冬のある日 8
チャイムが鳴る。四時間目が終わった。
結局、俺はずぶ濡れになりながらも、屋上から立ち去ることはなかった。アヤカに風邪を引かないように気をつけろと言っておきながら、これでは俺のほうが風邪を引くことになりそうだ。
学生服の中まで水が浸入してきている。下着は肌に張り付いて不快だし、制服をクリーニングに出さないといけない。
立ち上がることすら億劫だった。もうこのままここで寝てしまいたい。けれどそんなことをしたら確実に身体が壊れてしまう。
今日はもう家に帰ろう。そう思った。
今から給食を食べて授業を受ける気にはとてもではないがならない。それにアヤカと同じ空間を共有することも憚られた。氷の壁が溶けるまでは一緒にいるべきではない。
重い四肢を動かして立ち上がると、教室に向かう。手足が重いのは服が水を吸ったためだけではない。
来たときよりも重くなったドアを開け、段数の増えた気がする階段を下りる。長くなった廊下を歩いて、後ろのドアから給食の時間が始まっている教室に入る。
突然の侵入者にクラス中の好奇の視線が向けられるが、俺が見回すと全員がすぐに逸らした。ただ一人を除いて。
「おかえりー。もう飯の時間だぜ?」
カツは相変わらずの調子で、俺に手まで振っている。
「昇はサボりすぎ。どこ行ってたんだよ」
屋上、と正直に答えるのは何故だか少し気が引けた。
「雨に濡れてきた」
「いや、見れば分かるけど」
俺が身体中ずぶ濡れなのは見るだけでもちろん明らか。前髪や学ランの袖から水滴がぽたぽた垂れている。一箇所に留まっていたら水溜りを作ってしまいそうだ。
「ま、いいや。それでさぁ、今このクラスでちょっとした噂が流行ってるんだけどさぁ」
カツがその言葉を発した途端、クラス中の動きが一瞬だけ止まったような気がした。
「お前がアヤちゃんと付き合ってるって本当?」
アヤちゃん、カツがアヤカを呼ぶときに使っている名前だ。
「………」
「怖っ。そんなに睨むなよ」
「アヤカは?」
「いないよ。三時間目も四時間目もいなかった。だから逢引なんじゃないかって。お前とアヤちゃん、わりと良い雰囲気だったし」
「……そうかよ」
事実はまったく逆だけどな。
席にかけてある鞄を取ろうとして、止める。傘も持っていないのに持っていったら中身が濡れてしまう。
「カツ、俺が明日休むようだったら、鞄の中のパン処分しといてくれ」
「なんで?」
「たぶん風邪引いた。鞄持って帰るの面倒」
「そーすか。……で、アヤちゃんと喧嘩でもしたの?」
「……ノーコメント」
「したんだ、やっぱり」
俺はカツの言葉に肯定も否定もせず、ドアに歩き出す。
「ちょっと、昇。飯は食わないのか」
「食欲ねぇーんだ」
言って教室を出る。