冬のある日 12
「オーナー、夕食ありがとうございます。それとお世話になりました」
きちんとした一礼をする。
夕食を食べ終えた俺は喫茶店「FLOWER」の裏手にある氷月家の玄関にいる。
「そんなにかしこまるなって。風邪も治ったみたいだし、良かったじゃねぇーか」
「本当、ありがとうございます」
さすがに二度もきちんとした礼をするのは野暮ったいような気がしたので今度は会釈程度にしておく。
「ま、気にするな。それと金の話だが……」
「一ヶ月タダ働きですよね。分かってますって」
オーナーは頬を掻きながら俺の言葉を否定する。
「いや、その話はもういいよ。お前にはウチの傷心の嬢ちゃん慰めてもらったからな。借りを作っておくのも気持ち悪いし、それでチャラってことにしといてくれ」
「え、でも、もともとは自分の蒔いた種ですし、それにあれは慰めたわけでもないですし……」
共に夕食を摂ったアヤカの様子を思い出す。オーナーに対してツンケンして強く当たり、かと思えば俺に注意を受けてモジモジしたりと、とてもではないが慰められて元に戻った状態とは思えない。
俺と同じことを思い出していたのか、オーナーが苦い顔をしてまとめる。
「色々と悩む年頃なんだろ」
「はぁ……」
苦笑しながら相槌を打っておく。
「ま、なんにしろ部屋から出てきて、話も聞いてくれるようになったんだ。あとは父親が頑張るしかないだろ? 彼氏に負けてられるかよ」
「俺は彼氏じゃないですけどね。……なんて言うか、その、頑張ってください」
「おう、任せとけ」
オーナーは歯を見せてニィと笑う。この笑顔を向けられると何故か毎回元気づけられてしまう。オーナーは人を元気にする魔法を使っているんじゃないかって思うくらいだ。
「じゃ、俺はもう行きます。ありがとうございました」
最後にもう一度軽く会釈をして、歩き出す。
「金払わなくっていいからって、バイトサボるんじゃねぇーぞ」
「分かってますって」
背後から聞こえてきた声に振り返らずに返事をしながら、家に挟まれた細い路地を抜けて、道路に出る。
太陽はほとんど沈んでしまっていて辺りは薄暗い。
家路を行きながら、心の中で今は亡き母親に語りかける。
『見てるか、母親さんよぉ? あんた言ってたよな、俺は超能力が使えるから特別なんだって。……だがよ、そんな特別さがなんの役に立つ? 肝心なところで役立たずだ。誰も幸せになんてできねぇ。俺にはオーナーの使う笑顔の魔法のほうがよっぽど価値のあるものに思えるんだが、あんたはどうよ?』
もちろん返事はないし、期待もしていない。あったとしても気分が悪くなるだけだ。
「死人に口なし、脳もなしっと」
呟き、いつの間にか晴れていた空の下を軽い足取りで進む。遠くに見える空の端は赤い。そのすぐ上には白い三日月が浮かんでいた。
俺には紅い月を堕とす超能力があるらしい。色々と使用条件があるのだが、それでも一応、堕とせるらしい。正直なところ、母親が自殺の間際に残した狂言だったのだろうと思っている。信じていないけれど、小さい頃に植えつけられた思い込みってヤツはしつこいもんだ。今でも心のどこかでは自分が特別な人間なんじゃないかって期待している。
そんな醜い期待をさせるから紅い月は嫌いなんだ。もちろん他にも理由は色々ある。挙げればキリがないし、気分も悪くなるのでここでは省く。
とにかく俺は紅い月を嫌悪している。
しかし白い月まで嫌いというわけではない。どちらかというと好きな分類に入る。
生命の介在しない、限りなく無機質な光。俺という人間のちっぽけな超能力が通用しない相手。そんな月が放つ光は不思議と神聖な存在に思える。
その白い光に照らされたところで幸せになれるわけではない。
けれどそんな光に照らされる世界が、アヤカとかオーナーとかついでにカツとか、そういう人たちが幸せに暮らせる世界なら、存続する価値があるのかなって。
俺が超能力を使えない意味もあるのかなって。
今はそう信じたい気分だ。
――たとえ、俺が幸せじゃなかったとしても。