魔王城の押しかけ花嫁はフライパンを抱えてやって来る
「魔王様ぁぁぁぁぁ!」
玉座の間へ飛び込んできた羊型魔族の宰相は、あと数歩で転びそうになりながら何とか踏みとどまった。
普段は冷静沈着を絵に描いたような人物だというのに、その顔には余裕の欠片もない。
魔王・セイルは読んでいた本から顔を上げ、びくりと肩を震わせる。
「えっ、何……?」
「花嫁です!」
「えっ?」
「花嫁が!」
「えっ?」
「来ました!」
「ええっ!?」
本が床へ落ちたと同時だった。
「たのもーーーう!!!」
城中に響き渡るほど元気な声が廊下から聞こえた。
◇◇◇
この世界では、魔族が住む土地が三分の一、ある。
魔族の国は七ヶ国。
その七つの国全てに、共通することがあった。
魔王の血を引く者には、なぜか男子しか生まれない。
また、他の魔族との間にも子は成せるものの、魔王の力を継ぐほど安定した魔力を持つ子は生まれなかった。
そのため、次代の魔王を残すには、人間の女性を花嫁として迎えなければならない。
もっとも、昔のように本当に人間をさらっていた時代など、とっくに終わっている。
今では、魔族と人間の間にも交流が生まれ、それは半ば儀式のようなものだった。
ここ第六魔国では、城に代々伝わる宝玉が花嫁となる女性を選んでいた。
選ばれた娘の寝室には、ある朝、大きな真っ赤な羽が一枚届けられる。
娘は「きゃー、魔王にさらわれるー」と近所に挨拶をしながら嫁入り支度を始め。
数日後、迎えの魔族と共に城へ向かう。
もちろん形式上は「さらわれる」ことになっているので、最後は家族が涙ながらに見送る演技も忘れない。
ちなみに近所のおばちゃんはいつも泣きすぎる。
どの時代でも、どのおばちゃんでもそうだ。
あれは演技なのか、本気なのか、誰にもわからない。
迎えられた花嫁は王妃として遇される。
が、「魔王の子を産む」ことだけは慎重になる。
望まない場合は、無理をさせず、もう一度宝玉が選び直す。
そして魔王に子どもが生まれると、今度は勇者が城へ乗り込み、
「魔王!姫を返せ!」
「うわぁ……」
という一連の儀式を済ませる。
姫じゃなくても、姫という。
女性も、この勇者イベント(茶番ともいう)を目の前で見られ、とても喜ぶ。
ちなみに勇者は、選ばれた女性と同じ村の青年から選出される。
立候補も可である。
その後、皆でお茶を飲み、
「それじゃお暇します」
「今回もご苦労様です」
「いえ、そちらも大変ですよね」
と挨拶をし、女性を伴って帰る。
この辺の流れはどの国でも同じだ。
女性側はそのまま魔族の国に住み着く、という発想が、何故か、ない。
魔族側も人間側も、それが当たり前だと思っていた。
それがおよそ三百年続いている、人間と魔族、双方公認のお約束だった。
宝玉の放った羽を持つ娘は、魔族側からの迎えを待つ。
自分から城へ乗り込んでくる娘など、歴史上ただの一人もいなかった。
だから。
今回も、そのはずだった。
なのに、いきなり
「たのもーーーう!!!」
である。
◇◇◇
玉座の間では、セイルも宰相も動けずにいた。
「ぼ、僕、まだ心の準備が……」
「私もありません!」
「宰相まで!?」
魔族史三百四十七年。
初の「花嫁が自力で来た日」である。
廊下では兵士たちの慌てふためく声も聞こえる。
「止めろ!」
「無理です!私は誰にも止められません!」
「なんだよあの大きな荷物!なんで少女があんな大荷物持って、あんな早く走れるんだよ!」
「鍛えてますからー!」
「なんで!?」
「抱えてる植木鉢は何だ!」
「え?お花ですよ!」
「そうじゃなくって!」
どたばたどたばた。
廊下の騒ぎは一直線にこちらへ近付いてくる。
魔王は慌てて立ち上がりかけたが、椅子に座り直した。
そして。
ばんっ!
勢いよく開いた扉の向こうには、一人の少女が立っていた。
肩には大きな旅行鞄。
右手にはフライパン。
左手には植木鉢を抱え。
背中には布団らしき大荷物。
そして胸元に、誇らしげに真っ赤な羽を入れている。
「初めまして魔王様! 本日より貴方の妻となります、ミーナと申します!
嫁入り道具は一通り揃えてまいりました! よろしくお願いします!!」
少女は満面の笑みだった。
ハキハキとした、あまりにも元気すぎる挨拶が広い玉座の間にこだまする。
王座に深々と腰掛けていたはずの魔王セイルは、その声の圧力だけで「ひいっ」と肩を跳ね上げた。
元気の良い花嫁に気圧されビクビクしているセイルは、角を隠すように前髪を深く垂らし、内向的なオーラを全身から醸し出している。
しん、と静まり返る玉座の間。
兵士たちは口を開けたまま固まり、宰相は頭痛を堪えるように眉間を押さえている。
だがセイルだけは。
(……あ)
その顔を見た瞬間、時間が止まった。
赤い髪。
人懐っこい笑顔。
ころころ変わる表情。
そして、その声……。
十年前、人間の国との境で一緒に遊んだ少女が、そのまま少し大きくなったようだった。
(あの子だ)
思わず息を飲む。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(本当に来てくれた)
気付けば、自然と頬が緩んでいた。
そうして魔王は立ち上がろうとして、マントを踏み、その場で転んだ。
この国の王は、残念ながら格好良く登場する才能も、持ち合わせていない。
「大丈夫ですか!?」
「あ……はい、何ともないです……」
気遣ってくれる声に、小さな声で応える魔王。
「怪我が無いなら良かったです。
あ! 途中の庭園に小さな花壇がありましたね! すごく素敵です! この鉢のお花と一緒に手入れしていいですか!?」
「えっ、あ、はい……構いませんけど……」
「やったー! ありがとうございます!」
ミーナはバンザイをして喜んでいる。
その空気を、まるで読まない声が響く。
『あのー、言いにくいんすけど、俺、この子選んでないっす』
玉座の横で、宝玉が淡く光った。
「え?」
セイルが思わず聞き返す。
『この子じゃないです』
「え?」
『俺、選んでません』
再び、しん、と静まり返る。
魔王の笑顔も固まった。
宝玉は容赦なく続ける。
『届け先はこの子の家の二軒隣です』
「え?」
『鍛冶屋の次女です』
「え?」
玉座の間にいた全員の視線が、ミーナへ集まった。
『あなたじゃありません』
少女はしばらく口をぱくぱくさせていたが、不意に羽を高々と掲げた。
「でも、ほら!」
にかっと笑う。
「羽あります!」
『ありますね』
「でしょう!」
『盗品です』
「違います」
『違わないでしょ』
「何言ってるんですか! 『あんな恐ろしい魔王城になんて行きたくない〜』って泣いてたから」
『それ、お約束の流れなんですって』
「じゃあ私が行く!って言ってもらってきたんですよ! ほら、実物があるんだから文句ないでしょ!」
『譲渡不可なんっすよ、それ!!』
「知りません!! 手にした者勝ちです!!」
ちなみに、本来選ばれていた鍛冶屋の次女は、羽を持って近所へ挨拶に回っていたところ、ミーナにあっさり奪われていた。
しばらく呆然としていたが、「……まあ、私よりあの子の方が魔王様も楽しそうだし」と、なぜか納得してしまったらしい。
ミーナと宝玉は、ギャンギャンと押し問答を繰り広げている。
その横で、側近の悪魔たちが
「えぇ……?」
「お約束の『勇者が奪還しに来るごっこ』の計画が狂うのでは……」
とヒソヒソと顔を見合わせている。
セイルだけは、また口元を緩め、目の前で笑うミーナから視線を離せなかった。
◇◇◇
——十年前。
幼かったセイルは、ふとした好奇心から人間との国境付近まで遠出してしまったことがある。
そこで出会ったのが、当時まだ小さかったミーナだった。
セイルは魔族であることを隠すため、大きな布を頭からすっぽりと被り、角と縦長の瞳孔をひた隠しにしながら、太陽が沈むまで夢中で遊んだ。
楽しかった時間はあっという間に過ぎ、家臣たちが探しに来る気配を感じたセイルは、去り際に思わず口走ってしまったのだ。
『ぼ、僕……お嫁さんに迎えるなら、君が良いな……』
恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして走り去ったセイル。
あまりの可愛らしさにミーナが見惚れる。
その去り際、ほんの一瞬だけ被り物がずれ、縦長の瞳孔が夕日に透けたのを、当時の少女は見逃さなかった。
(あの目……、魔族の子だ……しかも次の魔王様だ! 待って、私、プロポーズされた!?)
幼いミーナは、それを100%本気で真に受けた。
そして十年後。
鍛冶屋の次女のもとに「魔王の花嫁の羽」が届いたと知るや否や、「あの時の約束を果たす時が来た!!」と羽をひったくり、嫁入り道具を担いで乗り込んできたというわけである。
◇◇◇
「ねえ魔王様! 私じゃダメですか!?」
宝玉との不毛な言い争いを終えたミーナが、ふいっとセイルに向き直り、ぐいぐいと顔を近づけてくる。
セイルは跳ね上がる心臓を押さえながら、真っ赤になった顔を慌てて両手で隠した。
「だ、ダメじゃない……です……。むしろ、すごく……嬉しい、です……」
「本当ですか!? やったーーー!」
ミーナは満面の笑みで、再びバンザイをする。
『だーかーらー、譲渡不可って言ってるじゃないですか、三百年以上続くシステム書き換えとかめんどくさいんっすよ……』
宝玉のボヤキは誰も聞いていない。
大喜びするミーナの横で、宝玉に目をやった宰相がふと重大な事実に気づき、蒼白になった。
「あ、あの……ミーナ様。大変申し上げにくいのですが……。
今回の勇者役の青年が、鍛冶屋の娘を迎えに来る予定で、人間国側もそのつもりで準備を進めていると聞いているのですが……」
「あ、ハルくん?」
「ご存知で!?」
「ええ。羽が届いた時、ハルくん泣いて喜んでましたよ。
『やったー! ついに俺も魔王城に行って、魔王とお茶飲んで帰ってくるっていうやつができるぞー!』って」
あのお約束の茶番劇は、人間の国の若者にとっても「一生に一度の安全な魔王城観光」として人気の行事だった。
ミーナは、うんうん、と一人で頷きながら続ける。
「花嫁が変わると勇者も選び直しになるらしくて。
ハルくん、『俺、魔王への捨て台詞、毎日練習してたのにー!』って大泣きしてました。
だから腕相撲で勝って黙らせてきました!」
えっへん!と胸を張るミーナ。
「勇者を……腕力で……?」
「はい!力でねじ伏せました!」
「そ、そうなんだ……」
セイルが啞然とした声を出す。
「大丈夫ですって、もしハルくんが来たとしても、私フライパンで殴って追い返しますから!」
「えぇっ?」
ぎょっとするセイル。
「魔王様は座って見ててください!」
「僕、守られる側!?」
「勇者を叩きのめす気だ、この花嫁!!」
国を統べるはずの魔王が、完全に『保護対象』と化していた。
ダメだ、この城のパワーバランスが初日から崩壊している。
頭を抱える宰相。
彼らを余所に、ミーナは抱えていた鉢植えを掲げる。
「私、お花植えてきますね!」
そう言うと植木鉢を抱えて庭へ駆けていく。
「……」
セイルはその後ろ姿を見送り、少しだけ笑った。
庭からミーナが大きな声で呼んでいる。
「魔王様ー!花壇広げてもいいですかー!」
「えっ!?ど、どれくらいですか!?」
「城門までーー!」
「さ、さすがに広すぎますっ!!」
宰相は、ゆっくりと天井を仰いだ。
賑やかな王妃の誕生になりそうだし……この王妃、人間の国に帰る気ないぞ……。
――ああ。
胃薬を箱で、定期購入しておこう。
再び、城門付近が騒がしい。
「お前な! 勝手に羽奪っていくんじゃねえよ! 俺の一生に一度の魔王城お茶イベント返せー!」
勇者(予定だった)ハルくんが、殴り込みに来たらしい。
しかも、まだ花嫁が到着した当日である。
……いや、問題は彼の言葉の内容だろう……。
「嫌です、私に負けたくせに!」
ミーナのフライパンが、容赦なくフルスイングされた。
ゴーン!
魔王城に、実に気持ちのいい音が響いた。
「痛っ!」
「さっそく使ってる……」
「予告通りに殴ってる……」
魔王と宰相は、何とも言えない目で城門の方を見つめた。
『だから譲渡不可って言ったじゃないっすか』
宝玉は呆れたように呟いた。
『……まあ、今回で前例できちゃったんすけどね……』
『あ、でも今回は帰国後の嫁ぎ先も仕事も要らないんすね。……担当部署が喜びそうっす』
ー了ー




