2:Many First
身体が硬直して動けない。
秋は、相変わらず悲しい笑みを浮かべた少女から目が離せずにいた。
すると、不意に少女の口が開く。
“ア…キ…”
声はハッキリと聞こえなかったが、口の動きからして、明らかに少女はそう言ったのだ。
何故自分の名前を少女が知っているのかは分からないが、今まで胸を埋め尽くしていた不安や恐怖心が一気に引いていくのを感じた。
そのまま少女は続ける。
「やっと、会えた」
今度はちゃんと声が聞こえた。少し低めの澄んだ声は淡々としていているものの、怖いとは思わなかった。
寧ろこれくらいがちょうどいいくらいだ。
しかし、ここでまた一つ疑問が生まれる。
この少女は何者なのか?
俺が生きてきた人生の中でこの少女に会ったことも、ましてや見た記憶すらなかった。
それとも、俺が見ていなかっただけで彼女は俺の事を見た事があるとか?それなら納得出来る。
でも、それが何で会いに来る必要があったんだ?
疑問が生まれ、その疑問からまた新たな疑問が生まれる。
切りがないため、ひとまず考えるのを止めることにした。
「…お前は俺のこと知ってんのか?」
幽霊に話しかけるなんて俺もどうかしてるよなぁ、と自分に半ば呆れながらも質問を投げかけた。
「知ってる…。あなたも私のこと知ってるはず…」
「……??俺はお前のこと見たことすらねぇんだけど…?」
「あの時のこと覚えてる?もしも死んだら『玄関の前に立っといてやるからな』って言ってたの…」
「さっきから何言って…?」
何故かさっき彼女が言った言葉が引っかかる。
『玄関の前に立っといてやるからな』
それは、秋自身が初めて恋をした相手との会話だった。
俺が一時的に来れなくなったり約束をしたときにいつも玄関の前に立っといてやるって言ってたっけな…。
そういえばここ最近、親のガードが厳しくて会えないんだよな。あいつどうしてんだろ…?
って、話が脱線した。そうじゃなくて、問題はどうしてこいつがその言葉を知っているのかだ。
考えたくはない、なのに自分はそれを完全に否定することが出来ない。その可能性が高すぎる故に。
「……分かってくれた?」
そう、今目の前にいる彼女も、パソコンという名の媒体を通して恋をしていた彼女も同一人物なのだ。
しかし、自分はそれを認めたくない。認めたりなんかしたら…、
「まるで、あいつが死んでるみたいじゃねぇか…」
秋は自分にしか聞こえない小さな声でそう呟いた。
しかし、目の前の少女にはしっかりと聞こえていたらしく、それでも悲しさを見せない為に笑顔を保っている。あぁ、こういう優しいところが彼女なんだ。俺はこの優しさを知っている。
「約束、守れなくてごめん…」
それを最後にに彼女は泣き出してしまった。しかし、いくら泣いても涙は出てこない。
いや、出てきてはいるのだが、実体ではないために地面に落ちると同時にそれは一瞬で蒸発したかのように消えて、跡形もなくなってしまうのだ。
そんな彼女に秋はそっと歩み寄ると、抱きしめるような形で彼女のいる空間に腕をまわす。
自分は彼女にあんなに助けられたというのに触れることすら出来ないのかと思うと、とても歯痒い気分になる。
「こっちこそ、ごめん…」
なるべく優しい声音を心掛けてそう言ったが、すでに彼女の姿はそこになかった。
成仏したのか、はたまたどこかに消え失せてしまったのかは分からないが、心の靄は一向に消える気配がなく、溜息を一つ吐く。
「新聞…取らねぇとな…」
新聞をポストから取り出すと、秋はまた騒がしい家の中へ入っていった。
結局、俺自身も約束を守ることが出来なかった。
俺だって悪いのにどうしてあいつだけ泣くようなことになってしまったんだ?
いくら自問しても、その答えは返って来ないと分かっているが、同じことを繰り返してしまう。
秋は、次に起きたときは今のことを全て忘れていれば良いのに、と思いながら、再び眠りにつき始めた。
——とある学校での説教
「うぅ……」
「ぁ…くぅ…」
「うぁ…も、もう無理だぁ…」
そう言ってミールはがくりと崩れ落ちる。
それにユキとエレナは息をのむが、それは一瞬のことで、すぐに目をそらせて意識を集中させる。
「おや、もう限界ですか?まだ20分程しかたっていませんが…、そんなことでは階級試験に合格なんてできませんよ。殴られたくなければ続けてください」
彼らの担任教師であるサウス・デューイルは、結った少し長めの銀髪と、深い、それでいてアメジストのような澄んだ色をした瞳を持つ端正な顔立ちの男だ。
そしてサウスは、その端正な顔に優しそうな笑みを貼付けて竹刀を叩き付けようと…
「す、すみません!今すぐ続けますからぁ…」
と、今にも泣きそうな声音でミールが言い、元の姿勢に戻る。
それと同時に竹刀を持つ手は下がったが、サウスは竹刀を放そうとはしなかった。
現在、サウスは修行の間——畳の間ともいう——で、とある問題を起こした生徒3名を正座というお仕置きという名目で匿っていた。
今回この3人が起こした問題…いや、——そんな生易しいものではない為——事件と言った方がいいだろうか?
とにかく、彼らは重大なことを犯してしまったのだ。
サウスは3人の前ではへらへら笑っているものの、結構な焦りを感じていた。
もしもこの事件が外にでも漏れたらこの子達は死刑になってしまうからだ。
「それで…どうしてSEを無断使用したんですか?エレナ」
「そ、それは…」
彼女が言うには、ある人間を助けたかったのだという。
SE——其れは、訓練された者だけが操作を許されている機械。その機械は、人間の感情などを操れる機械で、人間はそのSE値が高ければ高い程、それに比例して正の感情——喜び、嬉しさなど——が高くなるが、逆にSE値が低ければ低い程、負の感情——悲しみ、苦痛など——が高まっていく。しかし、負の感情の場合はこれよりももっと厄介なものがでてくる。そのSE値に比例して死の確率も高くなるのだ。
それは、自殺だったり、事故だったり、病死だったりと人様々だが、死期が早まるに変わりない。
もともとSEとはその月——SEは月単位で操作する——の一人一人の人間に定められたSE値を与えたり吸収したりする機械なのだ。
しかし、彼らはまだ訓練生の為、SEの操作に関する知識はほぼ皆無と言っても過言ではない。
だから、彼らは人間を一人、自殺に追い込んでしまったのだ。
このSEの恐ろしいところは、ボタンを一つ押すだけで簡単に全ての人間を死に追いやることができてしまうことだ。
そして、彼らはボタンを押し間違えてしまった。
たった一つの小さなミスで、命を奪ってしまったのだ。
しかし、今回はまだマシな方だろう。もしもそのミスが全ての人間に影響するタイプのものだったなら、確実にここを追放されてしまうから…。
「うぁ、せんせっ…も、…いいで…」
「ダメです♡」
悲痛な声を上げ始める生徒達。だが、サウスは相変わらずの笑顔でスッパリと切り捨てる。
だんだん外が慌ただしくなってきた。きっと犯人が見つかるのも時間の問題だろう。
彼は一瞬鋭く目を細めると、悲鳴を上げている3人に向かって言った。
「今から私の家に行って補習授業をするので楽しみにしておいてくださいね」
サウスはニッコリと、不安を感じさせないように笑うが、もしかしたら少し歪んでいたかもしれないと思い、すぐに顔を逸らして歩き出す。
生徒達は文句を言っているが、何かを言ってあげられる余裕が無いため無視をする。
「さて、これからどうしたものでしょうか」
サウスは眉間にしわを寄せてそう呟いた。
その先にあるまだ見ぬ未来に向かって…。