40話シリウス
40話の最後に突然シリウスが登場したので、そこら辺を番外編で書かせていただきました。
シリウスは眉間に皺を寄せたまま、この国の国王であるレイヴァスの執務室へ向かっていた。
というのも、彼が決裁を通した治水事業工期の申請がこの国の梅雨にあたっていたことに気が付いたため、決済の取り消しを申請するためだ。
一度国王が認可したものを他の者は覆すことができない。当たり前のことだが。
こういったケアレスミスは地味に苛立つのだと、苛立たしげに歩みを進める。。
レイヴァスへ取り消させて、すでに堤防建設へ動き出そうとしている管轄の部署へ中止を申し伝え、もう一度申請書の作成をやり直させる。その申請書は可能な限り早急に、レイヴァスの手元へ届くように申し送りをしておかなければ、次回の雨季には間に合わない。
そうなればどれだけの民や家畜、生き物たちが濁流に飲み込まれてしまうのか。今年の雨季でも若干数の死傷者が出ている。できる限り早く対応しなければならない。
シリウスの脳裏に川でおぼれてしまい、か弱い鳴き声をあげてこちらへ助けを求めている白いネコ…都の姿が浮かんで、ブルリと体を震わせた。
あまりに悲惨なその姿に、彼のいっそう早く目的地へ歩みを進めた。
警護の騎士へ目礼をして、ドアノッカーを鳴らして入室の許可を求める。
「シリウス・ゲルハイムです。」
「…………入れ」
いつになく長い間をもって、入室が許可されたことへ首をかしげながら、いつものように気やすい様子で扉を開けた。
そこで彼が見たのは、真っ白なネコの耳と尻尾をつけた幼女がレイヴァスと由梨に両脇から世話をされながら、おいしそうにご飯を食べている姿だった。
「…レイ…」
思わず真っ先に幼馴染がいけない方向に開花してしまったかと思ったが、由梨がそばにいたのですぐに思い直す。
彼はこの麗しい乙女以外は異性として認識していない、朴念仁だった。
「あ、シリウスさん」
はたして幼女は何者だろうかと考え込んでいると、幼女のほうからシリウスへ気づき、食事をしていたソファからぴょこんと跳ねるようにして降りる。座っているときに足が下へ届いていないのだから、跳ねてしまうのは仕方がないのだがその様子があまりに愛らしかった。
「大変お世話になっていました、白いネコだった、みやこ、です。このすがたでは、はじめまして。よろしくお願いします。」
「ミャーコ様…?」
「ネコから、少しだけ、にんげんに近づきました」
まだ耳と尻尾が残ってますけどねー。と照れた様子で笑う幼女の姿にシリウスは咄嗟に胸をおさえる。
ズキュン、と何かを打ち抜かれた。
「あれ、シリウスさんはおしごとですか?」
彼が手に握りしめている紙に気付いた幼女こと都が彼の手を覗き込む。
「えぇ。…レイ、不備があったから、取り消しをお願いします」
「不備?」
「工機が雨季になっています」
「それは雨季を外すって書いてなかったか?」
「いいえ」
ドラゴン、アッシュアニヴェルとの会話ができなくなっていたことによって止まっていた治水や交通など土地の精霊たちと協力して国を整備するような事業がやっと動き出したのだ。
あまりの慌ただしさに、書類を作成した担当官も書き損じ、各部署の確認からもすり抜けて、さらには王の目からも外れてしまったのだろう。
「あぁ、すまない。見間違えていたんだな…すぐに取り消す」
書類を受け取ったレイヴァスが顔をしかめて、執務机へ向かうのを見送って、シリウスは目の前の都へ片膝をつき、深々と頭を垂れた。
「改めまして、シリウス・ゲルハイムです。…此度の事はまことに」
「あー!わー!いいですよ、シリウスさんまで!」
「いえ、そういうわけには」
「いーんです!かこはふり返りません!ね、由梨さん!」
「そうですよ、シリウスさん。私も都ちゃんも、これ以上の謝罪はいりませんよ」
「ですが…」
逡巡するシリウスへレイヴァスが書類を渡しながら苦笑する。
「彼女たちがこう言ってくれているんだ。我々は、少しふてぶてしく厚顔になろう」
「…そうですね。申し訳ありませんが、これも国で生きている皆のためだったのです」
「うん、それでいいとおもう」
ニコッと笑う幼女の白い尻尾が機嫌よさそうに揺れた。
「お食事中だったのですか?」
「そうなんです。なにもたべていなかったから」
「都ちゃん。ご飯が覚めちゃうよ」
おいで、と手招きする由梨のもとへポテポテと擬音がしそうな足取りで戻ると、書類の訂正を終えたレイに軽々と抱き上げられてソファへ座る。
「ひ、ひとりで、すわれます!」
「そういって先ほどはひっくりかえってしまわれただろう」
「そうだよ、都ちゃん。頭から落ちそうだったじゃない」
「まだこのおおきさに、なれてないだけ、です…」
「…ともかく、人の姿へなられたのですね」
おめでとうございます。と言いながら、当然の顔をして都の目の前へ腰を下ろす。
「…シリウス、仕事は?」
「レイ、同じ言葉をお返しさせていただきます」
無表情で互いを牽制している男二人を尻目に、由梨は都の口元へお肉が刺さったフォークを寄せる。
「はい、あーん」
「じぶんで、たべられます…」
「そう?…残念」
しょんぼりと肩を落とした由梨の手から、都はフォークを受取り、お肉を頬張る。
「んまぁ…」
キラキラと瞳を輝かせながら頬に手を当ててウットリとお肉を見つめる幼女の姿に、由梨は微笑み、レイは満足そうに頷く。その姿はまるで休日の家族のようだ。
シリウスは、無意識に動くであろう都の耳と尻尾を見つめながら胸をおさえる。
人の姿になった都へ興味や関心が薄れるかと思っていたが、あの多忙で神経をすり減らす毎日を癒してくれた白いネコの面影をその耳と尾に見出して、ほんの数ミリ口角が上がった。
彼が、都を人間の女性だと認識するのには、もうしばらくの時間が必要のようだ。