放蕩貴族のおじさん、地面師だった。〜悪徳伯爵を詐欺で詰ませる逆転クライムゲーム〜
ジュリアーノ・モレッティはクズである。
自分で言うのだから間違いない。とにかく生粋のクズなのである。
ジュリアーノが前世の記憶を思い出したのはわずか6歳の頃であった。
ある日ふいに流れ込んできた前世の記憶。
ここではない。ネオン瞬くビル群は果たして未来か、別世界か。
そんな夢のような場所で、ジュリアーノは詐欺師であった。詐欺と言われるあらゆる手段に手を染め、「鬼」だの「悪魔」だのと罵られようとも、まるで歯牙にもかけなかった。
一応、理由としては赤貧であった事があげられるものの、それなりにリッチになった後も死ぬまでクズのままだった。
更生の機会は幾度かあったが、全てを笑い飛ばし人を食い物にし続けた。
その末路といえば、女に騙され裏路地でゴミ袋に埋もれて死ぬという、実にクズらしいものだった。
そんな前世を過ごしたジュリアーノであったが、今世において伯爵家長男として生を受けた。
クズにまっとうな人生を与えるなんぞ、神様は気が狂ったか、くしゃみでもして間違えたんだろう。
だが、せっかく与えられたチャンスなのだ、今度こそ真面目に、……とはならなかった。
何故ならジュリアーノはクズなのだ。
かくして何不自由ない暮らしを与えられたジュリアーノは、全ての責任を投げ出した。
幸い、ジュリアーノの妹ビアンカは大変に優秀だった。
この国では女領主を禁止する法はないため、ジュリアーノは早々に領主となる権利を放棄した。
そうして、当主の面倒な仕事はすべて妹に丸投げし、自身は貴族籍を保持したまま実家の脛をしゃぶり続けて幾年月。
齢40歳を超えたジュリアーノはどこに出しても恥ずかしい立派なクズになっていた。
そんなジュリアーノがビアンカに呼び出されたのは雨季が迫る頃合いだった。
「お帰り兄さん、良い話と悪い話があるんだけれどどちらから聞きたい?」
未だ艶やかな美貌を振りまくビアンカは、笑顔でジュリアーノを出迎えた。
「うん、そうだな。良い話だけ聞いて帰りたいね」
「兄さんは変わらないわね。それじゃあ良い話だけれど、ようやく跡継ぎが生まれたのよ」
「それは素晴らしい! それじゃあ僕はお暇しよう」
「悪い話についてなんだけれど、――このままだとモレッティ家は爵位を喪失しそうなの」
回れ右して帰ろうとしていたジュリアーノの足が止まる。
爵位がなくなる。つまりそれは、しゃぶる脛がなくなってしまうと言う事だ。
ギシギシとブリキ人形のように振り返ったジュリアーノに、ビアンカはにっこりと微笑んだ。
「去年の雨季にセオン川が氾濫したのは知っているわね。そのせいで北部の農作地帯が深刻な被害を受けたのよ」
「うん、そんな話を聞いたような気もするね」
モレッティ家はヴァレンツァ王国において代々続く家系であり、古くから北部の一帯を治めてきた。
決して広い訳でもなく、決して豊かな訳でもない。それでもモレッティ家はこの地を長きに渡り守ってきた。
その血には温厚、誠実が宿っていると言われるほどに、民からも愛される一族だ。
……ジュリアーノ以外は、の話である。
「その影響で王家への上納金がかなり厳しい事になってね。そこにきて、隣接する領地を治めるバルトロメオが妨害を仕掛けてきているの」
「妨害とは?」
「上流にある水門を定期修繕のためといって三か月も封鎖したわ。これで南部の農作地帯まで大きな被害を被った」
「ふむ、名目が修繕であれば、領地を守るという名目が成り立つな」
「その上、バルトロメオの領内を通過する我が領民の荷馬車にたいして、書類の不備を理由に数日に渡って引き留めた。お陰で、荷馬車の積み荷はとうてい売り物にならなくなってしまったの」
「稚拙な嫌がらせだが、……何とでも言い訳がたつな」
「ええ、その通り。バルトロメオは対外的な言い訳が立つ範囲で、モレッティ家に圧力をかけて来ている」
「あれは昔からそういう男だっただろ。根っからの善人が嫌いなのさ。そいつは僕もよく分かる」
ジュリアーノは談話室を見回した。
高い天井を支える太い梁からは幾つもの蝋燭を載せた真鍮の燭台が吊り下げられ、壁にはフレスコ画が描かれている。
開け放たれた窓からは雨季の訪れを告げる湿った風が吹き込んできており、新緑の匂いが混じり合って少しばかり青臭い。
一見すれば以前と変わらないが、よく見れば壁に飾られていた高価な壺や置物が減っているのは、それを売り払ったためだろう。
目を凝らせば窓枠に僅かだが埃がたまっており、使用人の数も減ったらしい。
「このままだと上納金が支払えない。そこにあろう事か、バルトロメオが助け船を出すと言って来たの。つまり資金提供をしてもいいとね。――その条件はなんだと思う?」
「ワイン醸造の権利譲渡か?」
「惜しい。私が、……ビアンカ・モレッティがバルトロメオの後妻になること、よ」
ジュリアーノは思わず紅茶を噴き出した。
しばし派手に噎せ返り、息苦しさに胸を叩く。
その様子を、ビアンカは優雅に眺めていた。
「お前の旦那のニヤけ男、フェデリコだったか? アイツはどうしたんだ?」
「尻尾を撒いて実家に逃げ帰ったわ。バルトロメオに金を握らされて『婚姻無効書』にサインまでしてね。
別にいいのよ。私としては跡継ぎが作れれば良かったから」
ビアンカは涼し気な顔で紅茶のカップを傾けるが、その顔には確かに以前にはなかった翳りがある。
それは自治領の困窮だけが理由ではないだろう。
しかし”男として”の視線で見るならば、そんなビアンカはいかにも魅力的でもあった。
30歳を過ぎたとはいえ、美貌は衰える気配もなく、むしろ芳醇さを増している。
田舎貴族らしく顔にはそばかすが散っており、肌も白磁とは言い難い。だが豊かな黒髪と理知的で大きな瞳は、一度視線をあわせれば反らす事が難しい。
バルトロメオが欲しがるのも頷けた。
「それで、……僕みたいなクズを呼び寄せてどうしようって言うんだ?」
「まぁ、兄さんはクズだけれど馬鹿ではないわ。それに昔から言っていらしたでしょう? クズにはクズの流儀がある、と」
「ふむ、言った覚えはあるね」
「兄さんから見て、バルトロメオはその流儀に則っていて?」
その言葉に、ジュリアーノは苦虫を噛み潰したような顔になる。
渋面のまま行儀悪く音をたてて紅茶を啜っていれば、遠慮がちにメイドが顔を出した。
「失礼致します、奥様。お坊ちゃまがお目覚めになられました」
「あら、うちの天使が目を覚ましたのね。丁度いいわ、兄さんも甥っ子を見ていって頂戴」
「いや、僕は……そういうのは遠慮する」
ジュリアーノは家族らしい触れあいが苦手だった。挨拶もそこそこに席を立つと逃げるように屋敷を出る。
胸にこみ上げる形容しがたい焦燥感は、二度目の生を受けてから初めて感じるものだった。
ジュリアーノは酒場で数杯目になるエールを傾けていた。
酒場の客は大声で歌を歌っている者や、リュートを弾いている者もいる。だが、全体的には黙って一人で酒を飲んでいる者が多かった。あるいは、いい歳をした男どもが顔を突き合わせ、渋い顔をしてちびちびと杯を傾けている。
漏れ聞こえてくる囁きはどれも不作や困窮を嘆くもので、いかにモレッティ領が窮地に陥っているのかが伝わってくる。
ジュリアーノは機嫌が悪かった。
こんな時は酒をかっ食らって全て忘れるに限るのだが、どうにも今日はいくら飲んでも酔えなかった。
そんなジュリアーノは酒場でも奥まった席で、顔を隠すようにランタンに背を向けて座っていたが、ふと喧噪を縫うようにして目の前に見知らぬ男が現われた。
男はジュリアーノの許可も取らずに目の前の椅子に腰を降ろす。そして、前置きもなしに切り出した。
「酒場の外で、バルトロメオ伯爵がお待ちです」
「――なんだって?」
「我が主は、モレッティ領の現状に嘆いておいでです。是非、一度あなたとお話をしたいそうです」
ジュリアーノは鼻で笑いそうになった。
言い方こそ丁寧だが、非公式の会合である。真っ当な話合いを望むならば、家を通じて面談を申し込むべきだ。
あまりにも分かりやすく、きな臭い匂いが漂っている。
「いいだろう。ただし僕は安売りはしない男だ。会うかわりにここの酒代は支払ってくれ」
「それくらいでしたら」
男は小馬鹿にしたように頷いた。
ジュリアーノは席を立つとカウンターに向かい、酒場の女店主に声をかける。
「エマ、清算を頼む。今までツケにしてたやつも全てだ」
「おやおや、ようやく払う気になってくれたのかい?」
笑うエマに男は焦った顔になるも、一度承諾した事を取り下げれば主の品位をも貶めかねない。
金貨の入った革袋が開くのを後目に見ながら、ジュリアーノは酒場の外に出た。
陽が落ちた街は以前のような活気はなく、街灯もほとんど消えたままになっている。その深い闇にまぎれるように、一台の高級馬車が止まっている。
寂れた街角において、その馬車はあまりにも不釣り合いだった。
漆黒に塗られた車体にはこれ見よがしな金箔の細工が施され、窓を遮る真紅のベルベットは、それだけでこの街の小作人が一生かけて稼ぐ以上の価値がありそうだ。
ジュリアーノはまっすぐ足を進めると、馬車の戸を軽くノックした。
カチリ、と真鍮の小気味いい錠前が外れる音がして、重厚な木製の戸が内側から開かれた。
その瞬間、雨季の湿った夜風を遮って、むせ返るようなアンバーの香水と、上質な煙草の匂いが溢れ出す。
「……お待たせしてしまったかな、伯爵閣下」
ジュリアーノが車内を覗き込むと、銀の燭台が照らす薄暗い空間の奥で、一人の男がふんぞり返っている。
毛皮をあしらったマントを羽織り、衣服の隙間からはこれでもかと宝石を散りばめた指輪が光っている。
男──バルトロメオ伯爵は、クリスタルグラスの赤ワインを揺らしながら、傲慢な薄笑いを浮かべていた。
「入りたまえ、ジュリアン君」
一言目から名前を言い間違うバルトロメオに、ジュリアーノはあえて小心者を装った。
馬車の豪華さに気圧された風を装って、視線を落ち着きなく彷徨わせる。そしてバルトロメオと視線が合えば、下心丸見えの商人のようにへらりと媚びた笑みを向けた。
その態度にバルトロメオが満足げに鼻を鳴らす。彼は主導権を握ったつもりになっているだろうが、ジュリアーノは冷酷に空気を読んでいた。
「さて、ジュリアン君、君を呼んだのは他でもない。モレッティ領の現状に関してだ。私は憂慮しているのだよ」
「おお、なんと。伯爵閣下は寛大であられる」
「ああ、そうとも。民が餓えるのは見ていられない。故に、ビアンカ女伯爵には幾度も融資を申し出ているのだが、色よい返事を貰えなくてね」
「なんと、伯爵閣下のせっかくのお誘いを無碍にするとは。ビアンカは女でありながら伯爵位を継いだことで気位が高いのです。本当は伯爵閣下に頼りたいと思っていても、女だてらに一族を支えてきた矜持が邪魔をしているのでしょう」
ジュリアーノのおだて文句にバルトロメオは分かりやすく鼻の下が長くなる。
「そこでだ、ジュリアン君、君に一肌脱いで貰いたい。モレッティ家で何か困り事が起こったら私に知らせてくれないか?」
「困りごと、ですか?」
「ああ、そうだ。教えてくれたら君個人宛に特別な融資を約束しよう」
つまりこの男はジュリアーノの前に金貨をちらつかせ、モレッティ家を裏切れと言っているのだ。
なるほど、実に正しい。とてつもなく正解だ。何故ならジュリアーノはクズだからだ。
「それは是非、ご協力させて頂きます」
ジュリアーノはにっこりと微笑んだ。
「ビアンカ、お前に協力しよう。バルトロメオに吠え面をかかせてやろうじゃないか」
モレッティ家に帰るや否や、ジュリアーノは意気揚々と談話室へと踏み込んだ。
しかし、そこに待っていたのは赤子を抱えたビアンカで、ジュリアーノは思わず一歩引く。
室内に漂う甘いミルクの匂いと、赤子の無邪気にはしゃぐ声に足はその場に釘付けになる。
「あら、お帰りなさい兄さん。どうしたの、中に入っていらして」
「ん、……ああ」
落ち着かない。ジュリアーノは家族の団欒が苦手だった。
触れれば壊れてしまいそうな赤子が、目を輝かせながら自分を見つめてきているのも落ち着かない。
無垢なものの世界にあって、異物だと思い知らされる瞬間だ。
「それで、何かあったのかしら?」
「……バルトロメオが僕にコンタクトをとって来た。僕がクズ野郎だから平気で家族を売ると思ったようだ。実に正しい」
「あら、そうなの?」
「そうだよ、僕はクズだからね。今後も優雅に暮らすためなら家族だって売るだろうさ。だが、……」
ジュリアーノは一度言葉を切った。
「僕はクズだからね、自分が賢しいと信じ込んでいる人間を追い落とすのが大好きなんだ」
「それは素敵なご趣味だわ。それで具体的にどうなさるの?」
「土地を囮にした融資詐欺でケツの毛までむしり取ってやるのさ」
ジュリアーノは慎重に赤子から距離を取るようにして椅子に座った。
赤子はそのくりくりとした目でじっとジュリアーノを見つめている。
「具体的にどうなさるのかしら?」
「まず、君には役所に行って貰う。そこで、モレッティ領の土地に対して『担保証明の公文書』を発行する。
『モレッティ領のこの土地を、借入金のための担保として登録します』というものだ」
「お金を借りるために領地を差し出すということね」
「その通りだ。そこで君は重大なミスを犯してしまう。なんと、誤って土地面積を多く記載してしまうんだ。その土地を奪われたら、爵位を保持できなくなってしまうほどの土地をね」
この国には、『借金や没落で領地を一定割合以上を失ったら、爵位を剥奪されて平民に落とされる』、あるいは『爵位が格下げになる』という厳しい規定が存在する。
すなわち、領地を売り払った事により、所有地が国家の規定を下回った場合、モレッティ家は爵位と領地の双方を失う事になる。
「でも、土地を奪われるのは、モレッティ家が借金を返せなかった場合だわ」
「ああ、そうとも。だからこそ、”返せなくなるほどの額”をバルトロメオに融資させるんだ。
モレッティ家が誤って広大な土地を担保に出した。これを”モレッティ家が返せないほどの大金”で買い上げてしまえば、モレッティ家は領地を失って没落する。投資額としては大きいが、結果的に領地が倍になるならば悪くない」
担保に対しての融資額の決定権を持っているのは、融資をする側である。
つまり、バルトロメオが相場以上の金額を支払うと宣言した場合は、バルトロメオの主張が通るのだ。
「大金は手に入っても領地は失うということね」
「そうなるね。となれば、バルトロメオはこう言うだろう。『ここは両家の婚姻によって、モレッティ領を今まで通り存続させようじゃないか』と」
「あら、困ったわ。そうなったら私はバルトロメオに嫁ぐしかなくなるわね」
赤子をあやしながら微笑むビアンカはむしろ楽し気でもあった。
この辺りの胆の太さは、妹ながら末恐ろしいとすら感じてしまう。
「でも、……そうはならないのでしょう?」
問いかけるビアンカの瞳が微かに光る。
ジュリアーノは大きく頷いた。
「勿論だ。融資詐欺にクリアリング・タイム詐欺を追加してやるんだ。
先ほど、君が役所に行って『担保証明の公文書』を提出すると言っただろう。これを、安息日の前日、しかも午後の時間に行うんだ」
「安息日、……つまり役所が休みになる前日ね」
「そうだね。書類はその場で受理され、不備がなければすぐにでも公文書が発行される。
僕はその公文書を持ってバルトロメオに罠を仕掛けに行く。バルトロメオは大慌てで両替商に向かい為替手形を発行するだろう。
安息日でもお構いなしに開いている異教徒の両替商はあるからね。バルトロメオは安息日の間に支払いを完了させる。
そして、安息日が開けたら真っ先に役所に向かって、買い上げた領地の権利を主張すればいい」
「それでどうなるの?」
「――だが君は、安息日の前日、役所が閉まる直前に修正届けを提出する。『土地の広さを誤って登録してしまった』とね」
ジュリアーノは一拍おいてニヤリと笑みを浮かべた。
「そうすると安息日開けの役所での処理はどうなるか。
まず、先に提出された”修正届け”の処理が優先される。そして、土地を正しい広さに改定した公文書が発行される。
続いて、バルトロメオの担保証明が処理される。しかし、それは”修正後の公文書”に対して適用されるのさ」
決済に時間を要するバルトロメオは、安息日の間に支払いを済ませることになる。
だが実際、安息日が開けてみれば先に修正届が出されており、猫の額ほどの小さな土地に大金を支払った事になるのだ。
「バルトロメオがいかに喚いた所で、役所の書類処理のタイムラグによりモレッティ家の主張が優先される。
貴族社会において、大金をむしり取られたという醜聞は、失った金より大きな損失にもなりかねない。
バルトロメオは社交界のいい笑いものになるだろう。……さて、どうだい、我が妹よ。僕の策に乗ってみる気は?」
「――ねぇ、兄さん。デビュタントの時の事を覚えてる?」
「なんだい、藪から棒に」
ジュリアーノが首を傾げるとビアンカは艶やかに笑う。
「あの時、ファーストダンスを踊ってくれたのは兄さんだった。エスコートが上手で驚いたのよ」
「それはつまり、今回も僕と踊ってくれると言うことかな?」
「ええ、そうよ。とびっきりのダンスを披露しましょう」
ビアンカは実に動きが早かった。
モレッティ家の土地を調べ直し、担保にすべき場所を割り出していく。
うっかりミスをするにも、あまりにもわざとらしい広さではバルトロメオを警戒させてしまうだろう。爵位を保つためにぎりぎり不足する範囲。それを慎重に見極めた。
そうして、安息日の前日の午後に役所に届出を出しにいく。
公証人が帳簿に記載し、印章つきの公文書が発行されると今度はジュリアーノがそれを片手にバルトロメオの元に訪れた。
至急での面会を希望すると、バルトロメオはすぐにジュリアーノを邸宅の談話室へと招き入れる。
バルトロメオの屋敷は、馬車と同じく、悪趣味なほどに贅を尽くしたものだった。全身に金箔が貼られた天使像や、東国から取り寄せた景徳鎮の磁器壺、足元を彩るのは色鮮やかなペルシャ絨毯だ。
「伯爵閣下、急な来訪にも関わらず応じて下さり恐縮でございます」
「良い。だが、わざわざ尋ねて来たという事は、それなりの手土産があっての事だろうな」
「勿論でございます。こちらをご覧ください」
ジュリアーノはもみ手をしながら卑屈に応じ、机の上に公文書を差し出した。
「なんだこれは」
「見ての通り、モレッティ家の担保証明です。ビアンカはついに金が足りなくなって、土地を担保に金を借りる事にしたのです。
ですが、……ここをご覧ください。担保として差し出した土地面積のところです。
私の方で何度も調べ直したのですが、どうやらビアンカは差し出す土地の広さを誤ったようで……」
「どういう事だ?」
「もし、この土地を伯爵閣下が手に入れれば、モレッティ家は領地が足りず爵位を失うこととなります」
「まさか!」
バルトロメオは身を乗り出すと、公文書に目を皿のようにして何度も何度も確認する。
「本当にこれで領地が足りなくなるのか?」
「閣下が心配なされると思ってこちらに『検地帳』の写しを持って参りました。ご覧ください、ビアンカが差し出したのはこの土地です。ここを失えば、モレッティ家は領主としての権利を失います」
ジュリアーノが差し出したもう一枚の書類を、バルトロメオは嘗めるように改める。
「にわかに信じがたいが、間違いないようだ」
「妹は抜け目のない人間です。安息日が開ける頃には、自分の失敗に気付く可能性がある。
ですから閣下はその前に融資を行ってしまえばいいのです。
この土地では、せいぜい金貨1000枚にもならんでしょう。しかし閣下がこれを金貨3000枚、……いえ5000枚分の為替手形で支払ったらどうなるか」
「無理だ。手形がビアンカに渡れば、彼女はその手形で奪われた土地を取り戻せばいい」
低く唸るバルトロメオにジュリアーノは首を振る。
「そこが閣下の腕の見せどころです。融資の返済期間を”極めて短期間”にしてしまうのです」
「そんな怪しい取引にビアンカがサインをするとは思えんが」
「それはビアンカが領主としての地位を失う事を知っていたらの場合です。しかし、妹は気付いていない。
返済期限はやけに短い事に関しては、私が説得してみせましょう。
――『バルトロメオ伯爵は、心の底からモレッティ領を憂いている。返済期限が短いのは、返済を求めていないという意味だ』とでも言えばいい。
どのみち、上納金の期限はすぐ目の前。ビアンカに選択の余地はありません」
バルトロメオは眉間に深くしわを刻みながら、必死に頭を捻っている。
あまりに美味い話過ぎて、どこかに罠があるのではと疑ってかかっているのだろう。
だがジュリアーノの言葉に”嘘”はない。バルトロメオは法に明るいからこそ、真実であると分かっている。
「だが、領主の立場を失うと気付いた場合はどうなる。いくら期限を短くしても買い戻される可能性もあるだろう」
「そこが為替の恐ろしいところです。閣下は、発行した為替に対して”偽造された可能性がある”と訴えればいいのです。
結果的に、為替が本物だと証明される事になりますが、確認には時間を要します。
――つまり本物と証明されるまでは、ビアンカの手元にあるのは、”ただの紙切れ”となる訳です」
ほくそ笑むジュリアーノにバルトロメオが息を飲む。
「ならばモレッティ側も為替を発行して支払えばいいのではないか?」
「無理でしょうね。モレッティ家では金貨5000枚分の為替を発行できるだけの担保がありません」
「なるほど、……だからこその金貨5000枚か。モレッティ家の担保では、”発行出来ない額”にすることに意味があるのだな」
「流石、閣下は飲み込みが早い。確かに金貨5000枚は出費です。しかし、モレッティ家は爵位を失う上に、あなたはモレッティ領を治めるために必要な土地を手に入れる事が出来るのです。
領地は倍になり、……領民思いのビアンカは、貴方が婚儀を提案すれば、快諾する事になるでしょう」
バルトロメオは興奮で血走った眼をぎょろりと動かし、闘犬のような顔で頷いた。
「気に入ったぞ、ジュリアン。お前の手に乗ってやろう。約束通りお前には将来遊んで暮らせるだけの小遣いを与えてやる」
「閣下の寛大なお心に感謝いたします。私とて、沈みかけの船と心中は御免ですからね」
ジュリアーノは満面の笑みで頷いた。
バルトロメオの屋敷から舞い戻ったジュリアーノは、すぐさまビアンカと共に役所に赴く事となった。
役所が閉まるまではあと僅か。窓口が閉じられるより前に、修正届けを滑り込ませる事が重要だ。
だが、役所付近まで馬車を進めたビアンカは、その直前で表通りから隠れるように停車する。
「どうした?」
「あそこ、役所の前に立っている男。バルトロメオの部下よ」
カーテンの隙間から外を覗き見るビアンカに、ジュリアーノも外を伺った。
役所の前に立っている男はジュリアーノも見覚えのある男だった。いつぞや酒場で声をかけてきたのと同じ男だ。
「バルトロメオの奴め。ビアンカが即座に気付く可能性を察したか」
「どうするの、兄さん。修正届けを出したら、バルトロメオは警戒して融資を取りやめるわ」
「それも困るが、修正届けを出し損ねた方が大損害だ。何としてでも届けを出しに行かなくては」
最悪の場合は、たとえバルトロメオに知られても修正届けを出しに行くことになるだろう。
だがそうなると、結果的に上納金を支払えず、爵位を失うことになる。
「仕方ないわね。……兄さん、今すぐ服を脱いで」
「――なんだって?」
「今すぐ服を脱ぐのよ。そして、私のドレスを着て窓口に行ってきて」
「うん、なかなか斬新な冗談だ。……いや、待て、本気なのか? 待て、待て、顔が怖いぞ、ビアンカ、おい、待って!」
悲鳴をあげるジュリアーノに、ビアンカは無言のまま服を剥いでいく。
狭い馬車の中では逃げる場所もほとんどなく、下手に暴れればビアンカに怪我をさせかねない。
ジュリアーノの抵抗は黙殺され、自身も下着一枚になったビアンカにコルセットで腰を締め上げられた時には、走馬灯が見えるかと思ったほどだった。
息も絶え絶えなジュリアーノは強引に淑女に仕立てられ、髭の生えた口元を扇で隠す羽目になる。
「いや、無茶だ、無茶苦茶だろう。バレたらどうするんだ?」
「兄さんがそんなへまをする筈がないわ。学園に通っていた時には教員のふりをしてテスト用紙を盗み出していたでしょう?」
「身に覚えがあり過ぎるな」
「あの時は、父さんも母さんも大笑いだったわ。うちの息子は天才だって」
その言葉にジュリアーノの動きが止まる。
「……怒られた覚えしかないんだが」
「そりゃそうよ。怒らない訳にはいかないでしょ? でも、父さんも母さんも、兄さんの事を愛してたわ」
「自分で言うのも何だが、手におえない悪ガキだったぞ?」
「その悪い部分も含めて愛していたのよ。……それと、兄さんは今でも悪ガキだわ」
ジュリアーノが口を「へ」の字に曲げる。
まさか自分が愛されていたなど、思いもよらなかったからだ。
前世においても、自分を心から愛してくれる者は誰一人としていなかった。
ビアンカはジュリアーノの戸惑った表情にカラカラと笑みを転がした。
「はい、出来上がり。思ったよりお似合いよ。さぁ、せいぜい楽しんできて頂戴」
馬車から放り出されたジュリアーノは仕方なしに背筋を伸ばす。
こうなったらバレないように精一杯、淑女を演じる他にない。もしバレたその時は、憲兵に突き出される可能性だってあるだろう。
一歩進むたびに背骨が悲鳴をあげ、ろくに空気も吸い込めない。コルセットは拷問具なのだと思い知る。
「……おい、そこのお前、いや、そこのご婦人」
ふいに声を駆けられてジュリアーノは小さく息を飲む。
扇で隠した視界越しに立っているのは、バルトロメオの部下だった。
黙って視線を向けていると、男はわざとらしく咳をする。
「いや、突然声をかけてすまなかった。この辺りでは見ない顔だったものでな。失礼でなければ、お名前を教えて頂けますか?」
なんだ、これは。男の目に宿った期待の色に、ジュリアーノは困惑する。
これはあれだ。多分あれだ。十中八九、ナンパである。
「マジか」
「今、なんと?」
「マージでございますわ」
ジュリアーノが裏声で応じれば、男は噛みしめるよう名前を反芻する。
「マージ夫人、宜しければこの後、お茶でも如何でしょうか?」
「……ごめんなさい、わたくし、……夫を亡くしたばかりで、……今日も、その手続きを」
口に出してから喪服じゃないなと気付いたが、男は全く気にしていないようだ。
悲しいかな、未亡人だという部分に注目し、服装の不自然さに気付いていない。
「なんと、それはさぞ寂しいでしょう」
「ええ、……今は心がいっぱいで」
「そうでしたか。それは、……引き留めて申し訳ありませんでした」
男は深々と頭を下げると、エスコートするように役所の扉を押し開く。
「ありがとうございます。心の準備がついたその時には、また誘ってくださいね」
口元の髭を隠しながら、ジュリアーノは薄幸の未亡人を装って微笑んだ。
かくして、ジュリアーノの企みは見事に功を奏した。
バルトロメオは安息日の間に、異教徒の両替商で金貨5000枚分の為替手形を発行した。
ビアンカはその為替手形にサインして、そこで契約は成立した。
金貨5000枚といえば、モレッティ領の税収をすべて集めても、三年はかかる金額である。
水害に曝された農地を回復ばかりか、治水工事を行ってもお釣りがくる。領地を建て直すには十分だ。
バルトロメオにとってみれば、手痛い支出であるものの、領地が倍になりビアンカを娶れるならば出す価値はある、……筈だった。
しかし、安息日が開け役所に赴いたバルトロメオは、自分が買い上げた地が猫の額ほども無い事を知らされる。
無論、バルトロメオは激怒した。
窓口で「詐欺だ!」と喚き散らしたが、行政側の処置としては何の過失もないのである。
提出された書類を、規則に則って順番に処理した結果なのだ。
焦ったバルトロメオは、今度は為替手形を回収しようとしたものの、これも正式に発行されたものである。
偽造されたと訴えたところで、審査で本物だと確定すれば、未払いは懲罰の対象だ。
――嵌められた、と気付いた時にはすべて手遅れだったのだ。
モレッティ家は、久しぶりに屋敷の全てに灯りが灯り、笑い声に満ちていた。
テーブルには料理人が丹精込めて作り上げた食事が並び、ビアンカはご機嫌でワインを傾けている。
「バルトロメオったら、危うく憲兵に取り押さえられそうになったらしいわ」
「そりゃあそうだろうさ。何せ役所の外までアイツの声が聞こえていた」
ジュリアーノも肩をすくめながらグラスを傾ける。今宵の酒は今までで一番美味かった。
「まぁ、これでモレッティ領も安泰だ。僕は明日にでもお暇させて貰うことにするよ」
「ああ、兄さん、その事なのだけれど、……実はそうもいかなくなったのよ」
「なんだって?」
ビアンカは笑いながら、ジュリアーノに一枚の書類を差し出した。
受けとったジュリアーノは思わず動きが静止する。そこには『後継人任命書』と書かれていた。
「実は、兄さんに修正依頼を出して貰った時に、封筒にはもう一枚紙が入っていたの。それがこれよ」
「んん、……これは、僕を、……君の息子の後継人にすると、書かれてるようだね?」
「ええ、そう。その通り。兄さんは私の天使の後継人になるの。実質的に、モレッティ領の財産管理の責任も生じるわ。
……もし、無断で失踪すれば『国家財産の横領・逃亡』とみなされ、お尋ね者になる可能性もあるわね。当然のこと、兄さんの財産は凍結される」
ジュリアーノは目を白黒させながら、任命書とビアンカの顔を交互に見る。
「……つまり、ビアンカ、君は僕を嵌めたのか?」
「やぁね、兄さん。嵌めたなんて人聞きが悪いわ。私は兄さんと一緒にもう一度、『家族』としてやり直そうとしているのよ」
ジュリアーノは机に突っ伏して頭を抱える。
家族だなんて、ジュリアーノがもっとも苦手とするものだ。
「改めて、これからも宜しくね、兄さん」
笑いながら差し出されたビアンカの手を、ジュリアーノは溜息を吐きながら握り返す。
その手はとても温かく、その夜の酒は、やはり今までで一番美味かった。




