スウェンの悪夢 前
スウェンはもう夢心地だった。
悪夢の世界から一気に楽園へと招待されたのだ。本当に夢のようだと思った。
新たに与えられた部屋のベットの中、まどろむ思考の底にはかつての故郷と仲間たちの顔が思い浮かぶ。
もう、戻れない。無意識に涙を溢し、うつらうつらと深い眠りへと誘われてゆく。
夢の中ではかつての日々が繰り返し思い起こされていた。
「スウェン?早く起きてよ」
朝日の燦々とした光が瞼を照り付け、まだ若い溌剌とした声がこだます。
暗鈍とした眠気を取り払いつつ声のする方へと視線を向ける。
目線の先には紫紺の瞳と白金の髪のおさげから覗く羽毛の耳を揺らしながら覗きこむ少女がいた。
スウェンの大切な幼馴染のマキナだった。
「…マキナ、おはよう…」
「もう寝ぼけてるの?今日は明日の収穫祭に出す獲物を取りに行く日でしょ。早く出かけなきゃ!」
簡素なベットから無理やり出され眠気眼のスウェンに向かって早くっと促す。
明日は三年に一度の収穫祭。その収穫祭で出す獲物を狩る日だった。
貧しい里にとって一大イベントの為の大切な準備の一つだ。朝日が昇る前に出発する予定が寝坊によって央幅に遅れてしまった。
気が付き慌てて支度を開始したスウェンに向かって呆れた様子のマキナ。
後ろからスウェンにあらかたまとめていた荷物を投げる。
「ほら、荷物。昨日あれほど寝坊しないようにって言ってあったのに、なんで寝坊するかな?」
「ご、ごめん…ありがとマキナ」
スウェンは頬を掻きながら目線を反らした。スウェンの様子は見慣れたものなのかマキナはスウェンの背中を押して入口へと押しやる。
「もう!早っく行く!!」
若干ふくれっ面になりながら背中を叩くマキナに急かされて家を出る。
里の中ではすでに朝の仕事が始まっており随分寝ていたと余計焦ってしまう。
二人の様子を見ながら微笑ましそうにしているみんなの視線から逃げるように森へと駆けだした。
スウェンの住む里はバーレシア王国の三方を囲む山の一角、ノード山の麓近くにあった。
数ある獣人種の中でも弱い個体である羽耳族の里だ。
羽耳族は翼族の劣化版と呼ばれているがいわゆる特殊変異から生まれた比較的新しい種だった。
羽耳族の特徴はその名の通り羽毛の耳だ。それ以外は普通の人間と変わらない。子どもまでは背中に小さな羽が生えているが成長過程で抜けおちてしまう。
容貌は耳長族と次いで美貌の者が多いとされているが自分たちにはよくわからない。
羽耳族は特徴的な耳ゆえか翼のある者たちの“声”が聞える種族だった。かつていた滅びた翼族の特殊能力が羽耳族へと受け継いでいたのだろう。
しかし弱い個体である種であることに変わりなく、幾度となく奴隷狩りの憂き目にあってきた。スウェンの住む里も何度も場所を変えている。
奴隷狩りが盛んであるバーレシア王国から離れた場所にある別の里へと移動することがすでに決まっていて、明日の収穫祭が終わればこの地から去る。
スウェンは森の中を進む。
使いなれた弓を持ち時折見かける草食動物を追ってゆく。鹿に似た四本の角を持つウルバンを追いかけて森の奥へと進みすぎた。
随分集中していたようだ。しかしまだ獲物は獲れていない。
陽が暮れる前になんとか捕えないと。
収穫祭の目玉である獣の獲物はこの年に成人した若い獣人が獲るのが習わしだった。
里の中で今年成人したのはスウェンとマキナの二人だけ。
しかも獲物は前日でしかとってはいけないという決まり事ゆえ誰もが陽が明ける前には森へと入り狩りを行ってきたのだ。
しかも成人前には本格的に出来ない狩りも今日この日が本番だ。スウェンが緊張しないわけはない。
だがそのせいでスウェンはこの大事な日、大寝坊をしでかしてしまった。
元々朝は弱かったが最近ではまともに早起きが出来ていたのだ。なぜこんな日に限ってっと愚痴をこぼしながら獲物を探してゆく。
スウェンは親なし子だ。
両親はスウェンが幼少時に奴隷狩りによって連れ去られてしまった。
そんなスウェンをマキナの祖父である里長にマキナとともに育てられた。だからマキナは幼馴染であると同時に大切な家族だ。
どこか抜けているスウェンをしっかり者であるマキナはいつも気にかけていた。
そんなマキナを驚かせたくてこの日の為に狩りの練習は欠かせなかった。だから狩りにはそれなりに自信があった。
ゆっくりと日も傾き始めている。
目の前を横切った大柄なウルバンに狙いを定めて追いかけるスウェン。
この時スウェンは知らない。この後起こる悲劇と悪夢を…