エリック・フェルディ・エイラ
西の国(エイラ国)の王様のお話です。
本編26話読了後をお勧めします。
バタンと西の国、白の宮にある王の間の扉が苛立たしげにとじられた。
白の宮に勤めている者たちは皆、苦笑しながら王の間へ躊躇いなく足を踏み入れる麗人の後ろ姿を安堵の表情で見送る。
どれだけこの国の王が不機嫌になったとしても、彼女がいれば大丈夫だと、皆が知っているから白の宮に勤めている騎士や女官、侍女や侍従は苦笑をしてやり過ごすことができる。
たとえその麗人がいなくても、彼らの王は、自分に仕える者を傷つけることをひどく嫌っているのを知っているから、王がどれだけ荒れ狂おうとも、王のもとに仕える彼らはおおらかに受け入れることができていた。
「あぁ、またやってる」と苦笑しながら、落ち着いた頃にだす飲み物と甘いものを準備するために、とある侍女は厨房へのんびりと足を運ぶのだった。
この日は、昼間に東の国から賓客を迎え、比較的穏やかにもてなし、見送った後のこと。
王は自室へこもりきっていた。
理由は分かり切っている。
東の国、ネイブ国の国王レイヴァス・イル・クリード・ネイブがわざわざ恋人、その実質は非公式だが婚約者でもある彼女を自慢しに来たのだ。とはいえ彼本人は国からおいそれと出ることができない身でもあるため、西のエイラ国へきたのはまだ非公式の婚約者であるユリ・タカトウと警護のイール・ダンジュ。そして、彼女が連れてきた真っ白なネコと特務騎士だ。
エリックにはそれらすべてが気に入らない。
東の国の国王レイヴァスがいつの間にやら女性と恋に落ちたことも。
その女性を一度も自分に紹介することもなく、婚約したことも。
その女性が自分が初めて恋をして失恋をした彼女に似ていることも。
そしてその彼女が連れている、特務騎士が守る白いネコのことも。
そもそも白猫は希少だ。白い獣は知恵があるとして広く知られ、昔話にも語られていた。
竜と王様。彼らを導く白い獣。そして、乙女。
子供の寝物語として、主に男の子ならだれもが一度は聞いたことがある冒険譚。女の子なら、そこから少し派生した、恋物語。
エリックとて例外なく、その物語を聞いて育った。
とある夏の暑い日は、レイヴァスとシリウスとその兄の4人でも聞いた。
ワクワクしながら、いつかは自分も乙女を守る王様のようになるんだと。
彼が憧れていた物語の主人公に、レイヴァスはなろうとしてる。
そのことが、エリックの妬心を掻き立てる。
なぜ自分はそこにいないのだ、と。
執務机に突っ伏して、年甲斐もなく悔し涙があふれそうになったところで、室内に自分以外の気配を感じ、エリックは唇をかんで涙をこらえる。
後ろに立つ彼女に気付かれないように、肩が上下しないように、ゆっくりと深呼吸をして、顔を上げた。
思った通り、自分の半身であるドラゴンのエルディヌが、昼間のまま、人型に転化した姿のままでそこにいた。
「また拗ねているの?」
「拗ねてなどいない」
優しいからかい交じりの声にエリックは不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
「あなたはガワはそれなりにいい男なのに、中身はまだまだお子様ね」
「だから、拗ねてなどいないといっている」
「レイに恋人ができたって間諜から聞いて、2日間執務以外で部屋から出てこなかったくせに」
「それは、別件で、1人で思案していたと…」
「はいはい、そうね。そういうことにしてあげる。」
投げやりな態度にエリックは反論しようと口を開いたが、エルディヌの言葉の方が早かった。
「あんたはこの国の王なのよ。私が選んだ、この国にただ1人の王。自覚なさい?」
ドラゴンは、王を選ぶ。
ドラゴンに選ばれた人間は、王として采配を振るう。
王に足る人物をドラゴンが選ぶ。
ドラゴンによる王の選定は直感で行われる。王を選定するドラゴンは、ドラゴンの長老が神からの宣旨を受けて決定する。
神に選ばれたドラゴンに、さらに選ばれた世界にたった4人の王たち。
その事実があるというのに、なにに不満があるのか、エルディヌにはさっぱり理解ができない。
「わかっては、いる。…けれど、わたし……俺は」
除け者にされたくない。告げようとした理由があまりにも子供じみていることに気が付いて、エリックは口をつぐむ。
夏になると母に連れられて、東の国に滞在した。
母の幼馴染がレイヴァスの母親で、物心ついたころから、夏は自分が東の国へ、秋はレイヴァスが西の国へ。互いが交互に滞在することが当たり前になっていた。
思春期を迎え、初恋をして。自分にない魅力を持つレイヴァスに憧れていた。
黄金色の輝く髪も、自信に満ちた闊達な瞳も、自分よりもはるかに優れた身体能力を持つ体も、さっぱりとした性格も。
憧れていた。少しだけ、妬んでいた。自分にないもの、欲しいものをすべて持っているかのように見える彼のことを。
それでもエリックはレイヴァスを友人として誇りに思っていたし、10歳を超えたころから夏の間一緒に行動をするようになったゲルハイム兄弟のことも、好ましく思っていた。
成人を迎える前、17歳の夏。
エリックにとってもレイヴァスにとっても、子供として互いに気楽に親しく過ごすことができる最後の夏。
18歳で成人を迎えてしまえば、それぞれの家の役割を継ぐために、今までのように簡単に行き来をしたり長期滞在ができなくなってしまう。別れを惜しむためにも、エリックはこの最後の滞在ととても楽しみにしていた。
けれど、エリックがレイヴァスのもとへ訪れる前日に、レイヴァスは、ドラゴンに選定された。
その夏、レイヴァスは即位の準備のために慌ただしく過ごし、彼らが共に過ごすことはできず、2人はそれぞれに成人となり、翌年の秋にエリックもエルディヌに選ばれた。
夏の日を共に過ごした友人たちが、東の国でそれぞれの能力を研鑽し、国を盛り立てていると聞いた。
羨ましかった。
エリックとてこの国に少し扱い辛いが、信頼に足る幼馴染はいるし、今は共に国のために身を粉にして尽くしてくれている。
けれど最後のあの夏の日がどうしても頭から離れない。
良い思い出ばかりの、キラキラとした非日常だった。
「別に、定期的に手を出さなくても、誰も貴方を忘れないわよ?」
「…なにを」
どこに、誰に、などといわなくてもエリックもエルディヌもわかっている。
東の国、レイヴァスに対するささやかな嫌がらせなどしなくても、レイヴァスはエリックを忘れない。
レイヴァスだけでなく、シリウスも。
シリウスの兄リゲルなんかは、気紛れに手紙や彼が開発した魔法薬を送ってをくれたりもするほど。
「ちょっかいだすのは自由だけど、あんまりオイタが過ぎると本当に見切られるわよー」
特に今回のはひどかったわよ、としかめっ面をしてエルディヌは執務机の上に腰を下ろす。
エリックははしたないことをするエルディヌにため息をつくが、いつものことなので特に咎めはしない。
それどころか、生き物に手を出してしまったことに自分でもやりすぎたことに気が付いていたから、今回の仕返しをしてもらえて安堵していたくらいだ。
白猫にドラゴン直属の特務騎士。白猫を守るためにこちらを警戒しているということだ。当たり前だし、身勝手なことだが、エリックは傷ついた。
友人に警戒されていること、そしてどうしても好きになれないアッシュアニヴェル直属の騎士が守っているということが、エリックを他国の人間であるということを知らしめて、身勝手ながらも打ちのめされる。
もう昔には戻れないのだと。
「わかっている。…少し懲りた。しばらくは、控える」
「ま、個人同士のやり取りなら、お互いに息抜きにもなってるみたいだし。あんまり迷惑にならないように気をつけなさい」
「あぁ」
レイヴァスの恋人のことを本人からも、シリウスからも、リゲルからも教えてもらうことができなかった。
子供の癇癪だとわかっているが、除け者にされた気がして、寂しかったのだ。
寂しくてつい、やりすぎてしまった。まるで子供のようだ。
「素直になればいいのに、まったく、捻くれた子ね」
くすくすと笑いながら、手を伸ばしてエルディヌはエリックの前髪を指に絡める。
「性分なんだ。今更、言えるか」
「まぁ、私はそんなとこも気に入ってるから、構わないけどね」
くいっと前髪を引っ張られて、エリックは机の上に身を乗り出す。
「エルディヌ」
離せ、と言いかけた彼の唇は、エルディヌが机に身を乗り出して、彼の額に口づけたことの衝撃で言葉を忘れたように呆け、瞳は目前にある彼女の胸元に釘づけられた。
額にはほの暖かな、柔らかな感触が触れて、離れる。
「懐古趣味は、あまり好きじゃないけど可愛いエリック坊やのは仕方がないから付き合ってあげてもいいわ」
エリックの目の前で微笑み、もう一度頬にその柔らかな唇を落としたエルディヌは慈母の笑みを浮かべ
「あんたも早く恋人でも作りなさい」
軽やかに笑いながら、彼の部屋を出た。
1人自室へ残されたエリックはしばらく呆然と、額と頬をおさえていたが、いつの間にやら、とある侍女が室内に入ってきたことに気が付き、混乱のあまり椅子から落ちて足をくじいた。
もちろん侍女は部屋の主に許可をもらっており、それは部屋の警護をしている騎士も証言した。
エリックは無意識に許可を出していたらしく、底抜けに明るい幼馴染に涙目になるほど笑われることになるのだが、それはまだ先の話し。
エリックは意地っ張りな小学生男子。
エルディヌさんはそんな小学生男子を見守るお母さん。
たぶん彼らの間に恋愛感情はありません。