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紅い月  作者: 麻道 傾
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家出少女 2

「偽善者?」

 疑問は鸚鵡返しとなって口から出る。訝かしみ、眉根が寄った。

「違う?」

 少女は白い息の質問で返す。浮かべる微笑は崩れることなく、首をちょこんと傾げている。

 ……俺が偽善者かどうか、か。

 そんなこと、今まで考えたこともなかったな。だがまあ、答えなんて一瞬で出る。考えるまでもない疑問だ。

「……確かに、俺は偽善者じゃないな」

 偽善者とは善を偽る者。俺は善人なんてガラじゃないし、善人みたいになろうと思ったこともない。そして善い行いをしていない以上、偽善者ですらないわけだ。

「で、それがどうした?」

「ただの確認よ。あなたが偽善者じゃないかっていう。私、偽善者って嫌いなの」

 口調の端々から嫌悪感が滲み出ている。少女の顔は一瞬だが、憎々しげに歪む。――が、すぐに微笑が復帰する。

「ねえ。隣、いい?」

 視線が俺の隣――ベンチの空きスペースに向けられる。

「ああ、いいけど……」

 視界の下端には、足元で食パンを競うように食べている茶猫二匹。パンはまだ半分くらい残っている。

「けど?」

「いや、なんでもない」

 猫のことなんて気にするほどのことでもないだろう。

「そう……」

 歯切れの悪い俺の言葉に気分を悪くしたのか、少女から微笑が消える。

 いつの間にか雲から顔を出していた半月が、後ろから彼女を照らしてこちらへ影を伸ばしていた。

 ジャンバーのポケットに手を入れたままの彼女が一歩踏み出す。街頭の光と黄色い半月の光、それぞれによって形作られたふたつの影も同時に一歩踏み出した。そしてもう一度脚を上げ、トンと靴裏を地面につけた時、こちらへ伸びる月の影が茶猫二匹を覆った。

 ――瞬時に食事を中断して一瞬だけ少女を振り返ると、ヒュウと風のように音もなく走り去る二匹。

「あっ……」

 思わずといった感じで少女の口から漏れる言葉。二匹が消えていった方に悲しそうに目を遣っている。

 黄色の月光で作られた影。光が汚れていれば、その光が作る影もまた同じ。穢れが触れたと分かったから二匹は逃げた………

 ――まったく、俺は何を考えているんだ。

 光が汚れているのだとすれば、影になるのはむしろ歓迎すべきことだ。だがそれでは理屈に合わない。俺は根本的に間違えているのだ。光が穢れているという考え方自体が問題。光の穢れは俺の精神の中だけでの感覚だ。猫が同じモノを共有しているはずがない。

「……あいつらは臆病だから」

 無益な思考を停止させるために、意識の先を少女へとシフトさせる。

「でも……」

「別にあんたが悪いわけじゃない」

 目の前にいる少女が茶猫の食事が中断される原因となったことは確かだが、それを予想していたにもかかわらず放置していた俺にも責任がある。客観を無視して主観だけで考えれば、悪いのは百パーセント俺だった。猫の食事を中断したくらいで罪悪感を抱くほど、俺の心は繊細にできていないのだが。

 食べかけのパンを拾ってベンチから立ち上がると、猫が逃げていった茂みの方へ投げる。

 ほとんど音もせずに落下、バウンドして転がったパンはちょうど茂みの手前までたどり着いた。

 ベンチに腰を下ろす。

「あんたも座ったらどうだ」

 少女は先程と同じ位置に立ったまま、俺が投げたパンとその奥の茂みをじっと見つめている。

「うん」

 返事は上の空で、結局一歩も動こうとしない彼女からは俺の提案に従おうとする意思は感じられない。

「そんなに見てると、あんたもパンを狙ってるって猫に勘違いされるぞ」

「……分かった」

 少女はパンから眼を離すと、こちらに歩いてきてベンチに座った。

 しばらく待っていると、茂みの奥から一匹が顔だけを出し、こちらをじっと見てくる。少女のことを観察しているのだろうか。

「………」

 横を見ると、少女も猫に真剣な視線を向けていた。息を呑む気配が伝わってくる。

 思わず、苦笑が漏れた。

「あんたが睨んでたら、いつまで経っても猫が出て来れないだろ」

 少女がこちらを見上げた。意識が俺へと向いたその刹那――猫は茂みから身体を出すと、地面に落ちたパンを咥え、すばやく暗闇へ逃げ帰っていった。

「あっ」

 すぐに視線を戻したようだが、猫の後姿を捉えることすらできなかったのだろう。

「気にすんな。あいつらは臆病だから、お前がパンを奪いに来たとでも思って警戒しているんだろ」

「そう……」

 少女は猫に対する興味を失ったかのように地面しかない前方に視線を固定した。だが、そっけない返事の中には落胆の響きが含まれていたように聞こえた。

「五年くらい前のことだけどさ」

 そこまでで区切って横目で少女の様子をうかがってみたが、無言で前を見ているだけだった。これといった反応は示していない。続きを促がしているのか、それとも興味がないだけなのか………おそらくは後者だろうけれど、まあいい。どうせ俺の自己満足だ。

「さっきの茶色の猫二匹がここに住み着くようになったんだ。捨てられたのか、どこかから移ってきたのか、よく知らないけど――」

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