説明できるほど、長く回線が持ちそうにない。どうも私の周辺では妨害工作が蔓延しているようでな……。とにかく、まだお前がアゼルを追う気概を持っているのなら、直近に出向いた密猟場所まで行け》


 アゼルという単語が出たことで、マノンがびくりとした。メーガンは舌打ちした。訳の分からない話に、自分がそのまま乗れるとでも思っているのか。


「あのな、マティアス、密猟された空間は警戒を強めるのが常だし、サプレスや治安組織の安全指導も完了しているだろうし、もう一度同じところに入ったら、まず間違いなく捕まるぜ」


《アゼルはお前に何かを伝えたがっていた。それが何なのか私には分からないが、個人の願望としては、お前に是非向かって欲しい》


「アゼルがオレに何かを伝えたがってるってのも奇妙な話だが、お前がその伝達をするなんてもっともっとおかしいじゃねえか。奴に洗脳でもされたか?」


 マティアスは押し黙った。通話を切られたのかなと思うくらい、静かな瞬間が訪れる。


《もし私が洗脳されたというのなら――それは何年も前からだ。私はアゼルを憎む。その憎しみが私を奴に引き寄せた。それだけの話だ》


「本当にそうかねえ」


 メーガンは言いながらも、アゼルのことをかなり気にしていたし、マノンの反応も無視し難かった。少女はメーガンの隣で鼻息荒く何事か呟きながらシートの上を跳ね回っていた。早く行こう、ということらしい

《……ところで、メーガン、誰かに襲われなかったか?》


「いや。……そんなこと聞くってことは、あんたは相変わらず命を狙われてるのか」


《三度ほどだが。そうか、お前のほうは無事か》


 そのとき、端末の向こうで散発的な銃撃の音がして、通信が乱れた。


「おい、マティアス、無事か? おい、おい!」


《……大丈夫だ。それより、必ず密猟場所へ行け》


 メーガンはほっと一息ついた後、少なからず怒りを抱いて口を尖らせた。


「必ずなんて言うなよ。オレが義務とか責任とかをついつい放擲したくなる性分だってことを知ってるだろうが」


《いいか、事実を伝える。アゼルがバートラムにあの密猟場所を教えたんだ。お前にその話が伝わるであろうことを見越して》


「何だと? あいつはどういうつもりだ」


《それが分かったら苦労はしないんだがな》


 そこで通信が切れた。メーガンはしばし茫然としていた。あの奇妙な弁駁獣が徘徊していた密猟場所。マティアスに調査を依頼するほど疑問を抱き、こだわったのは自分なのに、今の今までその存在を忘れていた。

 マノンがナビゲーションシステムのボードをばんばんと叩いている。


「メーガン! 早く! 目的地を入力して!」


「ああ……」


 メーガンは頷くしかなかった。リアンと合流するほうが先決だと思ったし、マノンもそれを希望すると思いきや、こちらのほうが重要らしい。

 そうだ、当初、メーガンたちはアゼルの手掛かりを得る為に、追われているリアンを救おうと行動したのだ。あちらからこちらに接近しようとしているのなら、応じないわけにはいかない。


 あの異形の弁駁獣。アゼルが伝えたいことと言ったら、それくらいしか思いつかない。まさかあの毒茸を調べろと言っているわけではあるまい。

 あの弁駁獣がアゼルと関係しているのか? いや、アゼルが戦っているという謎の権力者と関係しているのか。神の論理の誤謬を暴こうとしている存在。アゼルはそれと戦っている。

 神の論理を超越したとき、人類は全く新しい世界を創造するかもしれない。神の論理に依拠する既存の論理ではなく、人類そのものが全き創造主となる、新天地が開けるかもしれない。

 その考えに魅力はあった。だが、その代償に多くの人間と世界が失われるというのなら、あまりに危険な行為だった。

 あの奇妙な弁駁獣に象徴される、狂気の所業だ。ふとメーガンは思い、この考えは当分自分の中で息衝き続けるだろう、と直感した。


 ボードに密猟場所を入力し、すぐさま界層飛躍の準備に入った。もちろん足がつかないように各空間を経由しながら進むことになるが、地区を統轄する公理委員会の承認が降りるまで、少し時間があった。


「ののさまと会える、ののさまと」


 マノンがわくわくしている。彼女はアゼルのことが本当に好きなのだ。アゼルが突然いなくなれば、彼女はきっと一生立ち直れないほどの衝撃を受けるに違いない。

 自分はどうか――メーガンは十数日前の自分が、アゼルを殺した後のことを全く考えていなかったことを思い出し、きっと彼の死の衝撃から一生立ち直れないだろう、と思った。


 界層飛躍の準備が出来た。ミサイルの衝撃から復帰したビークルはリープシステムの重負荷に堪えながら、論理記号の海へと漕ぎ出していった。




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