冬のある日 10
目を開けると、真っ白な天井と蛍光灯の光が視界に入ってきた。顔を傾けると、今度はテレビとローテーブル。床はフローリングになっている。
ここまで見て、やっと世界が九十度回転していることに気づいた。どこかに寝かされているみたいだ。
背中の感触はやわらかくて、ふかふかだ。少しだけ身体を起こして確認してみると、三人がけのソファーだった。
――と、その時。
額に乗せられていた濡れタオルがずれて、床に落下した。
……タオル? 何故こんなものが?
そもそも俺はどうしてこんなところで寝ている?
自宅であるアパートの部屋はすべて和室だったはずだ。それに対してここは完全なる洋室だ。
記憶を探ってみるが、ずぶ濡れになりながらも傘を差さずに学校を出たところまでは覚えているが、それ以降はもやもやしていてよく思い出せない。
とりあえずは落ちてしまったタオルを拾っておくかと思い、手を伸ばす。
「おっ、シズムが起きた」
聞き覚えのある声。床に落ちたタオルに手をついた状態で顔を上げると、私服姿のオーナーが手に濡れタオルを持っていた。
どうでもいいけれど、この人の私服姿を目にするのはすごく久しぶりかも知れない。この大雑把そうな人でも仕事の時はちゃんとした服装をするのだ。公私混同はしない……とは言いきれないが、一応けじめはつける人なのだ。
……思考が脱線したが、何故オーナーがいる?
「頭とか痛くないか?」
「いや、大丈夫ですけど。なんで……」
そんなこと訊くんですか?
そう言おうとして、頭の中心に電気が走ったような痛みがした。思わず顔をしかめる。
オーナーはそんな俺の表情を確認すると苦い顔をする。
「やっぱまだ痛いか。お前派手に倒れたからな」
――あっ、そうか。そういえば俺、倒れたんだった。
言葉がきっかけとなり、やっとすべてを思い出した。
「ここ、アヤカの家、なんだ……」
「そこはせめて『オーナーの家』って言ってほしいんだがなぁ。まあいい。思い出したか?」
「……はい。迷惑掛けてしまって、すみません」
「いいよ、病人は大人しく寝てろ」
オーナーは俺が拾ったタオルを奪い取ると、無理矢理寝かせ、頭の上に新しい濡れタオルを押し付けてくる。
「痛いですって、やめてくださいよ」
「給料一か月分無しな」
咄嗟に何を言われたか分からなかった。
「明日の夜まで面倒見てやる。それまでに意地でも治せ」
「……どういうことですか?」
オーナーは苦笑した後、ため息をついて話し出す。
「本当なら、お前がぶっ倒れた後に親御さんに電話して迎えに来てもらうのがベストなんだが、生憎とお前の親父さんは現在単身赴任中だろ? 一人暮らしのくせに保護者の一人も近くに住んでない、と。本人は熱がある上に頭打って気絶してるし? 俺としてもそんな病人をタクシー呼びつけてアパートに送り返すなんて真似はさすがに心が痛むわけよ?」
「でもそれなら病院――」
「お前ん家、金ないんだろ? 入院なんてことになったら金掛かるぞ」
「………」
確かにそうだ。まだわずかだけれど借金があるし、貯蓄もあまりない。風邪で入院する程度の費用で困ることはないが、掛からないに越したことはない。
「そこで俺からの提案だ。明日の夕方までは俺が面倒見てやる。その代わり一ヶ月間ただ働きしろってことだ。こっちも店を一日臨時休業しなくちゃならんからな。妥当な対価だろ。いい話だと思うんだが、病人さん」
オーナーがニヤリと笑う。
「俺はありがたいですけど。いいんですか、そんなに簡単に店を休みにしちゃって」
「ま、そこは気にするな。ウチにも一人、いるからな」
オーナーはそこで、自分の胸を指で叩いた。
「こっちの治療が必要な嬢ちゃんが、さぁ。部屋から出てきてくれねぇーんだよ」
「……すみません」
「そう沈んだ顔をするなっての。『昇は悪くない』なんて慰めるつもりはねぇーが、まずは自分の身体を治すことだけ考えてろ」
「はい……」
「この調子なら明日は二人とも学校休むことになりそーだしな。ちょうど良かったよ、俺も仕事休む理由ができて。傷心の娘を慰めるって理由じゃちょっとアレだしな」
「……オーナーも世間体って気にするんですね」
「バカヤロウ。こっちは商売なんだからそういうもんは人一倍気にしなきゃならんだろ」
「なるほど」
「ま、なんにしろアヤカがこのままってのは困るからな。恋愛なんかが原因でシズムみたいな学校をサボる不良になってもらうわけにはいかないしな」
「だから『恋愛なんか』って……」
「分かってるよ、アヤカの前では言わねぇって」
「ならいいですけど」
「……『シズム』と『不良』に突っ込みがないって、お前相当具合が悪いみたいだな」
「……………迷惑掛けます」
「いいって。俺は今から飯作ってくるから。お前も粥くらいは食えよ?」
「……頑張ります」
「それと、長話に付き合わせて悪かったな。配慮が足りなかった」
オーナーはバツが悪そうにそう言うと、返事も聞かずに部屋のドアを開けて出て行ってしまった。
俺もさっさと治さないと。いつまでも迷惑を掛けるわけにはいかない。
目を閉じる――。